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    mitaka

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    mitaka

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    10/16開門フェスの展示①でした。

    私立フォルモーント学園秋の大運動会の話。
    前半フィガファウ成分薄めです。
    ※ふたりの過去とキャラ同士の呼称、口調などを捏造しています。

    #フィガファウ
    Figafau

    予測不能のビタープリズム 雲ひとつない抜けるような晴天。澄み渡る青色と髪を揺らす爽やかな風が気持ちまで晴れやかにする。天候に恵まれた絶好の日、私立フォルモーント学園では、年に一度の体育祭が執り行われていた。リズムよく駆けていく足取りに合わせて砂煙が巻き起こり、額には青春の結晶ともいうべき汗がきらめく。輝く一瞬を焼き付けるように、皆懸命に声を上げる。

     しかし、ここまでの道のりは決して平坦なものではなかった。今回の体育祭は「進学校」「不良校」「芸能校」の3校が合併してから初めての開催であったからだ。集まったのは校風の異なった、考え方や性格がバラバラの生徒たち。彼らの組分けは、実行委員たちにとって一番の懸念材料であった。けれど、合併を記念する創立祭がなんとか成功したこともあり、今回もまずはやってみようの精神でランダムに組分けをすることになった。その結果、学年のみならず出身校をごちゃ混ぜにした5組が誕生した。
     参加意欲を向上させるための案としては、勝利した組への購買1日優先券の配布が採用された。一見単純で子供だましのようにも思えるが、人気の“ネロパン”が並ぶ購買はこの学園におけるいわばひとつの戦場だ。毎日激しい争奪戦が起き、結局は元不良校の出身者ばかりが手に入れてしまっている。そのため普段は遠慮しがちな生徒の中には、平和的にゆっくり並んでパンが買えるなら頑張ってみようかと考えた者もいるようで、各組の団結力がそれによって多少は底上げされた。元々体育祭に乗り気な生徒もそうではない生徒も、形ばかりの協力かもしれないが、少しずつ歩み寄りながら本番に向けて準備を進めてきたのだった。
     そして迎えた当日、計画から実行まで知恵を出し合い、苦労した甲斐もあってか、組内での大きないさかいもなく、なんとか無事に進行している。それには、生徒会長たちを中心とした運営の努力に加えて、流血沙汰になるような問題行動がないかどうか、体育教師のオズが目を光らせていたことも大きく影響しているようだった。
     現在は午前の競技を終えたところで、束の間の休憩時間だ。それぞれ昼食を持ち寄って会話に花を咲かせている。

