【展示①】嫌よ嫌よという呪い他所の審神者に呪をかけられた特付きすぐの初にゃんと接触禁止令の出たカンストちょぎの話。書き始めから時間が経っているのがよくわかる春設定。
注意・ネームレス性別不明主が喋る
・まんばもよく喋る
・他の刀剣も少し出てくる
「嫌よ嫌よという呪い」
資材を蔵に閉まったあと、湯浴みに行くもの、腹が減ったと厨を覗きに行くもの、道中に買い求めた土産を仲の良い刀に渡しに行くものと、先に部隊長が主への報告に行ったこともあり特に解散の合図もなくそれぞれが散っていく中、長義も自室へと足を進める。
長義の暮らす本丸では特に希望がなければ、刀剣たちには個室が与えられる。そう広さはないが個人的な空間を望むものには有り難がられているし、兄弟刀や見知ったものとの同室も望めば少し広めの部屋を与えられるので、刀剣たちからも文句は上がらないし主も部屋割りに悩まなくて済むからと零していたのを聞いている。
そんな一振り用の個室ばかりが並ぶ棟の一室、自室に入ると長義自身である刀本体を刀掛けに置き、装備を順に外していく。内番着に着替えたいところではあるが、もうそんなに間を開けずに夕餉となるだろう。そのあとは湯浴みをして眠るだけなので今更汚れ物を増やすこともないだろうと、出来る限り身軽になりシャツの釦を二つばかし外すに止めておいた。
暦が弥生に変わり数日。暖かな日だまりに照らされる日が増えたとはいえ、未だに朝晩の冷えは厳しく日も長いとは言えない。洗濯物が乾かないと当番が嘆くことも大分減ったが、洗い物は少ない方がいいだろう。
そんなことを考えながら一息つくと、この本丸の中で恐らく誰よりもひだまりを待っていたであろう恋刀のことが頭に浮かぶ。朝一番の時刻から出陣していた南泉と、近侍室に入り浸っているのが知られて、事務仕事の根を詰め過ぎであると強制的に散歩と称して遠征に出された長義は、朝餉の時に顔を合わせたきりであった。
今は酉正の刻で、まだ少しくらいならゆっくりする時間はあるだろう。特に土産もなかったけれど、一面黄色の菜の花畑の土産話くらいは出来るから顔を出すか、と自室を出て五つ隣の南泉の部屋へと向かう。
明かりが点いているのが見えたので在室かと障子戸に手を伸ばそうとした時、その手を遮るように小豆色の袖を纏った腕が現れた。
「……一体、何の用かな」
自分でも思ったよりも棘のある声が出たとは思うけれど、恋刀の部屋を訪れようとしているのを遮ったのだ、こいつもそれくらいの覚悟はあってのことだろう。逆を言うならば。国広が何の理由もなしに止めるなんてことないはずで。ならば、何かがあったことになる。
「本歌は今日は立ち入り禁止だ」
「偽物くんが何の権限があっての台詞なのかな」
「写しは偽物ではない。南泉からの要望による主命令だから、俺に凄んでも無駄だぞ」
「南泉からの要望……?喧嘩をした覚えはないんだけどね」
「あ!やっぱり来てる!今日は山姥切は南泉の部屋は立ち入り禁止!」
バタバタと廊下を走る足音が聞こえ、それと同時に凛とした声を響かせて、主である審神者が先ほどの国広の言葉と同じものを叫びながら近付いてくる。髪を振り乱す様はどこかの文化名刀やどこかの祖に見つかれば小言の一つや二つ言われるのだろうが、長義はその乱れた髪をそっと直すに止めておいた。
「それは今聞いたけれど、理由も聞かずに納得することは出来ないんだけどね」
「とにかく、明日には解除するから今日一晩は入室禁止」
真っ直ぐと向き直った長義に対し、一切の説明もなく禁止で通す気らしい主にそのまま聞いても駄目ならば手段を変えるかと、一呼吸置く。
「ふむ……主も説明してくれないのか。喧嘩もしていないし、発情期の時期でもないと思うんだけどね」
「発情期……?え、南泉そんなのあるの!?主聞いてないけど!」
少し声を張り上げて言葉を紡いだ長義に対し、それを上回るほどの声で期待通りの反応をしてくれた主の言葉のあと、意識を室内へと集中させる。
「……」
「何とか言って?!」
衣擦れの音が多少聞こえるものの、何か反論が返ってくる様子もなければ本刀が出てくることももちろんなく。そうしたかったわけではないが、集中していたせいで結果的に無視する形になってしまった主へと口を開く。
「主、猫殺しくんの部屋に外の音が聞こえないような細工は?」
「え、してないけど」
