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    amayadori_kasa8

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    amayadori_kasa8

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    いっぱい食べるきみが〜のCMを思い出しながら書きました。
    にょたを書いてみたかったんです。でもにょた要素生かしきれなかった気がします。

    ⚠️注意⚠️
    三日月が先天性にょた(一人称変わらず)。
    弱体化してます。
    特に黒くもない黒本丸の話があります。
    審神者が人外。他にも人外が出てます。
    捏造ありまくり。

    好きな要素を好きなだけ入れた闇鍋です。
    何でも美味しく食べれる人向け。

    #つるみか
    gramineae

    甘い熱 食わず女房という名の妖を知っているだろうか。
     あるところに、妻帯していない男がいた。食事をせずよく働く者がいれば嫁に迎えても良いなどとのたまうその男に、ある時望み通りの女が現れる。嫁となったその女は男の望み通り飯を全く食わず、働き者であった。しかし、何故か米をはじめとする食糧の減りが早い。こっそりと食べているのではと訝しんだ男が仕事に出かけるふりをして家を覗くと、嫁が大量の握り飯を作っていた。そして、嫁は結っていた髪を解くとそこにはなんと大きな口が。そこへ握り飯を次々と放り込む女を見て、男は嫁の正体が人間ではないと知った。男は女に離縁を申し出たが、本性を現した女は男を攫い自分の住処へと連れ込もうとする。隙を見て逃げ出した男は菖蒲の生えた湿原に身を潜めることによって、なんとか助かったのだった。

     その件の妖が、この本丸の主である。
    「ふむ、これは奇妙な縁もあったものだな」
    「ふふ、そうですね」
     上品に笑う目の前の女性は、話に聞くような山姥の類いとは程遠い。三日月は隣に政府の職員をちらと見れば、その視線を受け、彼は更に丁寧な説明をしてくれた。
     彼女は現代に生まれ育ち、そのような妖は昔のように人を食うことは滅多にないらしい。ということは食うこともあるのか、と三日月が問えば本丸の主は首を振った。
    「光忠や歌仙のご飯の方が何倍も美味しいと思います」
     その答えは、酷く曖昧だ。人を食べたことがあるようにも、ないようにも取れる。だが深くは追求することはせず、三日月はただそうかと頷いた。
    「さて、以前お伺いした件ですが」
     職員が切り出した言葉に、本丸の主は両の手を口の前で合わせ笑みを浮かべる。
    「ええ、ええ。わたくしたちに異論はございませんわ。三日月宗近、暫しこの本丸であなたを預かります」
    「世話になるな」
    「この本丸の主は妖だけんど、良いところやき。安心せぇ」
     彼女の隣で、初期刀であり近侍でもあるという陸奥守吉行が屈託のない笑顔で豪快に笑った。客間に案内されただけではあるが、この本丸が良いところであるのは穏やかな雰囲気が流れていることからわかる気がする。
    「ええ。それに、今やあの男は牢屋の中です」
     妖の主が、手袋を外していた三日月の手を取って両手でそっと包み込んだ。人間ではないとはいえ、その手はとても柔らかくて暖かい。戦わないモノ、三日月が守るべきモノのひとつだ。
    「あんなクソみたいなド屑男のことなど忘れてしまいなさいな」
     ド屑男。その言い草に三日月は僅かに目を見開いた。品の良さそうな見た目と仕草から、かけ離れたと思うほどの暴言を吐いた本丸の主は、ふふとにこやかに笑う。三日月の事情を説明してあると聞いていたのである程度は知っているらしく、職員が補足説明しようとしたのだが、陸奥守がすっと前に手を出してそれを止めた。
    「わかっちょる。最後まで言わんでもわしらは気にせん!」
     職員の言葉を遮り、陸奥守が妖の主ごと三日月の手を握る。暖かいふたつの温もりは、血が通う生きているものの証。初めてこのように触れた温もりの、その感動に声を出せないでいる三日月をどう解釈したのか、ふたりは薄らと浮かべた涙を拭い立ち上がった。
    「それでは、早速歓迎会の準備を致しましょう! むつ!」
    「任せちょけ!」
     まるで嵐。あっという間に部屋から出て行ったふたりに、三日月と職員は呆然と見送るしかできなかった。去り際にあとで迎えに来ると陸奥守が言い残して行ったため、三日月はそのまま用意されたカステラに手を伸ばす。一応、話が終わるまでは手を付けずにいたものだ。茶請けにしてはやけに多い量のそれに舌鼓を打っていると、横から戸惑う声が聞こえた。
    「三日月様……」
     今度は職員が三日月を見る。その視線を受け、三日月は困ったように笑った。
    「まあ、折を見て俺から彼女たちに言うとしよう」
     三日月は刀剣男士たちを不当に扱う審神者の元に顕現した、所謂ブラック本丸出身の刀である。昼夜関係なく戦場に出陣させられ、手入れはしない、刀装も持たせてもらえない。審神者の機嫌を損ねればすぐに折られる。そんな典型的とも言えるブラック本丸で顕現された三日月だが、意外なことに被害は何ひとつ受けていなかった。
     と言うのも、三日月が顕現されたのは悪事が明るみに出たその審神者が逮捕される直前、悪足掻きとばかりに手に取った鍛刀されたばかりの刀が三日月だった、それだけである。そのため、元本丸の仲間が誰がいたのかも、すぐに捕まった審神者の顔もほとんどわからぬまま政府に保護されたのであった。
     ただひとつ、問題があったとするのならば。
    「そう言えば、俺が女であることは全く触れなかったな」
     首を傾けた拍子に、長い射干玉の黒髪が肩から滑り落ちる。広がる髪を眺めながら三日月は思ったことを口にした。ないものがあり、あるべきものがない。悪足掻きをした審神者の醜い欲望が顕現時に影響したのか、三日月は女性体として喚ばれた刀であった。
     足首まである長い髪にふくよかな胸元、くびれた腰になだらかな曲線を描く身体付き。何処からどう見ても、女性の身体をした三日月のことを、この本丸の主も近侍も何も言わなかった。おそらく、触れてはいけないと思っているのだろう。先ほど、陸奥守が三日月の手を握ったのは、主である彼女の手の上からだった。
    「一応、あの方には説明はさせて頂いたんですけれど……」
     何でも、審神者になる前の妖の主は男運がほとほとなかったらしく浮気をされては捨てられるを繰り返し、遂に堪忍袋の緒が切れた彼女はその男を食べようとしたらしい。だが、その浮気男というのが現世の仕事を兼業していた審神者であり、そこから時の政府に連絡がいき彼女が妖であることが知られてしまった。本来なら人間に害を成す妖は退治されるのだが、悪いのは明らかに男の方であったことと、審神者の適性があったと判断された彼女は現世には戻らないという約束の元お咎めなしということになったと言う。本人は現世に未練は一切ないらしく、逆に喜んではいたが。
    「聞いていなかったというか、聞き流していたというか」
     置かれていたお茶を飲みながら職員がため息をついた。髪の毛に隠れていない左目が三日月を見て、それからふたりが去っていった方向を見る。
    「それでも、彼女はとても優秀な審神者ですよ。えっと、その、全く問題がないとは言いませんが」
     妖である以上、何かしらの問題はあるのではないだろうか。人間を食べないとは言っていなかった。だが、彼女の様子からは邪な気も穢れも感じない。ゲートからここに来るまでに見かけた石切丸やにっかり青江、ふたりの山姥切もいたことから考えれば三日月の心配など杞憂だろう。
    「なに、彼女が何物であろうと気にせんよ」
    「そう言って頂けると助かります。問題のある本丸は掘れば掘るほど出てくるものでして……穢れを浄化できる人も妖も数が少なく、かと言ってそのまま放置するわけにもいきませんからね」
     ふふふと力なく笑う職員に、三日月は労わるように肩を軽く叩いた。元本丸に居た刀剣たちは今政府でカウンセリングとやらを受けているらしい。一振だけ遠目で見えた、同位体の男性の三日月宗近は、痩せこけた頬と目の下にくっきりと隈ができた姿だった。あの本丸では折れた刀も多かったが残っていた刀も多かったらしく、職員総出でケアに当たっていると聞いている。
     三日月を担当している彼もまた、他に訳アリの何振りかを担当しているのだが、人手不足で今回のブラック本丸騒動に駆り出されたらしい。普段は妖関連の担当であるから、三日月の預かり先も妖本丸なのだそうだ。ちなみにこの本丸の主、食わず女房である彼女は特に浄化の力があるとかではないらしい。ただ食に関することに特別な力があるらしいが詳しくは教えてはくれなかった。
    「さて、そろそろ僕は政府に戻ります。三日月様、また三ヶ月後に来ますので返事を考えておいてくださいね」
    「……」
     一時預かりと銘打っているが、三日月がこの妖本丸へと来たのは所属先を決めるためである。前の本丸にも主にも未練はない三日月にとっては、受け入れられるのならば何処の本丸でも良いのだが、決まりだと言われればそれに従うまで。
    「大抵の方は最初に訪れた本丸に行くことが多いですけどね」
    「そうか」
     出陣も手合せもなく、何もすることがなかった政府での生活とは違い、この本丸では他の刀もいて暇になることはないはずだ。何もなくてもブラック本丸出身の三日月は身を寄せていた妖の女性職員用宿舎の中以外は外出禁止であった。流石に本を読んで過ごすのも限界がある。一時預かりとは言え、せめて手合せあたりはできると良いのだが、と三日月はぼんやりと考えた。
    「三日月様なら大丈夫ですよ」
     三日月の心中を察してか、彼がふわりと微笑む。今あれこれと考えても仕方がない。三日月もまたそうだな、と微笑み返す。
    「それでは」
     すっと立ち上がった職員は部屋の中でも手放さなかった赤い唐傘を持ち、三日月に一礼し足音も立てずに去っていった。妖担当と言うだけあって彼もまた妖である。何の妖かまでは知らないが、おそらくは刀剣男士である自分たちと似たようなモノなのだろうと思う。人に使われた、モノの気配がする。
     残りのカステラを平らげ、茶も飲み干した三日月の耳に、こちらに向かって来る音が聞こえた。小さい刀だろうか、駆けて来る足音はとても軽い。
    「よっ、待たせたな!」
    「おや、迎えか?」
     開け放たれていた障子から顔を覗かせたのは、小柄な影。まさに元気いっぱいという言葉が似合いそうな彼はおそらくは短刀だろう。
    「あぁ! 俺は太鼓鐘貞宗! よろしくな!」
     太鼓鐘貞宗と言えば、伊達に縁のある刀だ。政府で元本丸にいた刀の名簿を見たことがあるため、名前と物語は知っている。
    「俺は三日月宗近。こちらこそ、よろしく頼む」
     太鼓鐘の笑顔につられ口角が上がった三日月は、これから始まるであろう妖本丸での生活に心を躍らせた。


