光の柱が見えた日その日は雲が多くて、けれどその隙間から太陽の光が差す穏やかな日だった。
薄明光線。光線の柱が放射状に地上へ降り注いで見える現象だ。
どこかの国ではこの現象を「天使の梯子」と呼ぶ、と聞いたことがある。ただの自然現象なのに、名前次第でこんなにも違った印象に思えるのだから、言葉というのは不思議なものだ。
あの光の柱を、天使が昇っているのだろうか。
ミヘッシャ・ヘンスはそんなことを思いながら、マグカップにコーヒーを注いでいた。
◇
そんなのんびりとした朝の時間は、ゴルフの尋常ではない声で一気に様変わりした。
「嘘だろ!? マフティーが…マフティーが……処刑された」
片手に持った朝刊を握りしめ、そう言った。最後は絞り出すような、泣き出しそうな声だった。
目の前が、真っ白になった。
彼が…マフティーが…ハサウェイが……処刑された…?
そんなはずはないという気持ちと同時に、アデレード会議に乗り込んだパイロット達のことを思った。警備が手薄なはずは無いが、こちらだってそれなりの戦力を持っているはずだった。
けれど薄灰色の紙束が告げるのは「処刑」の二文字。何度見ても変わることは無い。
頭がくらくらする。あの人が居なくなってしまっただなんて、考えたくもない…嘘だと思いたい。けれど連邦側には有能な指揮官が赴任したことも及び聞いているし、まさかのことがあってもおかしくはない。なにより、私たちは常に死と隣り合わせであることは当たり前に分かっていたはずじゃないか。けれど、現実がこんなにも残酷に心を切り裂いていくということは、本当の意味では理解できていなかったのかもしれない。だって彼は強い人だと思っていたから。
色んな考えがぐるぐると回り思考がまとまらず、淹れたコーヒーを飲む気さえ無くなってしまった。
この先、どうしたらいいのだろう…
自分でなんとかできるとは思えないけれど考えるしかない、そう思っていた時、ケリア・デースが、真っ青な顔をして近づいてきた。
「隣、いいかしら?」
声のトーンから悲しみに暮れていることは明らかだった。
「まさかハサウェイが…。ミヘッシャ、あなたも相当辛いんじゃないかしら。あなたは、私と同じだったから」
「え?」
「ハサウェイのこと、慕っていたでしょう? きっと、恋愛的な意味で」
「あっ…それは…。そう……だけど…。でも、ケリアは恋人だったじゃない。私と同じなんてことは…」
「いいえ、おんなじよ。私は『恋人』という冠を貰ったけれど、それだけよ。私はハサウェイを恋愛的な意味で慕っていたけれど、彼はいつも、私よりずっと遠くを見ているみたいだった。それが何なのか、誰なのかは分からないわ。でも、私と一緒に居てもいつもどこか上の空というか、違うところを見ているようだったの。なんで私の告白にOKしてくれたのかしらね」
涙ぐんで苦笑いしながらケリアは言葉を紡いだ。
ケリアの突然の告白にミヘッシャは驚きを隠せなかった。「あの二人は恋人同士」そうとしか思っていなかったが、二人には二人にしか知り得ない事情があったらしい。
「恋人と呼ばれていたはずなのに、彼について知っていることもきっと少ないわ。ハサウェイは、仕事のこと以外何も話してくれなかったから。知っていることなんて、親御さんの先祖の故郷がニホンということくらいかしら。イギリスから来たのに顔立ちがアジアの人みたいだったから、一度聞いてみたことがあるの」
「そうなんだ。でも私はそのことも初めて知ったわ。だから、ケリアはやっぱり、ハサウェイの恋人だったのよ」
「そう…思いたいわね」
複雑な表情で微笑むケリアの頬には、つうと涙が伝っていた。
◇
「イラム、あの、今日の朝刊のこと…」
「ああ、ゴルフに見せてもらったよ。処刑されたんだってな…」
イラム・マサムのいる部屋に行ってみたが、彼もやはり憔悴しているようだった。無理もない。ハサウェイの右腕とも言える相棒だったのだから。
「けれどな。この記事を読んでいて納得いかないこともある」
「え?」
「処刑を執行した責任者がブライト・ノア大佐だということ。マフティーの動き方のためにも友人としても、これまでにハサウェイから大佐の話を聞くことはあったが、彼の父ブライト大佐は、こんなにも非情に息子を手にかけられるような人だとは思えなかった。たとえ軍人としての責務があったとしても、自分のやり方を貫いてきた人という印象を持っていたんだ」
イラムはハサウェイの唯一の友でもあったから、そんな雑談をする場面もあったのかもしれない。私たちの前では「マフティーの顔」しか見せてくれなかったけれど。
「それって…」
