Like the “Möbius loop” - 01一番古い思い出はなに?
そう聞かれると答えに詰まる。
いつからだろうか。あるときから不思議な夢を見るようになった。
夢の中の僕は別の名前で呼ばれていて、声の質感から考えると、恐らく今の実年齢よりも年上だと思われる。そして、必ず同じ女性と過ごしているのだ。
笑っている日もあればケンカのようなことをしている日もある。他愛もない日常だ。
そしてその夢には、ある場面だけが何度も繰り返し再生されるという特徴があった。その場面になると、普段よりも視界がぼんやりとして周りのことはよくわからなくなる。
毎日見るわけでは無いが、夢の中の僕は不定期に別の名前で呼ばれ、その名を呼ぶ女性と日常を共にする。
時に夢と現実が混じり合うような感覚があり、今が宇宙世紀何年で自分は誰で何をしている人間なのか、わからなくなることもあった。
だから、先の質問に答えるならば「わからない」が、一番誠実な答えになると思う。
本当に「わからない」のだ。
どこからどこまでが、「自分の記憶」なのか。
◇
後に一年戦争と呼ばれるようになる戦いを終え、ホワイトベースは役目を終えて眠りについた。
構成員はサイド7でたまたま乗り合わせた一般人たちだった。軍に残った者も居るが、戦いを終えた今はそれぞれが日々の生活へと還っていった。居場所はバラバラにはなったものの、あの期間に築かれた絆や関係性は、そう簡単には失われやしないだろう。
ミライ・ヤシマはブライト・ノアと特別な関係を築き、夫婦となった。
ブライトは変わらず軍人として連邦軍に所属している。あの怒涛の一年を終えたものの、束の間の休息につくこともなく、報告書などの対応に追われていた。
「コーヒー、お飲みになる?」
「ん」
帰宅してくるブライトはいつも疲れた顔をしているものの、ミライの淹れたコーヒーを目前にするとほっと顔の筋肉が緩むようになっていた。
そしてコーヒーを飲みながら、就寝する前の短い時間を共に過ごすことが、ブライトにとって一番安心できて幸せを感じられる時間だった。
「わたしはお水ですけどね」
ちょっと悪戯っぽい顔をして小さく微笑みながら、ミライは自分の膨らんだお腹をさすった。
「今日もね、たくさん蹴ったのよ。まるで早く出たいよって言ってるみたい」
「すごいな、君は。母親になるとそんなこともわかるのかい」
「そう感じるだけよ。そんな風に、この子がどんなことを考えているのかを考えるのが楽しいの」
くすくすと笑いながらそう言った。
もうすぐ自分が父親になる。
母体で直に子の存在を感じているミライと違って、まだまだ父親になる実感が湧かないブライトは少し焦っていた。
焦る理由は、それだけではなかったのだが。
「名前…早く決めないとな」
「私もいくつか考えてはいるの。でもなんだかしっくりこなくて…それに、できることならあなたに名付けてほしい。この子がこの世界に現れてからの初めてのプレゼントを、あなたからあげてほしいの」
「ウン…そのつもりで考えてはいるのだが。なかなか難しいものだな、子の名前を考えるというのは」
「そりゃあ、一生モノですから」
「プレッシャーをかけているのかい?」
「さぁ?」
口元に手をやり、ふふっと笑うミライの笑顔が愛おしかった。
◇
ー
ーー
ーーーー
「…さん、父さん、この本、なに?」
「ああ、それは父さんのお祖父さんのものだよ。ブライトのひいお祖父さんだな」
「僕、会ったことある?」
「いいや。君が生まれることを楽しみにしてはいたんだがね、その前にお迎えが来てしまったんだ。とても長生きの人だった。この分厚い日記帳に、自分の見てきたたくさんのことを書き留めていたんだよ」
その晩ブライトは珍しく夢を見た。
古い記憶が再生されているように鮮明で、夢なのに、一つ一つがはっきりと知覚できそうにすら感じた。
「なんだか知らないものがたくさん挟まってる」
「これはね『押し花』というんだ。父さんのお祖父さんはね、地球で暮らしていた頃植物を育てるのが好きだったんだ。今では考えられないが、当時のイギリスの庭は広かったから、父さんも子どもの頃は色んな花や植物のことを教えてもらったよ」
