終古朽ちるその時まで「終古朽ちるその時まで」
〝山姥切長義を隊長とし、二振りでの遠征任務に命じる〟
近侍づてに呼び出された執務室でそう聞かされた南泉の心の中を、見せられるものならば見せて回りたいほどには動揺をしていた。何故いまなのか。長義からの差し金や陰謀も考えられるけれど、目の前に座る南泉の今の主はそういった刀の我が儘を聞き入れることはほとんどなかったし、もしあったとしても全て南泉に話したうえで「山姥切はご希望らしいけど南泉はどうする?」と聞いてくれるであろう。
だからこれは本当にたまたま偶然、何も知らない主の起こした奇跡なのだろうけれど、正直なところ南泉の感想は勘弁してくれ、であった。
出来るだけ早い出発をと、先に長義には話を通したことを告げた主は南泉の否の返事を聞くこともなく、さあさあ急いでと固まる南泉を執務室から追い出した。まあ残ったところで任務を拒否出来るわけもなく、身支度も心の準備もろくに出来ないまま時間だけが過ぎ慌てて門に向かう羽目になったはずなので、その強引さに今は助かったのかもしれないけれど。
つい五日ほど前、南泉は長義から告白を受けたのだ。一切の揶揄いも、皮肉もないただただ真っ直ぐな言葉に「変なものでも食べたのか」と茶化すことも出来ず、かと言って応えることも拒否することも出来ずに逃げ出した自身を恥じるような余裕など未だになかった。
だって、今更、恋刀だなんてどんな顔をすればいいのだ。それが南泉の素直な感想であり、長義には言えない本音であった。
そもそも目が合えば挨拶のように嫌味を飛ばしてくるような相手に、それが照れ隠しだとか愛情の裏返しや南泉だけへの甘えだなんて誰が想像できただろうか。
長義の想いを否定するつもりはない、あの言葉に嘘偽りがないことも長い付き合いの上で十分に分かっている。だからこそ、余計に。照れもせず揶揄いもせず真っ直ぐに愛を伝えてきた長義に、なんて答えればいいのか分からなかった。
長義のことを大切に思っているかと聞かれれば、本人には言わないのであれば素直にそうだと認める。好意があるかと聞かれればそれも否定はしない。ただそれが恋だの愛だのかと問われれば、首を捻ることしか出来ないのだ。
近くにいるのが当たり前すぎて、大切だとか特別だとかそんなこと考えたこともなかった。この戦いが続く限り、いや終わって本霊に還ったとしてもきっとずっと一緒にいるのだろう。そんな相手に色めいた感情が伴うかどうかなんて、想像もつかないのは仕方のない話じゃないか。
本丸の転移門の前で待つ長義は、驚くほどにいつも通りであった。避けていた南泉を責めることも、どこかぎこちない応対を揶揄うこともせず、いつものように皮肉を飛ばし粛々と部隊長として任務の遂行に励んだ。
二振り、という少数精鋭で組まれているのは隠密を主としたわけではなく、任務の難易度と現在南泉の所属する本丸で行っている他の任務に割く人員との兼ね合いだけであった。つまり、他の任務の合間にこなす二振り程度でも十分にこなせる任務である、というのが主の見解で。
そしてその見解は外れていなかった。ひと月に渡る任務ではあるが、史実通りに事件が起きるのかを、ただ見守るだけの内容である。もちろん時間遡行軍が現れれば対処するが、この時代の敵は先の任務で先陣を切った他の仲間がほとんどを殲滅してしたらしく、いまのところこの時代に遡行軍の気配はないとのことだった。
実際時代を渡った長義と南泉も同じ意見で、今のところ戦闘になる心配はないとみている。事件の主要人物を監視できる位置に宿を取り、交互に仮眠を取りながら過ごす毎日は無駄に神経をすり減らしてはいくものの、疲労の心配もなく頭の中で考え事ばかりが捗っていた。
始めは、長義の普段通りは形だけで南泉が油断したところで何かあるんじゃないかと、仮眠の際や食事にまで多少の警戒はしていたが、それも数日が経てば杞憂であったと考えすぎた自身に羞恥を覚えたほどだった。
