夜更けのチャーハン「夜更けのチャーハン」
南泉たち部隊の体感的には数か月、本丸の時間の流れとしては数日の遠征任務を終え、久しぶりに帰還した本丸での生活――主への報告の後湯浴みをし、持ちだしていた荷物や武具の手入れをし、短刀たちとともにおやつを食べ、日向ぼっこと昼寝を満喫するという最高の時間――に戻った南泉だったが、今は部屋の主の戻っていない暗い部屋の前でどうしたもんかと頭を悩ませていた。
久しぶりの本丸の夕餉は一家の長に勧められたのもあり酒がよく進んだが、それでも足取りがしっかりしている間に許しを得て離席し、昼間に入ったなと思いつつも寝る前に入らないわけにもいかず湯浴みを済ませてきたのだ。
そう遅い時間ではないものの、執務室に籠りきりで戻ってきてからろくに顔を合わせていない恋刀が流石に戻ってきているだろうと思っていたのに、その姿は部屋にはなかった。
一度執務室を覗いて来るべきか、入れ違いで大広間に来ていたのかもしれないからどちらを見に行くか。それとも大浴場だろうか。
どうすべきかと悩んだ後、まあまだ焦る時間でもないかと勝手ではあるが部屋に入り待つことに決めた。不在の部屋に入って待つのはあ互い様ということにしている。だから南泉とて任務が終わって帰ってきたり不在にしていた自室に戻って長義がいたところで、ああ来ていたのかと思う程度の物だ。
長義も似たような反応を示す……どころか、南泉がいたところで何の反応もしないので何の問題もないだろう。有難いことに南泉は明日は一日休息日になっていた。眠りにつくのが多少遅くなったところで問題はないだろうから、起きて待っているのも特に苦ではない。
長義の予定はと言うと、ここのところ雑務に追われていたから久しぶりに明日は休みにすると主が南泉にも教えてくれていたので知っている。だからこそ、ゆっくり話が出来るだろうかと期待したのもあるが、まあアイツのことだ。明日が休みであるからこそ夜更かしをして仕事を追わらせる算段もあるかもしれない。
でもまあ、いないものは仕方ない。あといくらか待って帰ってくる様子がなければ迎えに行けばいいだろう。あとですぐに休めるようにと長義の布団とよく泊まりに来るからと予備で置いてある南泉の布団も出して置いた。
しょっちゅう泊まるからあるのだが、朝ふたり揃って長義の部屋から出るところを目撃されることも多く、仲間内から何故同室にしないのかとよく言われるし初期刀からも希望があるなら部屋移動は可能だと声を掛けられたことがある。が、南泉的にはしょっちゅう飲みに来てはそのまま泊まっていくのと、同じ部屋で生活するのは全然別の話であって。同室が嫌ということではないけれど、求めているかと聞かれるとそれもまた違うのだ。
布団の準備をしても大した時間潰しにはならず、南泉が持ち込んで部屋に置いていた酒瓶のうちの一つを選んで小さなガラスコップに注ぐ。ちびちびと舐める様に飲んでいたそれがコップの底にあと少し、となる頃に湯浴みを済ませたらしい寝間着姿の長義が部屋に戻って来た。
すれ違いで湯浴みに行っていた、というには時間がかかりすぎている気がするから、先に執務室に着替えを一式持って行っていたのだろう。南泉の姿を視界に入れてもやはり何も言わない長義に「お疲れさん」と声を掛けると、「ああ」とも「うん」ともつかない音が返ってきて、どうやらかなり疲弊しているらしいことが分かり珍しいなと瞠目する。
長義の文机にコップを置き、その前の座布団に腰を下ろしていた南泉の隣に座り込んだ長義はすでに上下の瞼が瑠璃色を隠そうとしていて、子守唄も必要なくそのまま夢の世界に旅立ちそうに見える。
人に弱ったところを見せないコイツにしては珍しいと思うものの、これが初めてではなかった。政府所属だった経歴を持つ長義は主に書類仕事でどの刀剣も及ばないほどの能力を発揮する。そのお陰で戦に出ていないのに黄色疲労赤色疲労も珍しくはなかった。
と言っても戦に出ないわけではないから、もちろん普通に出陣による疲労を溜めることもあった。そのどれもでモニターでの確認を出来る主すら騙すという我慢強さを発揮する長義であったが、それが南泉の前となると少しばかり鳴りを潜めるのだ。
