七夕 ショッピングモールの一階に位置する、上下のエスカレーターが並べられた中央のエリアには、小さなイベントスペースが設置されていた。専門店ひとつ分くらいのスペースを使って、県外の有名店や物産展が期間限定の店舗を出展したり、絶賛売り出し中のアーティストが小規模なライブをしたりしているのだ。季節の行事が近づいてくると、作り物を用意して子供向けのイベントを展開したりもしている。学校に通わなくなって久しい僕にとっては、こういうイベントスペースも季節を感じる貴重な情報源だった。
その日、エスカレーターに向かった僕たちの視界に飛び込んできたのは、天井まで届きそうなほどの緑色の物体だった。近くには横長のテーブルがいくつか並べられていて、四角いケースとペンの入った箱が置かれている。少し離れた机の隅では、小学生くらいの子供が真剣に何かを書き込んでいた。不思議に思いながら近づいていって、僕はようやくその設備の正体を理解する。
イベントスペースの隅に置かれていたのは、二本の笹の木だったのだ。交差するように伸びた何本もの枝には、色とりどりの短冊が結びつけられている。作り物ではなく本物を用意しているようで、床には笹の葉が何枚か落ちていた。狭いスペースを多い尽くすように並べられているから、遠目からは緑の物体に見えたのだ。
「見て、笹が飾られてるよ。もうすぐ七夕なんだね」
イベントスペースの前で足を止めると、僕は隣のルチアーノに声をかける。日々に追われて忘れかけていたが、既に七月に入っていたのである。七夕が近いということは、遊星の誕生日も近いということだ。日頃からお世話になっていることだし、誕生日のプレゼントを用意しておきたい。僕がそんなことを考えていると、隣でルチアーノが言葉を発した。
「ああ、七夕だな。そんなことはいいから、さっさと買い物に行くぞ」
興味なさそうに吐き捨てると、彼はエスカレーターの前へと歩いていく。人間の文化風俗に興味のない彼は、七夕にも興味がないみたいだった。しかし、僕は彼と違って、季節のイベントを楽しみたい年頃なのだ。慌てて彼の腕を掴むと、イベントスペースに引き留める。
「待ってよ! せっかくだから、短冊にお願い事を書いていかない?」
後ろ姿に声をかけると、彼はチラリとこちらを振り返る。僕の真剣な瞳を視界に映すと、面倒臭そうに一度ため息を吐いた。踏み出していた足を引っ込めると、腕を揺らして僕の拘束をほどく。
「分かったよ。君は、一度言い出したら聞かないもんな。特別に時間をやるから、とっとと書いてこいよ」
その場で足を止めると、彼は投げやりな態度で言う。分かりきっていたことではあるが、意地でも短冊は書かないつもりのようだった。とは言え、彼が参加してくれないのであれば、一人で短冊を書いても意味がない。ルチアーノに日本の文化を知ってもらうことが、僕の一番の目的だったのだ。
「そんなこと言わないでよ。ルチアーノも一緒に書こう」
強引に彼の手首を掴むと、僕は机の方へと歩いていく。逃げ場がなくなったことを悟ったのか、彼は振り払うことなくついてきてくれた。机の中央で足を止めると、僕は短冊の入った箱に手を伸ばす。中身を何枚か取り出すと、ルチアーノの方へと差し出した。
「ルチアーノは、どの色がいい?」
「そんなの、どれを選んでも同じだろ。全く、面倒なことばかりさせてさ」
ぶつぶつと小言を漏らしながらも、ルチアーノはこちらへと手を伸ばす。むしるように正面の短冊を手に取ると、乱雑な仕草で机に広げる。いかにも嫌々という態度に、思わず苦笑いを浮かべてしまった。
「じゃあ、僕は青い紙にしようかな。チームニューワールドでのルチアーノのメンバーカラーは、青色だって聞いてたから」
手に取っていた短冊の束を広げると、僕は青色の紙を引っ張り出す。選ばなかった何枚かの短冊たちは、綺麗に整えて箱の中に戻した。うきうきしながらペンを取る僕を、ルチアーノは冷めた瞳で眺めている。すぐに視線を戻すと、彼も同じようにペンを手に取った。
