ねこみつくんといっしょ!猫を飼い始めた。元野良の三毛猫の雄。雄の三毛猫はすっげぇ珍しいんだと萩原が言っていた。確か確率は三万分の一だったか。どうやら染色体異常で生まれるらしい。化学や物理は得意だが生物はてんでダメなので残念ながらそこらへんはよくわからない。
名前はヒロ。漢字で書いたら景色の『景』。本当は景光って書いて『ヒロミツ』って言うんだが縮めて呼んでたらいつの間にかそっちが定着していた。こいつもヒロって呼ばれた方が嬉しそうに寄ってくるから変わらずヒロって呼んでる。好きなもんは『ちゅーるのとりささみ味』と『オムライス』。ケチャップよりデミグラスソースが好きらしい。あっ、忘れてた、齢は確か四つって言ってたか。違う、百と数十年と四つだ。それからよくガキの姿になって二本の尻尾をゆらゆら揺らしながらテレビを見ている。最近のお気に入りは『ピタゴラスイッチ』らしい。この前お父さんスイッチを作って持ってきたから遊んでやったらすっげぇ喜んでた。
え?今何の話をしてるかって?だから猫だよ。話聞いてなかったのか?ちょっと前から猫飼い始めたんだって。はぁ?別に尻尾が一本だろうが二本だろうが、人間の姿になろうがならまいが、人語を喋ろうが喋らまいが猫耳生やして尻尾がありゃ猫だろうが。猫又?猫ってついてんなら猫だろ。なにギャーギャー言ってんだよ。……ん、ヒロから連絡来たから帰るわ。どうやってって、LINEだよ。無かったら不便だろ、スマホ。今時スマホ持つのは人間だけって思考は捨てた方がいいぜ。今やどんな生き物もコンピューターくらい扱えんだよ。それこそ猫だってな。
バイト店員の怠そうなありがとうございましたー、の声を背にコンビニを後にする。未だ暑さの残る初秋の夕空にはトンボが二匹連れ添うように夕陽に向かって羽ばたいていた。
買ったのは今日の晩飯用の酒とヒロ用のちゅーる。存外グルメで好みがコロコロ変わるあいつは今はとりささみ味が一番のお気に入りのようで、それ以外の味を買ってきても意地でも口にしようとしない。案外高ぇんだよな、これ。まぁ食べ物以外にはあんまりこだわりないのは助かってるんだが。
ぽつぽつと街灯の明かりが灯されていく帰路を歩きながら、ふと三十分ほど前に別れた友人が言っていたことを思い出す。友人曰く、尻尾が二本あって、人語を喋って、人の姿にもなれる猫は猫とは言わないらしい。お前が飼っているのは猫又だ、と言われたがそんなこと百も承知している。でも猫又だって元を正せば猫なわけで。だから別にそんな驚くようなことではないと思うんだがどうやらそうはいかないようだ。普通にコミュニケーションがとれて楽なのにな。あと可愛い。
ズボンの右ポケットに入れたスマートフォンが数回振動する。右手に携えていたレジ袋を左手に移動し、空いた右手で低く絶え間なく鳴くスマートフォンをポケットから取り出した。どうやらヒロからの着信のようだ。
「もしもし」
『もしもし?じんぺい今どこ?』
「今……家の近くの薬局んとこらへんだな」
『あ、ほんと?ちょうどよかったー。スーパーでトマト買って帰ってきてくれない?あとアイス』
「おう。トマトは何パックのやつ?」
『三つのやつ。アイスは好きなの買っておいで』
「了解」
思わぬお使いが入ってしまって、コンビニで折角だしと色々買ってしまったことを後悔する。絶対スーパーの方が酒もちゅーるも安い。ヒロにも無駄遣いするなってきっと小言を言われるだろう。少し憂鬱になりながらとぼとぼスーパーに向かう。アイスは三つ買うことにした。一つはヒロ用、もう一つは家で食べる用、そして今食べて帰る用だ。夕飯前だが今日くらい許して欲しい。
「ただいまー」
玄関のドアを開けながら中にいるヒロに向かって声をかける。少し間が空いて、ぺたぺたと可愛らしい足音がリビングから廊下に届いた。リビングに続くドアからひょっこりと頭だけが出てきて、ぴこぴこと猫耳が動いているのが見える。かわいい。
手元に携えている袋から俺がちゃんとトマトとアイスを買ってきたことに気づいたヒロはにんまりと満足そうな笑みを浮かべた_____が、その後すぐに眉間に皺を寄せた。二本の尻尾がぺしぺしと床を叩く音が聞こえる。どうやら酒を買ったこともバレてしまったようだ。酒を飲まないヒロにはこの美味さがわからないらしい。
「オレ、お酒買ってきてとは言ってないんだけど」
「まぁいいじゃねぇか。お前も飲む?」
「飲みません。トマトちょうだい、切ってくるから」
そう言って俺の手からトマトのパックを受け取るとヒロはふらりとキッチンの方へ消えていった。ヒロと入れ違いでキッチンの方から美味しそうな匂いが廊下へと香ってくる。ふむ、今晩はカレーのようだ。しかしこの家に転がり込んできた頃は甘口カレーしか食べられなかったのに、いつの間やら中辛カレーをぺろりと美味しそうに完食するようになってしまって。子供の成長を感じる親ってこんな気持ちなんだろうな、なんて思う。というか、猫って刺激物大丈夫なんだっけ?
