第39回毎月ちょぎにゃん祭り お題「スイカ」「朝は食べてた?」
「冷や汁を少しだけ」
「昨晩も唐揚げだと喜んでいたわりには食べてなかったんじゃないかい」
「一つ食べて悔しそうにしながら後藤にあげていたよ」
「僕たちは食べなくてもそこまで生活や出陣に支障をきたすわけじゃないけど、南泉くんはやつれていってる気がするし心配だよね」
朝餉の片付けも終わり、早朝からの慌ただしさがようやく落ち着いた厨。あと一刻もすれば昼餉の準備にまた騒がしくなるのだが、その前の僅かな休息の時間帯に顔を出した長義はお目当てであった祖――燭台切光忠と、歌仙兼定を捕まえ、愚痴という名の相談をしていた。
昨年の小雪の頃に顕現した猫が、初めての夏の訪れにすでにぐったりと――主曰く夏バテというらしい――していて、ほとんど食事をとらなくなってしまったのだ。本丸内はそれなりに過ごしやすい温度に保たれているが、それが余計に外気温との温度差で体調を崩しやすく。かといって冷房もつけずに本丸内で過ごせるはずもなく、南泉は出来るだけ冷房を抑えた部屋で静かに眠ることが増えた。
大所帯とは言え、暑さを理由に南泉一振りだけを優遇するわけにもいかず、本刃もまたそれを望んでいないため出陣や遠征、内番は文句たらたらであるが一応きちんとこなしていて。だからこそ余計に、周りとしてはきちんと食事と水分は摂らせたいと躍起になっているのであった。
主に冷たくてのど越しのよいものを中心に食べさせればいいと助言をもらい(もちろん体力のつくものを食べさせるのが一番だけど、とにかく胃に入れなければいけないという案である)素麺やうどんやそば。豆腐、ところてん、寒天寄せなどを厨係がいろいろと嗜好を凝らして出してくれるものの、あまり良い結果ではなかった。
本刃は元々唐揚げだのハンバーグだのオムライスだのラーメンだのといった、味が濃くお腹に溜まりやすいものを好んで食べていたので、それらを食べたいと零すこともあり昨日は他の刀の要望もあって唐揚げが夕餉に出た。
だが先に述べた通り、小さなものを一つ胃に納めた時点で限界が来て、本来出されたものを残すだけでも精神的な苦痛はあるのに、それが好物であることや自分が食べたいと口に出したものであったから、その落ち込み様は普段のものとはだいぶ違っていた。その精神的な落ち込みが後を引いているのか、今朝も汁物に少し口を吐けた程度で、早々に大広間を出て行ったあとは非番ということもありずっと自室にこもっている。
長義とて始めは怠慢だの本当に猫だな、だのと揶揄いも含めて接していたが、今はこうして何なら食べれるのか主や厨係に相談をしているのが常になってしまった。もちろんそんなことは微塵も南泉の前では表に出さないし、基本的に部屋から出てこない南泉が知る由もないのだが。
「もういっそのこと果物とかの方がいいんじゃないかな?」
燭台切の助言は、出来るならば最後の手段に取っておきたいとここにいる三振り皆が思っていたことであったが、確かにもう選り好みしている場合ではないのかもしれない。
「今だと甜瓜(てんか)や西瓜、桃なんかも出来始めたんじゃなかったかい」
「甜瓜や桃は短刀たちに人気だからね、西瓜を切る時に少し多めに分けてもらおうか」
「南泉のためだったらみんな譲るだろうに」
「あまり甘やかしては躾によくないからね」
長義の言葉に隻眼の目尻を下げて、緩やかに口角を上げる祖の表情は気付かない振りをして背もたれのない丸椅子から立ち上がる。もう畑仕事も一段落している頃だろう。西瓜が熟れているか声を掛けても邪魔にはならないはずだと算段をつけ、外履きに履き替えようと厨の端にある勝手口へと足を向ける。
「ああ、じゃあちょうどいい。少し頼まれてくれるかい」