     ファウストは、あるきっかけで仲良くなった後輩のネロ、シノ、ヒースクリフ、そして幼馴染で年上の同学年生レノックスとともに、ランチボックスを囲んでいた。バランスのよく考えられたおかずや彩り豊かなサンドイッチ、デザートのレモンパイ。全て噂の購買アルバイター、ネロ手製のものだ。それを当たり前のように口へ運んでいく。
    「相変わらずきみが作るものは美味しい。ありがとう」
    「そりゃどうも。そう言う割には浮かない顔だけど?」
    「あ、すまない……。午後が憂鬱過ぎたんだ」
    「はは、わかってるよ」
     滅入っているファウストの皿へ、彼の好物であるガレットを一口大にロールしたものをネロが取り分けた。それを受け取ると、どんよりと曇っていた表情に心なしか光が差す。
     数ヶ月前まで図書室にひきこもりきりで、最近少しずつ授業に出られるようになったばかりのファウストにとって、人目に触れることの多いこのイベントはハードルが高い。しかし現生徒会長であるアーサーから、創立祭同様是非参加してほしいと頼まれてしまったのだ。学園一の功労者と言っても良い彼たっての希望を簡単には無下にできず、最低限なら……と渋々ながら了承した。そして今日に至る。午前中は盛り上がる様子を応援席から眺めるだけで済んでいたが、次はいよいよ割り当てられた競技の順番がやってくる。
    「出るのは借り物競争だっけ? あれ借り者? 人?」
    「初めは物も可だったらしいが、途中から二人三脚と混ぜることが決まって、借りるのが人に限定されたらしい。幸い、ポイントのつかない余興種目だ。激しい競り合いになることはないと思うが……」
    「あ〜……。誰を選べるかわかんねえのに二人三脚とか、俺らみたいなのには地獄だろ」
    「全くだ……。きみ達を連れていける札を引くことを願うしかない。まあ、お題の解釈はそれぞれに任されているからな。僕がそうと主張すれば、例え“可愛い人”でもきみを選べる」
    「いや、可愛いで連れて行かれるのは俺ちょっと……」
    「……あの、今からでも俺が代わりましょうか」
     心配そうに声をかけるのはレノックスだ。彼は多少、いやかなり過保護なところがあるので、今日一日ファウストのことが気がかりで仕方なかったらしい。
    「……そこまでしなくて大丈夫だ、レノ。ここまで駆り出されすぎて疲れてるだろう。少しは休んだほうがいい」
    「そうですか……。何かあればすぐに言ってください」
    「確かにあんたの活躍は凄かった。どんな競技でも負けないように、オレも早くデカくてムキムキになりたい」
     右手のチキン、左手のパイをわんぱくに頬張りながらシノが会話に混ざってくる。
    「そうなる予定があるの……?」
    「必ずなる。待ってろヒース、来年……3年後までには」
    「俺はそのままでもいいよ……。そういえば騎馬戦のネロも凄かったよ。悪ノリで頭から焼きそばを被ってきた人に鬼の形相で……」
    「だ〜〜〜! その話はやめてくれヒース!」
    「騎手のブラッドリーさんも若干怖がってた位だったし……」
    「食いもんを粗末にする奴がどうしても許せなくて、つい……。あっ、ほらおまえらはこのあとパフォーマンスあるんだろ」
     紅潮した顔を手で隠しながらネロは慌てて別の話題を切り出す。それに答えるように、シノとヒースクリフが同時にうなずいた。
    「今日のためにみっちり練習してきたからな。曲だってラスティカ先輩の書き下ろしだ」
    「俺はまだ自信なくて心配だけど……。出るからには精一杯頑張るよ。今回もクロエが気合を入れて衣装をデザインしてくれて」
     彼らは元芸能校の生徒で「レモンパイラバーズ」というユニットで活動しているアイドルの卵だ。その知名度の高さからパフォーマンス合戦の目玉を任されている。
    「ファウスト。出番が終わったらすぐ戻ってこい。オレたちのステージには絶対間に合わせろ」
    「ああ、わかった。僕も楽しみにしているよ」
     丁度その時、荘厳で清らかな鐘の音が皆の鼓膜を真っ直ぐに撃ち抜いた。招集を知らせる合図だ。その残響が消えきらないうちにファウストが重い腰を上げる。
    「はぁ……行ってくる」
    「はい。ご武運を」
     そしてついに覚悟を決めたらしい。友人らの声援を背に集合場所へ向かっていく。凛々しさを纏うファウストの表情は、どこか決闘に挑む前の戦士のようだった。






     テントの張られた運営スペースには各教師陣が控えている。普段のスーツから一転して、皆動きやすいポロシャツとジャージを身に纏い生徒たちを見守る。その中に、学園の保健医であるフィガロの姿もあった。競技の再開に向けて、用意した救急箱の整理中だ。ファウストは、待機列から遠目でその様子を捉えた。しかし、誰に咎められているわけでもないのに、無意識的に向けてしまった視線をすかさず外す。
     学園の合併後、予期せぬ再会を果たしてから接触を極力避けていたので、顔を見るのは随分と久しぶりだと、ほんの一瞬懐古する。すると、何故か在りし日の残像が脳裏を掠め、過去に引き戻されるかのようにその情景が目蓋の裏に溢れてきた。