     迎えに来た太鼓鐘が言うには、これから庭で肉を焼いたりして食べながら三日月の歓迎会をするらしい。政府で様々な年代の書物を読み漁り知ったばーべきゅーというやつか、と問えば、まぁ似たようなもんだと返ってきた。
     三日月が来ることは事前にわかっていたため、三日前から準備やら仕込みやらをしていたのだと楽しそうに話す太鼓鐘の言葉を聞いて嬉しく思う。顕現した時はわけもわからず政府に保護されてしまったため、こうして歓迎されているというのは、とても嬉しいことだと初めて知った。
    「ここの本丸は何か祝い事があればすぐ宴会を開くからな。皆張り切ってんだ」
    「それは楽しみだ」
     庭が近付いてきたのだろう、肉の焼ける良い匂いが漂ってくる。先ほど一本の半分くらいあったと思われるカステラを食べたのにもかかわらず、三日月のお腹がくぅと鳴った。それに気が付いた太鼓鐘は歯を見せて笑い、くいと三日月の袖を掴んで早足で庭への道を急ぐ。
    「おーい、連れて来たぜー!」
     廊下の角を曲がった先。思いもよらない光景に三日月は目を見開いた。太鼓鐘に袖を引かれていなければ足を止めていただろう。
     目線の先の庭の中央には、たくさんの料理が簡易の机の上に所狭しと並んでる。周りには鉄板やら何やらで肉や三日月にはわからないが何かの食べ物が焼かれていた。更に奥の方では、そこそこ大きな脇差でもすっぽり入れそうな程の大鍋が火にかけられている。それも五つほど。
    「これは、壮観だな」
     現在、顕現可能な刀剣男士は三桁に近い程。この本丸には全振とはいかないが五十以上の刀がいると聞く。食事の準備だけでも大掛かりになることは想像に容易い。だが庭の景観は何処へやら、ここまで全てが食一色に染まるのは初めて見た。
    「いやいや、これくらいで驚くにはまだ早いぜ」
     呆けている三日月の元に、大量の肉を持った白い刀が近付いて来る。見覚えはないが知っている刀だ。
    「よっ。鶴丸国永だ」
    「俺は三日月宗近。よろしく頼む」
     驚きを好む刀だと、政府の女性職員が言っていた。そしてその驚きの被害に遭う職員も多い、とも。しかし皆一様に楽しげに話しているところを見るに、単に悪戯好きだと言うわけではないのだろう。
    「まさか、女の姿で顕現する刀がいるとはなぁ。噂には聞いていたが、こうしてお目にかかれるとは」
    「ちょっと、鶴さん」
     じぃっと、上から下まで鶴丸の目が動く。慌てて隣の眼帯の刀――おそらく燭台切光忠だろう――が止めるが三日月は気にするなと笑った。鶴丸の瞳には純粋な好奇心しかない。無粋さが一切感じられなかったこともあるが、三日月自身気にしていないのである。
    「驚いたか?」
     同情や憐れみの目で見られるより全然いい。妖の主により最近の人間の男にはろくな奴はいない、と刷り込まれているであろうこの本丸の刀剣たちに、誤解を解くにはこのくらいの不躾さは必要だと三日月は思う。何せ一切被害は被っていないのに、勝手に同情されるのは少々腹を据えかねるものがあった。
    「あぁ、驚かせてもらったぜ。次はこちらの番だな」
     すっと三日月の目の前に鶴丸の何も持っていない手が差し出される。高さがあるからか、ただ庭に降りるために手を貸してくれるのだろう。だがしかし、その仕草があまりにも様になっていたものだから、三日月は思わず照れてしまった。
    「すまんな」
     触れた鶴丸の手は暖かく、華奢そうに見える手首とは裏腹に三日月を支える力は強い。ほとんど女性としか過ごしていなかった三日月にとって、こうして男性に触れられるというのはなかなか気恥ずかしいものがあった。顔が赤くなる前に、用意されていた履物にさっと足を通す。
     三日月がきちんと地に足をつけたことを確認してから、鶴丸の手が自然と離れた。その手際の良さに、流石伊達男の刀と政府の職員たちが噂していたのも頷ける。
     ほら、と箸と紙皿を渡され、早速焼かれた肉が置かれた。またしても腹が鳴る程の食欲の湧く匂いが、三日月の鼻腔を擽る。
    「ははっ、きみを待って皆腹を空かしている。飯にしようじゃないか」
     鶴丸の一声で、襷をかけ何やら鉄板で焼きそばらしきものを作っていた妖の主がそうですね、と大きく頷き片手を上げた。
    「皆様! 宴の始まりです」
     どっと大歓声が湧く。あれよあれよと言う間に三日月は本丸の刀に囲まれてしまった。馴染みある三条の刀を初めに粟田口の短刀たちや新選組の刀たちが自己紹介がてらにおすすめだと様々な料理を三日月の皿に乗せたり、机の上に置いていったりする。それに目を回しながらも三日月はこんなに楽しく美味しい食事の時間は初めてだと、心と腹が満たされていくことに笑みが溢れた。
    「三日月、食べているかい?」
    「あぁ。もちろんだとも」
     次から次へと皿に乗せられる肉の山がなかなか減らず、休憩と称して縁側に座る三日月の元へ、両手に肉の山と大盛りのご飯を持った鶴丸がやって来る。どす、と隣に座った鶴丸は三日月が湯呑みしか持っていないことに気付き、食べるかと肉の山を差し出してきたがやんわり断った。
    「それはお前のだろう。俺は少し休憩だ」
    「ま、確かに五十以上の刀とあいさつを交わすだけでも一苦労だよなぁ」
     そう言いつつ、肉と米を交互に大口で頬張る鶴丸の皿からどんどんと肉の山が減っていく。その様子を見ながら三日月は良い食いっぷりだなと呟いた。
    「ん? あぁ、主がああだからな」
     三日月の声を聞いていた鶴丸がちら、と目を庭の方へと送る。その目線の先を辿ると、短刀に囲まれている妖の主がいた。きっちりと結っていた髪を下ろし、その後頭部へと短刀たちが食べ物を差し出している。食わず女房の後頭部にあるという口に食べ物を放り込んでいるのだろう。肉の山が一気に消えた。もちろん、顔にある口でも上品に食べてはいるがその速度と量が刀剣男士と変わらない程だ。頭と顔、食べた物は一体何処へと向かうのだろうか。
    「そんなことより、歓迎会なんだから主役が端っこにいるもんじゃないぜ」
     いつの間にか肉と米が消えた皿を持った鶴丸に連れられ、三日月はまた庭へと向かうと、そこには最初と変わらず肉の山が築き上げられ、先ほどまでは見なかった新たな料理も追加されていた。
    「お、ピザも焼けてるじゃないか。三日月、どれがいい?」
     こんがりと焼けたチーズの匂いが漂う机の上に置かれている色とりどりの丸いピザは見ているだけでも楽しい。鶴丸曰く、本丸の裏庭部分に専用の窯があるとのことだ。
    「では、お前がおすすめだと言うものをもらおう」
     選べと言われたが、量が多すぎる上に大きい。三日月が抱えられるかどうかというくらいの大きさである。
    「そうだな……。これなんかどうだ?」
     鶴丸が専用だという丸い刃のついたかったーというもので切り分けてくれたピザは三日月の顔よりも大きかった。漂ってくるの甘い匂いに、三日月は首を傾げる。
    「これは、甘味か?」
    「マシュマロだ。聞いたことはあるかい?」
    「本で読んだことはあるぞ……おお、甘いな」
     ふぅ、と息を吹きかけて冷ました三角形の頂点、そこにかぶりつけば、ましゅまろという白い菓子はとろりとした食感で舌に絡み付いてきた。甘すぎないチョコレートが丁度いい。ひと休みしていたおかげかあっという間に食べきってしまった。
    「途中で甘味を挟むのもいいもんだぜ。次はまたしょっぱいものが食べたくなる」
    「なるほど、こういう楽しみもあるのか」
     鶴丸の言う通り、とびきり甘いものを食べたあとは塩気のあるものが欲しくなる。三日月は残していた皿の肉に再び箸を伸ばした。
    「三日月様、おかわりはいかが致しましょうか」
     皿の肉がやっと減ったかと言う頃。三日月のお茶碗から米が無くなったのをいち早く察した前田が杓文字を持って尋ねてきた。こうして宴が開かれる度、厨当番だけでは手が回らないため皆がそれぞれ得意な料理を振舞ったり、手伝いを率先して行うらしい。三日月は一応客という立場なので世話される側である。
    「はは、すまんが俺はもうそろそろお腹がいっぱいでな。気持ちだけ受け取ろう」
     漸く皿の上の肉の山が無くなったのだ。腹八分目は通り越している。三日月がやんわりと断りを入れた瞬間、ピタリとざわめきが止んだ。
    「ん?」
     先ほどまで飲めや歌えの声が聞こえていたはずなのに、誰も彼もが手を止めこちらを見ている。時が止まったような本丸の庭で、肉が焼ける音と火が弾け飛ぶ音が大きく聞こえた。
    「み、み、三日月さま……」
     溢れんばかりに目を開いた前田の手から杓文字がするりと落ちる。それを見た三日月は慌ててしゃがみこみそれを拾った。
    「前田?」
    「う、嘘ですよね? まだ一杯しか召し上がっていませんよね?」
     信じられないような顔をする前田に三日月も思わず動揺する。確かに、一杯しか食べてはいない。だが、お椀に盛られた米は三日月の顔ほど盛られていたのだ。多く見積っても三合は食べていたかと思う。
    「だ、だが、肉も食べたぞ」
     もちろん、それ以外にも焼いた野菜や大鍋の汁物も、先ほどのピザも食べた。決して食べていなかったわけではない。
    「おいおいおい! 肉だってまだほんの少ししか食ってないだろ」
     隣にいた鶴丸が満月のような瞳で見下ろしてくる。だが、驚いたのはこちらの方だ。三日月もまた目を見開き鶴丸を見た。
    「あの肉の山を少しと言うのか」
    「まだ牛肉しか食べてないだろ? 豚も羊も、鶏だってあるぜ?」
    「……」
     人は本当に驚くと声も出ないらしい。目を白黒させる三日月は助けを求め周りを見たが、誰も彼も鶴丸と同じ反応である。
    「きみ、もしや少食というやつなのか?」
    「……は?」
     聞き慣れない言葉に、すぐに反応することができなかった。
    「お味噌汁も一種類しか召し上がりませんでしたよね」
    「まだ焼きそばもカレーだってあるのに!」
    「デザートだってまだですよ!」
     粟田口を中心に、短刀たちが三日月の周りに集まって来る。四方八方からまだあれがある、これはまだだと声をかけられるが全てに答えられるはずがなく。思わず地面に座り込み、あたふたと慌てる三日月を助けたのは一期一振だ。
    「お前たち、三日月殿が困っているよ」
     冷静に弟たちを窘める一期に、三日月は助かったと思った。まだ一杯、と言われるが何もかもが大きいのだ。汁物は丼ぶりに注がれ、焼いたそばから入れられていた肉は常に山盛り。正直に言うと、そろそろ限界であった。
    「まだ本丸に来たばかりなのだから、緊張してるのでしょう。ゆっくりお食べくださいね」
     違う、そうではない。三日月の心境など知って知らぬ彼らはそうだったのかと納得し再び食べ物を持ってこようとする。更には薬研が胃に優しいものの方が良いと言い出し、ならばあれもこれも作ってもらおうと提案する粟田口の子らに、三日月は全力で、且つ柔らかく断りを入れた。
    「きみ、本当に遠慮しているんじゃ」
    「してない」
     座り込んだ三日月に鶴丸が手を差し伸べる。その手を借りて立ち上がった三日月は鶴丸の質問に食い気味に否定した。
    「もしかして、前の本丸では一切ご飯食べさせてもらえなかった、とかですか?」
     腹がいっぱいだと繰り返す三日月の様子を見て、左手には大盛りの炊きたてご飯、右手の箸にはこれまた大量の肉を挟んだ鯰尾が恐る恐る尋ねてくる。
    「まあ、確かに前の本丸では食べたことなどなかったが、」
     それは、前の本丸には数分しかいなかったからであり、政府では三食おやつ付きでしっかり食べていた。食堂のおばちゃんと呼ばれている杓文字の付喪神の女性には「アンタ、いっぱい食べて偉いわねェ!」と言われていた三日月が少食であるはずがない。
     だが、そこまでの事情を知らない本丸の皆は、青い顔で三日月を見た。その目は、明らかに憐れみが含まれている。
    「食べないと胃が縮むと聞いた。三日月が少食なのはそのせいなのか?」
     両手に焼き鳥、しかも大串に大量の肉が刺さった状態でこれまた大量に持つ骨喰が心配そう己を見るが、三日月は違うと全力で否定した。そうしなければとんでもないことになりそうな気がしたからだ。
    「いや、そんなことはないぞ! きちんと政府でも食べていたからな」
    「いやいや、それにしてはきみ、全然食べてないじゃないか! あと五杯はおかわりなんて余裕だろ」
    「五杯は流石に多過ぎではないか」
     鶴丸のおかわり発言に慄いた三日月を、またしても皆が驚愕の表情で見てくる。このいたたまれなさは何だ。おかしいのはどう考えてもこの本丸の方であるのに、三日月の方がおかしいと言わんばかりに見られている。
     どうすれば誤解を解けるのか考える三日月を余所に、そういえばと妖の主が何かを思い出したように声をあげた。まるで嫌な予感しかしない。
    「あの本丸の腐れゴミ屑は食事を与えないことはもちろん、無理やり泥や草を食べさせていたと聞きましたわ」
     とうとう元主が人間ではなくなった。いや、今はそんなことはどうでもいい。
    「それは俺ではなく、」
    「そんなひどいことをされたなんて」
    「男の風上にもおけぬな!」
     眉尻を上げて地団駄を踏む今剣と、その隣で怒りの形相をした岩融たちに三日月の否定の声はかき消されてしまった。更に妖の主や陸奥守によって三日月に降り掛かってもいない前の主による悪行が本丸中に知れ渡ってしまう。その非道な行いの大半は三日月も初耳で、いくら否定しても思い出したくないのだなと弁解の余地もない。
    「三日月、どんどん食べるんだよ!」
    「私の油揚もあげますよ」
     石切丸が持っていた山盛りの焼きそばが盛られた皿を渡され、小狐丸からどんどん乗せられる食べ物を無下にすることもできず、三日月は半泣きでただただ目の前の皿を持つことに必死だった。
    「うぷ」
     本丸の皆がいる庭から離れた場所にある花壇の近くに、休憩用の長い椅子がある。漸く、本当に漸く解放された三日月は、密やかに咲いている寒白菊の花を項垂れながら虚ろな目で眺めていた。もはや匂いすらも受け付けられない。横になるのさえ苦しく、座るのがやっとである。
    「大丈夫か、三日月」
     そんな三日月の頭上から声がかけられるも、顔すら上げる元気が今はない。視線さえも動かさないまま、来訪者の名を呼んだ。
    「……鶴丸か」
     三日月を驚かさないように配慮してか、気配を隠さずにやって来たのは鶴丸だった。
    「悪かったな。皆、きみに食の素晴らしさを伝えたかったんだ」
     地面に片膝をついた鶴丸が三日月の顔を覗き込む。その顔がまるでしょぼくれる仔犬のようで、三日月はくすと笑みを浮かべた。
    「わかっている。皆の気持ちも嬉しかったぞ。もちろん、お前の気遣いもな」
     三日月も皆純粋に心配してくれているのは充分に理解しているつもりだ。ただ、基準がおかしい気がするだけである。
    「そいつは何よりだ。きみには、早くこの本丸に馴染んでほしいからな」
     そう言って安心したように笑う鶴丸に対し、三日月は少しの居たたまれなさを感じた。だが、そんな三日月に気付かない鶴丸は、そうだと懐から何かが包まれた紙を取り出し持っていた水筒と一緒に手渡してきた。
    「これは?」
    「薬研から食べ過ぎに効く薬を預かってきたんだ。たまに来る客人用のものだけどな」
     妖用ではあるらしいが刀剣男士が摂取しても問題ないらしい。鶴丸は腹が弱い妖もいるんだよなと笑っているが、絶対に違う。原因はこの本丸の異常な食欲に違いない。
    「この本丸の皆は、食べることが好きなのだな」
    「そりゃあな。誰かが美味しそうに食べているところを見ると、こっちも食べたくなるもんだぜ」
     そろそろ最後に雑炊を作る頃だと言う鶴丸に、まだ食べられるのかと三日月は心の中で慄く。顕現させた主に刀剣男士は似ることがあると政府で聞いていたことがあったが、本当であったとは。
    「きみも食うだろう? 主の作る雑炊は本当に美味いんだ」
     三日月の目の前に、立ち上がった鶴丸の手が差し出される。ふと顔を上げた先の鶴丸があまりにも無邪気で悪気がない笑みを浮かべて三日月を見ていた。彼的には三日月に美味しいものを食わせてやろうという善意からくるのだろう。それはわかっている。わかっているのだが、腹は今にもはち切れそうだ。
     しかし、同情ではなくただ純粋に笑みを浮かべる鶴丸を拒むことは三日月にはできない。うぐぐと唸り葛藤した末に腹を括った三日月は、渡された薬を急いで水で飲み込みその手に自身のを重ねた。
    「さぁ、行こう」
     力強い手に引かれ、重たい腰を上げた三日月は鶴丸の隣に並ぶ。早く行きたいであろうに、三日月に合わせてゆっくり歩みを進める鶴丸に申し訳なさを感じながらも、皆がいる庭を目指す。
    「きみには飛びっきりのものを用意しよう」
     悪気のない鶴丸の笑顔を前に、いらないと言えるものがいるのか。いや、いない。
    「………………程々に頼む」
     今更ながら、全く問題がないわけではないと言うあの政府職員の妖の言葉を実感した三日月であった。


     先日の宴仕様から一転、麗らかな冬の景観の庭の中を三日月は周囲を警戒しながら歩く。美しい冬薔薇の生け垣は歌仙兼定や福島光忠たちの手によるものであり、女性体である三日月の背を隠してくれるほど高い。誰にも見つからないようにゆっくりと生け垣を抜けた三日月は、その先にあった長椅子に腰を下ろしてほっと息を吐いた。
    「出て来ても良いぞ」
     声を潜め、そっと声をかける。すると、何処からか鳴き声とともに何匹かの小さな生き物が現れた。
    「よしよし、今日は羊羹だ。たくさんあるから、喧嘩せずに食べると良いぞ」
     二股の尾を揺らして擦り寄って来たり、小さな水掻きのある手で一生懸命長椅子に登る手毬くらいの大きさの生き物たち――猫又や河童などの小型の妖である――が三日月の元へわらわらと集まってくる。持っていた風呂敷から大量の一口くらいの大きさの羊羹を取り出した三日月がその包み紙を開き小さい妖たちに渡せば、皆喜んで受け取った。その光景に笑みを浮かべる三日月だが、ほんの少し罪悪感もある。
     大量のこの羊羹は本丸の皆が三日月のために、とくれた物だ。何が好きかと聞かれた際に、羊羹だと答えたが故に大量の羊羹を本丸の皆から貰う羽目になってしまったのである。
    「三日月さん、これあげる!」
    「おや、鯰尾に骨喰。これは芋羊羹か? ありがたく頂こう」
    「俺たちのオススメだ」
    「三日月。はい、これ。可愛いでしょ、一口サイズだから食べやすいと思うよ」
    「可愛らしいなぁ。加州、ありがとう」
    「あ、三日月さん。僕のオススメの羊羹もあげるよ」
    「お、おお、ありがとう。大和守」
    「うはは。なら僕のオススメも渡しておこう。ついでだ、この菓子もお前さんにやろうじゃないか」
    「す、すまんな則宗よ……」
     両手に抱えているのにもかかわらず、いつの間にか大量のお菓子が積まれていく。それがこの本丸に来て一週間での日常となってしまった。
     腫れ物のように扱われるよりは良い。だが、これは予想外である。まるで祖父母と孫のようなやり取りではないか。三条含めた平安生まれの刀はまだ良い。だが一期や鬼丸以外の粟田口の刀や新選組の刀たちにまで、何かある度に飴や煎餅などのお菓子を貰うのだ。いや、それはまだ良い方である。この間はおやつと称して丸々とした、拳三入りそうなほどの大きいおにぎりを大包平から渡された時は、流石の三日月も顔が引き攣りそうだった。大包平には気付かれていないだろうが。
    ーー先ほどのことを思い出してもまた顔が引き攣りそうになる。
    「あ、三日月さん!」
     後ろからかけられた声に、三日月は肩をびくりと跳ねさせた。と言うのも仕方がないだろう。そう言って声をかけられた次の瞬間には、手に何かを渡されているのだ。
    「はい、これ。今日のおやつのひとつだよ」
     思わず受け取った皿に、丸々としたおはぎが乗っている。大きさは三日月の拳ほどだろうか。だが、これでも小さい方である。必死に頼み込み皆より小さく、そして少なめにしてほしいと頼んでこれだ。ちなみに、三日月の皿に乗っているおはぎは三つだが、他のものたちは大きさも量もこれの三倍である。
    「あ、あぁ。ありがとう、燭台切」
     両手で持った腕が重さで震える。もち米は、重たい。色んな意味で。

