つるみか無配「きみ、一体何処で何をしていたんだい?」
鳥が囁き厨当番や畑当番の刀たちが起きる頃。とある事情で朝帰りをした三日月宗近は、自身の部屋の前で鶴丸国永に胸倉を掴まれていた。
「なに、少々、野暮用、だな」
下から持ち上げられ、若干息が苦しい。だが、離してほしいとは言えない雰囲気である。そもそも、鶴丸の怒りに、三日月は心当たりがなかった。
「野暮用、ねェ。何処ぞの鶴丸国永を引っ掛けてよくもまあ俺の前に出てきたもんだ」
「……それは、すまない」
確かに、今の三日月はこの本丸の刀ではない鶴丸の気配をさせている。鶴丸からすれば、自分であって自分ではない気配を纏った三日月が本丸内を歩き回ろうものなら、誤解されてしまうと思うに違いない。
「今日は部屋から出ないようにしよう。なあに、たまには寝て過ごすのも悪くない」
そう、鶴丸には好いたものがいる。それが誰であるか三日月は知らない。否、知りたくないと言うべきか。
「だから鶴丸。離してはくれないだろうか」
誤解されたくはないだろう。
ずきずきと痛む胸を無視し、三日月は俯いて鶴丸からそっと目を逸らす。胸倉を掴む手をやんわりと外せば、鶴丸はその腕をすんなりと下ろした。
「すまんな」
手は離されたはずなのに、まだ胸が苦しい。顔を上げないまま、三日月は鶴丸に背を向け自分の部屋の障子に手をかけた。
いつからと問われれば、いつだろうかと答えるだろう。恋だと気が付いたのは、戦場で折れかけた時だった。
雨の降る江戸の市街地。予想以上の敵の猛攻に三日月率いる第三部隊は苦戦を強いられていた。さらには検非違使までもが現れ、三日月は部隊を逃がすため最後まで残っていたのである。御守りも発動し、利き手はやられもはや気力で立っていた三日月の心を占めていたのは、鶴丸のことだった。
会いたい。最期に一目だけでも。
敵の大太刀の動きがやけにゆっくりと見えた。終わりか、と思ったその時。
「三日月!」
目の前に現れた白い鳥が、三日月の名を呼んだ。敵を切り捨てたその背中が、赤をまき散らしながら振り向く。その頼もしい顔を見て、三日月の胸は軋むほどに高鳴った。だが一瞬にして血の気が引く。そして自覚なく頬を濡らした三日月は、鶴丸の姿を目に焼き付けて気を失ってしまったのである。
――三日月は、鶴丸への恋心を自覚したと同時に失恋した。
鶴丸には好きなものがいるらしい。それは本丸のほとんどが知っていることだ。三日月ももちろん知っていた。だが、いる、ということは知っていても誰かまでは知らない。何振りかは知っているらしいが、三日月は聞きだそうとは思わなかった。この時は好奇心で聞くものではないと己を納得させていたが、今思えば聞きたくなかったのかもしれない。
鶴丸がいかにその人間なのか刀なのかそれとも他のモノなのかわからないものが好きだという話を聞くたび、三日月の心はいつだってざわついていた。自覚がなかった頃はその程度で済んでいたが、自分の心を知ってしまった今では、普通の顔をして聞ける気がしない。
だからか、普段なら絶対に乗らない誘いに惹かれてしまったのは。
「こんなところで何をしているんだ?」
「……鶴丸、国永」
時の政府の建物は、秘されている場所以外は常時解放されている。会議や他に催し物が行われるこの場所を主や他の刀に聞いていた三日月は、同じく休みの鶴丸と顔を合わせたくなくて、何も考えずに此処まできた。
まさか、そこで鶴丸国永に声をかけられるとは思わなかったが。
その顔を見た瞬間、思わず顔を歪めてしまい慌てて取り繕う。だが、鶴丸国永がそれを見逃すわけがない。俯く三日月の顔を、誤魔化されてくれない目の前の刀が覗き込む。
聞かせてくれと囁くその顔が、かつての小さい雛鶴を思い起こさせた。なぁ、と三日月の袖を引き少し遠慮しがちに見上げてくるその顔を見ると、思わずその願いを聞き入れてしまいそうになる。
鶴丸国永のおねだりには、弱い。心の内を明かしてしまった三日月だったが、まさか目の前の刀も同じだとは思ってもいなかった。
「傷の舐め合いでもするかい」
