用意周到、万全を期せ「用意周到、万全を期せ」
長義の所属する本丸では基本的に朝餉と夕餉は全振りが一堂に介してとることになっている。もちろん出陣に時間がかかったり長期遠征中の刀は除外されるし、非番で外で食べるのならば前もって連絡さえしておけば特にお咎めもない。
逆に言うとそういった用事がないものはその時刻に大広間に来なければ食事にはありつけないと思わなければならない。例えば前日に酒宴が捗り、朝起きられないものは呻きながら身内に自分の分の食事を退けておいてもらうよう泣きつけば食事にはありつけるが、まあ二日酔いのものがそこまでして食事をとろうとするかと言うと話は別である。
そういった前提がある上で、今朝は出陣中の部隊も遠征中の部隊もなく、この本丸に所属する全振りが揃う日で圧巻と言わんばかりの大広間に一つの空席があった。特に決まった席はなく各々が好き勝手座っていく中で、ちょうど長義の隣が空いているのは恐らく偶然ではないのだろう。
本丸の食事の決まりから、唯一の例外である刀が一振りいる。それが長義の隣の空席に本来ならば座っているであろう刀で、ここにおらずとも誰かに泣きつかずともきちんと食事にありつける刀。
現に長義は今朝本刃に泣きついて頼まれたりしていないし、彼の身内を含め他に頼まれたものもいないだろうが、彼の食事は朝餉が終わってもきちんと取り置かれるし、その食事を部屋に運ぶのは長義の役目になるだろうことは暗黙の了解であり周知の事実でもあった。
長義の向かいに席を取った写しもその左右に座る国広兄弟も、長義の空席ではない側の隣に座る物吉もその隣にいる亀甲も、空席に何かを言うことなく合掌すると各々が運んできた膳に手をつけ始める。
そして長義もまた、和やかに食事が進められる空気に違わぬように合掌をした後、箸を手に取り食事を始めた。
四半刻はまだ経っていないだろうか。早食いのものはおかわりも済ませた上で食器を空にし始めた頃、「ちょっといいかな」と手を挙げた主の姿に、賑やかだった広間の中がシンと静まり返る。
「出陣部隊の変更を行う。後日休暇を振り分けるので本日非番の打刀から一振り出陣に回ってほしい」
話し始めたのは主ではなくその隣にいた本日の近侍で、その発言は恐らくここにいる刀剣全てが予想出来た言葉であり、その後に続く言葉もまた、予想に容易かった。
「ただし、山姥切長義を除く面子で頼む。また、本日南泉一文字を見つけたものは刺激せずに必要があれば保護してほしい。以上、食事中に失礼した」
そう言って着座した近侍殿の姿を見届けてまた賑やかな空間が戻ってくる喧騒を聞き流しながら、残りの食事を特に焦ることもなくゆっくりと口に運んだ。
「南泉、入るよ」
朝餉を終えた長義は、空になった自分の膳と引き換えに湯気の立つ新しい膳を受け取り、他の刀たちから何とも言えない視線を受けながら大広間を後にした。視線の意味を読むならば生温かな声援と言ったところだろうか。
ニヤニヤ、という揶揄いの意思の多そうな視線を送って来たものは忘れはしないし、面倒事が発生しそうならばすぐに巻き込んでやろうと心に決めた。特に誰とは言わないがどこぞのご隠居だったり、どこぞの刀派のおっさん臭い太刀だったり、長義とも縁の深い短刀だったりは本当に覚えておけよ、という気持ちである。
南泉の膳を受け取りそのまま彼の自室の前に来た長義であったが、中に本刃がいないのは分かっていたので声は掛けたものの返事は待たずに障子戸を開けて部屋に立ち入る。文机の上に膳を置くと、薄暗い部屋の障子を順に開けて、ついでに換気目的で窓も開けておく。もしかしたらどこぞの猫がここから入ってくるかもしれないが、まあ今日は誰に見つかってもお咎めはされないだろうし、廊下を泥だらけにされるよりはいいだろうと窓は開けたまま、寝起きそのままといった状態の出しっぱなしの布団を横目に南泉の部屋を出た。