「この朝刊の発表は連邦政府と参謀本部によるものだ。人柄の面でもまだ現役で艦長を務めるブライト大佐という立場を考えても、ご本人の言葉とは考えにくい」
「でっち上げの可能性があるってことですか?」
「…多分、悔しいが処刑は事実だろう。だが、ブライト大佐が関わっているというのはあまりにも出来すぎている。なにか別のことが起きていてもおかしくはないだろう」
「処刑は事実…」
処刑こそがでっち上げであってくれたらいいのにとミヘッシャは思う。しかし、聡いイラムが言うのなら、きっとその点においては事実なのだろう。
イラムは両腕を組んで考え込む姿勢になり、しばらく動かなかった。
イラムの出した結論はこうだった。
まずはマフティーとしての抗議文を送る。早ければ早い方が良く、今日の夕刊には載せられるよう、文章を練るとのことだ。
「しかしその後は、この樹を捨てるしかないな。すぐにでもマフティー狩りが始まるだろう。そうすれば樹に留まっていた仲間たちまで危険に晒すことになる。時間が無い、一緒に声明を考えてくれないか?」
「私にできることなら、なんでもやります!」
ミヘッシャは、悲しみに暮れている場合ではないことを理解し、イラムと共同で声明文の作成を行うこととした。
◇
無事、当日の夕刊にはマフティーの声明が掲載された。他にも読者の投書として連邦側を非難する声も上がっていた。
イラムはこれを確認し、今やるべき仕事は終えたと判断したのか、樹のメンバーに向かって声を上げた。
「この樹は捨てる。しかし今までのように別の樹に移るということはしない。すでにマフティー狩りは始まっていることだろう。それぞれ、なるべく別々に逃げるんだ。連絡を取り合うのもしばらくは避けた方がいい。まずはそれぞれ自分の命を守るんだ。…生きていなけりゃ、ハサウェイの無念も晴らせないからな」
その宣言を聞いて、皆下を向いてしまった。これからどうなるのか、全く分からない。しかも、組織で動くことは命取りになる。
各々が生き残れるのか。そんな保証はどこにもない。しかし今は、後ろ盾の無いまま仲間たちを解放するしか、術は無かった。
イラムからこのような宣言が降りることがある程度予想がついていた者もいたようで、何人かは昼の間から最低限の荷物を整理していたらしい。一人、また一人と、少しずつマフティーのメンバーたちは行き先を告げぬまま樹を後にした。
「イラムはどうするの?」
気になっていたミヘッシャが聞いた。というよりも、居住許可書も持たない自分の身の振り方が分からず、イラムの考えを聞いて安心したかったのかもしれない。
「俺は…まだ決めかねているんだ。どうしたらいいのか、わからない」
「イラムでもわからないことがあるのね」
「俺は正当な預言者の王でもなんでもない。ただの参謀だ。第二・第三のマフティーが生まれるというなら、それがオエンベリの偽部隊のような騙りじゃなく、ハサウェイのように強い意志を持つ者なら、また参謀をやるのもいいけどな」
「第二・第三のマフティー…」
ミヘッシャは複雑な気持ちでその告白を聞いていた。
◇
「こんなところにいたら、消されても文句はいえん」
ケネス・スレッグはどろどろに渦巻く感情をなんとか抑えながら、これからダバオを離れる手段を探していた。
ニホン行きの便が一時間後に出るらしい。
ギギ・アンダルシアを愛人に仕立てて二枚のチケットを取り、即刻出発の準備に取り掛かった。
ブライトとハサウェイを会わせることだけは食い止めた。しかしそれによって、ブライトに対して勝手なことを朝刊に書く隙を連邦側に与えてしまったのも事実だ。
彼は処刑されたのが息子のハサウェイであることを新聞越しに知り、しかもその処刑を自らの手で執行したことにされてしまった。その後事実関係を調べようとしても証拠は出ないだろう。恐らくこれからのブライトには、ただただ当惑することと、息子が突然行方不明になったというなんとも座りの悪い結末が待っているだけだ。
そうした考えられうる未来を伝えると、ギギは悲しみに暮れ涙ぐんだ。
そうこうするうちに、ホテルの古い車は台湾のタイトン空港に到着した。パイロットは昼食と水代としてとんでもない高額を要求してきたが、払わないわけにはいかない。
だがこれはパイロット流の通過儀礼のようなものでもあったようで、その金を払ったことでなにか複雑な事情を抱えていることと、覚悟を持って出発に臨んでいることは汲み取ってもらえたようだった。
「新聞ファックスは読むかい? 今日の夕方のやつだ。プリントしたやつは、まだ出てない」
ケネスの覚悟を買ってか、今度は金をせしめずに夕刊を見せてくれた。
「キュシューだけど、いいな?」
「ニホンならいいわ」
パイロットとギギがそんな会話を交わしている間、ケネスはプリント前の夕刊ファックスに目を通した。