「……本歌、南泉の動揺を誘って呼び出すような真似は良くないと思うぞ」
自身の目論見を写しに読まれているのは腹立たしいことこの上ないが、この主曰く脳筋である国広にしてはやけに感が冴えているなと、素直に褒める言葉が口から零れる。
「お前にそこまで読まれるとは腹立たしいけれど、優を上げよう。主、これだけ部屋の前で騒いでも中から物音一つしない。緊急事態として様子を見に入るべきではないかな」
「もしそうだとしても山姥切は入れません。……でもそうだな、理由も言わずに聞き入れて、は流石に一方的過ぎるかな。ここじゃ話せないから執務室行こう」
番である長義からすれば至極まともな申し出であるはずだが、主の毅然とした態度は崩れることはなく。けれども、一応理由を話してくれることになったのでこれが最大限の譲歩なのだろうと落としどころを決めて一つ頷くと、踵を返した主の戸を追う。
途中ちらりと後ろを振り返ったが、固く閉じられた障子戸は揺らぎもせず。まるで天岩戸だと、自身の来歴よりもうんと古い伝承を思い返した。
「本当に話していいのか?」
執務室に着くと当然のようについてきた国広が改めて確認するように主にそう尋ねるのを、いらないことを言うなと目線で訴えたものの脳筋が気付くはずもなく。さっきの勘の良さはどこにいったのだと、内心重い息を吐いた。
主の執務室には本日の近侍殿の姿はすでになく、それでも明かりが点されたままなことを鑑みると部隊長殿の報告を聞いてすぐ飛び出してきたのだろう。一応仕事は終わっているのか書類が散らかっている様子はなく、まあ及第点かなと主が腰を下ろしたのを見て机を挟んで向かいに座る。国広は特に遠慮する様子もなく長義の隣に腰を下ろしたので、これみよがしに距離を取っておいた。
「残念ながら南泉から会いたくないとは言われてるけど、話すなとは口止めされてないからさあ。そして素直に山姥切のピリピリした空気が怖い」
「アンタ何を言ってるんだ、本歌の殺気はこんなもんじゃないぞ」
「残念ながら主は刀剣男士の殺気を受ける訓練をしてないんだよ。あとなんで国広が嬉しそうにしてんの」
意図して圧力をかけたつもりは毛頭ないけれど、流石にこちら側の体感では長時間本丸を離れていて任務から帰ったら恋刀がまさかの籠城。しかも長義以外の刀は入室は出来るようで、長義だけが締め出し。その理由も聞かせて貰えないとなれば、流石に内心穏やかではいられないのも事実であった。それはさておき、話そうという気になっているうちに聞いておこうと話を聞き出すために口を開く。
「さて、事の発端はなにかな」
主の説明はこうだった。
朝の出陣が終わった南泉は今日は他に当番などもなく、暇を持て余して縁側で休んでいたらしい。それを見つけた主が昼餉の後に一件の使いを頼み、一振りで万事屋に出掛けて行った。そしていくら経っても使いの荷物を持って南泉が来ないことに訝しみ、ちょっと遅いなと思っていたところで政府の担当職員から連絡が入った。
いわく、万事屋街の片隅で客同士の諍いがありその中心にうちの南泉がいたと。ただし問題を起こしたのではなく、ある審神者に絡まれていて他の審神者や刀たちが助けに入ったところを通報を受けた政府のものが保護したらしかった。
「……絡まれた、というのはどういうことかな」
「ひっ……、山姥切、あの主に殺気を向けないで……?」
「本歌の本気はこんなもんじゃないぞ」
「だから国広は何でそんなに嬉しそうなの?!」
ドンっ、と地響きのような音が一つ部屋に響き、話していた主が一瞬体を震わせる。音の元凶は長義が畳に落とした握りこぶしであり、床を叩いたままの状態で口角を上げて無言で先を促せば、ぶんぶんと音が鳴りそうなほど頷いた主がまた説明を始める。
「主も政府の人から説明を受けただけで、詳しいことはまだ分かっていないということを理解してね……?呪を、かけられたんだって聞いてる」
「呪」
「相手はもう確保されて政府で取り調べ受けてるし、南泉も解けるならそれでいいって言って解決済なので、お願いだからその絶対零度のオーラ止めて!」
「それで」
「ええと、自分が呼ばれた時には南泉を保護してくれた現場に居合わせた中で一番のベテランの人だけが残ってて、話を聞いたんだけど」
「ああ」
「まあ呪いと言っても命や本体に関わる話じゃなくて、ちょっとした催眠にかかるみたいなものだったんだよ。ただまあ、かなり拗らせた関係性オタクが変に力を持っていたって言うのが問題というか」