    「……」
     膝に乗るひと際小さい河童の撫でながら、三日月は虚ろな目で空を見上げた。おやつのひとつ。燭台切の言葉どおり、このあとにおやつと称した何かが次々と出てくるのだ。三日月がそんなに食べられないと厨当番に直接言うと、悲しそうな顔で「そっか……まだ食べられないよね」と返してくる燭台切たちを見ていられず、受け取って食べきれないものはこうして妖たちにあげているのである。流石に皿ごと持ってくるのはできなかったのでおはぎは何とかふたつだけ食べて残りは包んできた。美味しかったが夕飯まではもう何も入りそうにない。
     厨当番の作ったおやつは基本早い者勝ち。出陣部隊は優先されるらしいが、それ以外で勝てなかった者たちは自分で作ることもあると言う。三日月は客としてもてなされているため皆譲ってくれているのだが、郷に入っては郷に従えということでそこは本丸のルールに従うとごり押しした。それは、それはもう必死に。それでも三日月を優先させようとするものはたくさんいる。
     小型の妖たちとは、三日月が安寧を求めてふらふらと逃げ込んだこの場所で出会ったことがきっかけで仲良くなったのだ。最初は妖と言えど人の食べ物をやってもいいか悩んだものだが、小動物と仲が良いという大倶利伽羅にこっそり聞いたところ、なんでも食べるし与えても問題ないと言う。それから三日月は、安心して皆から貰った食べ物を妖たちに分け与えることにしたのである。ちなみに、聞いたあとに大倶利伽羅からも大量の菓子を渡された時はお前もか……と思わざるを得なかった。
    「なんだきみ、いつもいなくなると思ったらこんなところにいたのか」
    「」
     予想もしない声に長椅子から尻が浮く。驚愕で早鐘を打つ心臓に胸を抑えながら、三日月は鈍い動きで後ろを振り返った。そこには、毎日見かける顔。
    「つ、つ、つるまる……」
     よっ、と片手を上げた鶴丸は長椅子の背もたれを飛び越え、空いた場所、つまり三日月の隣へと腰をかける。膝や足元にいた妖たちは逃げてしまったようでいつの間にかいない。ふたりだけの空間で、三日月はまだ落ち着かない胸を抑えながら鶴丸から目を逸らし、自分の膝を眺めた。
    「きみの、」
    「俺の分は他のものにあげると良いぞ」
    「おいおい、まだ何も言ってないだろ」
     呆れたように、鶴丸が肩を竦める。そうは言うが、鶴丸が何を言うのか三日月はこの数日でよく学んでいた。
    「何を言おうとしているかはわかっている。だが、八つ時に間に合わぬものは自分で用意するのだろう。毎回律儀に持ってこなくとも良いぞ」
     おやつ争いで三日月を優先させるもの、鶴丸はその筆頭と言っても過言ではない。いくら八つ時――と言っても日に何度もある――を逃しても鶴丸は必ず三日月を探し出しその手に何かしらの食べ物を渡してくるのだ。
    「だってなぁ。自慢じゃないがうちの本丸の飯はそこらの食事処よりも美味いんだぜ? きみに食べてもらいたいと思うじゃないか」
     ほら、と手に紙に包まれた温かいものを渡される。三日月の小さい手のひらほどのそれは、丸い形をした厚みのある焼き菓子だった。この菓子を、三日月は知っている。政府の女性妖たちが噂していたものだ。
    「地方によって呼び方が多々ある菓子だが、本丸では主の出身地に因んで」
    「べいくどもちょちょだ!」
    「べいく、は?」
    「これはべいくどもちょちょと言うのだろう?」
    「ま、まぁそう呼ぶことも……あるのか?」
     驚き呆然とする鶴丸を余所に、三日月はこの本丸では珍しい小さなその菓子をまじまじと見つめる。名前と形状は聞いていたが、食べるのは初めてだ。まだ温かいそれを一口かじれば、中からしっとりした餡が出てきた。
    「そっちは白あんだな。こっちは赤あんだ。中身は他にも色々あるぜ」
     あっさりとした餡の甘さに自然と頬が上がる。先ほどのおはぎも甘く美味しかったが、こちらにはまた別の甘さがあった。
     三日月がちまちまと食べ進めていると、隣からやたら視線を感じる。気になってちらりと横目で見れば、長椅子の背に肩肘をついた鶴丸が三日月を見つめていた。
    「……そんなに見られると食べづらいのだが」
     そう三日月が言えば、鶴丸ははっとしたように顔を背ける。そして後ろ髪を乱暴に掻き回しながらすまん、と呟いた。
    「その、きみは口が小さいなと思ってな」
    「そ、そうか?」
    「俺なら一口で食べる」
    「」
     あ、と口を開けた鶴丸は持っていた自分の分の菓子をそのまま放り込む。そして、物の見事に全て口の中へと収まってしまった。こっちはずんだか、と言ってものの数秒で飲み込んだ鶴丸は、がさりと紙袋の中からもうひとつ取り出してまたしてもそのまま口の中へと放り込んだ。
    「きみのために作ったが、これじゃあ食べ応えがないんじゃないか?」
    「いや、充分な大きさだと思うが…………作った?」
     ひょいひょいと三日月が数口かけてやっと半分食べる大きさの菓子が次々と鶴丸の口の中へと消えていく。いや、そんなことよりもこれを鶴丸が作ったということの方が驚きだ。
    「お前が作ったのか?」
    「あぁ、きみが小さい方がいいと言っていたからな。だからなるべく小さく作ってみたんだ。どうだ、驚きだろ?」
     大きいか大きくないかで言われるとおそらく世間一般的には大きいのだろうが、三日月のために態々作ってくれたのかと思うと素直に嬉しい。
    「……ありがとう、鶴丸」
    「いいってことさ。ほら、きみも冷める前に食べちまえよ」
     ほんのりと顔を赤くした鶴丸が照れくさそうに、またひとつ菓子を口に放り込む。その様子に微笑む三日月だったが、正直もう腹がいっぱいである。残り半分になった菓子と、美味しそうに食べる鶴丸を見て、三日月は恐る恐る声をかけた。
    「鶴丸。その、食べかけで悪いのだが……いるか?」
    「…………は?」
     行儀が悪いのは重々承知しているのだが、如何せんこのままでは食べきれそうにない。半月となった菓子を差し出せば、何故か鶴丸は固まってしまった。
    「や、やはり食べかけは駄目だな」
    「い、いや! き、きみが良いなら俺は構わない!」
     出した手を引っ込めようとしたが、鶴丸によってそれは阻まれてしまう。
    「そうか?」
    「ああ! まだ食べ足りないと思ってたところだ!」
     鶴丸の勢いに圧倒される三日月だったが、その一言にほっと胸を撫で下ろした。
    「なら良かった。ほら、口を開けろ」
    「へ?」
    「お前ならこれもあっという間に食べてしまうのだろうな」
     腕を掴まれたまま、菓子を摘んだ手を鶴丸の口元へと持っていく。だが何故か鶴丸はなかなか口を開けてくれない。
    「鶴丸?」
    「あ、ああ……」
     何処かぎこちない、漸く開けた鶴丸の口の中に菓子を放り込む。口を結んでいる時はわからないのだが、こうして見るとよく開く。今度は三日月がじっと鶴丸が口を動かすのを見ていた。
    「み、みかづき」
     先ほどまでの勢いは何処へやら、ゆっくりと飲み込んだ鶴丸の顔がじんわり赤く染まっていることに気が付く。
    「す、すまん。食べにくかっただろう」
    「い、いや、大丈夫だ」
     先ほどは鶴丸に注意をしたくせに、自分はやってしまうとは。無作法だったと謝れば鶴丸はぶんぶんと首を横に振った。
    「そ、それよりもうすぐ夕餉だ! ほら、三日月」
     ばっと立ち上がった鶴丸が手を差し出す。事ある毎に鶴丸にこういう扱いを受けるのだが、それを指摘する気は起きない三日月は、今日もその手に自身のを重ねるのであった。



     今日も今日とて八つ時には大量の食べ物が用意されている。幸いなのは本日のおやつは豊作だったと言って桑名が持ってきた夏野菜を各自で自由に持っていけという方式だったことだ。たまにはシンプルなのもいいよね、ということらしい。三日月は部屋の端の方で小さめに切ってもらった胡瓜に歌仙特製の味噌を付けて食べていた。
     この本丸、というよりかは主である食わず女房の彼女の力のおかげで季節関係なく作物が育つらしい。春夏秋冬のそれぞれの畑がこの本丸にはあり、今の季節が冬でも、こうして夏の農作物が育つのだ。そしてなにより特徴的なのは、その大きさである。三日月の手よりも大きいトマトを見た時は、初め何の野菜かわからなかったほどだ。
     今三日月が咀嚼している胡瓜も普通のものより三倍はあったと思う。これだけで腹がいっぱいになりそうだが、他の刀たちは山盛りの野菜に次々と手を伸ばしていた。もう慣れてしまったが、この本丸のものたちはよく食べる。いくらある程度自給自足できるとはいえ食費も相当かかるのでは、と博多藤四郎に聞いてみたが、答えははぐらかされてしまった。
    「美味しければよかとよ!」
     良い笑顔だ。三日月はそれ以上聞くのを止めた。
     この本丸の刀剣たちは、おそらく主である食わず女房の影響を強く受けているに違いない。そんなことを考えていたからだろうか、三日月にはなるべく新鮮なものを用意していると言われ、その場で土下座したくなった。周りに止められてしまったが。
     だがしかし。三日月は遂に見つけた。食べなくても誤魔化せる、唯一の方法を。
    「厨に立ちたい?」
     割烹着姿の歌仙が寸胴鍋をかき混ぜながら三日月の方へと振り向く。忙しなく働く厨で申し訳ないと思いながらも、三日月はぶんぶんと頷いた。
    「あぁ。俺も料理をしてみたい。いつも美味いものを馳走になっているのでな」
    「そう言ってもらえるのは嬉しいね。けど、今はお客さんとして来てるんだから、三日月さんはゆっくりしてて良いんだよ?」
     三日月がすっぽりと座れそうなほど大きい中華鍋を火にかけながら燭台切が困ったように笑うが、事態は深刻なのである。これ以上、三日月が食べきれないほどの量を作ってもらうのも困るが、厨当番に負担をかけたくないのも事実。
    「充分ゆっくりしているぞ。それとも、俺には無理だと思われているだろうか」
     三日月自身、器用ではないことはわかっている。だが、引くわけにもいかなかった。大食間の集まりであるこの本丸の食事は用意するだけでも大変である。そのため、厨当番は常に忙しい。有志の手伝いはいるがそれでもてんやわんやである。だからか、厨当番たちは食事中でも頻繁に席を立つ。
     そこで三日月は思ったのだ。自分ならば食べ終わればずっと厨に立てるし、後片付けは当番以外の仕事のため皆が食べ終わるのを待っている間にあれもこれも食べろとは言われない。現代風に言うならばうぃんうぃんの関係と言うやつである。
    「いや。僕たちだって最初は上手くいかないことも多かったからね」
     歌仙が言うには新しい刀が来ると、一度は厨に立ってもらうとらしい。教えるのは得意だと胸を張った歌仙に三日月は安堵する。これで駄目だと言われたらどうしようかと思ったところだ。
    「三日月さんも、僕たちと一緒に料理をするの? 嬉しいなあ」
     通常の十倍くらいありそうな太さの太巻きを作りながら、日向が嬉しそうに微笑む。もはや中に何が入っているのかわからないが、美味しそうであるのは確かだ。
    「よろしく頼むぞ、日向」
    「うん、任せてよ!」
     広い厨の中、奥の方から他の厨当番たちも顔を出してきて三日月に声をかける。
    「すいーつならまかせてくれ」
    「俺も色んな地域の郷土料理を調べてるから、気になるのがあったら教えてくるかい?」
    「よろしくねぇ」
     こうして歌仙たちの他、小豆と小竜、北谷菜切たちに教えてもらい、三日月は厨に立つことになった。
     とは言え、流石にすぐに作れるようになるわけでもなく。妖の主に許可を貰い、離れにある厨で三日月は料理の練習をすることにした。本丸の厨が混んでいても他に使えるようにと用意されているこの場所は、いつも三日月が避難しているあの薔薇の生け垣に近く、皆の自室からは少し遠い。そのため、夜はほとんど使われないのだ。
     早いものはもう夢の中であろう時刻、静かに離れにある厨に訪れた三日月は周りに誰もいないことを確認して明かりを点けた。離れとはいえ全て現代風であり、業務用という大きな冷蔵庫には常に食料がたくさん入っている。名前の書かれていないものは好きに使っていいらしい。今日は卵がたくさん取れたと聞いたのでそれを使う料理を練習しようと思う。丁度昼に歌仙に教えてもらった料理がある。
     三日月は卵を溶きながら、初心者はこれを使うといいと教えてもらっためんつゆを適量入れたあと、四角いフライパンへと流し込んだ。じゅうと卵が焼ける良さげな音がなる。少しずつ片側に集めて空いた場所にまた更に溶き卵を少しずつ流し込む。ある程度の大きさになったらフライ返しで引っくり返すように巻く。一回、二回、三回。そしてまた溶き卵を流し込む作業を繰り返すこと数回。
    「……よし」
     少し焦げてしまったが何とか形を崩さずに巻くことができた。もう二時間ほどずっと玉子焼きを作っているが、こうして上手に巻けるのは三回に一回である。他は残念ながらスクランブルエッグと化してしまった。失敗しながらも三回、四回と作り続け四人がけのテーブルの上に料理が乗り切らなくなってしまった頃。
    「今回は上手くいったのではないか?」
     ほどよい大きさになった玉子焼きをそっとまな板に乗せ包丁で切る。少々歪だが、断面は良い感じにとろっとしているように見えた。フライパンを持つ腕も限界で最後にと作った玉子焼きは今までで一番良い出来だと思う。
    「三日月」
    「ひあっ⁉︎」
     薄く切った玉子焼きの端を口にしようとした瞬間、背後からかけられた声に三日月は飛び上がった。ついでに玉子焼きも一緒に上に飛んだ。
    「おっと危ねえ! 何だこれ、玉子焼きか?」
     高く飛んだ玉子焼きは何とか乱入者の手により救済されたらしい。口から飛び出そうな心臓を落ち着かせるために胸を抑えた三日月は、ゆっくりと振り返った。
    「つ、鶴丸」
    「すまん。そこまで驚かせようと思ったわけじゃないんだ。それより、こんな時間に飯か?」
    「いや、その……練習を、していた」
     三日月の驚きっぷりに逆に驚かせられたと笑う鶴丸は、手の中の玉子焼きの切れ端をじろじろと眺める。その反応に三日月は慌ててその空飛んだ玉子焼きの切れ端を回収した。
     隠す程のことではないのだが、こうして見られると気恥ずかしいものである。照れ隠しに三日月は内番服の上に着けていた白いエプロンの端で何も付いていないのに手を拭った。
    「練習?」
    「俺も、料理が上手くなりたいと思ってな」
    「へぇ? きみが料理とは、他の三条にも見せてやりたい光景だな」
     顎に手をやる鶴丸を、三日月は顔を動かさないまま恐る恐る見上げる。らしくないことだと思われているのだろうか。動機は不純であるが、三日月は料理がだんだんと楽しくなってきていたのだ。
    「おかしいか?」
    「っ、だ、だってなぁ。きみ、世話される方が好きだろ?」
     三日月が見上げた瞬間。何故か固まってしまった鶴丸が顔を逸らした。だが、目線だけは三日月を見ている。
    「……否定はせん。だが、世話する方に回るのも存外楽しそうだと思ってる」
    「ふぅん」
     意外そうな顔をする鶴丸だったが、ふと机の上に所狭しと並べられた玉子焼きを指差した。
    「なぁ、それはどうするんだ?」
    「どう、とは?」
    「少食のきみに、この作った玉子焼きが食べきれるのか?」
    「だから、俺は少食などではないというに……」
     何度も少食ではないと主張しているが、如何せんこの本丸の食欲が異常のため生暖かい目で見られてしまう。思わずムッとした三日月に鶴丸が肩を竦めた。
    「はいはい。で、何処にいくんだ?」
    「それは……」
    「まさかとは思うが、捨ててるわけじゃあないよな?」
    「当たり前だろう。バチが当たるぞ」
     食の大切さはこの本丸に来てからしみじみと感じている。量はともかく、米粒どころか胡麻ひとつも残さない彼らの食べっぷりは見ていて気持ちいいものだ。ちなみに、意地汚い食べ方をすると、歌仙から痛いお仕置を食らうらしい。
    「それで?」
    「……たまにやって来る猫又や小さい河童たちにあげている」
     失敗作をあげるのは忍びないのだが、三日月が消費するには限界がある。食べきれないものの中で、味に問題がないものは妖たちに食べてもらっていた。
    「あいつらか! 本丸にいる奴じゃないのかよ!」
    「お前たちは厨当番の作るものを食べるだろう」
    「それはそれ、これはこれ、だ。あいつらがいいなら、俺も食べて構わないよな?」
    「そ、それは駄目だ……!」
     隠せないとはわかっていても、三日月は鶴丸の視界を逸らすようにテーブルの前に立つ。自分的には上手くいったと思ってはいるが、人前に出せるかどうかと言われると答えは否だ。
     形は良くない、焦げている、味が、と必死に首を振る三日月だが、鶴丸は食べたいの一点張りでまるで聞く耳を持たない。挙句の果てには眉尻を下げ、懇願するように三日月を見てくる。
    「そんな焦げなんてあってないようなもんだ。な、いいだろ?」
     腹が減っているんだと、捨てられた仔犬のような瞳で見つめられた三日月は、夕餉をたらふく食べておいてそれはないだろうという言葉をつい呑み込んでしまった。なぁ、と横へ首を傾げる鶴丸に三日月は胸がきゅうと苦しくなる。
     これが、政府の女性が言っていた母性と言うものなのか。ふとした時に見せるあどけない表情が良いのだと、彼女たちは言っていたが、わかる気がする。
    「す、好きにしろ」
    「いいのか! なら、遠慮なく頂こう!」
     照れから素っ気なくなってしまったが、鶴丸は三日月の言葉で花が開くように破顔した。その表情に三日月の胸がまたきゅうと締め付けられる。
     椅子に座った鶴丸の前に、先ほど作った玉子焼きの皿を置く。吹っ飛ばしてしまったものや形にならなかったものは避けて上手くできたものだけを出せば、鶴丸は不満そうに口を尖らせた。
    「好きにしろと言ったのはきみだろう? まさかこれだけってことはないよな?」
     じっと見上げてくる鶴丸に、三日月は思わず目を逸らし視線をウロウロとさせる。形が崩れている方が大半の玉子焼きを、普段厨当番たちの作るものを食べている鶴丸の前に出す勇気は三日月にはない。だがしかし。
    「三日月」
     長い沈黙の攻防の末、無言の圧力に負けた三日月は全ての料理を机の上へと置いた。それに満足そうに頷いた鶴丸は頂きますと手を合わせて玉子焼きへと箸を伸ばし、大きく開けた口へと放り込んだ。
    「なんだ、美味いじゃないか!」
     ばっと鶴丸が三日月を見る。その顔には驚きが浮かんでいた。
    「……本当か?」
    「嘘をついてるように見えると?」
    「いや、だが……」
     心配する三日月を余所に、鶴丸は次々と皿を空にしていく。とんでもないものが出てくるのだと思っていたらしいが、想像以上だと笑う鶴丸に三日月の顔が熱くなる。
    「ご馳走さま」
     そうこうしているうちに、テーブルの上にあった料理は全て空になっていた。本当に全部食べきってしまったらしい。夕餉も盛りに盛った米とともにおかずを掻きこんでいたというのに、よく食べるものである。
     広い流し台で片付けると言い張る鶴丸が洗った皿を、これまた片付けると譲らなかった三日月が拭いて棚へと戻していく。両者とも譲らなかったための妥協案である。
    「なぁ、三日月」
    「うん?」
     他愛のない話をしながら、最後の一枚を棚へと戻し終えた三日月がエプロンを外し畳んでいると、突然鶴丸が手を合わせて頭を下げてきた。
    「頼む! 次からは俺もきみの練習に付き合わせてくれ!」
    「……え?」
     突拍子もない鶴丸の行動と言葉に、三日月の動きが止まる。下げられた頭の旋毛を眺めながら言葉の意味を考える三日月に焦れたのか、ほんの少しだけ頭を上げた鶴丸が上目遣いに見てきた。
    「駄目か?」
     鶴丸の頭に垂れた犬の耳が見える。気がした。少し前、歌仙が大倶利伽羅のことを仔犬と呼んでいたことをふと思い出したからだ。打刀の彼が仔犬ならば太刀である鶴丸は成犬だろうか。そんなことを考えているとだんだん期待に揺れる尻尾も見えてきた。
    「だ、だが……」
     きゅうきゅうと胸が締め付けられる。見た目は成人したいい大人の男であると言うのに、だんだん可愛いという気持ちが湧き出てくる。
     だがしかし、練習に付き合うと鶴丸は言うが、言い換えれば失敗作の処理だ。それに付き合わせるのも申し訳なく、言い淀む三日月に鶴丸は更に言葉を重ねる。
    「いいだろ? だいたい、あんまりあいつらを餌付けると後々困るだろ。妖は愛玩動物じゃないんだ」
    「それは、そうだが……」
     ならば大倶利伽羅はどうなのだと思ったが、そもそも三日月は一時預かりの身でこの本丸の刀ではない。自由にしていいとは言われているがあまり好き勝手にするのは確かに良くないだろう。三日月がそう考えている間にも鶴丸の口はよく回る。
    「きみは存分に料理の練習ができるし、俺は腹も膨れる。なんなら俺も光坊たちほどではないが教えることができる。な、お互いにいいことばかりだろ?」
     その割には三日月の方が利点は大きい気もするが、結局は鶴丸に押し切られるように頷いた。
    「ありがとう、三日月!」
     今にも飛び上がりそうなほど喜んだ鶴丸がにっこりと笑う。どうやらこの笑顔に弱いらしい。三日月は思わず赤くなった顔を隠すように頭の手ぬぐいを下ろした。