わざわざ南泉の部屋に来て入った瞬間寝落ちたり、倒れ込んで動かなくなったり、着替えすらも放棄して全てを差し出さんとばかりに腕だけを伸ばしてきたこともあった。だがそれも頻繁にあることではないし、まして今日は南泉は長期任務帰りだ。いつもの長義ならば二振りでの時間を作るために仕事は少し控えたりするのが常であったので、珍しさはそういう意味でもあった。
話したいことがあったとはいえ急ぐものでもないし、舟を漕ぎそうなほど疲労を溜めている相手に睡魔に抗えさせてまでする話でもないので、敷いていた布団の掛け布団を取っ払うとそこに寝転がる様に誘導してやる。
すると、何を言うでもなく大人しく仰向けに寝転がった長義が枕と平行にそっと腕を伸ばして、その反対の手で伸ばした手の下辺りの敷き布をポンポンと叩いてこちらを見上げる。辛うじて見える瑠璃色はとろりと溶けてしまいそうな色をしていた。
「……いや、寝ねぇよ」
視線が完全に「腕枕してあげるから早くおいでよ」とでも言っていそうだが、ほとんど眠っているようなやつのいうことを真に受けてはいけないことを南泉は知っている。添い寝を受け入れたが最後、明日なにも覚えていない長義に「猫ちゃんは抱っこされないと眠れないのかな?」だの「数か月の任務で寂しくなったのかい?」だの「向こうではどうやって寝ていたんだ?」だのと揶揄われる種にしかならないのだ。
南泉の拒否の言葉に対しなにか文句が返ってくるだろうかと思ったけれど、聞いていなかったのか端から呼んでなどいなかったのか。腕を広げた格好のまますうすうと穏やかな寝息を立てて眠ってしまった。
数日立て込んでいた、とは聞いたがまた徹夜続きだったんだろうか。本当によくやるな、というのが正直な感想だったが、どんなに労わりの言葉を重ねたとしてもいまの長義には届かない。
帰還後少し眠ったからだろうか、あまり眠気を感じずぼーっと酒を舐めながら起きていた南泉も、時間を確認して流石に眠らなければいけないなと腕を伸ばしてグッと背伸びをした。
コップ一つくらい明日片付けても文句は言われないだろう。厠に行っておかないと朝後悔する気がしたが、どうにも面倒臭くてそのまま長義が眠る隣の布団へと身を潜らせる。どこかひんやりとした布の温度にぞわぞわと鳥肌が立った心地がしたが、直に馴染むだろう。
相変わらず睡魔は遠くにいる気がしたが、南泉にとっては眠らずともゴロゴロと布団で温まることに何の苦も感じないのでまあそのうち眠れるだろうと自分の腕を枕にして瞼を閉じる。
すると、視界が見えなくなったからだろうか。ひとよりもはるかによく聞こえる耳が更にその精度をあげたように感じて、耳をそばだてた。小さな衣擦れの音は不規則に聴こえていて、寝相云々というよりは眠れなくて寝返りを打っているように思えて一度瞼を開けた。
夜目の効く打刀の目はすぐに暗所に慣れ、背中を向けていた長義の方を振り返るとちょうど相手も南泉の方を向いて目を開けていた。
「起きてたのかよ」
「南泉……?来てたのか」
寝返りを打ってもこちらには気付かなかったのか。そしてやはり眠る前のことを覚えていないらしく、苦笑いを浮かべながら小さく頷いて返事をしてやる。
「数時間の仮眠で眠れなくなったってか?」
「いや……夕食を食べあぐねたんだよ」
そう言うか否か、目を開けて鋭くなくなったはずの聴覚が小さく鳴る腹の虫の声を聴いた。疲労の溜まっていた長義の人の身は、睡眠欲を優先したもののそちらが満たされたことによって次に満たされていなかった食欲への欲求が止まらなくなったということだろうか。
食べなくても死なないけれど、腹が空くという感覚はどうにも一定の飢餓感をもってしまうのは南泉にも身に覚えがあった。少し眠ってしまったあとならば余計に、食欲を満たさなければ眠りにつくのは難しいだろう。
「なんか食べに行こうぜ」
「こんな時間から?」
「目覚めちまったら水やなんかでは誤魔化せねえだろ」
「……南泉も付き合ってくれるのかい?」
「お前なあ、だから行こうぜって言っただろ。厨についてってお預けくらったら今度はこっちが眠れなくなるにゃ」
「じゃあ行こうか」