主に圧力をかけるつもりはもちろんないけれど、この状況を早く理解したいという思いに違いはないし、呪をかけたというどこぞの審神者にもそこの刀剣男士にも、被害者であれど人の子にそんなものをかけさせる隙を与えた南泉にも腹は立てているし、それを隠すつもりもないのでそれを受ける主には申し訳ないなという気持ちがないわけではないけれど。
その何かしらを感じ取り、やたらと早口で説明された内容は前半で安心してもいいのかという思いがちらりと過ぎったものの、後半で台無しにされた気分ではある。
現代を生きてきた主の言葉に理解が追い付かないことは割とあるものの、今回ばかりは出来る限り長義の理解の及ぶ範疇の言葉で話して欲しいと思ってしまう。もちろん今それを口にするとこの主は余計に動揺するだろうから言わないけれど。
「……その呪いの内容は?」
「本心と反対のことしか言えなくなる呪い。それも主に対人関係かな。別にお腹減っててもお腹減ってないとは言わないし、お昼寝なんてしたくないとも言わない」
「つまり?」
「乱に女みたいで可愛くないって言って、五虎退の虎にうっとおしいって言った時点で南泉が自ら部屋に引き籠った」
喋らないという手段を本刃が取れないのならば、自白剤のようなものも呪いの中には含まれているのかもしれない。主の口ぶりだと情報漏洩を狙った遡行軍のスパイだとかそういった深刻なことではないようだが、練度がそう高くないとは言え刀剣男士が見知らぬ審神者にかけられてしまう容易い呪いでここまでの効果が出るということは、もっと警戒すべきではないだろうか。
そんな風に考えていても、頭を過ぎるのはきっと言われた側よりも傷付いた表情をする恋刀の姿で、優しく慰めるなんて柄ではないけれど長義ならばどんな暴言を吐いたところで笑って流してやるのに、なんてそれこそ柄にもないことを考えてしまう。
「……ああ、なるほどね。でもみんなはそれを理解しているのだろう?南泉の気持ち的に申し訳ないだとかそういったことはあるだろうけど、引き籠もるほどのことではないのでは?」
「まあ理解しているからって傷付かないわけじゃないし、本心じゃない言葉とは言え自分の口から出たもので相手を傷つけてるんだから、極力誰にも会いたくないって気持ちも分かるかなって」
「それでも他の刀は入室禁止じゃないんだろう?なんで俺は駄目なんだ」
「極力行かないようにはお達ししてるけど、食事とおやつ運んでもらったりで普通に入ってるよ。山姥切は南泉が〝山姥切には絶対にどうしても会いたい〟って言うから」
「……反対か」
「本音を言いたくないとかそういうことなのかなって勝手に思ってたけど。……主が口出しすることではないんだろうけど、上手くいってる?喧嘩してない?」
「主に心配をかけるようなことは何もないよ。……南泉の一方的な要求を呑む理由は俺にはないんだけれど、主の命になるんだったかな」
「そうだね。他の刀も一緒に行かせればよかったのに、南泉一振りで行かせた責任があるから。治るまでの短い間だし聞いてあげたいと思ってる。だから申し訳ないけど、山姥切には国広をつけるよ」
「申し訳ないと思うなら、せめて別の刀にして欲しいところなんだけどね」
「駄目だよ、山姥切口が上手いから他の刀だと懐柔しちゃうでしょ。そういう意味での心配は国広にはないから」
「これ以上にはない適役だね。……わかったとりあえず引き下がるよ」
「とりあえずなんだね……」
「南泉の具合は本当に問題ないんだね?必ず明日には戻る?」
「それは保証するって政府に言われたよ」
「ならひとまずは分かったよ」
「ひとまずなんだ……」
「このままもう少し駄々を捏ねてもいいのだけれど?」
「何もないです。お疲れ様、下がっていいよ」
執務室を出た長義は、当然のように後をついてくる国広に気にも留めずに粟田口の刀たちが使っている大広間へと足を向けた。始めに全振りが個室を貰える本丸内に置いて例外である筆頭が粟田口で、太刀である一期一振や打刀の鳴狐、脇差である鯰尾や骨喰は一応個室も貰っているようだが、大抵は短刀たちとともに大きな広間で過ごしているし眠るのも同じ部屋だと聞いている。