     料理の練習を始めて間もなく三ヶ月。離れの厨に行く前に三日月の部屋を訪れるようになった鶴丸を伴い夜の庭を歩く。鶴丸の手元にある白い提灯が周りをぼんやりと照らすのを眺めながら、三日月は慎重に足を進めた。
    「今日は何を作るんだ?」
    「そうだな……久しぶりに、洋菓子でも作ってみるか」
    「お、そいつはいいねぇ」
     夕餉もまた大盛りに大盛りを重ねたような量を平然と平らげたにもかかわらず、鶴丸は腹が減ったと言って笑う。その振動は、鶴丸の腕に手を組んでいる三日月にも伝わった。
     闇夜では太刀の目が効かないのは戦場だけではない。本丸でも、暗い場所では度々三日月は何かにぶつかっていた。それに離れの場所までは所々明かりはあれどとても暗い。そのため、よく躓く三日月を見かねた鶴丸が自分は慣れているからとこうして腕を貸してくれているのだ。それでも、今日はよく躓いた。
    「昨日の苺大福も美味かった」
     三日月の歩幅に合わせて歩く鶴丸が思い出すように舌で唇を舐める。まるで酒飲みのような仕草に三日月は目を細め、それは良かったと唇が弧を描いた。
     厨当番には劣るが、自身でも料理の腕は上達したのではないかと思っている。今では、食卓に三日月の作ったものが並ぶのも珍しくない。
     それでも、練習と称して離れの厨へと通うのは止めなかった。厨当番に太鼓判は押されたが、三日月はまだ練習すると言い張り、離れの厨を継続して使いたいと妖の主には話していたのである。
     それはひとえに、目の前の男に食べてほしかったからだ。
    「鶴丸は、何が食べたい?」
     組んだ腕にもう片方を添え、鶴丸を見上げる。普通の男性体の三日月宗近なら、ほとんど身長は変わらないのだろう。三日月の方が数センチほど高いと聞いている。だが、こうして見上げるのも悪くない。三日月の方へ少し首を傾げる鶴丸と、ほんの少し距離が近くなる。これは、この身長差であるからできることだ。三日月の身長は人間の女性の平均より少し高いくらいらしい。それでも、鶴丸とは十センチ以上の差がある。
    「そうだな……」
     鶴丸がううんと唸った。三日月が今まで作ったことのある菓子の名前があがり、その度に美味かった、また食べたい、でもあれも食べたいなどと声が漏れる。
     その姿の、なんと愛しいことか。三日月は、これが恋であるとはっきり自覚していた。初めは、女性体故の母性とやらが刺激されているかと思ったのだが、この感情は鶴丸だけにしか動かない。胸が苦しくなるほどに、心が揺さぶられる。
    「なら、これはどうだ?」
     三日月は懐からひとりづつに支給されている端末を取り出し、あらかじめ保存しておいた画像を鶴丸へと見せた。
    「ふぉんだんしょこら、か」
     見た目は普通の丸いケーキのようだが、中身を割るとそこから溶けたチョコレートが出てくる如何にも甘そうな洋菓子だ。配れるようにとマフィン等は作ったことはあるが、これはまだ作ったことはない。
    「本で見たことはあるが、俺は食べたことがなくてな」
     生地自体も甘いのに、更に甘いチョコレートが出てくるとはなんとも鶴丸好みそうな菓子だろうと思ったのだ。それに、とある行事が近くなっている、と言うのも理由のひとつである。
     その日は、お世話になっている人や好きな人にチョコレートをあげると言う日らしい。いつもならひとりだが、せっかくなら三日月も一緒に作らないかと妖の主に誘われて知ったことである。
     当日は彼女と一緒に本丸の皆に渡す予定だ。だが、どうしても鶴丸に特別なものを渡したかった。だから、一週間ほど早いがこうした機会を狙っていたのである。
    「そいつは勿体ない。いいぜ、俺も手伝おう」
     随分前から、いつの間にか隣に鶴丸が立っていた。もはや料理の練習というよりは、三日月にとっては鶴丸と一緒にいられることの方が目的となっていたりする。第一部隊でありこの本丸の古参なだけあって、厨に立つ鶴丸の手際は大変良い。驚きを好む刀らしく、様々な形をした飾り切りは素人目に見ても素晴らしいものだ。今は刀も増え滅多にしないと言うが、こうしてふたりきりの時は花や鳥などの形に切って楽しませてくれる。
    「おや、いつものボウルがないな」
     料理の邪魔になるからと長い髪を慣れた手つきでくるくると団子状にして纏めながら、シンクの下にある棚を覗き込んだ三日月は首を傾げた。食事は綺麗に片付けるまで、という信条の妖の主に倣う本丸では珍しい。誰かが持って行ってしまったのだろうか。
    「そういや、何処かの国の料理を作るのに足りないからって光坊たちがこっちのものをいくつか持っていったんだった。なにやら時間を置く必要がある料理らしくてな。確か、奥の棚の方に硝子製のものならあったと思うが……」
    「あいわかった。ならばそれを取ってこよう」
    「俺が取ってくるぜ」
    「いや、お前はその大量の生クリームを泡立てておいてくれ」
     ボウルではなく大きな中華鍋にまだ液体の生クリームを大量に入れた鶴丸が名乗り出る。だが、専用の機械があるとは言えその量を泡立てるのには時間がかかるだろう。付け合せの域を越えた生クリームの量に三日月は今からでも胃もたれをしそうだが、鶴丸は嬉しそうに泡立てているのを邪魔するわけにもいかない。
    「わかった。いつも使ってるやつより重たいから気を付けろよ」
     了承の返事をして三日月は少し離れた場所にある棚の扉を開けた。おそらくこちらの棚はまだ本丸が発足したばかりの頃のものなのだろう、普段使っているものより小さいものばかりが仕舞ってある。
    「ふむ、これで良いか……」
     棚の中、少し屈んで三日月の腰辺りにある硝子ボウルに手を伸ばし持ち上げた。そのはずだった。
     手に取ったはずのボウルは、まるで形のないもののように滑り落ち、そして。
    「あ……」
     足元で、けたたましい音とともに硝子が砕け散った。
    「三日月」
     その音に鶴丸が何事かと駆け付けて来る。だが、三日月は床に落ちた硝子の欠片から視線を外せずにいた。僅かに、手が震える。
     本当は、持ち上げたつもりだった。しかし、手に力が入らなかったのだ。
    「す、すまん、割ってしまった……」
     はっとして慌てて足元に散らばった破片を拾おうと手を伸ばす。だが、指が触れる前に腰から身体が後ろへと引っ張られた。
    「そのまま触ったら危ないだろ。足は怪我してないか?」
     身体が浮いた、と思った瞬間。間近に鶴丸の顔があった。抱き上げられ、鶴丸の腕に座る形となった三日月は余りの顔の近さに背を反らそうとする。だが、降りようとしていると勘違いした鶴丸に更に密着させられてしまった。
    「待て待て、落ち着け!」
     混乱状態の三日月を難なく抱き上げた鶴丸は、颯爽とテーブルと椅子の方へと歩いていく。
    「つ、鶴丸」
     そっと椅子に座らされた三日月の、その足に傷がないかを確認した鶴丸は安心したように微笑んだ。
    「良かった、怪我はないみたいだな。破片を片付けるから、きみはここに座っていてくれ」
     危ないから動くなと少し強めに言われた三日月は、掃除道具を取りに行く鶴丸の背中をただ眺めることしかできない。その姿が見えなくなって、改めて未だ小刻みに震える手を眺めた。力が入らなくなる、その心当たりはある。今まで見て見ぬふりをして誤魔化していたことが、無視できなくなっていた。
    「…………っ」
     ぎゅっと手を握りしめる。三日月は力一杯握っているつもりでも、簡単に解かれてしまうのだろう。それほどまでに、この身体は弱い。
    「三日月、大丈夫か?」
     掃除を済ませた鶴丸が、座る三日月に合わせてしゃがみこみ顔を覗かせる。心配そうに見つめる鶴丸の顔が見られず、三日月は目を合わせないまま謝罪の言葉を口にした。
    「すまない……」
    「いや、今日は初めて出陣したんだろう? 疲れていたのに悪かったな」
    「そ、そんなことはない。俺の方こそ、片付けまでさせてすまなかった」
     逆に鶴丸に謝らせてしまったことに、三日月は慌てて否定した。
    「……戦場に出るのは初めてで、庇われてばかりだったからな。役には立てなかった」
     見知った刀の方が良いだろうと、今日の出陣は三条の刀と脇差の骨喰の編成であった。手合せのみで演練にさえ出たことがない三日月ではあるが、刀剣の付喪神として戦い方は身に染み付いている。とは言えども、三日月は弱い。敵を一撃で仕留められないほどに。
    「なぁに、きみならすぐ追いつくさ。そう気落ちしなくても良いと俺は思うぜ」
     練度が低いと言われれば、それは間違ってはいない。だが、それだけではないことを三日月は自覚していた。
    「場数を踏まなきゃわからないこともあるだろ? 戦も、料理も、な」
     鶴丸の手が三日月の背中を優しく擦る。その手の少し高い体温が、じんわりと三日月の心をも暖めていく。
    「ありがとう、鶴丸」
     素直にそう伝えれば、ほんのりと顔を赤く染めた鶴丸は、そうだと声をあげた。 
    「今日は俺が作ろう!」
    「え?」
    「手伝っているとは言え、いつもはきみが作っているからな! たまには俺が作る日もあっていいだろ?」
     くるりと三日月に背を向けて颯爽と厨を動き回る鶴丸の、その耳は赤い。照れ隠しに料理とは、本当に食べることが好きなのだなと、そんなことを思いながら三日月は目を細めてその背を眺めた。
    「そら、召し上がれ」
     そう待たない時間で出来上がったそれは、とても美味しそうな甘い匂いをさせている。三日月のためにと作られたそれは、甘い匂いがするチョコレートのパンケーキだった。スっと切込みを入れれば、上に乗ったチョコレートが溶け染み込んでいく。それを掬い、零れないように口へと含めば、頬に力が入るほどの甘さに自然と口角が上がった。
    「どうだ?」
    「……美味しい」
    「だろ?」
     そう言って、三日月のものよりも何倍もある大きさのそれを鶴丸は大きな口で食べ始める。大量の生クリームもまたどんどんと減っていく光景は、見慣れたとはいえまだ慣れない。けれど、その食べっぷりは見ていて楽しいものだ。
     思わぬ事故だったが、好いた刀からチョコレートを貰った三日月は、食べている間ずっとにやけていた。
     締め付けられるような胸の痛みは、今はただ無視をして。
     
