甘い熱(つるみか♀)の小話 ぽん。ぽぽん。
可愛らしく爆ぜる音とともに、次々と白い小さな塊が飛び出してくる。それを見て喜ぶ姿に、三日月も笑みを浮かべた。
「このような物があるとはな」
「ああ、これは凄いな!」
きらきらと目を輝かせ、三日月の方へ振り向く鶴丸の声がいつになく弾んでいる。それにつられて、三日月の口元もどんどんと大きく弧を描いていく。
「まさか、これを作れる機械がうちにくるとは!」
下は車輪の付いた台車。上には大きな硝子の箱。その真ん中の鍋から、たくさんの白い小さな塊が下へと落ちていく。見た目も面白いその機械は、様々な偶然が重なり三日月が譲り受けたものだ。
「出来たてのポップコーンを食べるのは初めての経験だ」
鶴丸のお腹がくぅと鳴く。その様子に、三日月は声を上げて笑った。
きっかけは、道に蹲っていた少女を助けたことであった。助けたと言っても、三日月は声をかけて手を差し伸べただけだが、彼女は親切にしてくれた礼にと三日月を家へと招待してくれたのだ。
「それで、そこで大食い競争を始めた、と?」
「勝てば帰してやると言われたのでな」
騙されたわけではけしてない。少女は盛り上がるものたちを諌めようと必死だったのだが、いかんせん三日月が行った時は宴の最中だったようで、皆が酔っ払いだったのだ。三日月が勝たなくとも、何かしらの理由をつけて帰してくれただろう。
「切ってしまえば良かっただろう」
「悪気があったわけではないだろうからなぁ」
酔いが回り、楽しんでいるところに水を差すのも野暮と言うもの。なにより、少女はただ三日月に礼をしたかっただけなのだ。宴に巻き込まれてしまったのは少女にとっても誤算だったはず。
「へぇ。それで、少食のきみがよく勝ったものだな」
「……鶴丸」
三日月の長い髪を梳かしながら話を聞いていた鶴丸が、口を尖らせそっぽを向くのを鏡越しに見る。主好みの古い西洋骨董家具の椅子におとなしく座りながら、そんな恋刀の態度に三日月はただ眉を下げるしかなかった。
「俺は少食ではないと言っているだろう。この本丸にきて、お前たちほどではないが、これでも前よりは食べられるようになったのだぞ?」
三日月は元は別の本丸で顕現された女性体を持つ刀である。だが、縁あって妖怪の主が納める本丸へと預けられたという経緯があった。食わず女房と呼ばれる主がいるこの本丸は、彼女の影響を受けて皆大食らいなのである。そのため、至って普通の食事量である三日月は、彼らにとってはとんでもなく食が細い認定されてしまった。
正式にこの本丸の刀になったことで、当初はわけあって弱体化していた身体も、普通の刀剣男士と何ら変わらなくはなったものの、まだまだ彼らの食事量には追いつかない。
「きみ、ついこの間まで折れかけてたんだぞ」
「主が再び顕現してくれたおかげで今は何ともないと何度も言っているだろう」
「相変わらずきみは全然食べない」
「お前の目は節穴か」
じとっとした目で三日月を見る鶴丸に、思わずため息をつく。思えば、鶴丸は初めて会った時から過保護が過ぎる。恋仲になってからは特に。
「心配してくれているのはわかる。だが、こうして無事に帰ってきただろう?」
今度は、鶴丸がため息をつく番だった。
「きみ、なあ! ひとりで万事屋に行くと言って、帰ってきたのはその三日後だぞ! 心配どころじゃなかったに決まっているだろう」
三日月にとっては数時間の出来事だったのだが、驚いたことにどうやらこちらではすでに三日が経っていたらしいのだ。
「しかも、きみが帰ってきた時の第一声が、大食い競争に勝ったぞ、だぜ」
「それは、その、嬉しくて……」
この本丸で一番少食だと言われている三日月が、酔っ払い相手とは言え大食い競争で勝てたのだ。ただいまよりも先に勝てた喜びの方が大きく、玄関で殺気立ちながら三日月を待っていた鶴丸の顔を見た瞬間、思わず言ってしまったのである。
「マヨヒガに招かれた上によもつへぐいまで……そんな驚きはもう二度と味わいたくないな」
「はっはっはっ。すまんなぁ」
「笑いごとじゃあないぜ」
三日月が招かれたのは、人ならざるものの家だった。東北地方の似たような伝承に倣うなら、マヨヒガと言う。人間から見れば何も住んでいない家だが、三日月の目線から見れば似たような存在が常に宴を開いている家である。三日月が声をかけた少女も、気配が人間ではなかった。