     窓の縁に積もる柔らかく真白い雪。
     静寂の中を泳ぐページをめくるかすかな音。
     文字を辿る長くて爪の切り揃えられた指先。

     それに呼応して、緊張をほぐすハニーミルクの甘さ、背伸びしたブラックコーヒーの強烈な苦さまでもが蘇り、口の中に広がった気がした。視覚に触発されて味覚まで刺激されるのだから、刻みつけられた五感の記憶とは厄介なものだ。

    『これから、午後の競技を始めます。借り人競争第一レースに参加する選手の皆さんは、スタート地点に集まってください』

     ファウストが人知れず胸の内をざわつかせていると、聞き取りやすくて利発そうな少年の声がマイクから流れてきた。教師らと同じ並びに設営された機材席から呼びかけるアナウンスの主は、進学校出身で1年生のミチルだ。その隣には同じく放送係のリケが座っていて、二人で仲良く実況や天の声を担当している。

     呼び出しに従って、走者たちがトラック内に現れる。ファウストもそれに続き、自らのレーンにスタンバイする。彼らが走るのはこの種目の1番始め、特に皆の関心度が高いレースである。ポイントにならない、いわゆるお楽しみ競技に、大会を自ら盛り上げようとエントリーした現生徒会長のアーサーとルチルが登場するからだ。位置についた両生徒会長が笑顔を浮かべて手を振ると、応援席からどよめくような歓声が上がった。共に走るパートナーとして彼らに選んでもらえる可能性を信じ、眼鏡やポニーテールなどの属性付けに必死になる生徒も多く見られる。ちなみに、行方をくらました元生徒会長が公に現れるということで、ファウストもしっかり注目されている。

    『……紫組のオーエン選手。……オーエン選手。いませんか?』

     出場を辞退したもうひとりの生徒会長ミスラに、代打として登録されていたオーエンは、アナウンスを聞いているのかいないのか、そもそもこの場にいるのかさえ不透明で、姿を見せる気配がない。このまま不参加になる模様だ。だが、オーエンの他にもうひとりいるはずのファウストの右隣にはまだ誰もおらず、周囲に困惑の色が漂い始める。

    『では、桃組の……あれ名前が書いてな……あっ、』
    『はいはーい、俺だよ!』

     マイクを勝手にジャックしたかと思うと、しなやかな猫のような動きで飛び出してきたのは、創立者であり、理事長兼学園長であるムルだ。突然の乱入に、花吹雪を思わせる喝采が巻き起こる。まさしく体育祭特有のなんでもテンションが上がってしまう現象である。なかなかにカオスの様相を呈してきて、ファウストの胃が細い糸でギュッと縛られたように痛み出す。ただのひきこもりにはこの空気はつらい、場違いだ、と溜息をこぼした。
    「ファウスト先輩、今日は来てくれてありがとうございます。同じ種目に出られて嬉しいです」
    「……アーサー」
    「誰と二人三脚するか楽しみですね。私はぜひオズさ……先生を連れてゴールしたかったのですが、走る前に断られてしまいました」
    「そうか。僕は……とにかく何事もなく終わることだけを願ってるよ」

     ほんの数秒の何気ない会話を終えたところで、ついにピストルが勢いよく弾ける。耳に張り付く破裂音と風の流れに混ざってゆっくりと消滅していく煙。彼らが走り出したあとのその場所には、独特な火薬の匂いが未だ色濃く残こる。それを置き去りに、四者は数メートル先に設置してあるお題ポイントを目指して進んでいく。ファウストは他の三人よりも少し遅れてその場所まで辿り着いた。ここからが本当の勝負だ。校章が印字された封筒の中からランダムに一つ選び、中身を取り出す。するとそこに書かれている文字を見て、ファウストの身体が電流を受けたかのように一瞬硬直する。自然と力が入り、動揺から小刻みに札が揺れる。そして自らの運の悪さを呪い、天を仰いだ。これでは、固唾を呑んで見守っているであろうレノックスたちの元へは、残念ながら行くことができない。停止した思考を巡らせるために、深く空気を取り込む。そして、釘の打ち付けられた足を無理やり地面から剥がし、目的地を目指した。