そこにはマフティーからの声明が出されていた。読者からの投書もあった。マスコミ側も、連邦政府の性急な処理に対し抗議し始めたようだ。
この世界は、少しは変わるだろうか。
ハサウェイ、お前が望んでいたような世界に。
一人思いを馳せていたらギギが話しかけてきた。
「ニホンって、ハサウェイの国だって知ってました?」
「母方の出身地だったな」
「ウン。あたし、だから、嬉しいんだ……友達の国に行けるっていうの、こんなの、はじめて……」
「……君にとっては、いい場所になるかもしれないってことか……」
「人も少ないし、気候もいいっていうし、そこで死ぬわ」
ギギには自分のやるべきことーーやりたいことと言うべきだろうかーーが見えているようだった。死という形は後ろ向きに見えるかもしれないが、きっと今のギギにとっては一番前向きな結論なのだろう。それがいつになるかはわからないが。
「大佐はどうするの?」
不意にギギに尋ねられた。ギギに比べると確実性もなく荒削りにしか思いついてないことではあったが、ひとまず口にしてみることにした。
「そうだな…次のマフティーを作る用意でもするか?」
「次のマフティー?」
「ああ、百年後かもしれないが、そのために、シャア・アズナブルとかハサウェイ、アムロでもいいな。そんなのが復活するような組織を作ってみたいな」
「そうか……大佐は、元気なんだ」
「どうかねぇ……」
真っ先に「そこで死ぬわ」と答えたギギは、少し後ろめたかったのだろうか。なんとなくそんな気がしたので、その後はメイス・フラゥワーの話をするなどして話題を軽くしようとした。
ケネスがギギを幸運の女神としていたのは本当で、部隊の名前もキルケー部隊と名付けた。だから、本音を言うなら、ケネスにはギギが必要だった。今度は庇護者として、ギギを守るのが使命だとも考えたし、ハサウェイのためにもそうしたいと思った。そして、ハサウェイの意志を継ぐことも…
「ギギ、出来るかどうかは分からないが、本当にやってみるかもしれないぜ。次のマフティーを作る用意」
「え?」
いつものようにウインクをしてはぐらかすようなこともなく、ギギの方を向かずにケネスは言った。まるで、自分に言い聞かせるように。
ショックの大きさから目先のことしか考えられないほど視野が狭くなっていたギギにとって、それは衝撃的な告白だった。
◇
「…ねぇイラム、なにも決まっていないなら、私とニホンに行ってみない?」
「ニホンに?」
イラムは目を丸くした。つい先ほどまでハサウェイに対する喪失感でいっぱいだった彼女が、そんな大胆な提案をしてくるとは思わなかった。
「今日、ケリアから聞いたの。彼の先祖はニホンの人らしいの。ニホンは人も少ないし、ハサウェイのことを思いながら今後のことを考えるには、もしかしたら良い場所なんじゃないかって」
「なかなか話が飛躍しているようにも思うが…けれど、友の故郷を訪れるのも悪くないかもしれないな。どちらにせよ埋葬先は伏せられるだろうし、分かったところで俺たちの立場では墓参りに行くのも危険だ」
「ええ。私は彼の故郷の空気を吸ってみたい。どんなルーツがあるのか、その土地を見てみたい。……そうしたら、彼が私の中から消えずに、包み込まれるような気がするの」
最後は涙声になっていた。ミヘッシャがハサウェイに心を寄せていることは誰しもに分かるほど態度に表れていたから、彼女の悲しみは相当なものだろう。
ニホンに行くだなんて、考えてもいなかった。
けれど悪くないかもしれない。ダバオに居てもマフティー狩りに合うだけだし、出来るだけ遠くに行く必要がある。
ニホンなら人も少なくて、今はやや忘れられた国のようになっているから(入れないと思っている人もいるらしい)、もしかしたら良い隠れ場所となるかもしれない。
「準備」をするならそこなんだろうか。
なぁハサウェイ、君だったらどうする?
「ミヘッシャ、可能なら今晩、無理なら明日の朝一でニホンに向かう便を取れるか?」
「イラムがその気なら、必ず!」
ハサウェイ、連邦政府のガンダムと初めて戦った時、一か八かの勝負に出てビームライフルをダミーとして発射したことがあったな。
君は沈着冷静に見えて時々大胆な行動に出る。
そんな君なら、また次のマフティーをつくるために、この地を選んで時を待つかもしれないな。
だから俺も行ってみるよ。ニホンに。君にゆかりのある場所に。
◇
この当時、ニホンの玄関口はキュウシュウにしか設けられていなかった。それくらい、人の出入りが少なく、空港を設ける必要が無かったのだ。
イラムとミヘッシャ、ケネスとギギの二組が出会うのは、また別の物語である。
【了】