「気持ち悪いこと言うなよ。ほら、さっさと書くぞ」
辛辣な言葉を浴びせられて、僕は目の前のペンケースに手を伸ばす。色とりどりのマーカーの中から選んだのは、オーソドックスな黒の油性ペンだった。濃い色の短冊を選んでしまったから、色付きのマーカーでは文字が見えない可能性があったのだ。試し書きでかすれがないかを確かめると、僕は短冊の上にペン先を滑らせる。
手早く文字を書き終えると、中央のケースから短冊を吊るすための糸を引っ張り出した。上に開けられた穴に糸を通すと、エスカレーターの下に並んだ笹まで近づいていく。ルチアーノはとっくに書き上がっていたのか、既に笹の置かれたエリアへと移動していた。吊るしている短冊を覗き込もうと、僕も彼のすぐ隣まで接近する。
「おい、覗くなよ」
しかし、そんな僕の目論みなどお見通しだったのか、ルチアーノは鋭い瞳でこちらを睨む。威嚇するような低い声で吐き捨てると、手のひらで短冊を手で隠してしまった。なんとか覗き込もうと顔を動かすが、彼は一瞬の隙も見せない。これ以上近づいても埒が明かないから、僕も短冊を吊るすことにした。
「どうして? 吊るしたら他の人に見られるんだから、ちょっとくらい見せてくれてもいいでしょ。ほら、僕のも見せてあげるから」
「知らないやつになら見られてもいいけど、君に見られるのは嫌なんだよ。それに、君が書いてる願い事なんて、どうせ去年と同じ内容なんだろ?」
「そう言われると、もっと見たくなっちゃうな。確かに、僕の願い事は、去年と同じかもしれないけどさ」
そんな取り留めの無い会話を続けているうちにも、僕は短冊の紐を笹の枝に巻き付ける。しっかりと結ばれていることを確かめると、様子を窺うように手を離した。笹の枝から吊り下がった細長い紙が、空調に揺られてひらひらと揺れている。隣で待っていたルチアーノが、横から僕の短冊を覗き込んだ。
「うわぁ。恥ずかしいこと書きやがって」
そこに書かれた文章に視線を落とすと、彼は呆れたような声で言う。微かに頬を赤く染めると、すぐに短冊から視線を逸らした。いかにも彼らしい反応に、僕は少しだけ口角を上げてしまう。見せつけるように短冊を手に取ると、ルチアーノに言い聞かせるように口を開く。
「恥ずかしくなんてないよ。僕は、本気でこう願ってるんだから」
「だからって、わざわざ短冊に書くことないだろ。こんなものを人前に見せるなんて、思慮の浅いカップルのやることだぜ」
これ以上短冊を見たくないのか、彼はあからさまに視線を逸らす。笹の枝に背を向けるようにターンすると、そのままエスカレーターの方へと歩いていった。危うく置いていかれそうになって、僕は慌てて彼の背を追いかける。エスカレーターの段に足をかけると、再びルチアーノに尋ねた。
「で、ルチアーノは何をお願いしたの? 教えてよ」
懇願するような僕の言葉を聞くと、彼は黙ってこちらを見上げる。意味深長に口角を持ち上げると、いつもより落ち着いた声で言った。
「なあ、知ってるか? 七夕の願い事は、人に見せると叶わないんだぜ」
「えっ!? そうなの!?」
初めて聞く話にびっくりして、僕は大きな声を上げてしまう。さすがにこの音量はうるさかったのか、ルチアーノが微かに顔をしかめた。正面から僕の顔を見上げると、今度はクスクスと吐息を漏らす。数秒もしないうちに、それは甲高い笑い声になった。
「冗談だよ。まさか、本気にしたのか?」
にやにやと瞳を細めながら、ルチアーノはからかうような声で言う。彼の話に乗せられたのが恥ずかしくて、僕は思わず頬を染めた。悔しさと羞恥心が入り交じって、子供のように唇を尖らせてしまう。楽しそうに笑っているルチアーノを見つめ返すと、僕はお腹から声を発した。
「もう、ルチアーノの意地悪!」
そんな僕を嘲笑うかのように、彼はきひひと笑い声を上げる。その姿を見ているうちに、彼の願い事などどうでもよくなっていた。