キッチンで慣れたようにトマトを切るヒロの背後に近づく。どうやらこの前買った踏み台が早速役に立っているみたいだ。買うまで俺が支えていないと頭どころか猫耳しか見えていなかったのが踏み台のお陰で調理台に手が届くようになり、自由に料理ができるようになったのが嬉しいらしい。腰から生える二本の尻尾が楽しそうに左右にゆらゆらと揺れている。
「ヒロ、何か手伝おうか」
「じゃあカレーよそっておいて?そこのお鍋に入ってる」
「おう。いつもの皿でいいんだな?」
「うん。食洗機の中に入ってるはずだよ」
ヒロの言う通り食洗機の中に入っていた皿を取り出してご飯とカレーをよそう。ほんのりスパイシーな香りが鼻腔をくすぐって、食欲がそそられる。
ヒロが作る料理は基本的に何でも美味いがその中でも特にカレーは絶品だ。素材も器具も特にこれといって特別なものは使っていないはずなのにここまで美味くなるのはどうしてだろうか。まるで舌まで化かされているみたいだ。料理の基本は化学とも言うし、案外化かされているというのは間違っていないかもしれない。ほら、化学は『化け学』とも言うし。
カレーの入った大きな皿と小さな皿を左右に持ちリビングへと向かう。部屋の中央に置かれたローテーブルにそっと皿を置くと、キッチンの方からヒロがトマトで赤く彩られたサラダの入った小皿を二つ持って現れた。トマトを買いに行かせたのはこれのためだったのか。少しだけ形が不揃いなトマトが可愛らしい。かたん、と小皿がテーブルの上に置かれた弾みで音をたてる。肩を並べてテーブルの前に座れば一際美味しそうな匂いが辺りに香った。
「よし、食うか」
「うん!いただきまーす!」
「いただきます」
ぱちんと小さな手と手が合わさって音を鳴らす。そのままその小さな手で小さなスプーンを握って美味しそうにカレーをひとくち頬張った。それに倣って俺もヒロ特製カレーをひとくち口に含む。まろやかさとスパイシーな刺激が口の中で上手く混ざりあってやはり美味い。この美味さなら店くらい出せるんじゃないか?『猫のカレー屋』……その手の客にはなかなか人気が出そうだ。
ふと目線だけを横に向けてヒロを見る。行儀よく正座しながらもちもちした頬を動かしているのが本当に可愛い。口いっぱいに詰め込んだカレーで膨らんだ頬を指先でついてみる。やっぱり柔らかい。例えるなら……大福?あとは団子とか餅とか。全部食べ物になってしまった。
「んんん……じんぺぇ、そんなもちもちされたらたべづらい……」
「お、悪ぃ悪ぃ。美味そうなほっぺたしてるもんだからよ」
「うー、なんか言いたいことあるなら言いなよぉ……」
「いや……うーん、大したことじゃねぇんだけど……」
ガキの姿のお前もいいけど、でっかくなったお前の姿も見てみてぇな、って。
百年と数十年と四年生きても猫又の中ではまだ若い方だというヒロだが、人に化けても子どもの姿以外になるところを見たことがない。だからきっとこの姿が人に換算した場合のヒロの年齢なのだろう。俺はこのまま百くらいまでは生きるつもりだがそれでもその時に猫又の中での大人にヒロがなっているとは限らないわけで。俺より遥かに年上だとはわかっているが、姿が姿だからか子どもの成長を見ることのできない親の気分になってしまう。こんなに可愛いんだから成長したらうんと可愛いかイケメンになるに違いないだろうに。
「こうやってカレー食ってる可愛いお前の姿以外に大人になったお前も見てみたかったな、って」
「……ん?大人にもなれるよ?」
だよな、やっぱなれねぇよな。……ん?
「オレ、大人にも化けれるよ?」
「は?」
えい!そう可愛らしい声でヒロが言ったかと思うとぼふんと効果音がつきそうな煙が辺りを包む。部屋の中で焼肉をした時の比じゃないくらいの煙だ。警報装置が作動したらどうしてくれるんだ。徐々に煙が薄まっていって、シルエットが浮かび上がってくる。……あれ、目線が俺と同じくらい?
「んんっ、これでいいかな?」
え?何か急にすっげぇいい声がした気がしたんだが誰の声だ?女帝って言葉が似合うほど色っぽい声が聞こえた気がしたけど気のせいだよな?さっきまでヒロがいた所から艶がかかった声が聞こえたけど流石に気のせいだよな?
「この姿久しぶりになったよぉ。わぁ、やっぱり視線が高い!ちょっと違和感!」
完全に消え去った煙の中から現れたのはもちもちほっぺたの可愛いヒロ_____ではなく下半身にダイレクトアタックしてくる声を持つ髭面の男だった。切れ長の瞳に整えられた顎髭。細く少し丸みを帯びた指に薄く伸ばされた唇。それから変わらない猫耳と尻尾。って、いやいやいやドスケベすぎんだろ。スケベのプレゼントボックスか?あとその吐息をやめろ。クるもんがあっから。
「どう?陣平。かっこいい?」
「……お前、もうその姿なんなよ」
「えぇ!?なんで!?陣平が見たいって言ったのに!!」
「うるせぇ!!頼むからなんねぇでくれ!!過ちを犯したくない!!」
「なに過ちって!!ねぇ!!陣平!!」
「だーッ!!さっさと飯食え!!違う!!その前に元に戻れよ!!その姿のままで食おうとか思うなよ!!」
頼むからまだお前は可愛い可愛いもちもちほっぺのヒロでいてくれ。ドスケベ団地妻属性の景光さんにはならないでくれ。おい髪を耳にかけてカレーを食おうとすんな。何でここで猫舌発揮するんだよ。ふーふーすんなって。駄目だ、このままだと俺の好みが、性癖が拗れてしまう。何もわかっていないヒロは不思議そうな顔をしながらカレーを口に運んでいる。だから早く戻れって。
数日後、元の子どもの姿に戻ったヒロにもう一度大人の姿に化けてくれと頼むのはまた別の話。