    「あら、帰ってきたんですか。それともこの中に目当ての相手でも?」
     どういう訳かテントまで一目散に戻ってきたムルを見て、教頭のシャイロックが話しかける。
    「うん! 棄権するー!」
    「何故です? いい加減、生徒を振り回すのはやめなさい」
     テーブルに飛び乗ると、ムルは先程引いた札を内容が見えるように空に向かって翳す。そこには“好きな人”と書かれている。
    「運命かと思ったくらい俺にぴったりのお題だった! でも残念! 心を狂わせるほどに愛しいものは、悔しいけど今は一緒に連れていけない。だから棄権する!」
     特有の愛の形を語る彼に対して、ツッコミを入れる者はもはやいない。だが、周囲の無反応すらも無視してムルは言葉を続ける。
    「ねぇ、きみは恋についてどう思う?」
    「えっボ、ボクですかっ?」
     突拍子もなく話を振られたミチルが、驚いて放送用機材に肘をぶつけてしまった。マイクにノイズが乗ったことに焦りながら、それでも真面目に回答を探し、頭を悩ませている。
    「ボクは、まだ恋をしたことがないけど……。兄様から、母様と父様の幸せな話をたくさん聞いてきました。だから二人みたいに、嬉しいことも悲しいことも分け合える、そんな素敵な人といつか出会えたらいいなって思います」
    「わーお、なんかキラキラって感じだね!」
    「ふふ、可愛らしい答え。どうですか、私とチークダンスでも」
    「えっと……競技が終わったあとは、キャンプファイヤーとフォークダンスのはずじゃ……」
    「ミチルー! 私と一緒に来て!」
     馨しい薔薇の香りが漂ってきそうな雰囲気を展開し始めた大人の戯れに、ストップをかけたのはルチルの一声だ。弟の彼を選べるお題だったのだろう、嬉しさを全面に滲ませながらミチルの元へ駆け寄る。そのまま手を取ると、あれよあれよという間に連れ出していく。
    「兄様! わっ、ちょっ、速い!」
    「待ってミチル。行ってしまうのですか……?」
    「あっ、ごめんなさいリケ。すぐ戻ります!」
     手を引かれてどんどん遠ざかっていく相方の背中を見送るリケ。しょんぼり、という言葉がよく似合う表情で、翡翠の瞳を潤ませるその姿は、さながら飼い主に置いていかれた子犬のようだ。
    「これを……食べなさい」
     そんな教え子を励まそうとしたのか、オズが午前のパン食い競走で使われたあんぱん(しょっぱめ)を重々しく差し出した。無愛想で言葉少なはであるが、これが彼なりの気遣いなのだと見て取れる。それを横から眺め、声を殺してフィガロが笑っている。
    「………………フィガロ、先生」
    「……ファウスト」
     一連の様子を少し離れたところで傍観していたファウストは、静かにテントまで近づきようやく口を開いた。呼びかけられた本人は、まさか自分に用があるとは思っていなかったらしい。いささか目を見開いて声のした方へ向き直る。偶然ではなく、確かな意図をもってふたつの視線が重なった。やり場のない無言の時間に、ファウストの皮膚には汗が沁み出す。今更ながら、先程の喧騒に紛れて呼び出せばよかったと後悔した。
    「あっ……と、俺? に、レースに出てほしいの?」
    「…………はい。嫌なら別の人に頼みます」
    「断らないよ。待ってて、今そっちに行く」
     検討する余地もなく即座に近づいてくる影に気押されて、またすぐに瞳を逸らす。まともな会話をするのさえままならず、気まずい空気を抱えながら再スタートの位置まで駆け足をする。フィガロも関わり方を決めあぐねているようで、彼らの間をただただ、冷たい秋風が通り抜けていく。

