第35回毎月ちょぎにゃん祭り お題「菜の花」ああ、でも、おお、でもない声が重なったのはほんの一瞬のことで、そのあとどちらともなく口を噤み、ふたりの間に静寂が流れた。
それぞれの視線はお互いになく、横に並び立った形で同じ方向を向いている。それは一面黄色の花のじゅうたんであった。時折吹く風に左右に揺られる背の高いその花は南泉の本丸で咲くものと同じだが、規模が違う。本丸でも壮大な敷地一面に咲くことがあるが、これはその倍近くあるのではないだろうか。視界一杯に広がる黄色はただただ圧巻と言うしかなかった。
今日は朝餉の当番を受け賜った以外非番であった南泉は、夕餉の当番までは非番である長義が時間を無駄に過ごすのが嫌だと、主からかっ攫って来たおつかいに付き合わされ、昼餉も食べることなく万事屋街へと足を運んでいた。
やれ手伝い札だ、やれ団子だ、と買い回る長義の抱える荷物を片っ端から奪い、次から次へと店を移って行くその背を追った。そろそろ転送してもらわねえと手が足りねえななんて思っていたら、酒飲みどもから頼まれていたらしい酒屋に寄って、大量に注文した後南泉が抱えていた荷物も一緒に転送してもらえるよう頼んでいて、気が付けば文字通り手持ち無沙汰になっていた。そしてその酒屋でつかいは終わりだったらしく、そのあと仕方ないから昼餉くらい奢ってあげるよという偉そうな台詞に何かを返す元気もなく、ならば遠慮も要らないかと蕎麦を強請り、しっかりと天麩羅もつけておいた。
そうして腹ごなしを済ませ店を出たところで「そろそろ帰るんだろ?」と尋ねた南泉に対し、珍しく歯切れの悪い返事をする長義に小首を傾げることになった。つかいは済んだとはっきりと長義の口から言われたし、他に頼まれた用事もないと聞いた。少し遅い昼餉も食べ、もうここに用はないだろうし用もないのにウロウロするようなやつではないのを南泉もよく知っているので、即答されるだろうと思っていたのにどういうことだろうか。
店の前にいつまでもいるわけにもいかないと歩き始めていたのだが、半歩前を歩く長義は帰還門へと向かっている様子もなく、南泉には言い出しにくいが行かなければいけない場所がまだあったのだろうかなんて考える。
言えない場所について来られるのは困るんじゃねえのか?と思うものの、それならば少し時間を潰して来てほしいときっちり口に出すだろう。ならば、このおかしな様子はなんだろうなと思考に浸りそうになった南泉は少し周りの様子が変わったのに気付く。
「にゃんだ?」
「人が増えて来たね」
「んー、ああ、あれか?」
僅かに多くなった人波の奥に視線を向ければ、隙間から大安売りの旗が立っているのが辛うじて確認出来た。あの店は日用雑貨を売っている店だったか。いくら審神者が高給取りと言われているとはいえ、どこも大所帯だ。必要なものは安く買えた方がよりいいのだろうということは簡単に予想がつく。でも確か、
「頼まれもんはねえんだよにゃ?」
「うちの本丸は日用品の類いは急ぎの物以外はほとんど通信販売で済ませるからね。それより少し歩き辛いな、道を変えようか」
「ここって一本道じゃねえのか?」
「道らしい道がなくて脇に入っても、どこかには出られるんじゃないかな」
「お前わりとそういうとこ大雑把なんだよにゃ……」
「ほら、行くよ!」
冒険心と言うやつだろうか。どこか楽し気に見える長義に、これまた珍しいなと目を瞠る。南泉の中の山姥切長義像でいくと、人混みは我関せず突っ込むか華麗に回れ右して来た道を戻るだろう。
合理的と言うべきなのか無駄を嫌うと言うべきなのか。どこへ出るか定かでない道へ入って行くのは、正にらしくない、のだが。先ほども帰還門へ向かわなかったところをみると本丸に戻りたくない理由があるのか、時間を潰したい何かがあるのか。
まあ、南泉も帰ったところで昼寝以外することもないしまだ日は高い。夕餉当番に間に合う時刻には戻ると言うだろうから付き合ってやるかにゃ、と後をついて行った先にあったのが、広大な土地に広がる一面の菜の花畑であった。
天気がいいお陰か、陽の光に照らされる黄色は輝いて見えて、どこか眩しく思えた。反射するとも思えないが、そう言わなければ説明がつかないくらい密集した花のどれもがぴかぴかとして見える。少し目を細めて、すっかり春なんだよなぁと思うと今度はそれを口で味わいたくなってきた。
「辛子和えが食いたくなるにゃ」
「花より団子かい?」
「見てるのも綺麗だけど腹は膨れねえしな。どっか売ってねえかにゃ?」
「うーん、来た道を戻っても人並みに呑まれるだけだろうから、この道を進んでみるか」
「あったら今日の夜一杯やろうぜ」
「構わないけどどっちが作るんだい?」
「え、お前燭台切に頼めよ」
「祖に酒の肴を作って欲しいと頼めと……?」
「俺が言うよりは喜んで作ってくれるだろ。どうせなら美味いもん食いてえしにゃ」
「まあそれは俺も同感だが……南泉も一緒に来て頼むならいいよ」
「うし、決まり!」
二振りで行く方が恥じらいとかあるんじゃねえのかと思ったけど、口に出すとめんどくさそうだから、上手く飲み込んだ。
そう言えばこうして二振りで当てもなく彷徨って、うろつきながら目的を決めるだなんて初めてだなと頭の端で思う。二振りで出掛けたことが無いとは言わないが、大抵は主の遣いかどちらかの必要なものの買い出しで、その目的のあと茶屋に入ることはあれどそれ以上何かを見たりしたりなんてことはなかったのだ。
逢瀬……主がよく言うデート、というのはなかなか会うことの出来ないものがするものであって、同じ本丸に住む南泉達には関係のないものだと思っていた。本丸内ではそれこそ揃って花を愛でる事もあった。が、大抵は縁側から見える範囲だけで、長義と南泉が二振りで茶や酒を飲んでいればどこからか現れる誰かが冷やかして去って行くので、落ち着いて見れないことの方が多かった。
そう考えれば何となく先ほどまでの長義のおかしな行動の訳が分かるような気がした。そして菜の花から目を離し、次の抜け道を探す長義に答え合わせの如く言葉を投げかけることにした。
「デートみてえだにゃ」
「……ふ、そうだね」
僅かに口角が上がったのが視界の端で見て取れて、不器用なやつだにゃ、と南泉も顔が緩んだ。