だからそこにいけば会えるだろうと思ったし、本刃はおらずとも場所を聞いたりは出来るだろうという判断だったがそれは杞憂に終わりそうだった。廊下を歩いていた長義は障子戸の開かれたその室内にいる乱と五虎退の姿を見つけることが出来たし、さして足音をさせたつもりもないがこちらに気付いた二振りは慌てたようにこちらへと駆けてきたのだった。
「山姥切さん!」
「やあ、うちのドラ猫が粗相をしたと聞いてね。……明日以降本刃も来るだろうけれど、俺からも謝らせて欲しい。申し訳なかったね」
修行を終え特付き個体よりも華やかな装備の乱と、修行前で五匹の小虎を連れている五虎退。どちらも長義の言葉は予想していなかったのだろう。一瞬固まったのち、ぶるぶると首を振って否定をするのは乱の方が一瞬早かったように思えた。
「あ、あの!ぼく、南泉さんが悪いと思ってない、ですし、山姥切さんが謝るようなこと……!」
九十度のお辞儀をした長義に焦ったのだろう上擦った声で否定する五虎退の声があまりにも必死で、流石に可哀想になり頭を上げると不安げにこちらを見やる五虎退のその柔らかい髪をくしゃりと混ぜた。
「どんな呪いがかかってるかも知ってたけど、それでも見た目にはいつもと何も変わらなかったんだよ。だからこそ覚悟してたよりもくらっちゃって……。でも、ボクより南泉さんの方が辛そうな顔してた。だからボクももちろん怒ってないし、どうしたって南泉さんを悪くなんて思えないよ」
南泉がどんな状態だったかまで話して、悪くないと否定してくれる乱の綺麗に編み込まれた髪を崩さないようにゆっくりと撫でる。
「話す言葉以外、南泉にいつもと違うところはなかったのかな?」
「虎くんたちを撫でる手はいつもの南泉さんでした!しゃがみ込んで目を合わせて顎の下を撫でながら……あの言葉を。だから、あの、始めは理解が出来なかったんですけど、南泉さんのお顔が先に歪んで、それを見て、空耳じゃなかったんだなって」
そう言う五虎退の足元をぐるぐると回る小虎のうちの一匹を抱え上げて撫でると、喉をグルグルと鳴らす。心配はしていなかったけれど、物理的にこの小虎たちを傷つけることはなかったらしく、ホッと小さく息を吐く。
「ねえ、南泉さんって今どうしているの?」
乱の空色の瞳が真っ直ぐと長義へと向かってくる。素直な質問であろう。あんなことを言われたのに、先ほどの本刃の談らしく本当に怒っていないだけでなく南泉の心配までしてくれる心優しい刀に、聞かせてあげるべき言葉を長義は持っていなかった。
「本歌は南泉に会えてないぞ」
なんて答えようかと一瞬悩んだ隙に、長義の斜め後ろから言葉が飛んでくる。
「発言を許可した覚えはないんだけどね」
「黙っていろとも言わなかっただろう」
正論ではあるが本当に可愛げのない言葉を吐く国広に文句を言おうと口を開く前に、目の前の二振りから「え?!」という声が発せられる。
「なんで?南泉さんが部屋に籠っちゃったから?」
「南泉さんのところに行かないんですか……?」
「……俺に凄く会いたい、と言っているらしくてね。主が今回のことは南泉一振りで行かせた自分にも責があるからと、南泉の主張を尊重する方針らしいよ」
「すごく会いたい……あ」
「主さんが味方についちゃったら勝てないか~」
長義の言葉を理解したように小さく声を上げた五虎退と、早々に理解したとばかりに笑う乱に「明日一緒に恨み言を言おうか」と誘えば、すげなく断られてしまい何故か「山姥切さん、元気出してね」と慰めの言葉を貰った。重ねての詫びは二振りに失礼だろうと気遣いへのお礼を言うと、少し離れたところで様子を伺っていた一期一振の方へと足を向ける。
「一期一振殿」
「ああ、山姥切殿。弟たちへのお気遣いありがとうございます」
「彼らにも言ったけれど、明日以降南泉本刃が謝りに来ると思うが先に俺からも謝らせて欲しい。弟君を傷付ける発言、本当に申し訳なかった」
にこやかに笑って出迎えてくれた一期一振に向かい、そう述べながら真っ直ぐに頭を下げると「頭を上げてください」という落ち着いた声が頭上に落ちてきた。
「あの通り弟たちは今はケロッとしておりますし、本心があの言葉の正反対側にあるのは政府公認。私が何かを言える立場ではないですし、明日南泉殿にもそう伝えるつもりですよ」
「そう言って貰えると助かるよ」
「ふふ」
「うん?」
長義の言葉に小さく笑う一期一振に目線で問えば、「恋人というよりはまるで親のようですな」と少しと長義には不本意な言葉が返ってくる。
「あんな手のかかる子供を持った覚えはないのだけれどね」
