ダンスホールであなたと「うそつきギギ」
初めてそう呼ばれたのはいつのことだっただろうか。
同じ施設で暮らす子が、まだ自分の分のおやつを貰っていないと言っておかわりを貰おうとしたから「ウソ、さっき食べてたじゃない」と先生に言った。
本当のことだった。
けれど。
「いい子ぶるんじゃねぇよ、うそつきギギ」
そう言われた。
「いいのよ、ギギ。…あなたは食べていなかったのね。ごめんなさい、それじゃあこれをどうぞ」
優しすぎた先生はーー精一杯の皮肉だーー、そんなウソを甘やかし、おかわりを与えた。
*
私が育った施設には早くに両親を亡くした子どもたちが集められていた。スラムで育った者も多く、粗野で卑しい子どもたちも少なくなかった。皆、生きるのに必死だったのだろう。
きっと私たちは「かわいそうな子」として見られていたのだと思う。だから多少のわがままを言っても先生たちはそれを黙認していた。
先生と言っても有志を募っただけの寄せ集めの組織であり、子育て経験がある人なら誰でも歓迎してしまうくらいには、人選に法則性が無かった。
だから勝手に「かわいそう」と思われて、勝手に甘やかされていたのだと思う。言い方は悪いが、そう思うことで自尊心を満たしていたのだろう。私はそんなことを望んでいたわけではなかったのだが。
私は、だれかに教えて欲しかったのだ。この世界のあらゆることを。
*
多少はまともに学べるような環境を得たのは学校に通い始めてからだった。
そこでニュータイプという存在がいることを知った。
テレパシーと言うには安易だが、何らかの特性により、離れていても分かり合えるものらしい。
「ふぅん…私とはまた違うタイプみたいね」
ギギ・アンダルシアは、自分とニュータイプの性質を比べてそう思った。
ギギには幼少の頃から人の嘘が分かる特性があった。それは別にニュータイプ的な超能力ではなく、もっと現実的なものだった。
瞬きの回数、眉の動き、呼吸の乱れ、どことなくぎくしゃくと挙動不審になるところ。
嘘は何かの形で身体に現れる。ギギはそれを察知するのに長けていた。
しかし、自分が嘘を指摘する時、必ず真っ赤な顔をして怒り口調で「嘘を言うな!」と怒鳴られた。先生たちは子どもの喧嘩と考えたのか見て見ぬ振りをしており、ギギを擁護する者もいなかった。できるだけ衝突を避けたかったのだろう。
いくじなし。
いつもそう思って過ごしていた。
もっと強い人ならば、そんなことで激昂したり、そもそもくだらない嘘など吐かずに生きていけるのだろうか。
学校に通ったことで多少の知識を得ることはできたが、ギギを本当の意味で理解しようとし、擁護してくれる者は現れなかった。優しく接してくるのは、見目の麗しさに惹かれた下心のある大人だけだった。
誰も守ってなんかくれない。早くここから出て自立しなければ。そのためだったらなんだってやってやるわ。
幸か不幸か、ギギの見た目に惹かれた愚かな大人たちは、自立を考える上での鍵となった。
私は愛人となり、相手はパトロンになる。なんて合理的で、厭らしいやり方だろう。
しかし、そこには施設で暮らしていた時には無かった開放感と自由があった。自分の思う通りに振る舞っても、出鱈目に怒鳴られることもなければ、無かったことにされることもなかった。
むしろ媚びへつらえられた。これはこれで嫌悪感を感じることもあったが、生きていくにはお金が必要だったからなんとか我慢した。
*
そうしてティーンの中頃から愛人関係をいくつか持ってきた時、あることに気づいた。
世界を知るためにはもっと知識が必要で、そんな人の懐に入るためには品性が必要だと。
それからギギは、自己流ながらも品のある人々を観察して自分の行動と言葉遣いに取り入れていった。見た目も上品に見えるよう、やりくりのできる範囲でコーディネートをするようになった。
そうして多少上流のパーティに出席しても違和感の無い程度まで成長したギギは、ある日「伯爵」と出会ったのだった。
*
伯爵の名前で席を取ったハウンゼン。
話しかけてくるのは鼻の下の伸びただらしのない閣僚たちばかりだった。伯爵は虫除けのためにと二席確保してくれたが、それが仇となり、代わる代わる男がやってきた。
下心を持っているのはあちらなのに、その男に添う女たちからは「厭らしい」と囁かれていた。そう言われること自体はある程度慣れたものの、自分から悪事を働いたわけでもないのに勝手に貶されるのはやはり気持ちの良いものではない。
やや嫌気が差していたところ、通路を挟んだ向こうの座席に、目立ちにくいが異彩を放つ青年を見つけた。地味なネイビーのスーツをまとい、ただ静かに本を読み、食事をとり、私になど目もくれないようだった。
ハサウェイ・ノアはこれまでに出会った人たちとは違う。ギギの直感がそう言っていた。
*
その直感は当たっていたようだ。
彼はかのマフティー・ナビーユ・エリンかもしれない、だってそれってとてもワクワクしてスリリングだもの!