     
     
     
    「本気、なのですか」
     三ヶ月前、初めてこの本丸に訪れ案内された時と同じ客室で、目の前に座る時の政府の職員の顔が僅かに強ばった。
    「……あぁ。本気だ」
     職員のその言葉に肯定を返し、三日月はもう一度先ほどの言葉を繰り返す。
    「政府に戻る」
     三日月のように保護された刀は、皆余程のことがない限り最初の本丸に残ることを望むと言う。だが、三日月は去ることを望んだ。
    「この本丸で、何か辛い思いをしましたか?」
    「いいや。……ここは、良い本丸だ。皆楽しそうな顔をしている」
     未だに少食だもっと食べろと三日月を心配する本丸の面々を思い出す。あれやこれやと出されても食べきれないのは心苦しかったが、それでも皆と一緒に食べる時間は楽しい。
     それに、何よりも三日月を戦場へと出させてくれた。政府では一度仮想空間での戦場に出たきり。それ以来、許可が降りなくなった。
    「でしたら、」
    「だが、俺はこの本丸には相応しくない」
     顔を逸らすように、三日月は目線を手元に移して俯く。握った桜色の湯呑みは、三日月用にと鶴丸が用意してくれたものだ。初めに使っていたものは、ついこの間落として割ってしまった。
    「確か、政府の厨房で働いている燭台切がいるのだろう。俺も、そこで働くことはできないだろうか」
    「それは確かに可能ですが……彼は事情があって暫く戦場に出ることができないだけですので」
    「俺も似たようなものだろう。戦場に出れば……すぐ折れることになる」
     三日月は弱い。顕現し保護されてからすぐ、演練場のような仮想空間での戦場へと出してもらったことがある。全ての審神者が一番初めに出陣すると言っても過言ではない戦場の仮想空間。三日月はそこへひとりで出陣したのだ。
     切ることはできる。だが、敵の首を押し切るほどの力が三日月にはなかった。振り抜いた刃は皮一枚しか切れず、受けた敵の刀によって辛うじて本体は離さなかったものの身体は後ろへと吹き飛ばされて中傷。
     仮想の戦場では折れる手前で戦線離脱となる。敵に傷らしい傷を負わせられぬまま、三日月の初出陣は敗北の文字とともに終わりを告げた。元の無傷状態へと戻った三日月は、震える自身の手に視線を落とす。傷はない。けれども、手に力が入らないのだ。政府によれば、本来の力の半分以下も出せていないと言う。練度が上がれば、という声は聞き入れてもらえることはなかった。
     それ以降戦場に出されることもなく、手合せすらさせてもらえず、ただひとり刀を振る毎日。与えられた身で、毎日をただ無為に過ごすのは心苦しかった。
     この本丸で戦場に立つことを許されたのは、ひとえにこの本丸の主である妖の彼女のおかげである。事情を知っているとは言え、三日月の意思を尊重してくれたのだ。だが、その意思は早々に砕かれた。
    「歴史を守るために顕現したにもかかわらず、戦えないとはとんだ笑い種だな」
     握っていたはずの刀が呆気なく飛ばされる。仮想空間ではない本当の戦場で、ただ守られていただけの三日月は、間違いなく役立たずのなまくらだと悟った。
    「三日月様。この本丸の審神者様はそれを承知で貴女を引き取りたいと仰ったのですよ」
    「彼女には、あとで謝ろう」
     急遽用事ができましたと、今日が何の日か忘れて近侍である鶴丸とともに時の政府へと出かけていった彼女は、まだ本丸に戻って来ていない。行き違いになったことを政府職員に伝えれば、よくあることだと呆れていた。
     三日月としては、恩を仇で返すようで心苦しいがこのまま誰にも会わずに去りたい。会ってしまえば、決心が鈍ってしまう。特に、鶴丸には。
    「だから、」
    「いいえ。現時点で貴女をここから連れていくことはできません。今のお話を皆様に伝えた上でもう一度お聞き致します」
     言葉の続きは、有無を言わさない圧を醸し出す職員によって遮られる。思わず息を呑む三日月だったが、負けじと睨み返した。
    「……三ヶ月は過ぎたぞ」
    「目安として三ヶ月とお伝えしただけです。どちらにせよ、双方が納得いく形でなければ、あなたを連れていくことはできませんので」
     素知らぬ顔で、職員は三日月が入れたお茶を飲む。見た目は優男のようだが、刀剣男士と同じくらい、いやそれよりもくせの強いだろう妖を相手にしているだけあって、三日月の思惑通りにはそう簡単にいかなかった。
     言葉を失った三日月は、一呼吸吐こうと自分で入れたお茶を一口飲んだ。良い茶葉のようだとは思っていたが、文句の言い様もなく美味い。茶菓子を振舞った鶯丸から礼にと貰った物だったが、三日月の想像よりも良いものだった。
     やはり、茶請けに昨夜作った団子を残しておけば良かったか。だが、美味しそうに食べる鶴丸を見ると、つい作ったものを全て出してしまうのだ。それに長居はしないからとすごい勢いで断られてしまった。おそらく、彼もまたあの薬研の薬の世話になったに違いない。
    「ご馳走様でした。それでは、今度は一週間後に来ます」
    「時間の無駄だと思うが」
     何度聞かれても、三日月がこの本丸を去る意思は変わらない。戦えず、かと言って刀解も許されず。そんな三日月がどうして本丸にいることができようか。
    「それは、ご自身が今どのような顔をしているか自覚してから判断してください」
     そう言い残して、目の前の妖は音もなく立ち去っていった。
    「……」
     ぽつりと、雨音が響く。朝から曇り空ではあったが、とうとう降ってきたらしい。ただひとり、部屋に残された三日月は開いたままの障子から見える雨を一瞥してこうべを垂れた。
     誰に言われなくとも、自覚はしている。両手で自分の顔を覆った三日月は、強く肌に爪を立てた。厨に立つものとして爪は深く切ってはいるが、力を加えれば柔い肌にも食い込んでいく。
     去りたくない。けれど、戦えない刀だと失望されたくもない。遠征を繰り返しているだけでは強くなれないとわかっていても、戦える力を三日月は持っていないのだ。
     本当は、戦場に立ち刀を振るいたかった。三条の兄弟太刀のように、先陣を切ってみたい。そして、鶴丸の隣に立ってみたかった。今のままでは、並ぶどころか足を引っ張るだけである。
    「何故……」
     三日月が本来の三日月宗近の能力よりも劣る理由は未だわかっていない。同じ女体で顕現された別の個体は男体とは劣らない能力を持つばかりか、個体によっては能力値が異様に高いものもいると聞く。
     人の歴史を守るはずの刀として顕現したはずであるのに、その刀に守られているとは。自分の存在意義がわからなくなる。まるで、朧月のようにぼやけているような、そんな気がしてならない。
    「――三日月」
     ふわりと、何か暖かいものに包まれる。聞き覚えのある声と、嗅ぎ慣れた香りに、落ちかけていた三日月の意識は浮上した。
    「つるまる……?」
     恐る恐る顔を上げれば、恋した刀が目の前にいる。
    「爪を立てれば、きみの肌に傷がつく。立てるなら、俺にしとけ」
     まるで壊れ物を扱うように、強ばっていた三日月の両手を鶴丸がそっと握りしめる。その温もりに、身体から力が抜けた。そして、我に返る。
    「いつから、そこに……」
     少し離れたところにある客室からでは帰ってきたことに全く気が付かなかった。先ほどの話を、聞かれていただろうか。真っ直ぐに三日月を見つめる鶴丸の表情からは何も伺えそうにない。
    「三日月、万屋街に行こう」
     ふわり、鶴丸が微笑んだ。真剣な顔を緩ませて笑みを浮かべた鶴丸に、三日月は呆気にとられる。
    「いきなり何を……?」
    「たまには外で食べるのもいいだろう? 美味い店を知っているんだ。ほら、」
     立ち上がった鶴丸が三日月の手を軽く引く。強い力ではないはずなのに、三日月は流れるように立ち上がった。ぱさり、三日月にかけられていたものが落ちる。防具が外された白いそれは、鶴丸の戦装束だ。政府へ行くために出陣でもないのに正装していたのだろう。
    「あ、」
     三日月が拾う前に、鶴丸は器用に足でそれを蹴飛ばすように掬い上げた。
    「おっと。このままの格好では風邪を引くな……ちょっと待っててくれ」
     すぐに迎えに行く、と言い残して鶴丸は小走りで部屋の方へと向かって行った。その背中が廊下を曲がるまで、三日月はずっと視線で追う。
     一先ず、帰っているだろう妖の主には返事が保留になったと報告しなければないらない。だが、どう説明したものか。彼女にはあとで謝るからと言ったものの、いざ伝えようとするとしり込みしてしまう。この本丸を出ていくということは、彼女の厚意を否定してしまうということでもあった。
    「三日月」
     またしても、名を呼ぶ鶴丸の声とともに暖かいものが三日月を包む。真新しい匂いがするそれは、大きめの肩掛けのようで軽く薄手ではあるがとても暖かい。
    「これは?」
    「俺からきみへの贈り物だ」
     白から青へ、裾の方へと緩やかに変わるその美しい色合いに目を瞬かせていた三日月は、鶴丸の一言に勢いよく顔を上げた。
    「え?」
    「いつもの夜食の礼さ。ほら、行くぞ。主には許可を取ってる」
     鶴丸に手を引かれ、三日月は先行くその背中に小走りで着いていく。後ろから見える耳がほんのり赤いところを見るに、どうやら照れているらしい。それにつられた三日月もまた頬を染めながらありがとうと呟いた。
    「三日月は万屋街に行くのは初めてか?」
    「あ、あぁ」
     この本丸では玄関のすぐ側にゲートがある。液晶に何やら打ち込む作業をしている鶴丸の手元を三日月は興味深そうに眺めた。政府では必要な物は申請すれば用意してもらえたため、何かを買いに行く必要はなく、ましてやお金さえも触ったことはない。それは、この本丸に来てからも同じだった。
    「よし。驚きの道案内をしようじゃないか」
     差し出された手に、おずおずと指を乗せる。その手を強く掴まれ、導かれるままゲートをくぐり抜けた先は、全くの未知の場所であった。
    「これは……」
     石畳の階段の一番上で、三日月は眼下に広がる景色に目を瞬かせる。何かしらの付喪神やそれに似た妖を見たことはあり、また三日月がいた政府職員の宿舎に住む女性たちも妖であったが、皆人の姿をしていた。
     呆ける三日月の横を小さい黒い影が通る。別の本丸の今剣かと思ったそれは、黒い羽を持つ本物の烏天狗の子どもだ。まだ上手く変化できないのか、口や顔と髪の所々が烏の特徴が残っている。その背後から親と思わしき烏天狗が追いかけていった。彼らだけではなく、狐や狸のような動物の姿をしたモノもいれば、人の身であれど気配は全くの別物もいる。人間がいないこの空間は異質のようで、だがそれが普通だと言わんばかりに様々なモノで溢れかえっていた。
    「相変わらず雨でもここは混んでいるな。三日月、はぐれないように掴まっていろよ」
    「あ、ああ」
     黒い蛇の目傘を持つ鶴丸の腕に手を回す。階段を降りて数歩、濡れないようにと三日月の方へと鶴丸が傘を傾けていたことに気が付き、触れていただけだったその腕にぎゅっと引っ付いた。
    「み、三日月?」
    「その気遣いは有難いが、あまり傘を傾けてはお前が濡れる」
     傘はひとつしかない。急な外出であったというのもあるが、鶴丸がひとつだけしか傘を持っていないことには気が付いていた。
    「すまんな」
     玄関には誰でも使える傘は置いてある。けれど、持ってこなかったのはわざとだ。
    「いや。雨の日に連れ出したのは俺だからな。……このまま濡れないように離れるなよ」
     ざぁ、と降りしきる雨の中で、ゆっくりと階段を降りていく。普段の歩みよりも遅いのは、足を滑らせないようにと鶴丸が三日月に合わせてくれているのである。申し訳なさを感じながらも、三日月は慎重に足を降ろした。以前、本丸で階段から滑り落ちたことがあり、その時はあと数段というところで足を踏み外したため軽い打撲程度で済んだが、暫くは歩き方がぎこちなかったことがある。痛みはない。けれども、身体に違和感があった。
     それが何故なのか、気が付いたのは硝子のボウルを割った翌日のことだ。朝食の準備をしている時、握り飯用の米を握る腕が酷く重たいことに気が付いたのである。三日月の顔程ある大きい握り飯ではあるが、毎朝作ってきたはずにもかかわらず握れない。幸い、そう感じたのは僅かな時間で誰にも気付かれることはなかった。
     身体に、力が入らない。戦場ですらままならないのに、日常までも支障をきたす、その予兆に三日月の全身から血の気が引いた。思えば、よく躓くのも身体が限界を迎えているのだからだろうか。
     戦場で折れるか、本丸を去るか。元々刀解を望んでいた時ならば、戦場で折れることを望んだかもしれない。だが、今は。
    「三日月。きみ、昼は食べたか?」
     店が並ぶ街並みへと階段を降りて暫く、鶴丸の質問に三日月は首を振る。政府職員との話し合いが終われば取るつもりだったが、すっかり忘れていた。
    「それなら良かった。今日は小豆洗いの店に行こうと思ってな」
    「……小豆洗いが、店?」
     名は知っている妖だ。まだ見たことはないが、どのような妖であるかは知っている。
    「驚きだよなぁ。まぁ、妖である主が審神者をしているくらいだ、妖が店を開いていたって不思議はないのかもな」
     鶴丸に連れられ、通りの大きな店の中へと足を踏み入れると、甘い匂いが三日月の鼻腔を擽った。同時に腹もきゅると音を鳴らす。食事処らしき横には売店のようなところもあり、どちらも溢れるほど混雑している。確かに、このかぐわしい匂いを嗅いだのなら、買わずにはいられないのだろう。
    「おや、女房さんとこの」
     騒がしい店内の奥から店主らしき小さな老翁が現れ、三日月たちの前に小走りでやって来た。
    「よぉ店主。相変わらず繁盛してるな」
    「おかげ様で大繁盛ですよ。本日は店のご利用ですか?」
    「あぁ。空いてるかい?」
    「もちろんでさぁ。いつものところへどうぞお上がりください」
    「ありがとな。三日月、こっちだ」
     ぶつからないように、鶴丸が三日月の肩を抱いて狭い店内を進んでいく。いつもより近すぎる体温に顔どころか全身が熱い。高鳴りすぎてもはや激しい動悸が鶴丸に聞こえないように、と願いながら進んだ先は、二階にあるテラス席だった。屋根があるため雨には当たる心配はない。
     下の階は現代風に言うならば古民家カフェとやらだろうか。二階は雰囲気が変わり、白を基調とした骨董のような円形の机と細かな装飾がされた椅子が置いてある外つ国のちょっとした庭のようで、ちょっとした既視感があった。店の見た目は町屋のようであったのに、随分と不思議なものである。
     手すりに飾られた薔薇の隙間から行き交うモノたちが差す色とりどりの傘を眺めていると、後ろから大きな盆を持った鶴丸が現れた。
    「これはまた大量だな……」
     どすんと音を立てて机の上に置かれたのは、山盛りのおはぎに羊羹、最中に汁粉。更にはパンの中にクリームと餡子がぎっしり詰まっているものなど、和洋様々なお菓子からサンドイッチ等の軽食もある。今でこそ見るだけで胸焼けを起こすことはなくなったが、やはり多いものは多い。
    「ここの店主は主と知り合いでな。本丸で使う小豆はここから仕入れてるんだぜ。この場所も主のために作られたようなもんさ」
    「なるほど。彼女が好きそうなものばかりだな」
     鶴丸が引いてくれた椅子に座り、三日月は改めて周りを見渡した。美しく咲き誇る薔薇は彼女の好きな花だ。置かれている椅子や机、小物も彼女の執務室にあるような骨董品の類いである。
    「ま、この場所を用意したのは店主の息子だがな」
    「おや」
    「主の好みをよく聞かれたもんだぜ」
     内緒だぜ、と言い放ち鶴丸は三日月の前に腰掛けておはぎを頬張った。本丸よりも小ぶりではあるが、一般的には大きい分類に入るだろうそれを一口で食べる鶴丸にももう慣れたものだ。三日月も用意された羊羹を小さく切って口に含む。滑らかな舌触りのほどよい甘さが口の中に広がった。
    「美味い……!」
    「最初は小さな店だったんだが、主がここの小豆を気に入ってな。仕入れついでによく食べに来ていたらいつの間にかこんなに大きい店になっていたんだ」
     不思議そうに首を傾げる鶴丸だが、三日月は何故この店がこのような人気店になったのかがわかる。彼女やあの本丸の刀剣たちが店先で美味しそうに、それも大量に食べていれば皆気になるというもの。三日月も皆が美味しそうに食べるからと自分もつい手を伸ばしてしまうのだ。
     早々にお腹を満たした三日月は、未だに手も口も止めない鶴丸を眺める。大量にあった食べ物はもうあと少ししかない。これでいて夜も食べる気満々なのだから、彼らの胃はどうなっているのか。いくら刀剣男士でも体重の増加はありそうなものなのだが、全くもって不思議なものである。
    「ご馳走様」
     最後のおはぎを一口で一瞬にして食べ終えた鶴丸に合わせ、三日月も同じように手を合わせた。食後にと用意されていた、保温容器に入っていた温かい茶でひと息つく。三日月はゆっくりと飲んでいたが、鶴丸はまだ熱いにもかかわらず一気に飲み干した。
    「三日月」
     驚く三日月を真っ直ぐ見据えて、名前を呼ぶ鶴丸の声音は固い。そんな鶴丸に、三日月は思わず姿勢を正した。
    「俺は、きみに本丸を去ってほしくない」
     息を呑む。やはり、聞かれていたのか。冷えゆく指先を暖めようと、両手で湯呑みを握る。
    「それ、は」
    「本丸の皆もそう思っている」
     鶴丸の表情からは、なにも読み取れない。真剣な面持ちで、何も言えない三日月を見ている。そこには、怒りも悲しみも戸惑いも見えない。