「人間ではないのだから、よもつへぐいにもならんよ。あちらで美味しい食事をご馳走してもらった」
「そーかい、そーかい」
「鶴丸が隣にいればもっと美味しいと感じたのだろうな」
「そっ、…………本当に、きみというやつは」
鏡越しに三日月は鶴丸を見てにっこりと笑う。器用に三日月の長い髪を結い上げていた鶴丸の顔が、みるみると赤くなっていった。
「主から、きみは折れていないからまだ大丈夫だと言われていても、生きた心地がしなかった」
三日月の肩に、鶴丸の頭が置かれる。柔らかい髪の毛が頬をくすぐり、思わず笑みが零れた。
「きみをひとりで行かせるんじゃなかった」
ぐりぐりと頭を肩に押し付けられ、座る三日月の腹に鶴丸の腕が回る。拗ねた子どものような仕草に、三日月はその頭に自身の頬を寄せた。
「鶴丸」
万事屋へひとりで行きたいと言ったのは三日月だ。きちんと主にも許可を取った。今回ばかりは、鶴丸と一緒に行くわけには行かなかったのだ。
懐から取り出した箱を、その頭へと乗せる。
「……ん?」
鶴丸の手が伸び、三日月の手ごと箱を掴む。顔を上げた鶴丸は、箱と三日月の顔を見比べた。
「お返し、だ」
「お返し?」
白い包装紙に赤いリボン。細長い箱をじっと見つめる鶴丸に向かい合って座り直した三日月は開けてみろと促す。
「箸、か?」
全体的に白いが、だんだんと持ち手にかけて夜明けの空の色をしている。そして、そこに昇っているのは月だ。
「三日月が浮かんでいる」
持ち上げて箸を眺める鶴丸が満面の笑みを浮かべる。恋刀に自分を思わせる意匠のものを渡すのは少々恥ずかしいが、喜んでくれているようで良かった。
「その、俺と色違いだがお揃いだ」
三日月の箸は、青い箸に持ち手が白。そこを飛ぶのは、もちろん鶴だ。
「きみ、ずいぶんと可愛らしいことをするじゃないか。だが、お返しに心当たりがないんだが」
結あげられていない三日月の横髪を掬い、鶴丸がそこへと口付ける。付き合い始めた頃は鶴丸のひとつひとつの仕草に顔を赤くしていたが、最近はようやく慣れてきた。気がする。多分。
「そ、それは、あの時鶴丸は意図してなかっただろうが、その、現世のお祭りの日に俺へとチョコレート菓子を作ってくれただろう? そのお返しをしていなかったと思ってな」
本当は三日月が渡したかったのだが、あの時は身体に力も入らなくなっていたのだ。そして、その後のごたごたで本来お返しをする日も過ぎ去ってしまった。
だから、ひとりで万事屋に行っても良いと許可をもらうまで待っていたのである。まさか、そこでマヨヒガに招かれるとは思ってなかったが。
「あの時は、その……」
ひいたと思っていた鶴丸の顔が、みるみる赤くなる。耳まで赤いその姿に、三日月もまたじわりと熱がぶり返した。
「きみがチョコを用意してくれようとするのがわかって……内心浮かれていた、と言うか……」
「そ、そうなのか?」
思わず、自分の頬を押さえる。あの時は、三日月の片恋だと思っていた。だから、三日月のさり気なくチョコレートを渡すという思惑は鶴丸にはお見通しだったらしい。
「来年は俺が作りたい。受け取ってくれるか?」
「当たり前だな。むしろ俺以外には渡してほしくない」
三日月を持ち上げて、鶴丸が椅子に座る。その膝の上に乗せられた三日月はむくれる鶴丸の額に口付けを送った。
「あれは主と作る皆への義理チョコだ。お前には特別なものを用意するぞ」
「……仕方ないな」
口ではそう言うも、まったく納得していない顔の鶴丸に笑いが零れる。それでいて僅かに口元が弧を描こうとして歪んでいるのがまた三日月の笑いを誘った。
「まったく、きみには本当に叶わないぜ」
鶴丸の手が三日月の頬へと伸びる。近付いてくる顔に、三日月は目を伏せ、
「三日月ーーー!!」
この本丸の初期刀の大声に再び目を開けた。
「な、何だ?」
「良いところで……」
どうやら緊急事態のようだが、危険が迫っているようなものではない雰囲気だ。なにやらざわざわと玄関の方が騒がしい。
再び名前を叫ばれ慌てて部屋の外へ鶴丸と一緒に顔を出せば、ばたはだと足音を立てて陸奥守と太鼓鐘が凄い形相で向かってきていた。
「こがなところにいたがやき!」
「早く玄関まできてくれ!」
「おいおい、いったいどうしたってんだ?」
「いいから、おんしも!」