     お題ポイントの先には二人三脚用の紐が用意されており、そこからゴールまでは二人で力を合わせて行く必要がある。お題とパートナーがあっているかどうか判定を済ませるために、ファウストが先程の札をさっとジャッジに見せると、すぐにOKサインが出たようだ。パートナーの首にかけるように作られたそれをフィガロへ手渡す。
    「――“先生”、か。なるほどそれで俺ね。てっきり“色男”とかかと思って期待しちゃったよ」
     彼の軽口には全く取り合わず、足を結ぶための準備に手早く取り掛かると、フィガロが参加することに興奮した女子生徒の黄色い声が、そこかしこから聞こえてきた。熱烈な応援に愛想よく応える保健医へ、無を見るような氷の目を向ける。
    「…………な、何?」
    「別に。早く終わらせたいので、足を貸してください」
    「いや、結ぶのは反対の足にしよう」
    「……なんで」
    「なんでってきみ、左足怪我してるでしょ」
     ほんの小さな隠し事すら平然と見抜いてくるその洞察力に恐れすら覚え、ファウストの肩が小さく跳ねる。
    「木に登った猫でも助けたりした? そこまでひどくはなさそうだけど、無理に参加することもなかっただろ」
    「……動けるし、痛みも強くないので問題ないです」
    「その無鉄砲さ、昔から変わらないね。でも勇気と無謀は紙一重だよ。もっと自分を大切にしないと」
    「僕のこと、わかったようなふりするのはやめてください」
    「はいはい。ごめんごめん」
     簡単には解けないようにギュッと互いの片足を結ぶ。人の絆も、こんなふうに可視化して、繋ぎ合えたらどんなに楽だろうか。
    「体重を俺にかける感じで、なるべく負担を減らして。このあと診るから救護テントに来なさい」
     そう言ったあと、身体を引き寄せられて微妙な距離が強制的に縮まった。密着してみると、フィガロの体温が直に伝わってきて、ファウストはどうにも落ち着かない気持ちになる。実感する少なくない身長差。薄い布を隔てただけの柔らかい肌と骨ばった背中の感触。とにかく何もかもが居た堪れなくて、すぐにでも走り出したい気分だった。
     前方を見ると、先に出発していたルチルたちが、流石兄弟といったところか息の合った走りでぐんぐん差をつけている。後方では、アーサーが借りる人を見つけて、ゆっくりと第2ポイントへ向かってきていた。パートナーは学園一のインフルエンサー、カインのようだ。一際大きな歓呼と手拍子の中を悠然と歩いてくる二人。カインの首から下げられているのは“人気者”という札だ。無数のカメラに対して無敵のファンサを送り、抑えきれない陽のオーラを振りまいている。
    「アーサー達すごいな。俺らも負けてられないし、行こうか」
    「……はい」
     急にトーンの低い静かな声色で囁かれ、ファウストの背筋が自然と伸びた。彼らの纏う空気がひりつく程に一瞬で変化する。すうと、短く息が重なると、声を合わせることもなく、同時に踏み出した。







     想像よりもずっと、身体は軽快だった。手にとるようにわかるフィガロの呼吸。どうしてこんなにも難なく走れているのか。風を切る感覚とシンクロした律動に身を任せているだけで、思量は何も必要がない。それが嬉しいような、けれどやはり居心地が悪いような、そんな心の不和をファウストは感じた。腰に回した腕の先で服をいたずらに握ってみる。すると何かの返答のように、フィガロが肩にぐっと力を込めてくる。言葉のないこのコミュニケーションにどんな意味があるのか、今はまだ知ることはできない。

     こうして順調に走りを進めていくフィガロたちだったが、依然としてトップを走るのはフローレス兄弟だ。ゴール手前というところまで彼らが辿り着くと、突如中央の大型モニターが動き始めた。すかさず回答用と思われるマイク台が運び込まれ、気の抜けた効果音とともに画面に【問題】という文字が映し出される。