夕食時、山盛りのご飯を掻き込む国広を呆れた目で見つつ気に掛けて声を掛けてくれる面々に言葉を返す。夕食を運んでくれたという祖が「体調は変わりないんだろうけど精神的に少し辛そうでね。特に何も話してないんだ」と教えてくれた以外は、南泉の様子を知るものはいないようだった。
目の前の並べられた自身の皿をいつもよりいくぶんか早い時間で空にすると、おかわりをした茶碗を持つ国広を横目に席を立つ。
「本歌、俺がまだ食べている」
「それを言うなら俺はもう食べ終わったんだけどね?時は金なり。無駄に過ごす気はないから先に行くよ」
「南泉のところには」
「行かないよ、主命なんだろう」
まあ今なら南泉のところに行けるだろうなと思ったのは図星であるが。恐らく今では意味がないし、警戒されて今から遠征や出陣に出されては元も子もない。ならば国広に言った通りに時間は有効に使おうと、先に湯浴みを済ませるために食器を下げると着替えを取りに自室へと向かった。
長義と入れ替わる様に湯浴みに来た国広が、布団を抱えて長義の部屋に来たのは亥初の頃だった。
「何だ、その荷物」
「俺の布団だ、……狭いな」
「文句があるなら出て行けばいいんじゃないかな」
薄々気付いていたとはいえ、本当にここまでするのかとうんざりしたのを隠さずに告げても国広にその心が伝わるはずもなく。いやまあ流石に気付いていないわけではないのだろうけど、気にした様子は微塵も見えない。
「夜が一番危険だろうって主が言うから、出て行くわけにはいかない。本歌、もう少し詰めてくれ」
「俺が危険人物に認定されている気がするけれど気のせいかな?そもそも見張りが布団で眠ってどうするんだ」
「……問題ない」
「俺には大いにあるんだよ」
個室は全てそう広くなく、特に物を置いていない長義の部屋とて流石に布団を二枚横に並べることは出来るが、圧迫感というかあまりにも隣り合っている感が強い。この状態で一晩眠るのかと思うとどうにも頭が痛い。
布団を敷くとその上に座り込み静かに佇む国広をよそに、黙々と普段通り就寝の準備を終えると早々に明かりを落として布団に入った。仕事をしに行っても追い返されるだろうし、読書をしたり酒を飲む気分でもない。国広と雑談をして時間を潰すのなんてもっぱら御免であったし、ならば睡眠を取るのが一番効率的な時間の使い方だろう。
と言っても普段ならば寝るにはどうにも早い時刻である。すぐに睡魔がくるはずもなく、ぼんやりと天井を眺めていれば隣から「本歌」と控えめに呼ばれる。電気を消したことに文句は言われなかったが寝息が聞こえてこなかったのでまだ起きているだろうとは思ったが、こいつは一体何を話すつもりなのか。
話題など一つしかないことを分かっていて、返事を返すことはしなかった。が、そんなことお構いなしにとでも言うように国広は言葉を止めない。
「南泉が心配か?」
「……様子を、見に行きたいんじゃないかと思って」
「本歌が行くことを容認は出来ないが、俺が様子を見て来ることくらいは出来るから」
「どう、かと思ったんだが……余計なお世話だった、忘れてくれ」
「……」
本当に大きなお世話だ。俺が、じゃあ見に行って来てくれと、様子を教えて欲しいと答えると本気で思ったのだろうか。心配か?当たり前だろう。こざっぱりしているようで周りをよく見る、機微に聡い刀だ。今日の自分の発言で、仲間をどれだけ傷つけたのかと怯え悩んでいるだろう。他所の審神者に呪をかけられたことを、そんな隙を見せたことを悔いているだろう。自暴自棄になっているかもしれない。
そんな風に考えてしまうと、柄にもなく居ても立っても居られない心地になる。心無い言葉を浴びせて傷つけたという体験を南泉にさらに強いることになっても、一振りきりにするんじゃなくて隣に寄り添ってやりたかった。
そんなことを自分の写しに話せるはずもなく――写しじゃなくとも誰にも言いたくなかったが。長義は沈黙を貫き、ぼんやりと眺めていた天井を遮断するように瞼を閉じた。
ふと意識が浮上をする心地に、閉じていた瞼をゆっくりと開いた。きちんと眠れていたのだろう。再び眠りにつこうとすることもなくしっかりと覚醒した意識に、身を休ませることが出来たことを自覚する。けれど枕元の時計を確認すれば、一刻ほどしか経っておらずまだまだ夜は長いことを知らされる。
