【ちょぎにゃん】ねこじゃらしよく晴れた昼下がり。内番もなく午前の内に遠征も終わらせた南泉は、本丸の西側。建物内でも居住区から少し外れた一角の廊下に腰を下ろしてぼんやりと外を眺めた。
現在も第一部隊が出陣に赴いているし、二から四部隊は再編成され遠征に出ている。それに加え夜戦に備え仮眠を取っているものもいるからか、辺りはどこか静かで暖かな陽気が身体を温めているのもあって思わず欠伸が出る。
自前の枕まで持参で人が来ないこの場所まで来たのだ眠気を我慢する必要もないと、ごろりと寝転がりふと目を閉じようとした南泉の視界の先で揺れる薄茶。
本丸が存在する空間はある意味隔離された特殊なものであるらしいが、その中でも主たる審神者が設定できる季節には種類が多数ありその時期にあった木々や花々が咲くという。南泉からすれば到底理解の出来ない魔訶不思議なからくりなのだろうが、それも万全ではないらしい。
その最たるものが今南泉の目の前で揺れているものであり、畑当番を悩ませるものでもある。それを総じて言うならば雑草、だろうか。自然の摂理に逆らっているようで従っているらしく、春の花見が終わった頃から雨が降るたびにむくむくと芽を出し背を伸ばすそれの種類は多岐に渡る。
この本丸が出来てすぐの頃、短刀たちが遠征に出るたびに主への土産だと道端に咲く花や珍しい実などを持ち帰り、枯れてしまったからと庭に埋めたのも恐らく一役買っているのだろう。そしてそういった習慣はなかなか抜けないものだ。
南泉がこの本丸で人の身を持ち数年が経つが、毎年本丸内でも初めて見かける雑草というのはあり、どんどんその種類を増やしていた。。
そんな風に南泉が思考飛ばしている間も、風に揺られて右へ左へとそのふさふさした穂を動かしているそれ。もし南泉に尾があるならば獲物をしとめんとばかりにてしてしと床板を叩いているのかもしれないが生憎南泉は猫でもなければ尾も生えていない。
あれを獲物だとも思わないし、考えることは次の草取り当番は大変そうだなということくらいだ。冬場以外の時期は週一回の内番に草取り当番が設けられている。長物や太刀といった上背のある刀たちはここぞとばかりに年寄りであることを主張して腰が痛むなどと言いその当番を免除されていて、主に短刀と脇差で組まれているがそれでは負担が大きいだろうと打刀も毎回二振りほどは組み込まれている。
ちなみに免除されている長物の中でも短刀と変わらない背丈の蛍丸や真面目な性分の蜻蛉切、相棒に引っ張られて張り切る岩融などは草取りに混じっているが、蛍丸はともかく他の二振りはあの大きな体躯を丸めて草取りをする姿に見ている方が腰が痛くなるくらいだったので、鋤簾を使った草集めで大いに活躍している。
そしてそれを見た大抵の打刀も当番が当たると積極的に鋤簾を使う仕事を担おうとするし、南泉もまた例外ではなかった。
雑草というのは増えやすく抜きにくいという性質があるためかどんなに小まめに草取りをしても鼬ごっこなのだが、南泉はどちらかと言うとその性質に関心を抱いた。
人の目に付きやすく、手に取り持ち帰りたくなる見た目というのはとても合理的だと思うのだ。あるものは五虎退の虎にじゃらせようとし、あるものはこんのすけの前に出し、あるものは鳴狐のお供に見せた。まあ全て南泉自身なのだが。
短刀も手の中に握り込み出てきた様を喜んでいたし、雑草を疎んでいる主ですら懐かしいと目を細める狗尾草。そのふさふさとした見た目は犬の尾に似ているから犬っころ草、それが転じてその呼び名になったという。
ただ俗名のねこじゃらしのほうが一般的らしく、主もそう呼んでいた。犬の尾なのに猫がじゃれるのかと思ったりもしたが南泉が言うとややこしそうだったので黙っておいた。
ちなみにこういった雑学のほとんどが主が短刀たちに用意した図鑑から得ている。それも南泉が手に取り読んだわけではなく、こうして日向ぼっこをしているとどこからか図鑑片手にやってくる短刀が多いのだ。そうして大抵が始めはひとりで静かに読んでいてもいつのまにか「これが」だの「あれが」だのと文字を読んで解説し始めるのだった。
その短刀たちが読んでいた図鑑の中で見た蝦夷栗鼠の尻尾の方が似ているんじゃないかと思ったけれど、それを言った南泉の近くに座って人体図鑑を眺めていた薬研に「似たようなもんじゃねえのか?」と一蹴されたのでそれ以降口にしたことはない。
こんな調子でとりとめのないことをあれこれ考えすぎたせいだろうか。先ほどまでしっかりと感じていた眠気はすっかりと遠退いており、いつまでたっても眠りにつけそうになかった。
そしてずっと視界の先で揺れていた狗尾草の穂が寝転がる南泉の目の前に一つ現れてゆらゆらとし始めたのを見とめ、もう寝れねえなと内心独り言ちた。
「なにしてんだ、にゃ」
「惰眠を貪ろうとする大きな猫と戯れようかと思って」
気配を消すこともしなかったので背後にいるのは分かっていたが、流石に今の今まで思考の中にいたものを持っているとは思わなかったため、多少問いかける声がいつもより不遜になったのは南泉は悪くないだろう。