    『わくわくはたくさんの方が嬉しいよね! だからきみたちに、学園長から楽しい問題のプレゼント!』

     レースを棄権したあと、ミチルの代わりに放送を勝手にしていたムルが、予定にない工程を気まぐれに加える。どうやら、出された問題に正解しなければ先へは進めないらしい。初めにその餌食になったルチルらは、困惑しながらもどこか楽しそうで、お揃いの嬉々とした表情を浮かべて問題文を追っている。

    「何か急に始まったし、うわぁ……モンティ・ホール問題か……。あっ、でもミチルたちは正解したみたいだよ。さすがだね」
    「……はぁ。僕たちもあれをやらないといけないわけですよね」
    「学園長のことだし、斜め上の出題を想定したほうがいいかもね。まあきみなら何が来ても心配ないよ。あれだけみっちり俺が叩き込んだんだから」
    「そんなこと知りません。それに僕の学力について、あなたに何か言われる筋合いもないです」
    「はは、全くその通りだ」
     会話もなく、無心に足を動かしていた彼らの雰囲気が少しだけ緩んだ。いち抜けてゴールした組を見届けながら、最後の関門に二人で臨む。後ろからは、眩しく、そして爽やかに駆けるアーサー組が迫ってきていた。







    ◇◇◇

     無事にゴールテープを切ったファウストは、流れるような速さで足に結んだ紐を解いた。一言、ありがとうございましたとフィガロに告げる。胸のどこかに引っかかっている名残惜しさを声にすることはなかった。その付近では、過保護を極めたレノックスと、彼と一緒に行く末を見守っていたネロが待っていて、やっと開放されたファウストを呼び止める。
    「お疲れ様でした。あとはゆっくりシノたちの出番を待ちましょう」
    「一瞬固まって、俺ら以外のところに行ったからこっちまで焦ったよ。わざわざあの保健医を選ぶとは思わなかったけど」
    「それは……」
    「ファウスト、こっちおいで」
     教員テントに戻らず近くで待機してきたフィガロが、まるで自分のものだと言わんばかりにファウストを引き寄せた。柔らかい表情を貼り付けてはいるけれど、無彩色の瞳は笑っていない。
    「彼、怪我してるみたいだから、保健室に連れて行くね」
     そう話して、今度はファウストを自らの背に乗せる。力を入れて立ち上がり、おんぶの形で有無を言わさず歩き始めた。その間に、業務連絡用の端末を取り出し、一時不在になることを知らせている。職権の濫用と言えなくもないかもしれない。
    「ッ! 下ろしてください! それに行くのは救護テントのはず、なんでわざわざ保健室まで」
    「そうだなぁ……。そのはずだったんだけど……。単なる俺のわがままだと思ってよ」
     理解しがたいフィガロの行動に、ファウストのまたしても情緒が掻き乱されてしまって、ジューサーに放り込まれた果実みたいにぐちゃぐちゃだ。どうして、と弱々しく呟いた言葉がどこにも届くことなくぽとりと落ちて、地面に吸い込まれていく。
     ふわふわと風に揺れる榛色の癖毛が、フィガロの薄白いうなじに影を作る。直に伝わる温かさだけを掬い上げるように、その背中へそっと額を寄せた。







     そこから保健室へ辿り着くまでの道のりは、あまり記憶がない。一秒の体感が何倍にもなり、時が止まったかにすら思われた。開け放たれた窓からは、透き通って冴え冴えとした秋の陽が、まるで別世界へと続く道筋を示しているかのようにきらきらと差し込んでいる。未だ熱の冷めやらない祭の物騒がしさを遠くに聞きながら、その場所から切り離された二人だけの静謐な廊下を歩む。そんな非日常感に身をゆだねて、ファウストはゆっくりと目蓋を閉じた。