予想しなかった鶴丸の言葉に、三日月は聞き間違いかと目を瞬かせたのは仕方ない。ぽつりと話だした鶴丸国永の、懐かしむようで、それでいて痛いほどに悲しみを浮かべた遠い目をしたその姿に、三日月の心が苦しくなる。
今言ったことは忘れてくれ、と口にする彼だが、その顔はまるで見捨てないでと言っているようだった。その頬に思わず伸ばした三日月の手は、震えていたのだと思う。三日月の身体を抱きしめたその腕の力は、軋むほどに強かった。
頬が濡れていると気が付いたのは、目尻を温かい舌で拭い取られたからだ。三日月は鶴丸国永を受け入れた。だが、心の奥底では虚しいとわかっている。それは、目の前の刀もそうだ。おそらく本刀は気付いてはいないだろうが。三日月の顔に落ちてくる雫に舌を這わす。それは、しょっぱいはずなのに、何故か酷く苦かった。
身体を重ねて、空いた心を一時でも埋めて。日が昇る前に目が覚めた三日月が最初に思ったのは、やはり虚しさだった。
隣で眠る鶴丸国永はまだ起きる様子はない。慣れない行為で痛む身体を叱責して起き上がった三日月は、すまないと思いつつ、部屋にある机から紙と筆を拝借して手紙をしたためた。
謝罪と礼から始まり、乗ってしまった三日月も悪いがあまり自分の心を無下に扱うのはやはりやめた方が良いと説教じみたことを書き記す。もしかしたら、冒頭だけ読んで捨てられてしまうかもしれない。それでも書かずにはいられなかった。
「鶴丸国永。いつかお前の心を埋めるものが現れることを、祈っているぞ」
もう会わない方が、お互いのためである。傷の舐め合いで埋まる穴など、初めから埋められるものではないのだ。
「さらばだ」
眠る鶴丸国永の頭に手を伸ばして撫でる。昔はよくしていたことだが、青年の姿で顕現した今はなかなか難しい。柔らかな髪に何時までも触れていたいが、そろそろ帰らなければ主に心配をかけてしまう。
名残惜しいが、三日月は静かに部屋を出たのだった。
お互い初めてであったからか、あの鶴丸国永も無意識に三日月に神気を注いでしまったようだ。政府の刀ではあるが、鶴丸国永には違いない。鶴丸の神気だとは気付けても、個体まではわからないだろう。
鶴丸の好いたものに気付かれないよう、三日月に注がれた神気が消えるのを待とうと思ったのだが。
「――――」
「⁉」
背後の鶴丸が何か呟いたかと思えば、背中に強い衝撃を受け、三日月は勢い良く部屋の中へと倒れ込んだ。
「鶴丸?」
咄嗟に両手をついたものの、すぐに肩を掴まれ仰向けになる。上に跨られて動きを封じられた三日月は、見上げた鶴丸の瞳の中に揺らめく炎を見た。それは酷く冷たく、まるで怒りを抑えているようにも見える。
「どうやら俺は、きみのことを見誤っていたらしい」
障子を閉められ僅かに漏れる陽の光が逆光となる中、鶴丸の瞳だけが煌々と煌めく。静かな声音で語り三日月の頬を撫でて唇をなぞる鶴丸の手は、酷く冷たい。それに身震いする三日月に、鶴丸は暗い目で笑った。
「まさか、先を越されるとは思わなかったなァ。しかも、それが鶴丸国永とは」
「つるま、!」
生暖かいもので咥内をまさぐられる。それが鶴丸の舌であると気付いた時には、三日月の両手は鶴丸に囚われて身動きできないように畳へと縫い付けられていた。
「ん、ふぅ、う」
息をも奪われるような激しい口付けに、三日月の目尻から涙が流れていく。止めようにも先に顕現していた鶴丸の方が力は強い。さらには休みなく注がれる大量の神気が三日月の身体の中で暴れまわっている。まるで、初めに注がれていた神気を塗り替えるように。
「っ、は、ぁ、はぁ、」
「ふん。こんなもんか」
解放された時には、三日月は既に息も絶え絶えだった。大量の神気を注がれ、それがずっと身体の中で渦巻いている。こんな状況だというのに、嬉しいと思ってしまうのは、惚れた弱みだろうか。
「俺を弄んで楽しかったかい? だが生憎と俺はそんなことできみを手放す気はないぜ」
酸欠でうまく頭が回らない。何を言われているのか理解できず、三日月は大量の神気を浴びた身体を投げ出したまま鶴丸を見上げた。
「残念だったな、三日月。きみはどうあがいても俺から逃げられない」
そう言って仄暗い目をした鶴丸が、三日月の頬をゆっくりと撫でる。その尋常じゃない不穏さに三日月は首を傾げた。