青葉が鬱蒼と茂る山道を、野菜の詰まった背負子(しょいこ)を背負いながら黙々と歩く後ろ姿を眺めて、自分の額を流れる汗をそっと手拭いで拭った。長義の背にもまた背負子があり、そこには大玉の西瓜が二つも入っている。
重さ自体はそう感じないと言うか苦ではないが、肩にずっしりと紐が食い込む感覚はなかなかに辛いものがあった。日陰であり、いくらか冷たい風も吹いてはいるがそれでもこうして汗をかくほどには身体は熱を感じている。
畑の脇から、本丸の裏にそびえたつ山へと続く遊歩道のようになった小道を歩くこと十分ほど。そのまま登山道といって差し支えないほどの山道を歩く経路へと入って二十分。そこまで苦ではない距離ではあるが、道のりはなかなかに骨が折れるものであった。
けれど、合計三十分程歩いて着いた目的地である細い山道の先の拓けた場所に出た時には、達成感と目の前の光景に、ほおっという声が漏れた。偽物くんの兄弟がよく山籠もりの際に立ち寄るという滝。名所のように大きなものではないけれど、それでも上から下へと叩きつけるような多大な水量は見た目にも涼し気で、また近付くほどに身に当たる飛沫が冷たくて心地いいものであった。といっても、目的はこの場所であって滝その物ではなかった。どちらかというと滝のすぐ側は水流が激しいので、少し下流に向かって足を進める。
いつの間にか足元は苔や赤土から大きな石へと変わっていて、ゴツゴツとしていて歩きにくいそこをしっかりと踏みしめて歩く。そして滝から少し離れた川の端に丸く石を積んで小さな池を作るとそこに背負子を下ろした。
「どれくらいで冷えるもんか、にゃ」
「……まあ今日は俺も君も非番なのだからここでゆっくり時間を潰せばいいさ。影があって快適だしね」
「足浸けても乾くよな?」
「足くらいなら余分に手拭いを持っているから大丈夫だけれど、そういうのって転んで全身びしょぬれになるのがオチじゃないか?」
「転ばねえにゃ!歩いて来て汗かいたからちょっと冷やしてえ」
「水分もとるように」
「分かってる!」
長義と同じように背負子を下ろした南泉は内番着の洋袴の裾を捲りあげ、いつもの突っ掛けではなく戦衣装の靴(山道を歩くのだからと突っ掛けは止めたのだけど、じゃあ革靴が適しているのかと問われれば刀剣男士だから問題ないとしか言いようがない)を脱いでゆっくりと川に入って行く様は、まるで水を得た魚であった。
君はその魚を食べる方だろうと思ったが口に出さなかったので、今日の長義は暑さに思考がやられているかもしれない。いまならどれだけでも甘やかしてやれる気がするし、労わってやれる気がする。全ては暑さのせいだ。
歌仙に頼まれたことは、に出す胡瓜と赤茄子を冷やして来てほしいということだった。そのついでに西瓜も冷やしてくればいいし、南泉を連れて行き涼んでくればいいと続いた言葉についではどれだろうと、本当に南泉がみんなに思われていることを実感したのであった。
部屋で丸くなる猫を連れ出すのはなかなか骨が折れたけれど、歌仙の頼みであるということは大分強みだった。ここのところ作って貰っているご飯を残しているという負い目もあるだろうが、単純にうちの本丸の料理番にはどの刀剣も逆らえないのだ。
おまけに冷やした果物を昼餉にしてもいいということと、帰りに困らない程度の水遊びならして構わないというのが決め手になったのだろう。大きな岩に腰掛けて膝から下を水に浸けている姿は水浴びじゃなくて足湯か何かのようにも見えるが、ここのところ出陣以外ではぐったりとして表情も溶けていたので、目を細めてはしゃいでいる姿が見られただけでまあ正解だったのだろう、なんて思えてしまうから不思議なものだった。
「山姥切も浸かればいいのに、にゃ」
「そんなこと言って近づけば腕を引っ張って沈めるんだろう?」