事務仕事が立て込んでいる時には深夜にラーメンも珍しくないだろうに、時間を確認して渋る長義の説得に成功したので揃って布団から這い出て厨へと向かう。流石に時間が時間なので酔っ払いどももみんな寝に入った後らしく静まり返った廊下を進み厨の灯りを付ける。
厠に行くやつがいれば気付かれるかもしれないが、この本丸では夜食は特に禁じられていないので特にこそこそとする必要もない。業務用と言われるただただでかい銀の箱の一角から、夜食用の食材を漁る。
ここには好きに使っていい冷やご飯や中途半端に残ってみんなの食事には使えない野菜の端切れ、少量の肉や魚、玉子、ハムやウインナーなどが置いてある。魚なんかは酒飲みどもがツマミに使うので早々に失くなってしまうが今日は何があるだろうか。
ちなみに冷蔵庫ではない棚の一角に常温保存可能な乾麺や缶詰なども同じように誰が食べてもいいものとして置いてあるので、運が良ければなかなか豪華な夜食にありつけたりもする。
ただ、問題は食材があっても調理人の手が追っつかないということだった。長義も南泉も切る焼く煮ると基本的な事は出来ても、厨当番のように指示のあることをこなせる程度で食材を渡されて好きに作れと言われても頭を捻ってしまう程度には料理に慣れていない。
「卵があるよ」
「うどん茹でるか?簡易だしの素あったよな」
「乾麺って茹で時間長いよね」
「この腹減らし、それくらい待てよにゃ」
でもまあ長義のこの言葉には南泉も同意するので他に何か作れそうなものは無いかゴソゴソと食材を漁る。
「冷やご飯もあるね」
「コンビーフあったら簡単に丼出来たのに流石にねえな」
「そんなものあったとしてもすぐに酒の肴にされるだろ」
「目玉焼き丼にするか?」
キャベツの端切れを見つけたので千切りにしてその上に目玉焼きを乗せれば質素ではあるもののまあ食欲は満たされるだろうと提案するも、無言しか返って来ず腹減らしの食指には触れなかったらしい。
腹減ったときって何でも食べられりゃあ御の字じゃねえのかよ、とは思うものの食べたくない物を食べさせるつもりはないので、自分のそう多くない作れる料理を順番に思い浮かべていく。
「あ」
「なんだい」
「刻み葱探せ」
「あるけど」
「チャーハンで手打たねえか?」
「南泉が作ってくれるのかな?」
「はたからあんまり作る気なかったくせによく言うにゃ」
「ハムがあるけど食べたいから入れてくれるかな」
「それ誰かのじゃねえの?!」
共用の冷蔵庫だが個刃のものも名前を書いておけば入れられるし、それを他のやつが食べると結構重いペナルティが課されるようになっている。
「切国って書いてあるから実質俺のもののようなものじゃない?」
「いや、写しの物はお前のものじゃねえからな」
「分かってるよ、明日にでも買って返せばいいんだろう?これをより分厚いハムに換えてやればあいつも文句は言わないさ」
「ちゃんと説明して面と向かって返せよ。あと山姥切が刻むんなら入れてもいいぜ」
国広のことだからこの薄いのがいいんだとか素で言って、長義が人の好意を!と怒り出す未来が見えた気がするが、遅ればせながらやって来た睡魔が南泉を襲い始めたのでまあいいかと口を噤むことにした。
厨番が炒め物などに使う大きな中華鍋ではなく、それこそ夜食を作るやつらの内の誰かがこっそり買って隠している(隠れていないが)フライパンを取り出すと油を入れて火にかける。
「中華だしの素と醤油出しておいてくれるか」
「やれやれ人使いが荒いんだから」
「お前これの大半誰の胃に収まると思ってんだにゃ」
大体半合ずつで小分けにされた冷やご飯を三つ取り出してラップのままレンジにかけ、ボウルに卵を二つ割り入れて掻き混ぜる。フライパンから上がる熱気が強くなった頃、調理台に必要なものが全てそろっているのを確認して、一息に卵を流し入れた。
じゅうううう、という熱した油で素揚げされていく卵の上にレンジの終わったご飯を次々と落としていくと、手早く反してご飯の塊を崩すようにフライ返しで切って、を繰り返してつやつやと輝く白と黄色がパラパラになっていく過程を楽しんでいく。