     そんな鶴丸に、三日月の方が困惑してしまった。どんな感情であれ、ぶつけられればきちんと謝るつもりでいたはずなのに。鶴丸はただ、三日月の言葉を待っている。
    「それでも、俺は、本丸を去らねばならない」
     なんとか絞り出した言葉は、思ったよりも冷静な声音だった。
    「俺たちが、嫌になったのか?」
    「それは違う!」
     勢いよく否定した声が大きく響く。一瞬だけ、下の通りの喧騒が静かになった。
    「……それだけは、絶対にない」
     吐き出すように、声を抑えて三日月はもう一度否定する。
    「なら、どうし」
    「俺が、出来損ないだからだ」
     鶴丸の言葉を最後まで聞かずに、三日月は口早に紡いだ。視線を落とした先、湯呑みの中に自分の顔が映る。揺れる水面を収めるように、三日月は強く湯呑みを掴んだ。
    「きみが出来損ないだなんて。政府が言ってるだけだ」
    「刀としての能力値が全くない俺は、本当に刀か?」
    「そんなの、そもそも俺たちの力を数値化している方がおかしいだろ。それにきみはまだ、戦場に立ったばかりの刀だ」
     本当にそうであれば、どれほどよかっただろうか。だが、三日月の思いとは裏腹に身体は動かなくなっていく。そうだと自覚してしまった時、三日月がどれだけ絶望したのかを鶴丸は知らない。知られたくなどなかった。
    「三日月」
     鶴丸の手が湯呑みを握る三日月のものに重なる。冷たい手だ。鶴丸もまた、緊張している。顔に出さないのは流石としか言いようがない。顕現して長い鶴丸に、三日月はどう足掻いても適わないのだ。
    「役に立たないなまくらのままでは、俺が嫌なのだ」
     鶴丸は知っている。三日月の身体はどんどん弱くなっていることを。
    「刀のして在ることができないのなら、」
     政府の厨房で働きたいなど、それは嘘だ。
    「いっそのこと」
     今もこれからの未来も、戦場にも厨にもそれ以外にも、鶴丸とともにありたかった。
    「三日月!」
     鶴丸が勢いよく立ち上がる。思い切り押された椅子が鶴丸の背後でぐわんと揺れた。それを視界の端に写しながら、三日月は近くなった鶴丸の瞳を見つめる。揺れているように見えるのは鶴丸の瞳か、それとも三日月か。
    「それは、主がもう一度、」
    「鶴さん! 三日月!」
     突然、ふたりの間に声が降ってきた。
    「……貞坊?」
     上を仰ぐ鶴丸に倣い、三日月も顔を上げる。鶴丸が名を呼べば、小さな白い影は重さを感じさせぬ軽やかさで着地してみせた。
    「良かった、無事だったみたいだな」
     三日月たちの前に現れたのは、本丸の太鼓鐘だ。傘も持たずに急いで探しに来たのだろう、濡れたままの彼に手ぬぐいを渡そうとした三日月の手は、他ならぬ鶴丸によって拒まれた。
    「鶴丸?」
    「きみは座っていてくれ」
     三日月を制し、近付き屈んだ鶴丸に太鼓鐘が耳打ちをする。無事を確認する程のことが起きたのだろうか、三日月には聞かせまいとするふたりの様子をただ見守ることしかできないことに悔しさを感じた。
    「三日月」
     徐に立ち上がった鶴丸が三日月の手を掴む。いつもとは違うその荒々しさに驚くが、手を引かれてわけのわからぬまま鶴丸に着いて行くことしかできない。
    「急いで本丸に帰るぞ」
    「つ、鶴丸?」
     鶴丸と太鼓鐘に着いて階段を駆け降りていく。途中すれ違った青年に鶴丸があとで本丸に請求してくれと叫んでいた。彼が誰かと問いかける暇もなく、三日月たちは裏口から路地へと飛び出る。
     そこへ、突如大きな影が現れた。
    「おおおおおぉおりぇ、おぇ、の、かひゃ、かぁ、な」
    「ひっ……!」
     血走った目で呂律の回らない言葉を発しながら口の端から泡を吹く大男が、ふらふらとした足取りで三日月へと手を伸ばしてくる。その異常な迄の様子に思わず三日月は後ずさんだ。
    「おいおい、まさか審神者と言えどただの人間がここに入り込むことができるとはな!」
     男の手が届く前に、三日月は鶴丸の方へと引き寄せられる。空ぶった男は、目の前で盛大に転んだのも束の間、首だけをぐるりと回して三日月を見た。
    「走るぞ、三日月!」
     それ以上は見るなと言わんばかりに、鶴丸が三日月の腰を抱き寄せて走り出した。細い路地を三振で駆け抜ける。相変わらず雨は降っていた。背後で先ほどの男が追いかけて来る気配がするが、振り向いている余裕はない。鶴丸たちに着いていくだけで精一杯だ。
    「貞坊、先に行ってゲートを開けてくれ!」
    「わかった!」
     鶴丸の一言で、太鼓鐘の姿が消える。その瞬間、三日月の足が何かに引っ張られた。
    「っ?!」
    「三日月!」
     地面へと叩きつけられるように転ぶ。ぎりぎりと軋む痛みに足先を見れば、先ほどの大男の手に掴まれていた。いつの間にここまで近付かれていたのか。
    「おおおおおれ、おれの、かっ、かひゃなぁ」
     ぎょろと光のない目玉が三日月を写す。ぞわりとした感覚に三日月は起き上がり足を引っ込めようと力を込めた。
    「はな、」
    「ぎゃあっ」
     だが、三日月が足を引くよりも早く、その手が引っ込んだ。
    「汚い手で三日月に触るな」
     その手に白刃を煌めかせ、鶴丸が男を睨む。腕を鶴丸に斬られた男は、雄叫びをあげながら地面を転がった。
    「鶴丸、人間を斬っては」
     現代の人間を斬ってはならない。例え正体不明の人間であろうと、斬れば咎められるのは鶴丸の方だ。
    「殺しはしないさ、っと失礼!」
    「――っ」
     背中と膝裏への衝撃とともに身体が浮く。思わず、三日月は目の前の首に腕を回した。横抱きされる状態となり、慣れない浮遊感で戸惑う三日月に、鶴丸が笑う。三日月を安心させるような笑みだった。
    「掴まっていてくれ」
     そう言うなり鶴丸が地面を蹴る。三日月は長い髪が視界の妨げにならぬよう抑えながら、鶴丸にしがみついた。路地から大通りへ出た鶴丸は万屋街の出入り口へと向かう。周りの妖たちが何事かと騒ぐ中、鶴丸は走り階段へと足をかけた。その瞬間、何か黒い影のようなものが横から伸びて来たのを、鶴丸は上へ飛び上がることで避ける。
    「っ、これは、」
    「はっ、やっぱり追いかけて来やがったか!」
    「何だ、あの姿は……!」
     追いかけて来た男は、本当に人間かと思うほど様変わりをしていた。血走っているのは変わらないが目は完全に白目を剥いており、手足の関節は骨が無くなったかのようにあちらこちらへと歪んでいる。四つ足で三日月たちを追いかける姿は、まるで蜘蛛のようにも、獣のようにも見えた。
    「政府管轄とは言えここは妖の街でもある。人間にゃ合わない場所さ」
     三日月を抱え直し、鶴丸は再び走り出す。もう少しでゲートが並ぶ頂上へと辿り着こうとしたその時、追いかけて来た男が大きく飛び上がった。三日月たちを追い越したその男が、ふたりの進路を阻む。後方で太鼓鐘がゲートの前で刀を構えているのが見えた。
    「鶴丸、」
    「ああ。本丸に入られるわけにはいかないな」
     三日月を降ろし、鶴丸が刀を抜く。戦力にはならないが、三日月もまた牽制のために刀を構えた。
    「あれはもう、人間ではないのか」
     もはや人の気配がわからなくなっている。化け物へと変貌してしまったそれを、三日月はただ見つめた。
    「何処ぞの悪鬼にでも唆されたんだろう。自我を保つこともできずに暴れ回ることしかできないとは、なんとも憐れだな」
     鶴丸の言葉に反応したのか、それは雄叫びをあげ三日月たちの方へと向かって来た。振り上げられた腕は、鶴丸によって止められる。
    「まァ、同情はしないがな」
     そして驚くほど冷たい声で、鶴丸はそれを斬り伏せた。両の腕を吹っ飛ばされ、無様に地面へと叩きつけられる。
     ふと、その姿に既視感を覚えた。何処かで、似たような光景を見たことがある。数ヶ月前、三日月が顕現された時のことだ。顕現の桜が舞い散る中で、目を開けたその先に見えたものと、今この光景が重なった。
    「もしや、主、なのか?」
     言葉にした瞬間、胃が引っくり返そうな嫌悪感に襲われる。化け物となった男が、嫌な笑みを浮かべた気がした。
    「みぃぃかぁぁづぅぅきぃぃぃぃいいぃぃぃ」
    「っ、あ……」
     腕を失ってもなお、男は巨体を引き摺り三日月の方へとにじり寄ろうとしてくる。だが、その前に鶴丸がその身体を上から突き刺し縫いとめた。獣じみた咆哮が響く。そんな中で、不思議と鶴丸の声だけははっきりと聞こえた。
    「三日月。これはもう、きみの主などではない」
     蠢く男の頭を踏みつけた鶴丸は、柔らかな笑みを浮かべ三日月を真っ直ぐ見つめる。
    「きみは、俺たちの本丸の刀だろう?」
     その瞳に宿るのは、揺るぎない自信だ。
    「だが、俺は」
    「きみは、俺が嫌いかい?」
     三日月の言葉を遮り、鶴丸が問いかけてくる。その質問の意図がわからず、嫌いではないと返せば、満足そうに鶴丸は頷いた。
    「俺は、きみのことが好きだ」
    「……え?」
    「これでも、きみをずっと口説いていたつもりなんだが、なぁ」
     照れくさそうに頬を掻く鶴丸に、三日月は目を見開く。
    「ほ、本当か?」
    「こんな時に、こんな嘘をつくはずないだろう」
     驚きを好む鶴丸でも、時と場所をきちんと考えることは三日月もよく知っていた。だからこそ、期待に満ちた胸が高鳴る。
    「俺の自惚れじゃなかったら、三日月も俺と同じだと思ってもいいだろうか?」
     問いかけてはいるが、鶴丸は確信を持っているらしい。自信満々の顔で三日月を見るその瞳に、溶けるほどの熱が孕んでいることを初めて知った。
    「もちろん、だとも。俺もお前と同じ気持ちだ」
     鶴丸の気持ちを、気付いていないふりをしていたのかもしれない。いや、気付いたところで、それを受け入れる心の余裕は三日月にはなかった。料理の腕を認められたからだと、自分を納得させてきたのだ。
     だが、ここまで真っ直ぐな瞳で見つめられ、好きだと言われてしまったのなら、拒むことなど三日月にはできない。したくはない。
    「と、言うわけだ。お前の付け入る隙は微塵もない。とっとと消えな」
     すっかりと忘れ去られていた男を、鶴丸が蹴飛ばした。今更ながら、こんな場所でこんな時に何をしているのかと、三日月は顔を赤くしたり青くしたりと焦り出す。
    「この男はどうしたら、」
    「これ以上きみの視界に入れておくのも虫唾が走る。そうだな、」
     刀を握り直した鶴丸が、酷く冷たい目で男を見下ろした。今にも切り捨てそうな雰囲気の鶴丸に、思わず三日月が声をかけようとした瞬間。僅かな機械音とともに起動したゲートの中から、艶やかで黒く細い紐の束のようなものが飛び出した。
    「これ、は」
     慌てて刀を構える三日月だったが、完全に戦闘態勢を解いた鶴丸を見て戸惑う。明らかおかしいものであるはずなのに、嫌な気配はしない。
    「なんだ、時間切れか」
     それは、倒れていた男に絡み付いたかと思えば、ずるずると引き摺りゲートの中へと引き込んでいく。
    「きみは見るのは初めてだったな。こいつは主の髪さ」
    「髪の毛?」
     鶴丸の言う通り、よくよく見れば髪の毛のようだ。まさか、彼女の髪の毛が動くとは。感心している三日月の前で、間もなく残り頭だけとなった男が怯えたように叫んだ。
    「この、二口の化け物がぁ!」
    「あ」
    「?」
     男が叫んだ瞬間、鶴丸が呆れた声をあげる。どうしたのか、と三日月が聞く前に聞き覚えのある、けれど聞き慣れないドスの効いた声がゲートから聞こえてきた。
    「だぁれがあの下品な性悪女と一緒やこのダボが!!!」
    「」
     あまりの迫力に三日月の身体がびくりと反応する。あの声は、間違いなく鶴丸の主である食わず女房、彼女の声だ。だが、随分と迫力ある声で、ゲートの光が収まるまでとんでもない暴言を吐いていた。
    「二口女、という妖を知ってるかい?」
     静かになったゲートを前に、鶴丸は納刀した刀を肩に担いで三日月の方へと身体ごと振り向く。三日月もまた、刀を鞘に収めて鶴丸を見上げた。
    「名前だけなら、知ってはいるが」
     食わず女房とは、人間に化けている妖の存在。対して二口女は人間から妖になった存在である。どちらも妖には間違いないが、根本が違うのだ。
    「主が現世に住んでいた時の、同棲してた男の浮気相手がかの妖だったらしくてな」
    「それは……うむ」
     何とも言えない表情の三日月に、鶴丸も気まずそうに乾いた笑みを浮かべる。
    「まぁそういうわけで、主の前であの名前は出さない方がいいぜ」
     呆れ顔で肩を竦める鶴丸に、人の姿をしているがやはり彼女は妖であると再認識されられた三日月であった。
    「鶴さん、三日月!」
    「貞坊、色々助かった」
     本丸から持ってきたのだろうか、太鼓鐘からタオルを手渡される。雨はいつの間にか止んでいたらしい。
    「主が間に合って良かったな」
    「危うく三日月の前で細切りにするところだったぜ」
     髪を拭きながら、三日月はふと疑問に思ったことを太鼓鐘に聞いた。
    「ある……あの男は捕まっていたと聞いていたのだが」
    「あぁ、ふたりが出かけたあと、あの男が牢から逃げ出したって連絡がきたんだ。だから、慌てて探しに来たってわけだ」
     初めは人間用の牢屋にいたのだが、最近、妖用の牢屋に移動したらしく、そこで同じく捕まっていた妖に唆されたらしい。ついでにその騒ぎに乗じて脱獄したその妖は、妖用の罠に嵌り早々に捕まり更に堅固な牢屋へと入れられたそうだ。
    「詳しい話はあとだな。このままじゃ風邪を引きそうだ」
     鶴丸の言葉に三日月と太鼓鐘も頷く。まだまだ寒い春先であり、雨に濡れた身体はすぐに冷えてしまう。三日月はすっかり濡れてしまった肩掛けを脱いで、思わず声をあげてしまった。
    「あっ」
    「どうした三日月、怪我でもあったのか!?」
    「……破れてしまったな」
     おそらく、あの男に足を掴まれ転んだ時に破れてしまったようだ。雨に濡れただけではなく、泥にも塗れていた。裁縫が得意な刀でも、これを修復するのは難しいだろう。
     形あるものはいつか朽ちゆくこととはわかっていても、こうも早く駄目になってしまうとは。三日月はその布切れと化してしまった肩掛けをそっと撫でて悲しんだ。
    「三日月を少しでも泥から守れたのなら、これも本望さ。また、贈らせてくれ」
    「いや、それは」
    「同じ肩掛けでは驚きがないな。次はもう少し凝った意匠のものを選ぶか……」
    「待て、鶴丸」
     鶴丸からの贈り物である肩掛けは、触り心地が良く質の良い布だった。そのような高価なものをまた貰うわけには行かず、遠慮する三日月の言葉は聞き流される。
    「そうだ。きみの軽装も主が用意してくれるとは言っていたが、小物は俺が選ぼう」
     更には、肩掛け以外にも何やら色々な物を三日月に贈ろうとしてくる始末。鶴丸には、既にたくさんのものを貰っていた。それは、食べれば無くなってしまうものでもあり、三日月の心に残る形のないものでもある。それ以上は、望まないと思っていたはずなのに、鶴丸の言葉に心が揺れた。
    「贈り物はもう、」
    「三日月」
     鶴丸の手が、三日月の髪の束を掬う。
    「きみに、俺が贈ったものを身に付けてもらいたいんだ」
     その髪を目の前に持ち上げたかと思えば、三日月に見せつけるようにして鶴丸はそこに口付けた。目を細め三日月を見る鶴丸のその瞳の奥に、燃え盛るような金色の炎が灯る。
    「そ、それは」
     身を焦がすほどの熱で、三日月の顔どころか全身が熱い。高鳴る心臓が今にも弾けそうだ。
    「つーるーさーん。いちゃつくのはあとにした方がいいぜ」
     呆れたような太鼓鐘の声に、鶴丸は持っていた三日月の髪をそっと下ろした。思わず、下ろされた髪の毛の先を三日月はじっと見つめていると、先ほどのことを思い出してじわじわと再び顔に熱が集まる。
    「おー、悪い。帰ろうぜ、みかづ」
    「主直伝の口説き方学んどいて良かったな、鶴さん」
    「待て貞坊。それ以上言うな」
     焦りながら太鼓鐘を振り返る鶴丸の、その頬が赤い。そんな鶴丸をしたり顔で笑う太鼓鐘は、本丸へのゲートをくぐり抜けながら叫んだ。
    「本丸中に牽制してたもんなー!」
    「あっ、おい!」
     とんでもない爆弾発言をした太鼓鐘が消えるのを、手を伸ばしたまま見送った鶴丸が固まっている。そんな鶴丸の様子に、三日月は袖を摘んで見上げ、おすおずと問いかけた。
    「……そう、なのか?」
    「…………」
     鶴丸の顔が、一気に赤く染まる。首元まで赤くなるその様子に、三日月も同じことになっているのだろうなと頭の隅で思う。ふたりで何も言わないまま立ち尽くしていると、遠くの方でがやがやと声が聞こえてきた。
    「一時的に封鎖していたのが解除されたみたいだな」
     鶴丸に抱えられ周りを見る余裕が三日月にはなかったが、どうやらあの男が逃げたと連絡があってから、政府によって街の出入りは一時封鎖していたらしい。間もなく、この場所も自分の本丸に帰るものたちでいっぱいになるだろう。
    「帰ろう、三日月」
     鶴丸が、三日月に手を差し伸べる。
    「……俺は、あの本丸にいていいのか?」
    「当たり前だろ。きみの居場所は、俺たちの本丸だ」
     そっと重ねた三日月の手を、鶴丸が強く握った。相変わらず、暖かい手だ。三日月もまたその手を強く握り返し、ふたり揃ってゲートへと足を踏み入れた。




