素顔「君、前髪を切る気はないのかよ」
ある日の午後、ルチアーノは唐突にそう言った。
「へ?」
僕は顔を上げた。今はお昼ご飯の最中で、目の前にはラーメンが湯気を立てている。
ルチアーノは、正面の席から僕を見つめた。熱い視線を真っ直ぐに受けて、顔が熱くなってしまう。そんな僕の様子など気にも留めずに、彼は言葉を続けた。
「どう見ても長すぎるだろ。いい加減切れよ。そのままだと、コモンドールみたいだぜ」
「コモンドール……?」
僕は疑問符を浮かべる。彼の言葉の意味が理解できなかったのだ。前髪の長さを指摘されたことは理解できる。でも、コモンドールとはなんだろう。
「調べてみなよ。君にそっくりだからさ」
ルチアーノはにやにやと笑う。何となく、からかわれていることは分かった。
ラーメンを食べ終えると、僕は端末を起動した。インターネットを開いて、コモンドールの文字を入力した。
出てきたのは、大型犬の画像だった。犬なのだが、その見た目は独特な姿をしている。太い毛束が縄のように連なって、その身体を包み込んでいる。まるで、モップのような見た目だった。
「僕は、この犬に似てるの?」
尋ねると、ルチアーノはきひひと声を上げた。画面と僕を交互に見ては、楽しそうに笑う。
「そっくりじゃないか。性格も犬っぽいしさ」
どういう意味だろう。彼の態度を見る限り、誉め言葉とは思えなかった。モップのような見た目であることを考えると、もさいとでも言いたいのだろうか。
「そんなに似てるかな?」
言い返すと、彼はにやにやと笑った。僕の前髪に手を伸ばして、わしゃわしゃと掻き回す。
「そっくりだぜ。コモンドールが嫌なら、プーリーって言ってやってもいいよ」
「同じじゃん」
プーリーは、コモンドールより小型の類似種だ。それくらいは、画像を見たときに調べたのだ。
「なんだ、調べてたのかよ」
ルチアーノは笑う。完全にからかわれていた。なんだか、釈然としない気持ちになる。
「ひどいなぁ。人のことをモップみたいって言うなんて」
そう言うと、彼は意地悪な視線を向けた。試すように僕を眺めながら、尊大な態度で言う。
「モップって言われたくないなら、もっと見た目に気を使うことだね。君は、僕のパートナーなんだから」
そんなことを言われても、僕にはファッションのことなんて何も分からなかった。前髪を伸ばしているのも、人に見られることに抵抗があるからだ。デュエルばかりの人生を送ってきた僕には、外見を繕うための知識なんてないのである。
「難しいこと言わないでよ。分からないからこうしてるのに」
子供のように頬を膨らましながら、僕は反論する。言われてばかりは嫌だった。
「それなら、僕が見繕ってやろうか。君に合いそうな洋服を」
「へ?」
本日二回目の疑問符だった。ルチアーノとファッションなんて、全くイメージが重ならない。彼こそ、デュエル一辺倒の生活をしているはずなのに。
「君の外見は些か田舎臭いからね。僕が繕ってやるよ」
ルチアーノはきひひと笑う。そんなこんなで、午後の予定はショッピングモールでの買い物になったのだった。
ルチアーノに手を引かれて、モールの中を歩く。
彼に連行された先は、おしゃれな服が並ぶ男性向けファッションエリアだった。半ば無理矢理店舗に連行され、試着の服を押し付けられる。
服屋は苦手だ。ファッションのことなど何も分からないのに、見てるだけでも店員さんに話しかけられてしまうのだから。声をかけられてしまったら、愛想笑いで答えることしかできない。
そんなことだから、大抵の服は低価格の量販店で買っていた。ルチアーノの服を買うようになるまでは、モールなんて縁の無い場所だったのである。
試着室の中で、僕は渡された服に着替える。カーテンを開けると、ルチアーノが待ち構えていた。
「ふーん。そんな感じなのか。はい、次」
「これは合わないな、次」
「この服は保留にしよう。次だ」
「これは結構良いんじゃないか? 次」
「この店は絶対に合わない。次に行くぞ」