隣にいる国広から上がる寝息を確認して身体を起こすと、そっと布団から立ち上がる。起きる気配はないが一応「厠に行ってくる」とだけ声を掛けて自室を出た。日が変わった本丸内は真っ暗で静まり返っている。日によっては酒飲みどもがまだ起きている時もあるが、流石に今晩は皆そんな気分ではなかったらしい。都合がいい、と思う反面読まれているのだろうなと苦く笑う。
有言実行、厠で用を足すと自室を通り越して目的の部屋の前へと足を向けた。屁理屈ではあるが、主の言っていた〝今日〟はすでに終わっている。一晩と言われたような気もするが、はっきりと覚えていないし国広も主も口を酸っぱくして言っていたのは〝今日〟だった。ならばこれは命令違反ではないと内心主張しておくが、朝になったらきちんと自己申告した上で主が罰を与えると言うならば、それは甘んじて受け入れるつもりだ。
別に南泉が眠れているなら、それでいいのだ。大人しく引き返すし、もう一度布団に潜り込み無理矢理にでも眠るとする。ただ、もしも眠れないままこの長い夜を過ごしているならば。どんなに南泉が会いたい(あいたくない)と言っていても、それを主が尊重すると宣言していても、大人しく守るつもりは毛頭なかった。
気配を消し、足音を消し、影が入らないように気を付けながら南泉の部屋の前で様子を伺えば、中で動く気配がする。静かではあるし、神経を集中しなければ気付かない程度の気配の揺れではあるが寝返りだとかそういうものとは違うだろうという確信があった。
「南泉」
シンとした空気を裂くように、名前を呼ぶが中の気配が止まった以外変化はなく、もちろん返事もない。まあ、大人しく顔を出すはずがないと覚悟していたので特に驚きもない。天岩戸を開く呪文は用意していないけれど、なんとかなるだろう。意地っ張りを素直にする方法ならいくらか学んでいる。
「いつも威勢よく噛み付いて来るのに、今更何を怯えることがあるんだ?言葉一つで傷付くほど君には俺がそんなに軟に見えているのかな。だとしたらすごく心外なんだけどね」
自分にしては珍しいほど甘い響きが音となり空気を震わせる。特に意図したわけではなかった。剣呑にならないように気を付けたが、告げた言葉も嘘偽りははなく本心である。ならば繕う必要もないだろうと思っていたため、それが存外甘くなったということはそれもまた長義の本質なのだろう。
しばらくの沈黙の後、静かにほんの少しだけ開かれた障子戸に、南泉の葛藤が見えた。強引に突破すべきか、始めに主に零したという南泉の意思を尊重すべきか。そんなものを気にする余裕など、今の長義にはなかった。頑なに閉じられていた戸が少しでも開いた。その隙をつかねば、今後また機会があるかなど分からないのだ。これ以上一振りで悩ませるかと、隙間に手をねじ込むとそのまま大きく横に開いた。
反射的に戸を締められて手を挟むかもしれないと考えもしたけれど、それは杞憂だったらしい。長義が戸を開くのとほぼ同時に部屋の隅に逃げる南泉の背が見えた。そしてそのまま座り込み膝を抱える南泉の隣に腰を下ろせば、今度は逃げる素振りは見せなかった。
こちらの行動に対し本刃の意思はともかく何か言葉を投げられるかと思ったが、沈黙を保たれたままで。ならばこちらから言いたいことは言ってしまおうと口を開く。
「食事は食べたのか?」
食事を運んだという祖の話は聞けたけれど、下げた誰かの話は聞けなかったので気になっていたことを口にすれば、頭が上下に小さく動いた。その後何の反応も見せないところを見ると、どうやら行動までは反転しないらしい。ならば食事はきちんととれたのだろう。
「眠れない?」
この質問にも、また小さく縦に頭が動いた。呪を受けた関係で目が冴えてしまっているのか、なにかしらの不安から眠りにつけないのか、一度眠ったが魘されて眠れなくなったのか。理由は定かではないが、あの南泉が眠れないとなると重症度が酷いように思えてしまう。
意味が反転すると分かっているので、何かしら言葉にしてくれれば理由や対処法が分かるのにと思うが南泉は一言も発しようとはせず。それどころか、長義が部屋に入ってから顔を上げる事すらせずに顔は膝に埋められている。そしてその顔を隠すように頭に回された手が、白くなるほど握りしめられているのに気付き、その手を解くように自分の手を重ねた。恐らくこれは何か発しそうな言葉を必死に抑え込もうとしているのだろうが、それが本当に正しい事なのか疑問が過ぎる。