     温かい風呂に入り、転んだ際にできた手入れ部屋に入るほどでもない擦り傷を薬研に手当てしてもらった三日月は、妖の主の執務室ではなく、食堂へと訪れた。本丸に戻った時にはまだであったが、つい先ほど帰って来て今は食堂にいるらしい。
    「……彼女は、どうしたのだ?」
     夕餉はもうとっくに過ぎている時間ではあるが、大量の食べ物が彼女の前に並び次々と消えていく。その両隣には、彼女の後頭部にある口に食べ物を放り込む陸奥守と太鼓鐘もいる。彼らの目の前の席には鶴丸が座り、入口にいた三日月を左隣の席へと手招いた。
    「口直しだな」
    「口直し?」
     何故口直しが必要なのか、鶴丸はそれ以上話す気はないらしい。彼女の前にある皿から大きめの唐揚げを摘んで頬張る鶴丸を見ながら、三日月は困惑しつつも彼女の食事が終わるのを待っていた。
    「さて、三日月」
     大して待つ間もなく、目の前の皿から全ての食べ物が消えた頃。上品な仕草で口元を拭った妖の主は、三日月を見て微笑んだ。
    「あなたをもう一度顕現します」
     この本丸の主による再顕現。即ち、三日月は正式にこの本丸の刀になることを意味する。政府預かりとなる時にも、三日月は一度顕現しなおしていた。だがしかし、三日月の力が弱いことに変わりはなく。
    「……本当に、良いのか?」
     狡い聞き方だと思う。それでも、問わずにはいられなかった。
    「それはこっちの台詞ぜよ。三日月は、どう思っちょる?」
     真っ直ぐな陸奥守の言葉に、三日月は視線をさ迷わせる。
    「この本丸は、良いところだ。……去り難いと思うほどに」
     三日月が普通の刀剣男士であったなら、迷うことなどなかった。けれど現実は、三日月は女性の姿で、力も劣るなまくらの刀だ。
    「だったら、去らなくていい。きみのことを悪く言う奴はこの本丸にはいないし、何処の誰にも言わせない」
     鶴丸の伸ばした手が、膝の上にあった三日月の右手に重なる。痛いほど強く握られたその手に、三日月はもう片方を重ね同じように握りしめた。
    「……よろしく頼む」
     目を閉じて、顕現を解く。肉体が桜吹雪とともにほどけていくような感覚は、二度目でも慣れない。肉体という重みがなくなり、まるで空気中に漂う気体にでもなったような気分だ。ただの刀であった昔を思い出すも、今やもう人の身の方が馴染んでいるようだった。
    「主」
    「えぇ」
     鶴丸の手から、妖の主の手へ三日月が渡される。霊力とは、誰ひとり同じものはないらしい。政府では造られたような無機質なものであったのに対し、彼女から流れてくる力は何処となく甘い香りを漂わせていた。
    「三日月宗近」
     名を喚ばれ肉体が再構築される。手足の感覚が戻る前に、三日月は震える瞼を押し上げた。幻の桜が吹雪く中、金色に輝く瞳と一番最初に目が合う。
    「三日月」
     嬉しそうに、目を細める鶴丸が三日月に手を差し伸べた。触れたそれは、いつものように暖かく、力強く三日月の手を掴む。その手に導かれるように床へと足を着いた三日月は、掴まれていない方の手を握ったり開いたりと確かめるようにゆっくり動かした。
    「調子はどうだい?」
    「……不思議な、感じだ」
     最近まで感じていた倦怠感がない。それだけではなく、何処か地に足着いた心地がする。握りしめた手にきちんと力が入っている感覚は、言葉にするのが難しいほどだ。顕現当初から何処か万全ではないことが常であり、それが普通だと思っていた。だが、今ならばそれが間違いであったとわかる。
    「今のところ、数値的には平均と言えるでしょうね」
     妖の主――改め新しい主が空中に映し出されたデータを見ながら何やら操作をしている。正式にこの本丸の刀となったことにより、三日月の状態を彼女も把握しているのだろう。
    「だが、何故――」
     政府では、三日月の身体が弱いのはどうすることもできないと言われていた。それが今、普通の三日月宗近として何も問題はないと聞きいても、突然のことで安堵よりも困惑の方が強い。
    「あの人間では、きみを従えるには相応しくなかったんじゃないか。それより、出陣も問題ないんだろ?」
    「出陣……!」
     鶴丸のその言葉に、三日月ははっと気が付いた。再顕現により練度は戻っている。前まで上げても意味のなかった練度だが、今ならば。
    「様子見は必要ですが、問題はないでしょう」
     三日月は思わず鶴丸を振り向いた。
    「言っただろ。きみの居場所はここにある」
     優しく穏やかに、鶴丸が微笑む。それにつられるようにして、三日月もまた笑みを浮かべるため頬に力を込めた。滲みそうな視界の中、必至に上げた口元は歪んでいることは自覚している。その様子に言及することなく、ただぎゅっと手を握る鶴丸に三日月もまた強く握り返した。
    「さて。正式に三日月もこの本丸の刀となったことですし、宴の準備をしなければいけませんね!」
    「明日は忙しくなるき、皆に伝えにゃあ」
    「あ、じゃあ俺みっちゃんたちに伝えてくる!」
     ばたばたと、慌ただしく主と陸奥守、太鼓鐘が食堂を出る。三日月が来た日のようなその様子を懐かしく思いながら、彼らの後ろ姿を見送っていると、ふいに鶴丸に強く抱き締められた。
    「鶴丸?」
    「……きみが、政府に戻らなくて良かった」
     鶴丸の胸元へと押し付けられていて顔が上げられない。だが、少し速い鼓動を聞いて、鶴丸もまた不安だったのだと思い知った。再顕現をしても三日月の力が弱いままなら、誰が何と言おうと政府へ戻るつもりだったのである。鶴丸には、そんな三日月のことなどお見通しであったようだ。
    「俺も、そう思う」
     すり、と頭を押し付ける。三日月とてこの本丸を、鶴丸の元を離れたくないと思っていた。まさか本当に叶うとは。
     鶴丸の手が三日月の頬へと伸びてくる。緊張を滲ませた顔の鶴丸を見て、三日月はその意図を察してしまった。火を噴きそうなくらいに顔が熱くなっていくのが自分でもわかる。鶴丸の手が、頬へ触れた瞬間。
    「みかづ」
    「三日月」
     鶴丸の声を遮る凛とした声がふたりの間に落ちた。
    「ど、どうした、主?」
     慌てて一歩下がった三日月は食堂の入口を振り向く。そこには、先ほど出て行ったはずの主が笑顔を浮かべて立っていた。
    「実は、あなたにお願いがありまして」
    「お願い?」
     僅かに首を傾げる彼女につられ、三日月も同じように首を傾げる。隣で鶴丸が恨めしそうに唸っているが、それを見事に無視をして合わせた両手を口元に持ってきた主は、きらきらと輝く瞳で三日月を見た。
    「わたくしに、何かデザートを作って頂けませんか?」
    「今か?」
    「えぇ。あなたが作ったものを、今食べたいのです」
     彼女に手料理を振舞うのは初めてではない。戦に出ない三日月には、時間は有り余っていた。そのため、皆に教えを乞う時間も多くなり、今ではスイーツ関係は小豆長光にも太鼓判をもらうほどである。というのも、鶴丸がとりわけ甘いものが好きだから、という下心もあったわけだが。
     きっかけはどうであれ、主である彼女も気に入ってくれるほどに、三日月の料理の腕前はどんどんと上がっていったのである。
    「実は、少し舌が痺れていまして。とびっきり甘いものをお願いしますわ」
    「……何があったのだ?」
     片頬に手をあて、主がため息をつく。先ほど鶴丸が口直ししている、と言っていたが何か刺激のあるものを食べたのだろうか。彼女が眉根を寄せるほどのものとは一体。
    「政府で出てきた食べ物がとんでもないものでしたの。ですが、美味しいものを食べれば治りますわ。ということで、お願いできますか?」
    「わ、わかった。俺で良ければ何か作ろう」
     三日月の両手をぎゅっと握り迫る主の、その圧に思わず頷く。浮かんだ疑問は、主の食に対する圧力で追いやられてしまった。
    「ふふ。あなたの作るものは、どれも美味しいですからね」
    「……あるじ」
     じとり。主を見る鶴丸の目が半目だ。だが、彼女は何処吹く風でくすくすと笑っている。
    「さぁて、わたくしは小豆洗いのおじ様に良質な小豆を依頼してきましょう」
     聞きたいことは多々あるのだが、今は答えてくれる雰囲気ではなさそうだ。心なしか浮かれたように食堂を出ていく主を見送りながら、再顕現により身体の調子も良いということもあり、手袋を外した三日月は長い髪の毛を素早く括り気合いを入れた。
    「では、その間に俺も料理にかかろう」
     今なら、三日月がすっぽりと収まりそうな大きな中華鍋を振るうことができる気がする。戦に出られることも喜ばしいことだが、本来の力が出せるようになったおかけで料理の種類が増えるのも嬉しい。大鍋をかき回すような力がいる料理は、三日月が手伝えることはほとんどなかったのだ。
    「手伝うぜ。俺も腹が減ったからな」
     厨房まではすぐそこであるというのに、近くに来た鶴丸が手を差し伸べる。すっかり板についたその行動に、ちょっとした悪戯を思いついた三日月はにっこりと笑みを浮かべた。
    「鶴丸」
    「ん?」
     そっと手を重ね、名前を口にすれば、鶴丸が三日月の方へと首を傾ける。さら、とえり足の少し長い髪の毛が流れていくのを見ながら、三日月はその頬へ顔を近づけた。
    「へ?」
     ――大福のように白いが、意外にも硬いのだな。
     そんなことを思いながら、三日月は上げていた踵をすとんと落とした。零れ落ちそうなほどに目を見開いた鶴丸の顔が、林檎のように赤くなっていく。その様子を目の当たりにした三日月は、声をあげて笑った。
    「ははは。真っ赤だな」
     そう言う三日月の顔も赤くなっていること自覚している。だが、鶴丸にはしてやられていることばかりで、少しくらい仕返しをしても良いだろうと、頬に口付けたのは軽い気持ちだった。
    「きみって奴は、本当に……」
     顔を抑える手の隙間から鶴丸の口元が緩んでいるのが見える。どうやら三日月が思っていたよりも悪戯はだいぶ効果があったらしい。つられた三日月もまた緩む口元を隠すように袖で顔を隠した。
    「三日月には振り回されてばかりだ」
     赤くなった顔を冷ますように、手で仰ぎながら鶴丸が小さく呟く。だが、しっかりと聞こえていた三日月は心外だと言わんばかりに目を見開いた。
    「何を言う。俺の方が、お前には振り回されているぞ」
     思えば、初めて会った時から鶴丸には驚かされている気がする。想いに気付いてからは鶴丸の一挙一動に胸が高鳴るばかりで、心は落ち着かないと言うのに、三日月が振り回しているなどとは。
    「おいおい、無自覚か?」
     鶴丸もまた心外だと片目を眇め三日月を見る。それに三日月も片方の眉を上げて鶴丸を見上げた。にやりと、片方の口角を上げる。
    「お前もな」
    「きみほどではないと思うが?」
    「おや、どの口が言う」
     軽口の応酬に、顔を見合せたふたりはどちらからともなく笑い出した。誰もいない夜の食堂に笑い声が響く。周りを気にしなくても良いのは、あらかじめ主が人払いをしてくれていたためだ。
    「きみに振り回されるのは嫌じゃない。俺だけにしてくれると嬉しいが」
     ひとしきり笑いあったあと、そう言った鶴丸は重ねていただけの三日月の手を握りそのまま持ち上げた。その行動の意味がわからず、なされるがまま三日月は手の行方を目線で追う。鶴丸の口元近くまで持ち上げられたからか、目と目が合ったその瞬間。
    「――!」
     軽い音を鳴らし鶴丸の唇が手の甲に触れる。それはすぐに離れてしまったが、瞬く間に手から全身へと熱がじわじわと広がっていった。
    「きみを振り回すのも、俺だけがいい」
     三日月を見つめるその瞳には、揺らめく炎が灯っている。厨房の炎よりも熱い眼差しが、三日月をじりじりと焼いていくようだ。
    「……お前だけだぞ。鶴丸」
     熱くなった頬を誤魔化すように、鶴丸の手に指を絡めれば、隙間などないほどに握りしめられる。その熱に酔いしれながら、三日月は近付いてくる鶴丸の顔を前に目をそっと閉じた。