さて、今日の長義は事務仕事の手伝いと手合わせが予定されていたが、恐らくどちらも顔を出しても追い出されるだろう。かと言って突然降って湧いた休息日に怠惰に過ごす趣味は持ち合わせてはいないし、何かしらを成さない時間というのは無駄にしか思えないのでさてどうするかと思案した後、内番が始まっているであろう畑へと足を向けた。
ここのところ天気がいい日が続いている本丸は今日も天候に恵まれたようで、まだ朝早い時刻にも関わらず陽の光を存分に浴びた緑が目に眩しい。
「山姥切さん!」
水やりのホースを脇に抱えて支えている秋田が呼ぶのに答えて手を上げると、まだ見ていませんよ!という長義の欲しかった言葉が返ってきた。腹を空かせた猫が紛れ込んでいるんじゃないかと思ったのも事実ではあるが、ここで捕まえるためというよりもここにいないのを確認しに来たようなものなので、礼を伝えるとそのまま畑を抜けて洗濯物当番が働く中庭へと向かう。
畑で赤茄子をつまみ食いして、その時の畑当番に捕まった猫を引き取りに行ったのは一体いつだったか。捕まったとはいえ手荒な真似をするような仲間たちではないのでどちらかというと餌付けをされて足止めされていただけだったが、引き取った長義はそれなりに長い説教を食らわせたのでそれに懲りたのだろう。そのあと畑で猫の目撃情報が上がることはなかったし、それを分かった上で来ていないことを確認にだけ行ったのだった。
本能のまま動いているとはいえ、獣も学習をするのだ。そして、学習をした獣はこの時間自室に行けば食事が置いてあることを覚えている。きっと今頃は自室に戻っているであろう猫を捕獲するには、まだ早い。
居住区の棟ではなく、中庭に辿り着いた長義を迎えたのは先ほど共に朝餉を取った物吉だった。
「まだ見かけていませんよ」
「まあそうだろうね。さっき朝餉を置いてきたから今は部屋に戻ってるんじゃないかな」
「探されているんじゃないんですか?」
「最終結論でいくと捕まえるつもりで探しているけれど、今の状態だけで問われると違うと言うしかないかな」
話しをしながらも大きな籠から洗い終わった洗濯物を次々と取り出して干していく物吉の姿を視界の端に見ながらも、長義の視線はある部屋の入り口に注がれている。
「僕には少し難しいですが……楽しそうには見えます」
「俺がかい?」
「はい、違いますか?」
「面倒をかけるんだからって呆れてはいるけどね」
「確かにそうも見えます」
くすくすと笑う物吉に合わせて、長義も同じように笑いが零れる。自分では自覚していなかったが、確かに今の感情を読むならば結構楽しんではいるかもしれない。
「見かけたら報告しますか?」
「そうだね……まあ、ここでは見ないと思うよ。そのために来たようなものだからね」
「……縄張りですか?」
「ふふ、物吉には優をあげよう。邪魔して悪かったね」
「いえ、ご武運をお祈りしてますね!」
物吉の所から離れて中庭の端をぐるりと囲むようにゆっくりと回ってからそこを後にする長義の視界には、部屋から出てどこかへと向かう猫の姿がはっきりと見えていた。食事を終えたのだろう。当番に迷惑にならないように膳を下げておかないとなと、居住区へと足を向けた。
「休憩していくかい?」
南泉の部屋から綺麗に空になった食器を下げると、後片付けと昼餉の下ごしらえに忙しい厨当番たちが慌ただしく働いていた。朝餉の片付けはほぼ終わっているようだったのでこれくらいはと食器を洗い棚へしまったところで、歌仙に声を掛けられた。
「邪魔になりそうだからお暇するよ。ただ一つだけ頼んでもいいかな?」
「うん?なんだい?」
「後で取りに来るからおやつの用意をお願いしたいんだけどね」
「ああ、それくらい構わないよ。巳の刻でいいのかい?」
「そうだね、主の言う十時のおやつでお願いするよ」
