③1.31 FRI -➁「いいか、俺に指一本でも触れたら追い出すからな」
「はぁい」
「その他にも、変なそぶりを見せたらすぐ追い出す」
「はぁい」
最低限のルールを提示しながら部屋の鍵を開ける。
いつもなら15分の道も、慣れない雪に足を取られて倍近くかかった。変な力が入って身体中バキバキだ。
杉元は鼻の頭を赤くして終始ニコニコ笑っている。
「飯は鍋。文句言うなよ」
「え!飯もいいの!ありがとう!」
何だよ。さっきっからいたく素直じゃねえか。調子が狂うな。
「さっさと風呂入っちまえ」
「はぁぁい!」
風呂から上がっても、テーブルの準備をさせても、杉元は終始ニコニコ笑っている。何がそんなに楽しいんだかわからんが、その顔のその表情は嫌いじゃない。
骨付きの鶏ももがグツグツと煮えた寄せ鍋を持ってローテーブルに着くと、テレビのリモコンを見つけた杉元が「ネッフリが見れるテレビだ!!」とはしゃぎ出したから映画を流しながら鍋をつついた。
「うわぁ、すげぇ崖。どこここ?CG?」
「アメリカのどっか。これスタント無しで俳優が飛んでるらしいぞ」
「えっー!かっけー!!」
「この俳優はいつか撮影中に死ぬんじゃないか?」
「……生命保険とか掛け金バカ高そうだね……」
「ははっ。死ぬ程稼いでるから保険いらねぇだろ」
「あはは!確かにー!」
……何だこれは。何の話だ。他人と、こんな、何でもない話で笑うなんて時間、過ごしたことないぞ。ケツの据わりが悪くてムズムズする。
恋人とは外で会って外食し、相手の家かホテルでヤッて現地解散がお決まりのコースだった。
勉強ばかりだった学生時代には、友人と呼べる友人もいなかったから論外だ。
何だ?何でこいつはこんなにぬるっと俺の懐に入り込んでるんだ?なんで俺は不快に感じていないんだ?
「あっポン酢使い切っちゃった。まだある?」
「ん。少なくなってたからストックも冷蔵庫で冷やしてる」
「取ってきまーす」
視線でキッチンを指すと杉元が取りに立った。いや、パーソナルスペースである冷蔵庫を開けさせるのはまだ早かったか?もう少し段階を踏んで……いや段階って何だよ。2度と部屋に入れねぇよ。何なんだもう。調子が狂う。
慣れない感覚に鶏ももの軟骨を強く噛んだら、キッチンで杉元が声を上げたのが聞こえてきた。
「ねぇ!これ!俺のアドレス!取っといてくれたの!?」
あど、れす?……しまった!杉元の連絡先が書かれたぬいぐるみのタグを冷蔵庫に貼り付けたままだった!!
慌てて壁を隔てたキッチンに向かうと、期待に満ち満ちた目の杉元が待ち受けていた。
「違うぞ。違う。それは、猫の種類が書いてあったから取ってあっただけで……」
白、黒、グレー、縞、何種類かの猫が描かれていた記憶を辿る。断じて連絡を迷っていた訳じゃない。
「えっ!猫?猫のぬいぐるみも置いてくれてるの!?居ないなぁとは思ってたんだけど!」
……藪蛇だ。
「違う。違うぞ。枕代わりだ。寝違えて……柔らかい枕に寝たくて仕方なくだ」
「それって一緒に寝てくれてるってこと!?」
……藪蛇すぎる。
「ま、待て。語弊があるぞ。アラフォーの男がぬいぐるみと寝るのは流石にきつい。一時的で簡易的な枕だ、枕。柔らかさがたまたま合ってだな……」
「うん!うんうん!気に入ってくれて嬉しい!」
杉元は俺の弁明なんて聞こえていないようにニコニコと喜んでいる。いや、だから気に入ったわけではなく……あ、これ話通じないやつだな……。ゲーセンに引きずられた日を思い出してため息が出た。
「はぁ、もう、何なんだお前。ヤりたいだけじゃないのか。何が目的なんだ……」