そして、今の南泉にはかなり酷なことだと理解をしながらも、本刃が気付いていないのならば忠告しておくべきだろうと自分の考えを口にする。
「呪には逆らわない方がいいんじゃないか」
自分の言葉でひとを傷つけるのが嫌だと部屋に閉じこもった南泉に対し、どんな言葉を言うか分からずとも我慢するなというのは自ら傷つけにいけと言っているようなものだ。それでも、呪というのは今の南泉の魂に巻き付いている鎖のようなものだと考えるべきだろう。縛り付けるように巻き付いているそれに無暗に抵抗しない方が南泉の身になることは明白である。
それを口にし、南泉に実行させるのは長義にとっても賭けであった。今耐えているのを止めれば、南泉は長義に対して何らかの言葉を発するだろう。それは乱や五虎退の虎に向けられた言葉のように、鋭い刃となって長義に刺さるかもしれない。乱も言っていたようにその言葉は本来の意味から反転していると分かっていても、受け取る側としてはどうしたって何らかの衝撃を受けてしまうだろう。
ただそうなった時、長義は絶対に態度にも表情にも出してはいけないのだ。それをほんの欠片でも表に出してしまえば、いつも以上にひとの機微に敏感になっているであろう南泉に気付かれてしまうだろう。そしてそれは心無い言葉でひとを傷つけたと落ち込む南泉に、もっと鋭い刃となって襲い掛かってしまうのだ。それはもう誰も傷つけたくないとこうして一振りで耐えることを選んだ南泉に対し、強引に押し入った以上、絶対にしてはいけないことであった。
なかなかに厳しい試練であることを自覚し、それでも南泉の言葉を受ける覚悟を決めた長義のことを南泉は気付いているのだろうか。一緒に戦う気で来たのだと、伝えることはしないけれど一振りで耐えないといけないと思い続けるのはやめにして欲しかった。
そう思い口にした「俺には別に取り繕う必要はないだろう」という言葉がきっかけのように、ゆるゆると顔を上げると堰を切って南泉の口から零れ落ちる台詞は、少し長義の予想から外れていて、違う意味で長義に衝撃を与えた。
「会いたくなかったにゃ」(会いたかった)
「何で来たんだよ」(来てくれてよかった)
「一振りでいたかったのに」(一振りは嫌だった)
「何でよりによってお前なんだにゃ」(長義が良かった)
どんな言葉を言うのだろうと思っていたら、それは全て普段からよく聞く憎まれ口であった。けれど今は意味が反転していて、その言葉の本質は違うのだ。それをきちんと理解し言葉の意味を飲み込めば、長義に対して素直じゃないあの南泉が盛大に愛を叫んでいるということに気付いた。
南泉自身自分が何を言うのか分からない不安からか、自身の口から零れる言葉を認められないからか、自分でも意味を理解し羞恥が勝ったのか、止めどなく溢れる言葉と同じようにポロポロと涙を零していた。そして長義はその南泉の瞳から零れる粒を、一粒も取りこぼさないように、顔を近付けてぺろりと舐め取った。
「お、おまえ何やってんだこの馬鹿!」
長義の行動に動揺した南泉が時間も忘れて大声でそう叫ぶ。元気があって何よりだ、なんて考えてから長義は今の南泉の言葉を反芻する。黙り込んだ南泉と共に二人して静かな空間で考えたことは同じだったのだろう。
放心したように数度ぱくぱくと口を開け示した南泉が「も、戻ってる、にゃ…」と心底安心したように笑って、長義は脱力した身体を抱き締めるとその頭をグリグリと強く撫でた。
少し南泉が落ち着くのを待っていくつか質問を投げかけ、解呪されたことを確認すると南泉のことだから眠たいと言い出すのかと思えば、まだ眠たくないという何とも可愛らしいお誘いに、酒という気分でもないかと厨でひっそりとお茶を淹れて南泉の部屋に戻った。
ずっと真っ暗な中にいたしお互いに夜目も効くため、今更電気を点ける必要もないかと一応ろうそくに火を灯し机の上に置く。
「さて、もう終わった事なんだし、何で俺にだけ接近禁止令が出たのか教えてもらえるよね?」
湯呑に口をつけ一口だけ呷ると机の上へと戻し、そう隣に座る南泉に問えば心底嫌そうな顔を隠すことなく項垂れた。
「もう終わった事なんだから水に流せよ……」
「遠征から戻った俺の出鼻を挫いた報いだよ」