拍子抜けするほど態度を変えない長義に、公私混同をしない合理主義なアイツらしさを見て変に緊張するのを止め、任務に集中することにした。これも一種の逃げではあるが、長義が南泉に何かを求めない限り考えても仕方のないことだろうと思ったのだ。
この任務が終われば数日の暇は貰えるだろう。その時にゆっくりと考えればいい、そう思考に蓋をした。
遡行軍の影も形もなく、平和な日々は過ぎて二振りがこの時代に飛んで二十日が過ぎた。動乱の世も過ぎた泰平の世と呼ばれた時代。小さな諍いはあれど、それを止めても歴史修正に及ばないほどの本当に些細な出来事しか起きない日々。
昼寝が捗るってもんだ、ともちろん外への警戒を怠らないまま畳の上にごろりと体躯を転がす。長義は昼餉の買い出しがてら情報収集に出掛けていて、宿にはいま南泉しかいなかった。もちろん長義がいるならば何を言われるか分からないので寝転がりはしない。逆にこちらが警戒してしまうから気配を消すこともなく戻ってくるはずなので、階下に長義の気配を感じれば起き上がればいい。
と言っても丑の刻を四半刻過ぎたので、もう帰ってくるだろう。何をせずともそれなりに腹はすくが、食べずともいられるのが刀剣男士であり、南泉もいまは食欲よりも睡眠欲が勝っているので少し遅く戻ってこいよななんて思っていると、宿の入り口に長義の気配を感じ、そのまま中に入ってくるようだったので身を起こした。
そして束の間の静寂ののち、からりと軽い音を立てて襖が開き買い物袋代わりの風呂敷を下げた長義が入ってくる。
「あれ、起きてる」
「寝てたら何言われるか分かんねぇから、ぜってぇ寝ねぇ」
先ほどまで寝転がっていたことはおくびにも出さずそう答えるが、まあ長義も気付いてはいるだろうから茶番を続けることもなく、端に寄せていた卓袱台を出して長義から受け取った風呂敷を開ける。
座布団を用意しながら不在の間の様子を聞いて来る長義から、ふわりと香る嗅ぎ慣れない匂いに「なにもなかった」と答えつつ静かに鼻をすんと鳴らす。
「花……か?」
「花?……ああ、あの子かな。そんなに匂うかい?」
「いや、なんか嗅ぎ慣れねえ匂いがすんなって。あの子って?」
「花売りの子に少し掴まってしまっただけだよ。そんなに長い時間はいなかったけれど距離が近かったからかな。湯浴みしてこようか?」
そう言いながら一度下ろした腰をまた上げようとする長義を手で制した。気になるほど匂ったわけではなく、嗅ぎ慣れないから気になっただけだったのだ。だったのに、長義の言葉を聞くと途端に強く主張してくるような心地がした。
けれどもわざわざ湯浴みをさせる程ではないし、昼餉を取ったら今度は南泉がまた違う場所へ見回りがてら出掛けないといけないのだ。そんなに時間を取れないのは長義も分かっているはずだったが、鼻のいい南泉への配慮なのだろう。
普段なら「猫ちゃんは花はお嫌いかな?」くらいのことを言ってきそうな長義の素直な優しさは、何故か腹の奥の方をなにかでグルグルと掻き混ぜた。長義は何気なしに言ったが花売りというのは、本当に花を持っていてもその花を売るわけではないのだ。長義とてそれは知っているだろうに、その相手を香りがうつるほどの距離に近付けたのかと思うと、素直に面白くないという想いが過ぎる。
南泉のことを好きだと言った口でろくに知らない相手をそんな優しい響きであの子なんて呼ぶんじゃねえなんて、真面目に向き合っていない身で口に出すのは憚れるようなことを考える。
「いーよ、そのうち薄れんだろ。腹減ったし、飯食おうぜ、にゃ」
長義の買って来た麦入りの塩むすびは味を感じられず、ただ無心で咀嚼すると何か重たいものを飲み込むような心地で嚥下した。
南泉の気持ちが晴れずとも時は流れ日は進み、本日無事に史実通りの事件が起きたのを確認した。これで長義と南泉の任務は完了となるが、敵からの撤退も考えられる戦闘任務とは違い特に危険のない遠征任務ではすぐに門が繋がるわけではない。