    蛇足で蛇足の蛇足な話

    「言わないのかしら」
     忙しそうに、けれど楽しそうにフライパンを振るう三日月の背を横目で眺めながら、大量の生クリームを泡立てる鶴丸の前に現れたのは、意味ありげににやりと笑うこの本丸の主。目の前にある小休憩用の椅子に座った彼女は、両肘をつき組んだ両手に顎を乗せて鶴丸を見上げた。
    「何をだい?」
     彼女の言わんとしていることはわかる。だが、あえて鶴丸はすっとぼけた。
    「何故、あの子が力を取り戻したのか」
     彼女の後頭部の口が、同じように笑う気配がする。人の真似事をしているが、やはり妖は妖。人間には到底作り得ない笑みを浮かべ、彼女は鶴丸の方へと指を差した。爪に施した薔薇色のネイルがきらりと光る。
    「気になって仕方がないと思うのですけれど」
     ふふ、と小さく笑う彼女に鶴丸もまた同じように、はっと鼻で笑った。
    「あんなナリをしていても、三日月がアレを人間だと呼ぶからな。俺から言う気はない」
    「あらあら。わたくしから言わせるつもりね」
    「それはもちろん、」
     泡立てる手を止めないまま、鶴丸はぐっと口角を引き上げてみせる。
    「きみが、食べたのだからな」
     食わず女房とは、人間を食らう妖。彼女に審神者の力があると言うのは真っ赤な嘘だ。正確には、食べた相手の力を自分のものにできるのが彼女の能力である。審神者を食べた彼女は、審神者の力を手に入れた。だが、彼女が審神者になるのを許されたのは、単に浮気した元恋人が悪かったという理由だけではないのである。
     現世から離れた本丸という異空間で、悪事を働く審神者も少なくはない。入れておく牢も無限ではないが、かと言って現世に送り返して敵に捕まり利用されるのも避けたいところ。そこで、食わず女房である彼女の能力が大いに役立つのである。 
    「ですが、あんな不味いもの、あなたの頼みと三日月のためでなければ食べませんでしたわ」
    「それについては感謝してるぜ、主」
     人の形が残っていたとはいえ、鶴丸の目にもかけ離れているように見えたあの男は、やはり人間とは言えなかったらしい。思い出したのだろうか、顰め面の主に鶴丸は苦笑しつつも感謝の意を伝えた。
    「あの時に頂いておけば良かったかしら」
    「いやいや、一瞬で終わらせるのは勿体ないだろ」
     ため息をつく主に、鶴丸は即座に否定する。三日月に対する悪逆非道を尽くした男を、ただ食べて終わりにするには腹の虫は収まってはくれないのだ。鶴丸も、彼女も。
     三日月の担当政府職員の訪問を忘れ、すれ違いで政府へと向かったのは、人間の牢に入れられているはずの三日月の元主である審神者が妖の牢へと連れて来られたという連絡があったからである。本来ならば食べてすぐに終わりなのだが、彼女は長引かせることを選んだ。
    「ほんの少し脅しただけで、あんなにも怯えるなんて。けれど、逃げ出す度胸だけはおありでしたのね。おかげで三日月に要らぬ心配をかけさせてしまいましたわ」
     あの男は、やけに三日月に執着していた。その妄執にも似た執念が、三日月から力を奪ったのだろう、と言うのが主の見解である。無駄に強い霊力を持った権力のある審神者であったがために、長らく悪事を働くも上手く隠し通せていたそうだ。
     牢の鉄格子越しに見た男は、頻りに三日月を返せと叫んでいた。あまりにも不愉快なその言葉に、主がいなければ鶴丸はその首を飛ばしていたかもしれない。というのも、鶴丸が動く前に、彼女がその男の首を髪の毛で引っ掴み持ち上げて脅し始めたのである。どうやら、一目見ただけで男がどれほど屑なのか、その本質を見抜いていたようだ。
    「きみの脅しは少しではなかった気もするが……。まぁ、なんにせよ、間に合って良かったぜ」
     想定外のことは起きたが、あの男の力を奪った主によって、無事三日月は元の状態を取り戻すことができた。ここ最近は動きが鈍くなっていたせいか、再顕現により今は普通に動けることが嬉しいらしく、楽しそうな三日月は次々と分厚いパンケーキを積み上げている。フライパンを振るう三日月の背中を眺めながら、鶴丸は出来立ての生クリームのボウルを主の前へと置いた。そして、次の苺味のボウルを引き寄せ、混ぜ始める。
    「三日月の身体に不調が出始めていると、あなたが教えてくれましたからね」
     いつの間に持っていたのか、主は手にした匙で生クリームをこれでもかと掬い、一口で食べた。甘さも丁度いいらしく、次々と生クリームを口に運んでいく。
    「三日月は必死に隠していたみたいだがな。初めは普通に持っていたフライパンでさえ、最近では持つことができなくなっていた」
     調理器具を落とすことも少なくはなかった。その度に、三日月は傷付いた顔をする。それが見ていられなくて、鶴丸はさり気なく手伝いを申し出たのだった。 
    「流石に、階段から落ちた時は肝が冷えたな」
     出陣から帰還した鶴丸が、玄関前にある横向きの階段から降りて来た三日月に声をかけられ、上を向いた瞬間のこと。足を踏み外した三日月が鶴丸の目の前で落ちたのだ。
     あと数段ということもあってか、瞬く間の出来事に鶴丸は手を伸ばしたが、無情にも三日月は床に叩きつけられてしまった。あの時ほど焦ったことはない。駆け寄ってその身体を抱き起こした鶴丸に、三日月は不注意だったと笑っていたが、その顔色は酷く真っ青だった。
     極め付きは、硝子のボウルを落とした時のことである。呆然とする三日月に、鶴丸は気が付いたのだ。もしかしたら、三日月の身体に不調が出ているのでは、と。
    「三日月の状態を放置していれば、ふとした衝撃で折れるかもしれないと聞いた時は、思わず目の前の机をぶった切りそうになったぜ」
     主のツテで、秘密裏に調べてもらった三日月の現状を知らされた時は、鶴丸の目の前が真っ赤に染まった。三日月を不完全な状態で顕現した男と、何もできない己自身への怒りと虚しさによって。
    「むつに止めてもらわなければ、今にも人間側の政府施設に乗り込みそうな勢いでしたわね」
    「それは主もだろう。貞坊が必死にきみの服を掴んでたぞ」
    「ふふ。ですが、その思いが通じてこんなにも早くあの男がこちらに来てくれましたからね。反省はしてませんことよ」
    「同感だな」
     本丸の刀たちへの虐待のみならず、あの男は他にも横領等の悪どいことにも手をだしていたらしい。主に力を奪われる運命にあったとは言え、人間の世界には裁判やら何やらと面倒臭い手続きがある。本来ならばまだ刑の執行には時間がかかるのだが、余程鶴丸たちが何かやらかすと思われたのだろう。例外とも言える早さであの男の刑が決まったのだ。
    「ま、これで三日月が政府に戻るなんて言わないだろう」
     政府から一足先に帰ってきていた鶴丸は、こっそりと三日月たちの話を聞いていた。物陰にいた鶴丸に気が付いた政府職員は、三日月との話を早々に切り上げ、すれ違いざまに忠告してきたのだ。残された時間は少ない、と。
     本当ならば、もっと穏便に三日月を本丸に留まらせるはずであった。だが招かれざる客のおかげで、随分と荒っぽい告白劇となってしまったのである。
    「ええ。せっかくあなたが、口説き方を聞いてきたのですからね」
    「……それ、三日月には言うなよ」
    「さだがバラしたと言ってましたわよ」
     おほほ、と態とらしく笑う主に、鶴丸は苦虫を噛み潰したように顔を顰める。望まぬ乱入者と、雨には濡れて泥にもまみれ、ただでさえ最悪の状況だったと言うのに、教えを乞うたことまで暴露されては立つ瀬がない。
    「あいつの前では格好つけさせてくれ……」
     生クリームを泡立てていなければ頭を抱えていただろう。鶴丸は頭を垂れて手元に視線を落とした。
    「三日月の前では紳士然としているのに、いざと言う時は駄目ね」
     淡々とした主の言葉が思いのほか鶴丸の心に刺さる。
    「まぁ、愛想をつかされないように、お努めなさいな」
     笑みを浮かべているが、主の目は笑っていない。当然だ、と鶴丸は力強く頷いた。浮気男や屑男と一緒にしてもらっては困る。
    「手放されるつもりはないな」
     手に入れたものを逃す気もないが。
    「あら、熱烈ですこと」 
    「何の話をしているのだ?」
     どさりと、鶴丸たちの前に山積みのパンケーキが置かれ、その隙間から、やりきったことに満足そうな顔をした三日月が顔を覗かせる。ニヤリとした笑みの主と、真面目な顔をした鶴丸を見比べ、不思議そうに首を傾げた三日月は、エプロンを外しながら当然のように鶴丸の隣へと腰を下ろした。そのことに、単純なもので鶴丸の気分はあっという間に高揚する。主の呆れた視線を横顔にひしひしと感じるが、出来たての苺の生クリームのボウルを彼女の前に滑らすことでその目線を逸らすことに成功した。
    「随分と楽しそうにしていたみたいだが」
     鶴丸と主の前にだけ取り皿が置かれたところを見るに、どうやら主が顕現しても、三日月が少食であることに変わりはないらしい。早速出来立てのパンケーキと生クリームを盛りながら、主は惚気られてましたのよ、と何でもないことのように言った。
    「の、惚気?」
    「ふふ。この生クリームにも負けない甘さでしたわ」
     主の言葉に、三日月の顔が一気に赤く染まる。何を話したのかと鶴丸を見上げる三日月は、恋仲の欲目か一等愛らしく思う。その姿を噛み締め、鶴丸はとびきりの笑顔を浮かべた。
    「きみに出逢えて良かった、という話さ」
     そう言いながら、いつもより小さく切り分けたパンケーキを真っ赤な顔の三日月の口元へと押し込む。それでもなお、小さい口に収まりきらなかった欠片を、鶴丸は三日月の唇ごと奪っていった。
    「あらまぁ」
     照れて更に真っ赤になった顔を俯かせた三日月は気が付かないだろう。鶴丸の顔もまた、燃えそうなほどに熱くなっていることを。
     ヘタレねぇ、と楽しげに呟いた主の声には聞こえないふりをして、鶴丸は一心不乱に三日月の作ったパンケーキを頬張るのだった。  
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    amayadori_kasa8

    DONEいっぱい食べるきみが〜のCMを思い出しながら書きました。
    にょたを書いてみたかったんです。でもにょた要素生かしきれなかった気がします。

    ⚠️注意⚠️
    三日月が先天性にょた(一人称変わらず)。
    弱体化してます。
    特に黒くもない黒本丸の話があります。
    審神者が人外。他にも人外が出てます。
    捏造ありまくり。

    好きな要素を好きなだけ入れた闇鍋です。
    何でも美味しく食べれる人向け。
    甘い熱 食わず女房という名の妖を知っているだろうか。
     あるところに、妻帯していない男がいた。食事をせずよく働く者がいれば嫁に迎えても良いなどとのたまうその男に、ある時望み通りの女が現れる。嫁となったその女は男の望み通り飯を全く食わず、働き者であった。しかし、何故か米をはじめとする食糧の減りが早い。こっそりと食べているのではと訝しんだ男が仕事に出かけるふりをして家を覗くと、嫁が大量の握り飯を作っていた。そして、嫁は結っていた髪を解くとそこにはなんと大きな口が。そこへ握り飯を次々と放り込む女を見て、男は嫁の正体が人間ではないと知った。男は女に離縁を申し出たが、本性を現した女は男を攫い自分の住処へと連れ込もうとする。隙を見て逃げ出した男は菖蒲の生えた湿原に身を潜めることによって、なんとか助かったのだった。
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