爪切りのお話 パチン、パチンと軽くて硬い音が、あっちゃんを寝かしつけて兄達の元に戻ってきた俺を出迎える。
音の正体は爪切りだ。
『ビキニ御殿』ことミカ兄の自宅のリビングに置かれた、大の男が三人並んで座ってもまだ余裕のある大きなソファに座って、つけっぱなしのテレビから流れる下世話なノリの深夜バラエティ番組をBGMに、ニヤついた表情のケン兄の手を取って何とも微妙な表情をしたミカ兄が丁寧に爪を切ってやっていた。
「……何?爪切ってもらってんの?」
「おう。伸びてきてたからな」
「それぐらい自分で切れよ」
「俺がやるとガタガタになるからなぁ。その点コイツは綺麗にしてくれるし」
「なー?」っとミカ兄に笑いかけるケン兄の顔はやに下がっていて、ロクでもない事を考えているのが丸わかりのスケベ面だ。
いつの頃からかは忘れたけど、一番上の兄は自らの爪の手入れを二番目の兄に任せるようになった。
頻度はだいたい一週間か二週間に一回くらい。
昔、それこそ今テレビから聞こえてくるお笑い芸人とセクシー女優のトーク内容の半分も理解できなかったような歳の頃は「ケン兄、爪くらい自分で切ればいいのに」って思ってた。
だって、他人に爪切ってもらうって怖いじゃん?
第一ミカ兄もさ、頼まれたからって素直に切ってやらなくたっていいだろうにって。
ミカ兄がケン兄の「爪切って♡」(いや、本当に語尾にハートが見えるんだよ。キショい事に)に反抗せず、いつも複雑そうな顔をしながらも素直に爪を切ってご丁寧に専用のヤスリで仕上げ処理までやってあげるのが当時の純朴な透少年には不思議で仕方がなかったわけだ。
でも今テレビ画面に映る女優サンが「男優さんとかみんな本当に手、特に爪は綺麗にお手入れされててすごいんですよー」と笑って言った言葉が何を意味しているのか理解できるくらいには純朴さを失ってしまった現在の透青年はもう不思議には思わない。
その代わりにこう思うわけだ。
「バカ兄貴ども、人前で前戯に勤しんでやがる」と。
ケン兄とミカ兄がただの兄弟って枠からはみ出してセックスまでする関係なのは知ってる。
それを反対するつもりは全く無い。二人が真剣交際なのは重々承知しているので末永く幸せでいて欲しいと願っている。
しかし、しかしだ。
この先を意識していますって言うのが丸わかりの、羞恥と期待と緊張がない交ぜになった熱っぽい表情で黙々とケン兄の爪を整えているミカ兄と、そんなミカ兄を面白そうにニヤニヤと、けれども目だけは妙にギラつかせて見つめるケン兄。
正直めっちゃ気まずい。身内のエッチな雰囲気ってホント最悪!
しかも文句を言おうにもやってる事はただの爪切りなんで文句も言いづらい。
ああ、まったく!俺のいるところでそう言う空気出すなって、どんだけケン兄に苦情を言ってもこのハゲちっとも聞きやしねぇ!!
憤りを逃すために二人に気がつかれないようにため息をこっそり一つ。
部屋に入ってテーブルの上に置きっぱのテレビのリモコンの電源ボタンを押す。
「ん?」とこちらに顔を向けたバカ兄貴ども改めバカ夫婦に袖をヒラヒラと振って「ロクな番組もやってないし、やっぱり俺もう寝に行くわ」と宣言した。
気分的にはミステリで良くある「殺人犯と一緒のところに居られるか!俺は部屋に帰る!!」状態である。この、一見健全な日常の風景を装った不健全空間から一刻も早く抜け出したい。
そして健全そのものな妹の寝顔に癒されたい。
「おやすみ」と二人に挨拶した後で、ちょっとした腹いせに「仲が良いのは結構だけどね、いい加減俺の前で楽しいプレイに勤しむの止めろ。おかげで知りたくもないお前らのセックスの頻度を把握させられる身にもなれ。あと、そのままここでおっ始めるなよ。気まずいからな」と去り際に言い捨ててドアを閉じる。
一拍遅れて部屋の中からなんかケン兄の痛そうな叫びが聞こえてきたけども、気にせずに可愛い妹が眠る寝室に向かって歩き出した。