ルチアーノに手を引かれ、何度も試着室に押し込まれる。次から次へと渡される服は、僕にはあまり違いが分からなかった。
ルチアーノと一緒にいるからか、店員さんには声をかけられなかった。遠巻きに僕たちを眺めながらにこにこしていたり、こちらには視線も向けずに黙々と仕事をしていたりする。彼らには、僕たちの姿はどのように見えるのだろうか。兄弟には見えないし、友達同士にも見えないだろう。
レジを通る頃には、すっかり夕方になっていた。服の入った紙袋を抱えて、帰路に着く。ルチアーノは、どこか満足げだった。
「明日は、驚くほど綺麗にしてやるからな。覚悟しろよ」
にやにやと笑いながら、ルチアーノは言う。すっかりご機嫌になっていた。
「明日もやるの?」
それに対して、僕はあまり乗り気ではなかった。今日一日でへとへとになってしまったのだ。これが明日も続くなんて、考えたくもなかった。
「安心しなよ。すぐに終わるからさ」
ルチアーノはきひひと笑う。なんだか、嫌な予感がした。
翌日は、朝早くから叩き起こされた。まだ八時前だ。用事もないのだから、もう少し眠っていたかった。
「あと五分……」
そう言うと、ルチアーノは呆れ顔で僕を見下ろした。小さくため息をつくと、布団を引き剥がす。
「いいから起きろよ。コモンドール」
またあの犬の名前だ。そんなに似てるだろうか。犬に罪はないけど、何となく釈然としなかった。
「コモンドールじゃないよ」
頬を膨らませると、ルチアーノは僕の前髪を掻き回した。子供をあやすように言葉を続ける。
「こんなにボサボサじゃないか。とっとと起きな」
無理矢理起こされて、洗面所に連行される。顔を洗って軽く髪を整えると、ルチアーノが昨日の紙袋を出してきた。
「ほら、とっとと着替えな」
言われるがままに、渡された服に袖を通す。デザイン重視の服を着るのは久しぶりだ。よく分からなくて、少し苦戦してしまう。
そうしている間にも、ルチアーノは次の準備に取りかかっていた。ブラシとヘアワックスを用意し、どこから持ち出したのか分からないパイプ椅子を設置する。
「着替えたよ」
声をかけると、ルチアーノはにやりと笑いながら僕を眺めた。パイプ椅子を指差して、自身ありげな声で言う。
「ここに座れ」
完全に命令口調だった。僕に拒否権はないようだ。
椅子に座ると、目隠しを付けられた。視界が暗くなる。びっくりして、慌てた声が出てしまった。
「ちょっと、何するの!?」
「髪を整えるんだよ。おとなしくしてな」
髪に、何かが触れる気配がした。わしゃわしゃと髪を掻き回され、引っ張られる。目隠しをされているから、何が起きているのかは少しも分からなかった。
ルチアーノは着々と作業を進めていく。何度か指示を出され、言われるままに首を動かした。視界が暗いと、眠くなってきてしまう。何度か眠りそうになってしまい、その度に叩き起こされた。
「できたぜ」
ルチアーノが手を止めた。ゆっくりと目隠しを外される。視界に光が溢れだした。
「っ!?」
鏡に映る自分の姿を見て、声にならない声が漏れた。目の前に座っている人物が、自分だと思えなかったのだ。髪はゆるやかにセットされ、前髪は目が隠れない絶妙なバランスで整えられている。鏡に映った自分と視線が合うのは久しぶりだ。なんだか、別人に会った気分だった。
「これが……、僕なの……?」
思わず、椅子から腰を上げる。鏡に近づくと、自分の顔を見つめた。お店では似合うのか分からなかったおしゃれな服も、今の僕は違和感無く着こなせている。ルチアーノのセンスが為せる技だった。
「結構、様になってるじゃないか」
満足そうに笑いながら、ルチアーノが僕に視線を向ける。上から下までを舐め回すように見つめて、満足したように鼻をならした。
僕は、ルチアーノの方を向いた。目と目が合い、視線がガッチリと噛み合う。ルチアーノはほんのりと頬を赤らめると、恥ずかしそうに視線を逸らした。
「なんだよ」
「ありがとう」