通常の手順通り、任務の完了を見届けてすぐに部隊長である長義が本丸と連絡を取ると、
門が繋がるのは明日の夕刻となった。丸一日には少し足りないが休養を取るには十分な時間を貰えた。といっても特に疲労もしていない任務では、最低限の警戒を残しつつ一応の自由時間扱いとされ、所謂長期任務のご褒美の時間となる。
最後の最後まで警戒は解けないと、宿からではなくすぐ近くで史実の確認をしていた二振りは、路地裏で報告を済ませてそこで自由時間を拝命した。ならばとそのまま町に繰り出し、それなりの馳走と思える食事を買い込んで宿に戻った。
「酒飲むか?」
呑まなければ土産にすればいいだろうと買って来た瓶を掲げる。酔っぱらってしまうわけにいかないが一杯や二杯飲んだところで何も変わりはしない。
「いや、やめておくよ」
「そうか?じゃあ俺も止めとくかにゃ」
卓袱台一杯に広げた食事を、今回の任務中の話や前に行った別任務の話をしながら食べていれば気付けばいい時間になっていて、そろそろ湯浴みして寝ようかと提案しようとした時。
「そろそろ話をしてもいいかい」
瑠璃の双眸をスッと細めて獲物を仕留めるかのようにこちらを見やる長義の視線に、ずっと見ない振りしてきたことからもう逃げられないのだと、最後の通告を送られた気がした。
それでもまだ跳び込む意気地が出ずに「なにを」と誤魔化した南泉に、怒るでもなく長義は柔らかく笑った。
「俺が君に愛を告げた件についてかな」
「あっ……愛とかいうにゃ!」
「分かっているのに分かっていない振りをするから、もう一度思い知らせた方がいいのかと思ってね」
柔らかい笑みは油断をさせるためだったのか、長義の優しさなど幻だったのか。淡々と告げる言葉の端に逃げていた南泉への責めが、しっかりと込められていて言外にもう逃がさないと告げられているのだと、生唾を飲み込む。
「なあ、告白って狩りとはちげぇんだぞ?知ってるか?」
「どんなに追い込んでも逃げようとするくせに?」
「逃げては……ねえ、とは言えねえんかな」
「自覚があったようで何よりだよ」
逃げたから追いかけるのだと長義が言う。逃げる素振りを見せなければそのまま捕まえられたのだろうから、どちらにせよ南泉にとっては狩場に追い込まれた獲物の気分は拭えない。
「だってよ……ずっと一緒にい過ぎて正直分かんねえにゃ」
「うん」
「距離だって近い自覚はあるし、だからってどうこうっていうのは……」
「うん」
「関係に名前を付けなくても、戦いが終わっても戻るところは一緒だろうがよ。それじゃ駄目なのかって」
「うん」
急かすことなく、南泉の言葉を否定することもなく、けれども肯定でないただの相槌の言葉が、どこか心地よくて。考えてもまとまらなかった、答えの出なかった想いがぽろりぽろりと零れていく。
「でも、人の身を得たいま、オレじゃねえ奴がそういう意味で隣にいたらって考えると嫌だ」
「……そんなこと考えてたのか」
南泉の言葉はそこまで意外だったのだろうか。驚いたように綺麗な瑠璃が零れそうなほど瞳を見開く長義に、ひとつ頷きを返してまた口を開く。
「この間、花の匂いさせてきただろ」
「あれは何もなかったよ」
「あって堪るか。オレに好きだって言っておいて、見知らぬ女にあの子だなんて言うなって思ってた」
「南泉、きみ自分で何を言っているか分かっている?」
分からない。何故あんなことを思ったのか、なぜ今それを長義に教えているのか、南泉は自分で自分の想いが分からなかった。だからずっと考えて、それでも答えが出ずにらしくもなく逃げ回ったりして。
それでも、自分の欲望のまま、想いのまま素直になれば答えは結局のところ単純なものだったのだと、唐突に理解をしたこれはまるで天啓のようだった。
「……独占したいって思うくらいにはお前のこと想ってんだ、にゃ」
「欲張りだからちゃんと言ってくれないと納得できないな」