塩コショウを軽く振ったあと、ハムと葱を入れて軽くフライパンを振って食材を混ぜる。全体的に混ざったところで中華だしの素を適当、醤油を細くひと回しして制作者の特権だと一度味見をする。
濃くもなく薄くもないちょうどいい塩梅の味に一つ頷き、長義に皿を出してもらおうと口を開けるまえに目の前に差し出される皿に目を丸くしてからお礼を言って預かる。
南泉自身も小腹はすいているが夕餉も食べたし、一食抜いている長義にしっかりと食べさせようと片方の皿に少し多めによそうと、フライパンを流しにおいて水を張っておく。フライ返しやボウル、菜箸なんかも次々に流しに放り込み片付けはあとにしようと皿を持って厨の端にある、手伝い組の作業台になったり厨番の憩いの場になる机へと運ぶ。
ガラスのコップに麦茶を注ぎ匙と一緒に持ってくる長義を視界の端に捕えながら、背もたれのない丸椅子を動かして腰を下ろした。机を挟んで正面に長義が座ったのを見て手を合わせれば、同じように合掌した長義と特に意識することなく声を合わせて挨拶をする。
「「いただきます」」
大き目の木の匙をこんもりと盛った黄金の山へと差し込み、小さな山を作ってふうふうと息を吐きかける。南泉よりも手短にそれを済ませた長義がぱくりと食い付くのが見えても、焦らず念入りに冷ましてから恐る恐る口に入れる。
匂いや空腹に負け、この一口目を焦ったばかりに上顎を火傷しその食事が丸ごとあまり楽しめないという結果になったのは残念ながら一度や二度ではない。何故熱いものが苦手なやつを猫舌と呼ぶのか、南泉は何故それに当て嵌まるのか。詳しく考えたことも考えることもないのだけど、こういうときは正直にもったいなと思ってしまう。
熱いものは熱いから美味いのに。熱さを味わってしまうと本来の味が楽しめなくなるというのはどうにも本末転倒じゃないだろうか。
ハムの塩味と玉子の風味、ご飯の甘さに味付けの中華だしがほどよく混ざっていて我ながら上手く出来たと思いながら、掬っては冷まして口に入れてを繰り返していく。目の前の皿に集中しているのでその向こうにいる長義を注視していないが、動く気配と物音で恐らく南泉と同じように手を動かしているのだろうことが分かる。美味しいものはひとを無言にさせるんだって主が唸りながら歌仙の作ったぶり大根食ってたので恐らく間違いではないし、今まさにそれを証明していた。
それでも、せっかく作ったんだから感想くれてもいいんじゃないかとちらりと長義を見やれば視線に気付いたのか同じようにこちらを見て来て、視線が絡む。
「美味いか、にゃ?」
「ああ、美味しいよ。優をあげよう」
「なんで上から目線なんだよ」
「ふふ、冗談だよ。空腹はスパイスというけれど恋刀の手料理というのも大きな価値があるよね」
「……お前そういうとこ本当に長船だよなあ」
「俺はきみにしか言わないけどね」
「それ長船の連中は誰にでも言うって言ってるけどいいのか?」
まあ、南泉も長義とほぼ同意見であるが、こっぱずかしさは今の長義の発言も大して変わらないのだが。
あっという間に平らげて皿を綺麗に空っぽにした二振りは先ほどと同じように特に示し合わせることもなく合掌し、声を合わせて「ごちそうさまでした」と呟いた。すぐに立ち上がる気配もないので、ガラスのコップを持ち麦茶でのどを潤していると徐に長義が口を開く。
「それで、遠征はどうだったんだい?」
「……長かったな」
「体感がかい?え、でもそんな長期じゃんなかっただろう?」
長義の言葉に口を吐いたのは質問に答えていない、けれども南泉の正直な感想で。それを質問の答えだと思った長義が噛み合わない質問を重ねるのを頬を緩ませながら聞いた。
遠征から帰還をして、別に遠征の話でなくても長義と話がしたくて、ようやっとだ。そういう意味での長かった、である。だって、南泉が戻ってから一体何時間経ったと思っているのか。
事務仕事であれど役目を果たしている長義をわざわざ引き止めてまでするような話はなかったし、いつでもいいとは思っていたが流石に日を跨ぐとは思ってもいなかった。そう考えるとだんだん面白くなってきて、くすくすと笑いが零す南泉を諫めることもなく不思議そうに眺める長義に、笑いはいつまでも止まりそうになかった。