    「準備するから座って待ってて」
     フィガロは自らの仕事場に招き入れると、勝手知ったるといった風に手際よくアイシングを用意し始める。そして他にもいくつか処置道具を手にして、すぐに戻ってきた。
    「足出せる? 痛かっただろ。最後までやらせた俺も悪いけど、ちゃんと自己管理するように」
    「……はい。すみませんでした」
     空間内に立ち込める、薬品類が織り交ざったまさに保健室という清潔な匂い。その不思議な魔力に促されて、ファウストは素直に患部を晒す。正直なところ怪我は本当に大したことはなく、足をつくと多少痛む程度だった。それでも甲斐甲斐しくフィガロが気にかけてくるものだから、何も言えなくなる。
    「湿布でも良さそうだけど、折角だからテーピングするね。そのあとしっかり冷やして」
     くるぶしの辺りを軽く確認して、慣れた手付きで足首を固定していく。手捌きが流れるように美しくてつい見入ってしまった。
     会話が途切れ、またしても変な緊張感に襲われる。静黙を続けるべきか、何か話題を切り出すべきか。
    「…………あのさ、ファウスト。先生って」
    「……なんですか」
     ぐるぐると間を埋める方法を考えていると、先にフィガロが問いかけてきた。視線を持ち上げることなく、あくまで作業に徹しながら。長いまつげが影を作っていて、その表情は読み取れない。
    「先生は他にもいるけど、俺を選んでくれたのはどうして?」
     瞬間、針が刺さったようにファウストの心臓がどくんと力強く鳴る。先程の二人三脚の話をしているのだろう。痛いところをつかれてまた言葉に詰まる。鼓動が急加速して、手足の感覚も鈍くなってきた。何か、何か、早く言葉を。
    「…………あなたのことは嫌い、です。軽薄で、嘘つきで……。でも僕のことを一番理解しているのもあなただと思ったから……」
     かつて想いを寄せていた頃の青すぎる記憶。自分だけが彼の特別だと勘違いをして、思い上がって、最終的には砂の城の如くあっけなく崩壊したあの日々。今思い出しても羞恥で死んでしまいそうだ。それなのに、何故淡い希望を捨て去れないのだろう。今日だって少しの触れ合いで簡単に意識して、馬鹿みたいに矛盾している。
    「……なんでいなくなったの」
     ついて出たのは、ほとんど独り言のような心の叫びだった。ずっと聞きたくて聞けなかった真実。
    「ごめん。……きみがあまりにもきれいで真っ直ぐだったから、怖くなったんだよ。これ以上自分の汚れを自覚することが」
    「…………本当に自分勝手だ」
    「……そうだね。それじゃあ勝手ついでにもう少し聞いてくれる?」
    「何を」
    「離れてから忘れたことはなかったよ。だからきみにもう一度会えたことも、今回俺を頼ってくれたことも、すごく嬉しかった。今は少しでもこの時間を引き延ばすにはどうしたらいいかって必死に考えてる。……ずるいだろ」
     最後の一枚を巻き終わり、ようやくフィガロが顔を上げる。色を持たない瞳の中で、若葉色の瞳孔が熱を帯びて静かに揺れている。
     その時、校内放送のスピーカーから激しい弦楽器の音が鳴り響いてきた。キャッチーなメジャーコードが二人の湿った空気を切り裂く。パフォーマンス合戦の開幕音楽だ。それを耳にするや否や、フィガロへの返答は有耶無耶にしてファウストがパイプ椅子を軋ませる。
    「……お世話になりました。もう行きます。シノ……後輩たちのステージを見るって約束しているので」
    「約束、ね……」
     不意に目線の下にあったはずの青灰色の髪がふわり舞い、目前まで迫ってきた。くいっと顎に指がかけられたかと思うと、そのままの勢いで、首筋へ温かくて柔らかなものが押し当てられる。それがキスだとわかると、ファウストは一瞬で冷静さを欠いてしまった。すでに上まで閉じていたジャージのチャックに手をかけ、さらに限界まで引き上げるようとする。耳に熱さが集中して、意識は沸騰寸前だ。
    「なっ!!」
    「きみが卒業する時、必ず迎えに行くよ。もしもその時俺を許してくれるなら、今度こそきみのそばを離れない。約束する」