「オシバナ…ふしぎだね。枯れてるのに、こんなにきれいだ」
「上手い作り方があるんだ。ただ枯れてしまうだけではこうはならないよ」
「ふぅん。ひいおじいさんは、オシバナ名人だったんだ」
「おぉ、ブライトも上手い言い方をするようになったな」
わしゃわしゃとブライトの頭を撫でながら、父は笑った。
「お祖父さんはね、地球で育つ植物たちを愛していたんだよ。だから、コロニー建設の話が出た頃は悲しそうにしていたな」
「地球で育つ植物…」
「昔は地球には緑がたくさんあったそうだ。イギリスではどれだけ庭を植物で美しくあしらうかの大会もあったらしい。父さんの頃にはもうそんな影は無かったが…」
「…全然想像できないや」
そうしてブライトは、窓の外の、コロニーの天井に映し出された空を仰ぎ見た。
「いつか、そんな緑に溢れた地球に還れる日が来るといいな。もしかしたら、ブライトが大人になる頃には、父さんのお祖父さんが見ていたような景色が、また見れるかもしれない」
「僕、見てみたい!」
「そうなることを願っているよ」
父は、少し切実そうな顔をしながらブライトの目を見て微笑んだ。
その日記帳には小さな出来事から大きな出来事まで几帳面に記されており、そして、表紙には曽祖父の名前らしきものがタイプされていた。
ーーー
ーー
ー
◇
「ミライ! 名前を、名前を決めたんだ!」
「なぁに、朝早くから騒がしいこと。おはよう、ブライト」
「あっ…ああ、おはよう、ミライ」
朝起きたらまずは挨拶。ミライが決めたことだった。
「おはようも無しに名前のことだなんて…もしかして徹夜で考えたとか?」
ブライトの体調を危惧して心配そうに顔を覗き込んだ。
「いいや、違うんだ。昨日はしっかり寝させてもらったよ。…もしかしたら君は笑うかもしれないが…」
「笑わないわ、言ってちょうだい」
「夢を見たんだ。幼い頃に父から私の曽祖父にあたる人の話を聞いた時の夢」
「まぁ、ブライトが夢を見るなんて珍しい」
ミライはたしかに笑わなかったが、夢を見たことと夢の話をしようとしているブライトに驚いているようだった。
「それで? なにかお告げがありまして?」
「いいや、そういう夢ではない。ただ、思い出したんだ。私が軍に入る前に考えていたことを」
「なあに? 教えて?」
「曽祖父が昔見ていた、緑の溢れる地球に行ってみたい、というものだ。…私がこんなことを言うなんて、笑うだろ?」
「いいえ笑わないわ。とっても素敵!」
でも、それが我が子の名前に繋がる理由はわからなかった。
「私の曽祖父は庭いじりが好きで、地球の植物たちを大層大切にしていたそうだ。日々の出来事を日記に細やかに記録していて、その中にオシバナと呼ばれる、枯れても美しい花が挟まっていた。その花の咲いている姿を見たいと思ったんだ」
「ふぅん」
珍しく昔話をするブライトを、嬉しそうにミライは眺めていた。
「軍に入って、地球に降りることはできたが、花が美しく咲き乱れるような景色は、まだ見ることができていない」
「そうね…」
「地球はまだまだ復活途中というわけだ」
ブライトは天井を仰ぎ見て言った。
「だから、私たちの子の世代には、そんなふうにまた美しい地球になっていて、子どもたちがそれを見れたらと思ったんだ」
「そうあってほしいわね」
「そんな願いを込めて、曽祖父の名を頂けないかと思ったんだ」
「そういうこと、だから夢のことを話してくれたわけね。それで、その名前は?」
「ハサウェイ。ハサウェイ・ノア。…どうだろうか……?」
「すてき!」
突然ミライに抱きつかれて驚いた。お腹の子に響かないかと心配にもなったが、OKのサインが出たことにホッと胸を撫で下ろした。
「この子はハサウェイ。ハサウェイ、早くこっちに来てね」
ブライトの首に片腕を回し密着したまま、もう片方の手で横腹に触れながらそう言った。
「「あ、蹴った!」」
ブライトが初めてハサウェイの動きを感じ、父親になることを実感した朝だった。
…to be contend