彼には、これまでの人たちと違うところがもう一つあった。
私がマフティーに関する嘘を指摘してものらりくらりとすり抜けるのだ。しかも数パーセントの事実を混ぜて。
真っ赤な嘘はすぐにバレる。だからと言って作りすぎてもボロが出る。人間はそんなに器用ではない。
けれど彼は、私に対して「ありもしないことを言うな」と激昂することもなく、穏やかに、そしてさりげなく話を逸らしていくのだ。私でなければ流されてしまうくらいに、非常に巧みに。
それでいて、
「夫婦でもないし、同棲をオーケーしたわけでもない……そうであったにしても、家の中で、どこかまわず裸でいる女は、嫌いだな」
自分の気持ちには嘘偽りなく私と接してくれるところも好印象だった。これまでは、私が肌を見せる場面などあれば呼吸荒く迫ってくる男が常だったから。ハサウェイの言葉に、初めて自分がはしたないことをしていたことに気づいた。
私は同室のハサウェイの様子を確認をせずにシャワーを浴びようとした自分の軽率な行動を恥じると同時に、この人の前ではありのままの自分でいても良いのだという不思議な安心感を感じていた。
だからケネス・スレッグからの晩餐の誘いにも乗った。ハサウェイがどんな反応をするのかを見たかったのかもしれない。
*
このホテルにはダンス・フロアがあると聞いたのは、部屋に向かうエレベーターの中だった。偽マフティーによるハイジャックで疲れてはいたが、ダンスフロアの存在がギギの心を踊らせた。
これまで、下心なく一緒に踊ってくれた人はいなかった。
だから…
「ねぇ! 踊ろう! ハサウェイ」
「僕はいいよ」
「ええ〜」
私は「ハサウェイと」一緒に踊りたかった。音楽に溶け、身体を揺らし、ただただ、その空間でハサウェイとひとつになりたかった。
結局ダンスの相手はケネスとなり、ホテルは空襲に遭って、それきりだったけれど…
*
「あたしを捕虜にして」
キルケー部隊を率いてウルルに向かい、私は接触回線でハサウェイだけに自ら捕虜になることを申し出た。
ハサウェイに抱き抱えられるようにΞガンダムのコックピットに乗り込んだ時は、束の間の再会を喜んだ。と、思う。
「会いたかったんだ。こんなところで会えるなんて、思ってもいなかったんで、すごく嬉しい」
「ハサ……」
「このままでは、ぼくがギギとずっと一緒にいたいと思っても、敵に対応できる状態にしておかなければ、あっという間に、ふたりして死んでしまう」
ハサウェイが自分に会いたいと思っていてくれたこと、ずっと一緒にいたいと思ってくれたことは嬉しかった。けれど、それほど楽観的にその言葉を受け取ることはできなかった。
「今、ハサウェイがいったこと、ウソだ」
「……? なにがウソなんだ?」
「あたしとずっと一緒にいられて? あなた?」
立場上、ハサウェイは呑気にギギと過ごすことなどできないはずだ。ましてや戦闘中に、そんなことを軽々と口にする人ではないと思っていた。
ハサウェイは自身の軽率で堪え性のない発言を恥じた。私も、少し意地悪な言い方をしすぎたかもしれない。
ハサウェイが私と一緒に居たいと言ってくれたことが厭だったわけじゃないんだ。ハサウェイはもっと強い人だと思っていたかった、ただの私のわがままなんだ。
ウルルでの戦いの夜は、ハサウェイと様々な話をした。
「いまハサウェイがやっていることは、人の血を吹き出させるだけで終わるよ」
「……勘がいいくせに、狭いな」
「いけない? あたし、ハサウェイが好きだから……」
「ありがとう……でもね、愛し合うということを上手にやれる人ばかりではないのが、世間なんだ」
「自信をもってよ。あなたには、ニュータイプになれる星があるのに……」
「…………」
ハサウェイは、なにもこたえてくれなかった。
『あたしが、神のように透徹していれば、人の行く先をみとおせる……それができないから、からだを売ったんだよ……』
寝袋に包まりながら話したものの、ギギはハサウェイを説得できる言葉を持てなかった。
言葉が見つからないまま朝を迎え、「朝になったら、ぼくの前から消えろ」の言葉通り、ギギは風が吹き荒ぶ岩場を東の方へと歩き出した。
*
その朝はアデレード会議の開催日で、マフティーの作戦の決行日だった。
作戦を決行して、ハサウェイは負傷し、地球連邦軍に連行され……そして、出会い方が違えば良き友であったろうケネスによって、ピリオドを打たれた。
こうなることは分かっていた、ような気がする。
ハサウェイが神になればいいとさえ思ったこともあった。
だけど、テロルは世間に受け入れられない手段なのだ。その責任を、彼は一身に背負い、命を落とした。
そして、マフティーの関係者であるギギとケネスも追われる身になるであろうことは、時間の問題だった。頭がまだはっきり回らないギギに代わり、ケネスは手際良く亡命の手筈を進めていた。
「ニホンって、ハサウェイの国だってしっていました?」
「……君にとっては、いい場所になるのかもしれないってことか……」
「人も少ないし、気候もいいっていうし、そこで死ぬわ」
死んだら、きっともう、何にも縛られないよ。
だから、その時は私のお願いを聞いてくれる?
踊ろう、ハサウェイ。
【了】