「おい、陸奥守」
鶴丸とともに三日月はふたりに玄関まで引っ張られる。集まった刀たちの間をすり抜け、見えたのは何やら大きな機械であった。
「これはいったい……?」
「ぽっぷこーんをつくるきかいですよ!」
今剣がきらきらとした目で、ぴょんぴょんと嬉しさを抑えきれないように岩融の服を掴んで飛び跳ねている。周りを見れば、皆同様にそわそわしていた。
「三日月宛に届いちょったらしい」
陸奥守から手紙が渡される。そこに書かれてあったのは、三日月の名前と礼の言葉。幼い少女が書いたような字に、あの子からの手紙だと思い至る。
「もしかして、マヨヒガの伝承通りならまさか……」
あの話は、確か赤いお椀が流れてきたのだったか。それで米
掬うと、中身が減らないというものだったはず。
「主は何処に?」
「一応、問題がないか政府に聞きにいっとるき」
危ないものではなさそうだよ、と言う石切丸の言う通り見た目には何も問題ないように思える。
「これ、使えんのか?」
肥前の言葉に、皆口を閉じた。おそらくだが、三日月以外考えていることは同じだろう。
「……政府からの許可を待つしかあるまい」
誰かの腹の音が盛大に鳴った。
結果、機械は問題なかった。
だが、作るにもひとまずポップコーンの適したとうもろこしの品種を用意しなければならない。普通の物では駄目なのだそうだ。その日は、結局機械をしまうだけとなってしまった。
そして、その1週間後。ようやく機械を動かす時がきたのである。
「おお……」
もともと出来上がったものしか見たことがなかった三日月は、とうもろこしが破裂して出来ることを初めて知り喜んだ。だが、三日月以上に喜んでいる鶴丸を見れたことが一番良かったと思った。
「まさか、万事屋のおまけ菓子がこれに変わるとはな……」
道に蹲っていた少女に声をかけたのは、万事屋の買い物の帰り道。その日寄った店は、開店からきりの良い年数が経った記念にとおまけに菓子を配っていたのだ。三日月は足を怪我していた少女にその菓子をあげて、彼女の道案内で送っていったである。その菓子というのが、ポップコーンだ。
「ほら、三日月」
ずい、と三日月の前に白い塊を掴んだ鶴丸の指が差し出される。
「俺が先に食べて良いのか?」
「この機械は三日月への礼だせ。最初に食べる権利はきみにある」
あ、と口を開けた三日月に、鶴丸がそれを放り込む。軽い食感と僅かな塩味。それと温かいポップコーンは食べたことがあるものとはまた違った美味しさがある。
「美味い……!」
「それは良かった」
「はい! はいはい! 次は俺たちも食べて良いですか!」
「良いぞ良いぞ。皆で食べよう」
三日月が食べるのを待っていたのか、先陣を切った鯰尾を始めとして、次々と皆が食べたいと集まってきた。自分の分を取り分け、三日月は鶴丸と一緒に後ろの方へと下がり並んで座る。
「大盛況だな」
皆が楽しそうに機械に集まる様子を見守りながら、三日月もまた笑みを浮かべた。
「ま、美味いもんは皆で食べるに限るからな」
大きな器に盛ったはずだが、いつの間にか底が見えている。三日月も摘んでいたとは言え、さすがにそこまで早くは食べられない。相変わらず食べる量も速さもある鶴丸は、早々にすべて食べ終え器を横へと置いた。
「……もしや、まだ怒っているのか?」
「いいや、別に怒ってはないさ。ただ、」
立てた膝に肘をつき、鶴丸は三日月を見つめる。その瞳がゆらゆらと揺れているように感じるのは、自分もそうだからだろうか。
「俺も、きみが隣にいるとずっと美味しく感じるなと思ってな」
そう言った鶴丸の顔が急に近付いたかと思えば、生暖かいものが唇に触れた。
「な、」
べ、と出した鶴丸の舌の上に、白い小さな屑が乗っている。どうやら、三日月の口の端に付いてたものらしい。
「っ、鶴丸……!」
顔が燃えるように熱い。
「はははっ。甘いポップコーンも良いものかもな」
慌てふためく三日月を笑う鶴丸の、その腹に一発入れてやろうかと思ったが、その耳が真っ赤に染まっているのを見て考え直した。
「……そうだな、俺も甘いものは好きだ」
小さく笑い、上目で鶴丸を見上げる。そして手を伸ばした三日月は、鶴丸の口の端に付いた屑を指で取って舐めた。
「み、三日月」
慌てふためく鶴丸の顔が耳よりも真っ赤に染まっていく。それを見ながら、三日月は声を上げて笑ったのだった。