     予測不能な角度からぶつけられたのは、信じるにはあまりに寄る辺なく、目眩がしそうなほどに甘い囁き。無神経に掻き鳴らされるギターの少し野暮ったくて伸びやかなサステインとファウストの滅茶苦茶な心音が、ちぐはぐな音楽を奏でる。期待と不安とが綯い交ぜになった複雑な心情は、プリズムを介して乱反射する七色の線のよう。


    ――けれど、きっとそうだ。本当はずっとこの時を待ち焦がれていた。


     傷つき、すれ違ったとしても、何度だって惹かれ合う。そう仕組まれていると錯覚する、運命の悪戯。その賽が今まさに投げられた。誰も知らないおとぎ話のような、夢のような現実があっという間に二人を包んで、世界は急激にきらめきを増していく。

     新たな物語の始まりを告げる季節外れの花嵐が、すぐそこまで近づいていた。


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    mitaka

    DONE開門フェス2開催おめでとうございますー!!!

    弟子大好きなフィガロとまだ素直になれないファウストが歩み寄るきっかけのお話です。
    フィガロがめんどくさかったり、弱気になったりしますが、悲しい話ではありません。
    ※嵐の谷の様子や師弟時代などなど、捏造満載です。

    後日、年齢制限部分の続きとファウスト視点の短編を加えて、支部に掲載したいと思っています。
    ブルーモーメントに染まる朝いつからこうしていたのか。
    それすらわからなくなるほど、緋色の焔に冒されて、次第に現の感覚を失っていく。
    確かなのは、そこにきみがいて、そこに俺がいるということ。
    ただそれだけ。

    それだけのことが、なぜこんなにも苦しくて、なぜこんなにも幸福なのだろう。







    ◇◇◇

     ひと目見て、ああ今日は一等気分が良いのだ、ということがわかった。薄檸檬の柔らかい空気の色と、可愛いらしい幸福の小花。それを全身に纏っていることが可視化できそうなくらいだ。口元は軽く緩んでいて、心なしか笑みを浮かべているようにも見える。本人は周囲には漏れていないと思っているのかもしれないが、その実、自身の内に正直で、存外顔に出やすいタイプなのだ。何よりも、拒否されず対面で食堂の席に座っていられることが大きな証拠だった。悲しいけれど、普段ならこんなにあっさりと近くに寄ることはできないから。
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    ※ハッピーな終わり方ではありません

    以前、短期間だけpixivに上げていた殴り書きみたいな小説に加筆・修正を行ったものです。
    指先からこぼれる その場所に膝を突いて、何度何度、繰り返したか。白くきらめく雪の粒は、まるで細かく砕いた水晶のようにも見えた。果てなくひろがるきらめきを、手のひらで何度何度かき分けても、その先へは辿り着けない。指の隙間からこぼれゆく雪、容赦なくすべてを呑みつくした白。悴むくちびるで呪文を唱えて、白へと放つけれどもやはり。ふわっ、と自らの周囲にゆるくきらめきが舞い上がるのみ。荘厳に輝く細氷のように舞い散った雪の粒、それが音もなく頬に落ちる。つめたい、と思う感覚はとうになくなっているのに、吐く息はわずかな熱を帯びてくちびるからこぼれる。どうして、自分だけがまだあたたかいのか。人も、建物も、動物も、わずかに実った作物も、暖を取るために起こした頼りなげな炎も。幸福そうな笑い声も、ささやかな諍いの喧噪も、無垢な泣き声も、恋人たちの睦言も。すべてすべて、このきらめきの下でつめたく凍えているのに。
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