「……例え呪でも、お前に嫌いって言うのが嫌だったんだよ。反対の言葉になるって言っても、そもそも言うつもりもない言葉が口から出るから、自分が何を言うのか自分でも予想つかなかったしな。それに嫌い嫌い(すきすき)思ってるって思われたくもなかったから。会わないのがちょうどいいと思ったんだよ」
珍しく素直だね、という言葉を飲み込んだせいか、散々心配をかけておいて、そんな理由か。とつい口から零れそうになったのを何とか食い止めた。南泉が素直に話してくれているのは長義に対して後ろめたいという気持ちもあるのだろうが、溜め込んでいた不安を吐き出したいという思いもあるのだろう。
それを遮ってしまえば、二度と南泉の口から今回に関しての感情や弱音は出て来なくなってしまうはずで。それだけは避けねばならないと思えば、揶揄も煽りも抑えることが出来た。
ただ口に出そうになった言葉は丸っと長義の本心でもあった。特にそんな理由なのかという思いはどうしたって消えなかった。南泉の矜持と言われればそれまでであるが、遠征から帰還して南泉のことを知らされてから先ほど顔を見るまで心配していたことを考えれば、それくらいのこと可愛い暴言だと流せるのに。
普段からきちんと好きだと思っているのだと知れば多少揶揄ったかもしれないが、南泉とて一人で耐えるあの時間を思えばそれくらいと流せただろうに。けれど、それを流せないのもまた南泉であってそんな彼を好いているのだ。小言は言えても責めることは出来そうになかった。ただ、小言は言えるので説教もまた出来るしそれだけは譲れなかった。そのためには真相を本刃の口から聞くべきなのだ。
「そもそもなんでそんなものにひっかかったのかな」
南泉の苦い顔は戻らないまま、それでもきちんと話す気はあるらしく大した抵抗もなく口を開く。
「普通に護衛とはぐれた審神者だと思ったんだよ」
「それで?」
「なんかきょろきょろしてっから、何か探し物か?って声掛けて。あ、ちゃんと距離取ったぞ」
「ほう」
「そしたら何か言うんだけど、声が小さくて聴こえねえから」
「ふむ」
「近付いて、札貼られて」
「うん、馬鹿かなお前は」
「…睨むんじゃねえ、にゃ!反省はしてるって言ったろ?!」
「聞いたかな?覚えていないけれど、ひとまず今はどうやって危機感を覚えさせようか悩んでいるよ」
「もう覚えたにゃ!護衛のいない審神者には近付かねえし、護衛のいる審神者は放っておく!」
「まあ、あとは朝になったら各所でお説教されればいいよ。初期刀殿、近侍殿、物吉か鯰尾……両方かな?後藤も言うだろうしね。一文字はいなくとも君の保護者はたくさんいる。そこに順番に叱られれば君も流石に懲りるだろう?」
「う、……まあ全面的に俺が悪いからしかたねえな。乱と五虎退のとこにも行かねえと」
「間違えるんじゃないよ」
「ん?」
「君が反省すべきなのは知らない人について行ったこと」
「ガキみてえに言うな。ついてってはねえにゃ」
「あとは本心の反対が暴言になると想像をしなかったことだ」
「……」
「それ以外は謝罪する必要はないし、彼らも受け取ってはくれないだろうさ」
「…ん」
「あ。あと俺を入室禁止にしたこと」
「やっぱ根に持ってんな?!お前!」
「持つよ。俺はお前の恋人だよ?どんな暴言吐いても俺だけはいい、大丈夫だって思われなかったのは流石に堪えるよ」
「…山姥切」
「まあ、何はともあれ怪我がなくて、一生残る呪じゃなくて本当によかった」
「ん」
「まあそうなってたら、相手の審神者はいま頭と胴体が離れてるだろうけど」
「お前結構怒ってる?」
「当たり前だろう」
生きた心地がしなかっただなんて、そんな感情自分が持つとは思わなかった。刀の時から一緒にいた相手を、今更失くすかもしれないと思うなんて。あれだけは体験したものではないと理解出来ないだろう。
そもそもそんなこと言うつもりは毛頭ないが。
「君にも怒っているからね。まあ、埋め合わせは今度でいいよ。今日は少し休もう」
「いいけどお前部屋に戻らなくていいのか?主が国広を見張りにつけるから!って言ってたけど」
「見張りに来て眠りこけるような偽物くんは知らないよ。それに呪が解けた以上もう時効だろう」
一組しかない南泉の布団に引きずり込むように寝転がる。狭いと文句を言われて離すまいと一層力を込めて抱き締めれば、布越しにほのかに暖かい体温を感じる。そしてお互いの息遣いの合間を縫うように聞こえる、とくんとくんと小さく響く拍動にホッと短く息を吐いて目を閉じた。