僕は言った。ルチアーノの意外な特技に、心の底から驚いていた。センスのある人は、どんな田舎者でもおしゃれにしてしまうのだ。
「別に、礼を言われることじゃねーよ。僕のパートナーなら、これくらい必要だからな」
頬を赤くしながら、なぜか彼は謙遜した。いつもだったら、胸を張って誇るところだろう。なんだか引っかかる態度だった。
「着替えさせたってことは、どこかに出かけるんだよね? どこに行くの?」
尋ねると、一瞬だけ視線を彷徨わせる。すぐに目線を合わせて、きっぱりと言った。
「出かけるのは、やめたよ。せっかくの一張羅を汚されたら嫌だからね」
やっぱり、何かがおかしかった。いつもの彼だったら、服が汚れることよりも外出を選ぶだろう。彼は、退屈が何よりも嫌いなのだから。
「どうしたの? いつもなら、出かけるって言うはずなのに」
僕が言うと、彼は不愉快そうに鼻を鳴らした。触れられたくなかったらしい。
「どうもしてねーよ」
突き放すような声だった。こうなったら、放っておくことが得策だろう。外出なら、僕一人でもできるのだから。
せっかく着替えたのだから、出かけなくてはもったいない。ルチアーノに整えてもらった僕の姿を、仲間にも見てもらいたかった。
「じゃあ、一人で出かけようかな。この格好をみんなに見てもらいたいから」
洗面所を出て、自分の部屋へと向かう。鞄を持ってチョーカーをつけると、ルチアーノが部屋の入り口に佇んでいた。
「出かけるから、そこを開けてほしいな」
刺激しないように、優しく声をかける。彼は、怒ると怖いのだ。
ルチアーノは黙って下を向いた。沈黙が、二人の間を漂う。しばらくすると、小さな声で言った。
「…………めだ」
「へ?」
聞き取れなかった。何も分かってない僕を見て、彼が言葉を繰り返す。
「出かけるのは、だめだ」
今度は、はっきりした声だった。顔を上げて、真っ直ぐに僕を見つめる。
真剣な顔だった。何かを懸念しているような様子だ。通す気が無いことはすぐに分かった。
「どうしたの? なんか、変だよ?」
「別に、変じゃないだろ!」
どうしようもなかった。どうやら、彼は僕が出かけることに抵抗があるらしいのだ。こうなったら、突破することはできない。
「分かったよ。出かけないから、理由を教えてくれる?」
とりあえず、理由だけは知りたかった。そうじゃないと、地雷の避けかたが分からない。
「そんなの、自分で考えなよ」
頬を赤く染めながら、ルチアーノは言う。
「そんなこと言われても、分かんないよ」
困りきって言うと、ルチアーノは大きくため息をついた。呆れたような、軽蔑するような目で僕を見ながら、恥ずかしそうに言う。
「そんなんだからモテないんだよ。鏡を見てみな」
ルチアーノに諭され、僕は洗面所に向かう。鏡に映る自分の姿を見て、首を傾げた。
この姿に、何があるのだろう。なんの変哲もない、着飾っただけの男の姿だ。そんなに気にすることは無いはずだ。
そこまで考えて、決定的な違いに気づいた。今の僕は、髪型が違うのだ。具体的に言うと、両目が見えているのである。
ルチアーノの反応を思い出す。僕の姿を見て、彼は頬を染めていた。彼は、目元を見せている僕の姿に、特別感を感じているのではないだろうか。着飾った僕の姿を、誰にも見せたくないと思っているのではないだろうか。
どうして気づかなかったのだろう。少し考えれば分かることなのに。きっと、こんなんだから僕には恋人ができなかったのだろう。
僕は部屋に戻った。ルチアーノはベッドの上に座っている。相変わらず、頬が赤かった。
「ルチアーノ」
「なんだよ」
「言いたいこと、分かったよ」
ルチアーノは頬を染めた。何も返事はない。それでも、言葉が伝わっていることだけは、確認しなくても分かった。
もう、出かけるつもりはなかった。この姿を見て良いのは、僕をこんなにも綺麗にしてくれた恋人だけなのだ。恋人が許すまで、この姿は世間には明かされない。次にこの服を着る日は相当先なんだろうなと、頭の隅で思った。