どこか上擦って嬉しそうな長義の声に、真っ直ぐと視線を送ればそのかんばせはいつになく緩んでいて、そして泣きそうに、見えた。こいつはいつも飄々としているし、今回も最後の日にこんな話をするような素振りも見せずに淡々と任務をこなしていた。
けれども、だからと言って南泉の態度に何も思わなかったわけではもちろんないのだろう。見せなかっただけで、南泉のように悩み考え煮詰まった日もあったのかもしれない。そんな風に南泉を想ってくれていたのだと考えてこみ上げてくるこの想いは、確かに愛しいなのだ。
「……関係に名前を付けてもいいかって思うくらいには、お前のことが好きだ」
「俺も好きだよ」
「知ってる」
南泉の言葉に間髪入れずに返ってきた言葉に南泉もまた間髪入れずに返事をした。知っている。痛いほど。告白を受けてからずっと普段通りだった長義のその意味を考えれば、思い知らされずにはいられなかった。だから続いた長義の言葉に嘘があることにも気付いてしまった。本当にそんな自信家でいられたのならば、長義ならばもっと堂々と南泉を囲い込んで捉えただろう。けれど、長義のそんな器用でない優しさに甘えてきた身なのだ。そこを突くような気にはなれず、ならば騙された振りをしてやろう。そう、思った。
「断られるとは思ってなかったけど、さすがに逃げ回られてちょっと参ってたから、うん、嬉しいな」
「何なんだよその自信はよ」
どう受け取ったのだろう、南泉の言葉に小さく笑った長義は話を切り出した時に隣に来ていたその身をこちらに向けてると、南泉の肩をそっと押して身体を乗り上げる様にこちらへとのしかかってくる。
つまりは、気が付くと畳の上へと南泉のその身は押し倒されていた。
「ちょ、ちょっとまて!心の準備!というか早くねえか、にゃ!?」
「ずっと一緒だったって言ったのは南泉だろう。もう今更じゃないかい?」
「一緒だったのは腐れ縁だろ!」
いつからそうだったのかは知らないが、告白されてからひと月が経っていることを考えればそれ以上の時間は恋心を自覚してから過ごしてきた長義とは違い、南泉がこの想いに気付いたのはつい今なのだ。
どこまでも膨れ上がる想いに、今まで通りの距離感など無理かもしれないと思っているくらいにはこの感情を持て余しているのに、恋仲になった、はいじゃあ次とはどうにもまだ思えそうになかった。
そんな南泉の想いを知ってか否か、上半身のほとんどがくっつきそうなほど身を近付ける長義に、バクバクと痛いほどに拍動する音が聞こえてしまいそうだと羞恥に顔が熱くなる。
けれど、そっと頬に添えられた長義の手が僅かに震えているのに気付き、自由になる手を無理矢理二振りの身体の間に差し込み、長義の左胸に触れる。
「積極的だね」
その声は分かりやすく揶揄いの色がのせられていて、こんな時にも余裕のある表情を崩そうとしない長義に抗議の声を上げる。
「うるせえ!こんだけ心臓バクバクさせておいて余裕ぶっこいてじゃねえにゃ!」
「余裕なんてあるわけないだろう」
「じゃあちゃんと欲しいって言えよ」
南泉の抗議に顔を少し歪めて責めるように呟く長義に、今度は南泉がにやりと笑い意趣返しだと内心ほくそ笑む。余裕がないのは南泉も同じだけれど、こいつに負けたくないと思うのはもう長年染み付いた癖なのだ。
そして、南泉だけがこの膨れ上がる感情を持て余しているのが腹が立ったのもあって、素直に求められたいと思ってしまった。それが自分の身を追い詰めるかもしれないと気付いたのは口に出してからで、それでもそれは杞憂に終わった。
「言ったらくれるのかい?」
「言われてから考える、にゃ」
「……口吸いは?」
「ふはっ!しゃあねえなあ」
人を押し倒しておいて、隠しきれない欲を瑠璃色に宿しておいて、それでも強請るのが口吸いなのかと、ずいぶんこちらに歩み寄ってくれるのだと思うと笑いが止まらず、豪快に返した返事にもう言葉はなく。
細められた視線が近付いたと気付いた時には、噛みつくような口付けを受けていた。