【未送信メール】
オレンジ色に染まり始めた放課後の屋上。時折ひゅるりと肌寒い風が通り抜けていくその場所の冷たいドアを背に座り込んだ僕は、スマホのメール画面に文字を打ち込む作業を延々繰り返していた。思案して指を止めては一行打ち込み、さらに三文字打ち込んでは保存して、また全部消して打ち込んで……といった具合に。
そんな、演出のメモを取る時と同じ打ち方のせいだろう。未送信メールの数はあっという間に五十を越えた。このままいけば一度も送信できないままに三桁の大台に乗るのは火を見るより明らかだ。僕は肺の奥に溜まった気持ちの淀みごと深々と息を吐き出し、空を見上げた。
ゆっくりと、しかし確実に暮れていく空を、天を駆けるペガサスの尾にも似た流線形の雲が駆け足で流れていく。それがどんどんと遠ざかって──やがて空の果てへと消えていくまで見送ってから、僕は意を決してまたメール画面と向き合った。
……もう指は迷わない。綴る言葉はシンプルに。体裁のいい文章も考えない。素直に、気持ちそのままを入力して、送信する。
宛先は──『天馬司』だ。
それが無事に送信された事を目で確認した僕は座ったまま半回転し、今度はドアと向き合った。軽く指を曲げた手で、眼前に立ち塞がる金属の板をノックする。
「……ねえ司くん、まだそこにいるんだろう」
返事はない。音もない。
それでも彼がそこにいる確信があるから、続ける。
「そろそろ顔を見て、直接話さないかい?」
まだ淡い水色一色だった空の下で、僕は彼と些細な言い合いをしてしまった。いや、些細と思っているのは僕だけなのかもしれない。何せ彼の方は珍しく言葉を詰まらせると怒ったような呆れたような顔になって、言葉を交わすどころか、目も合わせてくれなくなったのだから。更にはそのままさっさと帰ってしまいそうだったのだが、このまま別れてはいけない気がした僕は咄嗟に──ドア越しでも構わないから話をしよう──と引き留め。今に至るのだった。
「せめて声を聞かせてくれないかな」
ドアにひたりと手を当てた。冷気を含む風にたっぷり冷やされた金属のドアは、触れる生き物は許すまじと言わんばかりに手の熱をあっという間に吸い取ってしまう。まるで彼の拒絶そのものに思えてくる。
──さすがに被害妄想かな。
心の中で自嘲しつつ、ドアに触れたまま言葉を継いだ。
「さっき君にメールを送ったよ。でも大事なことは直接話したいと思って…………ねえ、司くん」
こつんと額を当てて寄り添う。
「お願いだから──顔を、見せて」
祈りをこめて。人工的な天の岩戸を前に僕が出来ることは、もうこれ以上何もなかった。
と、次の瞬間だ。
ぎぃぃ、という蝶番の低いうめきと共にゆっくり扉が開かれて一対の琥珀がこちらを覗き見てきた。しばらくぶりに正面から視線を交わせた、それだけで飛び上がりたいくらい嬉しくなったが、そのままドア向こうから姿を見せた彼はまだ口をへの字に曲げたままで。声を発するより先に、その手に持っていた黒のマフラーを無造作にこちらへ放り投げた。
僕が慌ててそれをキャッチすると、司くんはまた視線をそらしてぼそぼそ答える。
「……メールは見た。とにかく帰るぞ、類。そろそろ戸締まりされる」
「そ……う、だね。こんな時間まで引き留めてわるかっ──」
「それから」
今度はズボンのポケットから青い手袋を取り出し、僕の冷えきった手を片方ずつ鷲掴みして強引にはめていく。
そして深くうつむき、
「オレも、送れなかったメールがあるんだ。……後で送る」
一瞬、怒りが継続しているのかと思った。が、すぐに髪の間からのぞく耳の端が真っ赤になっているのが見えて、ほっと胸を撫で下ろした。どうやら無事に和解出来そうだ。
鼻歌を歌いたい位の気分でいそいそとマフラーを巻く。と、そんな僕の前で彼が──オレも悪かった、すまん──そう言って深々うなだれたものだから、僕はもういいんだよと答える代わりにぎゅっと抱きしめた。その身体は、彼の背中と腰に貼られたカイロのお陰かぽかぽかと温かい。さすが司くん。僕に──なぜお前は何度言っても寒さ対策をせんのだ!──そう怒っただけはある。
今度から、もう喧嘩にならないよう防寒対策を心がけよう。
彼の手袋に包まれた手で、彼のにおいがするマフラーを鼻先まで引き上げて。僕は固く固く決心したのだった。