➁1.29 Wed 去年開院した俺の歯科医院は、主要駅近くのオフィス街にある。
色々リサーチして競合とは距離があること、仕事の休憩中に保険治療を求める会社員はもちろん、営業職の人間や美意識の高い女性社員が仕事帰りに保険適用外のホワイトニングに訪れる見込みなど、総合的に考えてこの場所にした。自費診療は儲かるからな。
立地やサービス内容、ターゲットを考えると完全個室治療が相応しいと、設備と内装には存分に金をかけた。俺の城だ。
その城に、何でこいつがいるんだ。
「このストーカー野郎……!」
隣にいる衛生士に聞こえないよう、ボリュームは控えめに、ドスを聞かせて見覚えのある患者の耳元で囁いた。
「うぉ!びっくりした!!」
振り向いたのは端正な顔に大きな傷が横断している美丈夫だった。
「失礼な歯医者だな。昔の主治医の歯医者に通いたいのは患者の心理だろ。歯医者冥利に尽きれよ」
男はちょうど一週間前の記憶よりも、荒々しく強い口調で唇を尖らせた。尽きれよって何だその日本語。
「どうやってここを見つけた」
「こないだ会った街から半径を広げつつしらみつぶしにネット検索」
確かに、広告には金をかけている。いざ歯医者に行きたいと思ったら真っ先にやることはネット検索だからな。院長プロフィールも写真入りで完璧だ。まさかそれが裏目に出ることがあるとは……。
「はぁ。やっぱりストーカーじゃねぇか」
俺が丸椅子に座ってため息をつくと男――杉元佐一は途端にしゅんと顔を歪めた。
「……家まで着けるとかそういうことはしない。約束する。このまま会えなくなるのは耐えられなかった。なぁ、何で連絡くれなかったの?」
今度はでかい図体を捻り、ユニットからはみ出しながら上目遣いで俺を見てくる。やめろその目……。
「はぁ。いいか、よく聞け。ヒーローはガキに手を出さない。以上だ」
「ふざけんな!もう成人してるわ!」
普段と違う雰囲気を感じたのか、個室の扉がノックされた。扉を開いた先にいた衛生士へ知り合いだと告げて丸椅子に戻った。はぁ、面倒くさい。カルテを再び開いて気を取り直した。
「はい、杉元さん。検診ですね。お口の中見ていきますねー」
「おい、急に他人モードになるなよ」
「他人だろ。おら、ユニットにちゃんと寝ろ」
杉元の歯は以前に言っていた通り、虫歯も、虫歯の痕跡もなさそうに見えた。綺麗なもんだ。クリーニングした衛生士によると磨き残しもほぼなかったようだ。しっかりした顎に歯並びもいい。色素沈着も気になるほどじゃない。むしろ不自然な白さにしたがる奴よりよっぽど美しい。惚れ惚れして眺めていたが、奥歯が気になった。
「おい、お前歯ぎしりするか?」
「あー、言われたことあるかも。これでも社会人だからな!ストレスとかかな?」
社会人?私服だったから気が付かなかった。今年21だったよな?高卒で就職してんのか?まぁ、別に関係ないが。
「そこまでひどく無いが、習慣化しているならマウスピース作るのも1つだ。エナメル質がすり減ると虫歯のリスクが高くなるからな。せっかく綺麗な歯がもったいない」
「え!それって通っていいってこと!?」
「……社会人なら精々金を落としてってくれ」
「あはは!言い方!」
次の予約は通常1週間後辺りに取るが、今週は金曜の夜にキャンセル空きがあって杉元はまんまとその日に収まって帰って行った。受付の歯科助手に「お知り合いだったんですね。廊下に楽しそうな声が聞こえてきましたよ」と笑われた。
楽しかったなんてことは断じてない。近頃こんなふうに軽口をたたき合う相手なんていなかったから、ちょっと気楽で口が滑らかになっただけだ。
金曜が待ち遠しいとも思っていない。ただ、あの美しい歯が心配なだけだ。