【自分に正直に】
「さあ司くん! もっと自分を解放するんだ!」
「だが類──」
身振り手振りも加えて熱弁をふるう神代類の熱量から逃れようとでもするかのように、相対する天馬司の視線がふらりと中をさまよう。常に自信にあふれ、真っ直ぐに相手を見る彼にしては至極珍しいことだったが、類はただじれったそうに眉間にシワを寄せて語気を強めた。
「何をためらっているんだい。さあ、自分の心に正直になってありのままの君を思いきり解き放ちたまえ!」
その言葉に、決意の瞳が類に焦点を定めた。次いで力強くうなずき、そして肺へ目一杯空気を送り込んで──叫ぶ!
「しょぉぉぉおおが、やきぃぃいいい!!」
──……やきぃぃぃ……やきぃぃぃ……──
未来のスターの渾身の大音声が見渡す限りの野山と晴れ渡った青空へ吸い込まれていく。木霊が消えて場に数瞬ほどの静寂が漂うと、司は手に持っていた帽子をかぶり、その場で小さく飛んでバックパックを背負い直してから難しい顔で類を振り返った。
「ふむ。やはりアクアパッツァの方がカッコ良かったのではないだろうか」
一人首を捻る司は、オーバーサイズの黄色いTシャツにグレーのショートパンツ、レギンス、トレッキングシューズという出で立ちだ。普段の服装とは傾向が違うが、山へ出向くのにいつもの魚柄入りジャケット一式ではさすがに動きづらかろうと、急遽用意したものになる。
一方の類もYAMAと書かれた帽子を始め、緑と紫の縦縞模様の長袖シャツ、ぴったりした黒のズボンにトレッキングシューズという全体的に山仕様の格好だった。ただし背中に背負ったバックパックは司の物より一回り大きく、隙間から色々と──なぜかマジックハンドなどが──はみ出ている。
そんな大荷物も物ともせず、類は自身で作った特製の耳栓を外すと満足げに小型録音機の停止ボタンを押した。
「フフ。司くんならどちらでも大丈夫だと思うよ」
「そうか! ふっ、さすがオレ! どんな言葉でも似合ってしまうのだな!」
冷静な第三者が聞けば、特にほめられた訳でも似合うと言われた訳でもないことに気付いただろうが、司は既に『山でもカッコいいスターのポーズ』(前日の晩に考案してきたものだ)をキメて悦に入っていた為に全く気付く様子はない。
その隙に類は背中のバックパックを下ろして素早く録音機をしまうと、すぐに背負い直した。
「さて、それでは本命のハイキングといこうか」
「ん? 色々やりたいことがあると言っていたが、今の声の録音だけで良かったのか?」
首をかしげた司に、類は含みのある笑みを浮かべた。
「先に進んでからかな。まだこの辺りは人が多いからね」
「……山の中で火薬は使うなよ」
「そんな危険なことしないよ。ああ、でも──」
言葉を止めて手を伸ばす。その手は、きょとんと見つめ返す顔を上から下にするり撫でたかと思うと、そのままあごを軽くつまんで持ち上げた。
類は──バックパックに自分でつめたあれやこれやの道具を思い返し。それを使う瞬間を想像しながら囁いた。
「君にとっては、どうだろうね?」
ひっ、と息を飲んで青ざめる、司。
くすくすと楽しげな笑いが追撃する。
「怪我するようなことはないから安心しておくれ」
「いやでもお前、さっきの言い方は!」
「僕にとっては危険ではないんだけれど、司くんが『頭が変になりそうだ』と言いそうだなと」
「そそそそ、そっちなのかーーーー!?」
青から赤へと色を変え、表情もころころと変わる顔を、類は愛おしげに指の背で数度撫でてから歩き出した。司は真っ赤な顔で──「人の話を聞けーーー!」──叫んだり等、必死の抵抗を試みる。が、それしきで類の足が止まるはずもなく、結局は雛鳥のように小走りで後を追いかけることになった。
………………
…………
その後。
人がほとんど通らない上級者向けコースの先で、どこからともなく艶声が聞こえてきたとか、こないとか。