栗まんじゅう食べてけよ「何か困ったこととかないですか?」
と弟子からの一言だけのメール。
「別になんも問題ない。大丈夫だ。気にかけてくれてありがとうな」
そう返信して終わる、最近のやりとり。
受験も終わり、高校生活にも慣れた頃かと思うのに、モブは最近つれないというか、素っ気ない。こないだも久しぶりに相談所に顔出したと思ったら、
「お久しぶりです。……困ってることとか、別になさそうですね」
と言ったきり、ペコッと会釈してさっさと帰っちまった。
それからはメールすらろくに来なくなり、もう1ヶ月近く経つ。
押しかけ秘書のトメちゃんは呼んでなくても勝手に来てはオヤツ食べてぬるい茶を淹れて、芹沢やエクボとワチャワチャしたのちに時給300円×3時間を会計用の金庫ボックスから毟り取ってくというのに……まあいいけど。最近は暇そうな時に掃除とかもしてくれてるし。
今日も今日とてその秘書は、常連客の置いてった栗まんじゅうをモサモサと食べながら「栗まんじゅうって美味しいけど喉に詰まるのが難よね」とつぶやいている。二口で食べるからだ。俺の分も残しておけよ。
こういう時にモブの分を考えなくて良くなったことが、びっくりするほど寂しい。独立してった子供の食事を用意することがなくなった親の気持ちってこんなか…?
とか思って遠くを見てたら、コンコンとドアをノックする音が響き、「こんにちわ」とモブが顔を出した。
モブ!? と衝動的に駆け寄りたい気持ちのせいで、腰が椅子から浮く。
「お…!モブ、久しぶりじゃん、突っ立ってないで中に入れよ。あ、ちょうど栗まんじゅうもあるし食ってけよ!」
嬉しさで思わず破顔一笑してしまいそうな高揚を抑え込むも、声のトーンは自然と高くなる。
しかし、
「あ、大丈夫です。それって師匠か芹沢さんの分ですよね?」
にべもない。なんだ? モブ、なんか怒ってるのか?
「相談所、何か困ってることとかあります?」
「……いや、今のところ平穏無事だな。ここんとこはつまんない仕事しかないよ。掃除とかマッサージとか。お前に頼みたい仕事あったらちゃんと早めにメールするよ」
そんなことよりお前の近況を聞かせろよ、と言葉を続けたいのに、つい本音を出す前に変な間が生まれる。適当なことならペラペラ無限に流れてるのに、「もっと遊びに来い」という一言を出すのにグッと力がこもり、思わず唾を飲み込む。
「わかりました。じゃあ」
バタンッ。
気づくとドアは閉じられて、モブはもうそこに居ない。
呆気にとられ、「え?」と椅子から立ち上がると、トメちゃんが「なにやってんの? あんたたち」と、お茶をすすりながら呆れた目で俺を見る。
「いや、……俺なんかした? なんでモブ怒ってんの? え、怒ってんのか? いや怒るべくは俺だろ? こんなすぐ帰るの酷くないか!? 前にもこんなことあったぞ?」
思わず早口になる。自分でも何をこんなに狼狽えてるのかわからない。
「ええ!? 前にもあったの? どうしたのよ霊幻さん、モブくんの性格を考えたらわかるでしょ?」
………!? 思いがけない返答にびっくりして眼の前がグルグルする。考えればわかる? 俺が何か見落としてるのか?
「モブくん可哀想。気の回らない大人につれなくされて、栗まんじゅうも食べそこねて……モグモグ」
ちょっと待て、俺がつれなくした? 気の回らない? 脂汗がダラダラと出て立ち尽くす俺を見たトメちゃんが
「え、霊幻さんマジでわかんないの……?」とドン引きしながら言った。
✳
俺はすぐドアを出て走った。モブの家の方、いや塾の方か? 「今どこだ?」とメールしてみるが既読はつかないし、電話も出ない。ようやく川のそばで雲を見てるモブを見つけたのは、30分も走った頃か。
もう陽が傾いて、川面が夕映えでオレンジに反射している。空は薄紫に染まりかけていた。
さっきトメちゃんから言われたことをもう一度反芻する。
『モブくんは、困ってることがないならお呼びじゃない、って思ってるんでしょ』
そうだ、たしかに、俺は誤解されるようなことをモブの前で言った。
あれはモブたちの受験終わって、相談所で慰労会やったときだ。
『ここは中高生ルームじゃねーんだから、今日以降はガキンチョどもは気軽に出入りすんなよ』
誕生日会をサプライズでしてもらって以降、何かと相談所に人が集まるようになったのが俺は内心嬉しかった。自分より目下の子供たちを侍らせて喜ぶなんて、いい大人がガキ大将ごっこみたいで情けない話だが、モブを中心にした輪の中に自分も居させてもらえることも、俺の相談所をその拠点にされてることも、どこか光栄な気持ちにすらなった。
でも中高生の交友関係や生活環境なんて目まぐるしく変わってく。きっとこんな風に集まる習慣も1年かそこらで終わって、気づけば誰もここには来なくなる。芹沢だって、いつか別の仕事に就きたいと言い出すかも知れない。
一人で相談所に残された未来をフと想像してしまい、思わず口走った強がり、というか「いっそ自分から終わらせてしまおう」という無意識が言わせたのが、あの言葉だった。
モブの足がだんだん俺の方に向かなくなる未来。あの時からそれは、覚悟してたつもりだった。
でも、
「モブ!」
全然ウソだったわ。俺、お前が相談所に顔見せてくれないと寂しくてダメだ。まだ全然ダメ。
振り返ったモブの瞳が俺のことを捉えてくれた。それだけで俺の人生が正しい道に戻ったのがわかる。
もう、この道を見失ってはいけない。
「師匠…!? どうしたんですか? そんな汗だくで、拭かないと冷えますよ?」
用事も何にも無くてもいいから、顔出してくれよ。
俺はお前の顔が見たい。
お前の顔をこれからもずっと見ていたい。
叫び出したいほどの本音が胸から溢れるのをグッとこらえて、今一番言いたい、言うべき言葉を紡ぎ出す。
「……特に困ってなくても、俺はモブが来てくれると嬉しいからさ、そんなすぐ帰んなよ」
モブは部活バッグから取り出したタオルで俺の汗を拭きながら、俺の顔を正面から見据えていた。
モブのキラキラした黒い瞳の奥に、微笑んでる俺がいるのが見えた。
きっと俺の茶色い目にも、モブの少しはにかんだ笑顔が映ってる。
「……やっぱり、僕も栗まんじゅう食べたいです」
「おう、トメちゃんが全部食っちまう前に戻ろうぜ」
おわり