快諾してくれた歌仙にお礼を言い、厨を後にしてさて次はどうしようかと考えてから一度長義の自室へ戻ることにした。朝起きてから戻っていなかったが特に何も変わっていないのを確認して、大判のひざ掛けと呼ばれる通常の毛布の半分ほどの大きさのものと柔らかなビーズクッションを抱えて部屋を後にする。これらは長義の部屋にあっても長義の物ではなく、静かでいいとよく昼寝に来る猫が持ち込んでいた物である。
ようは慣れ親しんだ仮の寝床だ。それをこれから陽が当たり始める、人通りの少ない廊下へと置いて狩りの準備は着々と進んでいく。
「難儀よの」
「三日月殿」
気配も音もなく現れた御仁に声を掛けられてもさして驚かずに済んだのは、そんな刀が多いからだろうか。特に三日月を筆頭に平安刀は気配が静かで思いもよらぬところにいたりするので、いちいち驚いていてはこちらが疲れるだけなのもあり段々と順応していくよう意識していたのもあり今ではもう慣れたものだ。
「待つのが狩りの基本とはいえ、罠が念入りや過ぎないか?」
「これでもわりとすり抜けられるからね、念には念を入れているだけだよ」
「あまりいじめるでないぞ」
「いじめられているのはこちらの方な気もするけれど、肝に銘じておこうかな」
「ふむ、さて俺がここにいるのも良くないだろうから行くとするか」
「お心遣い感謝するよ」
「なあに、可愛い猫が怪我をしては敵わんからな」
去って行く三日月を見送り、長義もまた次の場所へと足を向ける。
一度主の執務室に向かい現状の報告と、他の刀から情報が来ていないかを尋ねたのち南泉がよく昼寝をしている場所を順に回り、どこも少し長めに滞在して長義の気配を残しておいた。
そして厨に戻りおやつを受け取ると、先ほど廊下に設置した仮の寝床の傍に置いて早々と立ち去る。昼餉まで待つつもりもないのでそろそろ王手をかけてもいいだろう。最後の締めとばかりに長義が向かったのは転移門の前だった。
「……今日はお前か」
「本歌、南泉は来ていないぞ」
「あれ、少し早かったかな。もうすぐ来るだろうからきっちり追い返しておくれよ」
「分かっているが……大体どこにいるか検討ついているんだろう?真正面から行っても本歌なら捕まえられるんじゃ」
「本能全開の獣と体力勝負するようなつもりはないよ」
「ああ、本歌持久力ないもんな」
「お前みたいな体力馬鹿とは違うんだよ、馬鹿」
「二回も言う必要あったのか?」
「一回じゃ伝わらないだろう、馬鹿なんだから。じゃあ俺は行くけれど……頼んだよ」
「!あ、ああ。任せてくれ」
目をキラキラとさせる国広に少し言葉が過ぎたかと思いながらヒラヒラと手を振ってその場を離れると、気配を完全に消して物陰に隠れた。いつもならば長義が全てを終えてここに来た時にはすでに南泉は姿を消した後で、主がこの時だけ配置してくれる門番に追い返したぞという報告を受けるだけなのだが、今日は向こうが遅いのかこちらが早かったのかまだ来ていないらしい。
計画は狂ってはいないけれど、長義にはもうすることもないのでならば見届けるのもいいかと転移門が見渡せる位置で身を隠した。
すると間もなく、普段通りに見えるけれど普段よりも少し猫背で早足の南泉が戦衣装に身を包み自身も佩刀した姿で現れた。門の前に立つ国広に目もくれずに装置を操作しようとするのを、身体を南泉と転移装置の間に入れて阻止した国広は何か言うこともなく追い払うように南泉の身体を押した。
今の南泉にはこちらの言葉は届かないし、向こうも何かを言うことはない。だから国広の選んだ方法は間違いではないし、他の門番に当たる刀たちも同じようにするだろう。それでも呪いに打ち勝つために、刀の、刀剣男士としての本能で戦場に出ようとしている南泉が追い返されている様に心が詰まる。
まあ万が一にも一振りで単騎出陣されてしまっては困るので当然の措置だとは思っているが。矛盾という言葉が胸に付く。そうしないといけないと分かっていても、どこか納得が出来ない。本当に感情というのは厄介なものだ。