「目的?……俺はあんたと恋人になりたいから信頼関係を築いているところだよ」
子どものようにキラキラと笑っていたと思ったら、急に男の顔になって見つめてくる。胸が跳ねた。そのちょくちょく出してくるギャップやめろ。お前、自分の顔がいいの知っててやってるだろ。跳ねた胸を収めて理性を総動員する。
「こいびとぉ?歯科医の俺にたかろうって魂胆か」
「ひでぇ!確かに俺金ないしそう言う面ではリードできないけど……金に困ってないし!デートで割り勘ならできる、もん……」
威勢よく言い返してきたかと思いきや、最後は尻すぼみにもんときた。やっぱり子どもか。
「言ったろ?ヒーローはガキに手を出さないんだよ」
「ふふ、俺が言ったこと覚えててくれて嬉しいよ。確かに尾形先生は俺のヒーローだったけど、どえらいエロいちゅーすることも知ったし、ゲーセンではしゃぐただの男の顔も知ったら、憧れの尾形先生じゃなくて今のあんたを好きになってたんだよ」
今、俺と杉元の間は多分2m程離れている。手を伸ばしても届かない距離なのに、あの芳醇なウィスキー色の目で射抜かれて動けない。子どものような、いっぱしの男のような、あわいを行ったり来たりする不思議な男。
「なぁ、頼む。俺にチャンスをくれ。ゲーセンも今も楽しかっただろ?一緒に過ごすのに相性いいよ俺達。ちょっとデート重ねてみてさ、それから結論出しても遅くないと思わないか?な?」
提案するような物言いなのに、有無を言わせないような切実さで杉元に手を掴まれた。
恋人?この相手に困らそうな若くて顔のいい男が?俺と?意味がわからん。
男と遊んでみたい?気まぐれか?それとも……やはりタカリか?いや、そんな男には見えないが……やっぱりわからん。
俺は今どうするべきなんだ?こいつは俺をどうしたいんだ?真意を窺いたくて思わず顔を凝視していた。
整った顔を横断する傷跡。傷のふちがわずかに盛り上がっている。組織が自らの治癒力で修復してできた、まるで生命力を象徴しているみたいな傷跡。
ああ、そうだ。俺はこの傷に触れたいと思ってたんじゃないか。触れた感触を想像して、思わず右手の指先を擦り合わせた。
ガキに手を出すのは犯罪だが、こいつは成人している社会人だ。
気まぐれで遊んでみたいなら数回ヤったら満足して離れていくだろう。タカリならその時切ればいい。収めたはずの胸が、暴れている。
「わかった」
「……へっ??」
「付き合ってやる」
「ええっっ!?い、いいの??」
俺の渾身の返答に間抜けな声を上げる杉元。
「なんだよ、不満か?」
「いや、正直こんなあっさりOKしてもらえると思ってなくて……」
おい、獲物を借るときは一回一回が勝負だろうが。……もしや顔がよすぎて駆け引きなんて今まで必要なかったクチか?
「そうか。よし、じゃあヤるか」
「へっっ!?なっ!?えっ??」
途端に顔を赤らめる杉元。コロコロ顔が変わる忙しいやつだな。何だよ、ヤリモクじゃなかったのか?
「待って!こういう事には順序があるじゃん!!」
「何だよ。エロいキスした仲だろ。それともやっぱり俺には勃たな……」
「勃つ!全然勃つけど!」
「じゃあまどろっこしい事はやめようぜ。我慢は体に毒だ」
杉元の後頭部に手を回して、この間のエレベーター内でのキスを再現する。わざと音を立ててやると杉元の硬直が、わかりやすく俺の下腹部へ興奮を伝えてくる。
「もうやだぁ」
真っ赤になって顔を手で覆う杉元。この顔だから遊び慣れてるかと思ったが可愛いじゃねぇか。楽しい夜になりそうだ。杉元を引きずってベッドルームに雪崩れ込んだ。
早く。見下ろされながらあの傷に触れたいんだ。