「お前は、何を言っている……?」
弄ぶだの逃げられないだの、三日月には鶴丸が何を言っているのかさっぱりわらかない。
「鶴丸、お前には好いたものがいるのだろう。こんなところを見られれば誤解されるどころではないぞ?」
障子は閉じられているとはいえ、万が一ということもある。そうなれば、困るのは鶴丸だ。それで鶴丸が振られるようなことがあれば、三日月は主に刀解を願ってしまうかもしれない。
「………………は?」
だがしかし、三日月の予想とは裏腹に鶴丸はこれでもかと目を見開いてぽかんと口を開けている。三日月を見下ろすその瞳には、さきほどの仄暗さは消えていた。
「きみ、本気で言っているのか?」
一転して今度は信じられないようなものを見る目で鶴丸が三日月を見下ろしてくる。その表情に三日月も何かがおかしいと気が付いた。
鶴丸の言動を思い出す。そして、思い当たることがひとつ。
「……お前の好いたものとは、その、まさか」
おそるおそる、三日月は口を開く。自惚れかもしれないが、口に出さずにはいられなかったのだ。
「俺、か……?」
はくはくと鶴丸が口を開ける。その額に血管が浮かび上がるのを、三日月は見た。
「――気付いてなかったのかよ‼」
ふざけるなと、叫ぶ鶴丸に三日月は動揺することしかできない。まさか、鶴丸の好いたものとは自分だとは思いもしなかったのだ。
「俺がきみを好きだと本丸の誰もが知っていることだぞ!」
「そ、そんなこと俺は知らなかったぞ!」
それは初耳だ。まさか本丸の全員が知っているとは。
「まさかきみがそこまで鈍いとは思わなかった」
「言わねばわからぬと、昔から散々言っているだろう」
妙に人見知りを発揮していた昔の鶴丸を思い出す。三日月の背に隠れては、名前を呼ぶ鶴丸を甘やかしたのは間違いなく自分。思わず頭を抱えそうになる。
「だいたい、きみだって俺のこと好きだろう⁉」
「そ、れは」
じわじわと、顔に熱が集まっていく。三日月は必死に隠していたが、鶴丸にはお見通しだったのだろうか。
「待て、きみもしかして覚えてないのか?」
「覚えていない、とは?」
きょとんとする三日月の反応に、鶴丸は頭を抱える。どうやら、三日月が忘れていることがあるらしい。力尽きたように三日月の肩に鶴丸が頭を乗せる。未だ上から退かない鶴丸ではあるが、三日月はその頭にぽんぽんと手を乗せた。
「きみが折れかけたあの日、きみが言ったんだ。俺が好きだったって」
鶴丸の頭を撫でていた手が止まる。あの時は鶴丸への恋を自覚したばかりだった。だからだろうか、折れると思い無意識に言葉に出していたのかもしれない。
「だから、俺は……きみに伝えるつもりだったのに、」
部隊も違うため休みもあまり被らず、さらには三日月も鶴丸を避けていたため、どうやら機会を逃していたようだ。
鶴丸には悪いことをしてしまった。きちんと謝りたい。そう思い、三日月は身体を起こそうとするが、上に乗っている鶴丸が強い力で三日月の肩を押しているため身動きできない。ふと何か嫌な予感が過る。
「まさかきみが、他の俺の気配を纏っているなんて思わなかった」
「それは、すまな」
「なあ」
三日月の言葉を遮り、身体を起こした鶴丸がこちらを見下ろす。その瞳には、さきほど見た怒りの炎が渦巻いていた。
「きみに手を出した愚か者は誰だ?」
それは鶴丸国永だが、そういう意味ではないことはわかっている。だが、今にも首を撥ねに行きそうな鶴丸を前に三日月は口を噤んだ。
「だんまりかい?」
だが、鶴丸はそんな三日月の態度が気に食わないらしい。どうすれば良いか考えた末に、三日月は鶴丸の首に腕を回し引き寄せた。
「今は余所を見てくれるな」
唇を押し付け口付ける。最初は触れるだけのそれも、三日月が薄く口を開ければ、すかさず鶴丸の舌が咥内へと侵入しては好き勝手に貪っていく。
鶴丸からの深い口付けに翻弄されながらも、三日月はあの政府の刀を思い出した。あの失恋した鶴丸国永が自暴自棄にならなければ良いが。そうでなければ、目の前の鶴丸のような刀が出てこないとも限らない。
だが、今の三日月にはそうならないように願うしかないのである。