けれどその感情があるから、あのどうしようもない猫を愛おしいと思うし慈しみたいと思うのであって。本当に厄介だと一つ息を吐くと、本丸の方へと戻って行く南泉の背を追った。
と言っても、今のまま追いついたところで何も出来ないから南泉の目的地を把握できた時点で距離を取って、捕獲出来る状態まで待つことにする。物陰に隠れて他の刀がこちらに来ないか見張りつつ、南泉を見守って四半刻が過ぎたくらいだろうか。
丸まってごそごそと動いていた体躯が完全に止まったのを確認して、気配を消したまま近寄れば仮の寝床で寝息を立てる南泉の姿に、隣に座り柔らかな金糸をひと混ぜした。一度眠ってしまえばなかなか目覚めないことも今までの経験で分かっている。目が覚めた時に先ほどまでの状態が落ち着いていることも。だから、これで、本当に。
「確保だよ、猫殺しくん」
月に満ちかけか、霊力を与える主の体調の変化か。詳しい原因は分かっていないものの、この本丸の南泉一文字は定期的に呪いの色が強く出て猫の本能に負けてしまい、本当に獣のような行動に出ることがある。
その現象が見られるようになってすぐの頃は対処に手間取り、本丸内を延々追いかけっこする羽目になったり、身体の大きい刀総動員で抑えにかかったり、引っ掻かれて擦り傷を作るものが多発したりとまあ情けない状態だった。
けれど何度か過ごすうちに、また猫として扱えばいいんじゃないかという短刀の柔軟な発想により猫の生態を調べて対策を練れるようになってきてからは、南泉の捕獲係は長義の専任となった。
もちろん今日のように目撃情報を流してくれたり門番を任されてくれたり、長義の作戦の邪魔にならないようにと本丸全体で協力体制にはあるのだが。
まずは朝餉を運んで腹ごしらえをさせる。そのあと自室に近い中庭や普段の昼寝場所に長義の気配を残しておいて近付けないようにしつつ、仮の寝床への誘導経路を作る。
陽の当たる場所に食料であるおやつと普段から慣れ親しんだ自分の匂いのする寝床を設置しておけば、いずれここに眠りにくるようになっている。
ただ、本性は獣なので行動が読めず木の上で昼寝をしていたり、床下に入り込もうとしていたり、見つけた時には全身埃まみれなのはいい方で泥まみれなんてこともあった。それでも、そんな呪いに負けてただただ猫の一日の生活を送るほど南泉一文字は落ちぶれてはいない。
呪いの力に苛まれながらも必死に抗おうとする結果、刀としての本能が戦を求め一振りででも出陣しようと転移門に訪れる様になった。そしてそこから追い返すと、抗うために体力を使うのだろう、必ず休息に向かい、長義が仕掛けた罠によってきちんと準備された寝床で眠りにつくのだ。
栄養もきちんと補給するようで今の南泉の周りにもおやつを食べたゴミが散乱している。この辺りは呪いに勝ち切れてはいないらしいが、眠りを優先するのがまた南泉らしいなと長義はわりと微笑ましく思っている。
本刃は目覚めて元に戻ったら自分が何をしていたのか全く覚えておらず、ただ朝起きてからずっと頭がぼんやりしていたと話し、その間のことを説明されると頭を抱えていた。そして他の刀に迷惑をかけたことが酷く気に病むようで、それが長義が捕獲係となった原因でもあるのだが。
いつも目が覚めると誰にも迷惑かけていないかと不安そうに尋ねてくるので、被害を被ったのは俺だよと素直に申告してやるのだ。お前ならいいかにゃと話す姿にどこか満足している自分がいるのは見て見ぬふりをしているが、まあそうやって安堵している姿が可愛く思えるのは正直に白状しておこう。
今日もまた目が覚めて自分がどうだったかを尋ねてくるであろう南泉に、酷い目にあったよと話すのが長義の役割であり特権である。そして、お前ならいいだろ、にゃ。と安堵したように笑う南泉を構い倒すのもまた、長義だけに許されたことであって。
早く起きればいいのにと、金糸を混ぜる手に少し力を込めた。