そもそもそんなことを気にするような繊細なやつではないのだ。庭に向けていた目線を後ろへと向けるために振り返ればそこには装備を解いた正装姿に真顔で狗尾草を持ついけ好かない恋刀がいた。
「残念ながらソイツ動物の遊び相手にならないのは証明済だぞ」
「は?」
「五虎退の虎はひと噛みだった」
「ちなみにそれは修行前の話か?」
「いや、極めになってからだな」
「なんで戯れると思ったのか聞きたいね」
「こんのすけには鼻で笑われ、鳴狐のお供は遊ぶ振りしながらノリ突っ込みしてきた」
「のりつっこみ?」
「主に言ったらいろいろ見せてくれるぜ」
くすくすと笑いながら話す南泉と違い、にこりともしない山姥切にこういうところが可愛げがねえんだよなあ、と思う。揶揄するのならそれを表情に見せればまだ面白がってるんだなと可愛く思えるのに、終始真顔なお陰で腹立たしさしか沸いて来ないのだ。
ただ、なんとなくおかしいなと思って身体を起こすと未だに狗尾草を振っている山姥切の表情を確認すれば原因は分かった。
「昨日、結局寝てねえのか?」
「聞いてくれるかい、終わったのはつい今しがただよ」
じゃあ真っ直ぐ部屋言って寝ろよ、とつい口に出そうになったがそれを言ってしまうと後々面倒なので咄嗟に口を噤んだ。
昨日の朝から事務仕事に強い面々は執務室に籠りきりになっていた。曰く、主が後回しにして溜めに溜め込んだ書類の提出日が何の因果か全て今日だったらしい。昨日の朝食時にその時揃っていた全刀剣の前で本人曰くお得意の土下座をした主は恐らく今は初期刀のお説教中だろうか。昨日の日の出ているうちには終わらず、夜食の差し入れを手伝いで運び入れた時には全員が目が据わっていたがあのまま徹夜どころかまもなく八つ時を迎えるであろう時間まで戦う羽目になったらしい。
南泉の感じ取った違和感はいうなれば覇気のなさ、だろうか。普段は真顔でもその目の奥にしっかりと覇気があるのに今はそれがなく、南泉に絡んできたのも特に理由はないのだろう。
それでも目に付いた狗尾草を摘んで隠れるように一目つかない場所にいる南泉の元へ来るとは、なかなかに可愛げがあっていいんじゃないだろうか。またなにか面倒臭い絡み方をしてきた時にはこれを使って撃退してやろうと思いながら、目の前に揺れる穂を潰さないように掴み抜き取ると、空いた手を掴んで自分の方へ引き寄せる。
南泉が動くとは思わなかったらしい。「うわ」という小さな悲鳴と共に簡単に体勢を崩した山姥切をそのまま廊下へと寝転がらせる。優しいので南泉が持って来ていた枕にきちんと頭が乗るようにしてやったから特にどこかをぶつけたような音も上がらなかった。
「ちょっと!猫殺しくん!?」
「うるせえ、人がちょっと引っ張ったくらいですぐによろける化け物切りはさっさと寝てろ、にゃ」
「寝ろったってこんなひとがいつ来るか分からないところで……」
「もうすぐ八つ時だから、みんなウロウロしなくなるだろ。しかもここはこれから西日が当たって暑くなるから誰も喜んで近付いて来ねえよ」
「じゃあ寝るのには不向きなんじゃないか」
「うるせえ、いいから寝ろ!」
山姥切の顔がちょうど影になる様に廊下に腰掛け、先ほどまで南泉の目の前で揺れていたそれを目の前で振ってやる。
「俺にはじゃれる習性はないんだけど」
「俺にもねえにゃ。じゃなくて、ほらあるだろ。あなたは段々眠くなる―ってやつ」
「……催眠術にしては大分雑じゃないかい?」
「こんなものは雰囲気だろ、にゃ。ほらあなたはどんどん眠くなるー」
「どんどんなのかい?」
南泉の棒読み具合もあってかようやくその一般的には綺麗だと評されるのだろう容貌を崩し、クスクスと笑った山姥切はしばらくそうしていたかと思うといつの間にか寝息を小さく立て始めた。
「……ったく、こんなになるまで起きてないでさっさと寝ろよな」
半分外のような廊下の端で、誰が来るかも分からない状態で素直……ではなかったがそれでも大した抵抗もなく寝転がっただけで十分分かっていたことだが、すぐに寝付いたなんてよっぽど昨日の徹夜が効いていたのだろう。
これはしばらく起きないだろうな、と思うものの日よけを買って出てしまったため同じように横になることも出来ず、片膝を立ててそこに顎を乗せた体勢で軽く目を閉じた。片手は柔らかな銀糸を撫で、時折吹く心地よい風にこのままだと風邪を引いてしまうかもしれないなと思いつつも、もう目が開くことはなかった。
余談ではあるが、次に南泉が目が覚めた時にはやわらかな掛布を被っていた。それを被せたついでにふたりが寝入る姿を写真に撮ったと楽し気に笑う初期刀の声に流石に寝ていられなかったのか、南泉より少し遅れて目を覚ました山姥切は初期刀の姿に何かを察したのだろう、執拗にこちらに絡んできた。寝起きなのに元気だにゃあと呆れて笑う南泉にいつまでもその絡みに付き合う理由もなく、早くも出番となった疲れていながらも南泉を探していたという隠し玉を使って撃退してやったのだった。