「そういう発想が出るお前が嫌だわ。絶対ぇする気だったんだろ」
「せっかくだから全身冷やした方が心地いいんじゃないかって思った優しさだよ」
「うっせえわ。……ああ、でも久しぶりに生き返ったって感じするな」
「君はミイラだとかゾンビだとかそういうものだったのか」
「真顔で呆けるなよな……」
「南泉にしか言わないから大丈夫だよ」
「どっちなのか分からなくて混乱すっからやめろ」
ちょうど南泉が座る対岸の、絶対に水が来ないであろうとことに腰を下ろして、手袋を外した手を水に浸ける。
「今なら飯食えそうって思うけどやっぱ無理なんだろう、にゃ」
ポツリと零した言葉はカラリとしているけれど、焦燥感のようなものは隠せていなかった。まあそれもそうであろう。まだ夏は始まったばかりで、これからどんどんと暑さが増すのだと他の刀剣たちから聞かされているのだ。今でこうなら一ヶ月後は、と想像してしまうだろうことは容易に分かる。
そしてこの戦いが長引けば長引くほど、人の身で過ごす時間は増えていく。来年、再来年、五年後、十年後。どうなるか分からない未来(さき)に、夏の暑さという怪訝材料が増えれば憂鬱になるのも仕方のない話なのだろう。
だからこそ、耳に心地よいだけの言葉を吐くわけにはいかなかった。
「お生憎様、握り飯は用意して来ていないけれど、桃はいくつか分けて貰ったから後で食べるといいよ」
「本丸の桃、初めて食うな」
「あれ、今年はもう何度か食卓に並んだだろう」
南泉が顕現する前から、農園のように一角を果樹で埋め尽くした場所があり、桃もまたそこで採れたものである。季節や時間に関係なく早い間隔で実の成る野菜とは少し違い、通常の収穫時期より二週間ほど早いくらいで出来る果樹たちは、その代わりというのか格段に甘みが強く一般に出回っている物とは格別でとても美味しいのだ。
特に桃は人気が高く食後に出されれば短刀を中心に争奪戦にはなるものの、全振りに一切れずつくらいは行き当たる様に用意されているはずだし、それを奪ってまで自分が食べようとする刀は流石にいないはずだが。
「大抵、五虎退か謙信の口に入ってる」
「君、身内の身内に甘すぎないか?」
「その代わりに、食えてた時はあいつらが食べきれない飯貰ってたから持ちつ持たれつだったにゃ」
ケラケラと笑う南泉は特に気にしていないのだろう。去年はまだ旬の時期に顕現していなかったから美味さを知らないのだ。だからそうやって言えるのだろうと思いながらも、今日初めての本丸の桃を食した以降も、南泉が二振りに桃をやるのだろうことは容易く想像できた。
「……じゃあ今日味わえばいい。これだけ水も冷たいんだ、冷えるのものも早いだろうしね」
「隠れて食うの、ちょっと罪悪感あるけどな」
「一応はこうして冷やしに来ているのだし駄賃と考えればいいんじゃないか」
長義の言葉に、ぱちくりと双眸を大きく見開きこちらを見返してくる南泉に目線だけで何かと問えば、「お前が揶揄したり、刺々しい言葉吐かねえの違和感あるなって」と特に悪びれもせず、とんだ失礼なことを言い出した。
「君ねえ」
「……お前がそうやって優し気な目でこっち見たり、なんか気遣うような言葉掛けてくるたびに背中がゾワゾワーってすんだけど。でもそんな柄にもないことさせるくらい心配かけてんだなって思うし、早く食えるようにならなきゃなって思うよ」
一応、感謝してるにゃ。と小さく後付けされた言葉を聞き流してやる優しさはみせなくてもいいだろうか。
「一応は余計じゃないかな?」
「そういう、嬉々として揶揄おうとしてくるところは本当に嫌な奴だって思ってるけどにゃ?!」
そう全身の毛を逆立てて叫ぶ南泉に、本調子じゃないかと言いたかったけれど長義の口から零れるのは笑い声だけであった。