先生と公子がお試しで付き合うらしい いつも通り騒がしい昼間の万民堂でタルタリヤと鍾離は食事をしていた。タルタリヤはゆっくりだが綺麗に箸を使い魚の身をほぐし食べていく。鍾離は短時間で上達したものだな、と感心する。
「先生、どうしたの?」
「公子殿の箸の使い方が上達したなと思って見ていた」
「せっかく先生が箸を送ってくれたから練習しないとなって思っていろんなところで練習したんだよ。まあモラ出したの俺だけどね」
これ美味しいね、と言いつつタルタリヤはまた食べるのに集中する。楽しそうに食事をしているタルタリヤを見て鍾離は嬉しくなり胸がドキドキする。ドキドキしたのは体調不良だろうかと思ったが気にせず鍾離も食べるのに集中する。
全て食べ終わりタルタリヤはスイーツも注文しようか?と鍾離に聞いてきた。鍾離はどうするかなと考えていたらタルタリヤの頬に少しあんかけがついてしまっているのに気付き、おしぼりで代わりに拭いてあげた。
「公子殿、ついているぞ」
「………!!」
タルタリヤはそのまま固まってしまう。鍾離がどうしたのだろうと思っていると、みるみるうちに顔色が赤く染まっていく。そして彼は鍾離の手を掴み驚くべきことを言い放つ。
「俺、今気づいたんだけど先生のこと好きなのかもしれない」
「今なんと?」
騒がしかった万民堂はその一言で静寂に包まれた。楽しく食事をしていた多くの客も、料理を作っていた卯師匠と香菱も、持ち帰りの注文をしようとしていた煙緋と蛍とパイモンも驚き2人に注目する。グゥオパァーだけがいつも通りピリ辛蒸し饅頭を夢中で咀嚼していた。
「鍾離先生のこと好きだよ」
「えっ…?」
鍾離は今まで好きだとは言われたことはなかった。敬愛とか友愛とかは向けられたことはあるがタルタリヤがいう「好き」とは多分そういったものではないのだろう。おそらく恋愛的な意味でということなのだろうか。向けられたことのない感情をタルタリヤに浴びせられてパニックになっていた。
「鍾離先生、俺とお付き合いしてくれない?絶対迷惑にはないから!」
「す、すまないが公子殿と付き合うとか考えたことはなかった…。まずはお試しでいいか…?」
結局そのように返すことしかできなかった。
そしてその場にいた煙緋に助力を求めタルタリヤと鍾離はお試しのお付き合いの契約を結んだ。煙緋は久方ぶりに万民堂に来たのになんでこんなことに巻き込まれたんだ?と頭を抱えたが、タルタリヤからモラをもらったのでしょうがないと思い契約の締結に立ち会った。
契約の内容は大雑把に『お試し期間中は昼食か夕食時は多忙や出張でなければ会うこと、2人の休みが被る日は共に過ごす、契約はどちらかが破棄希望したらすぐに破棄できる』という内容だ。タルタリヤは契約書を受け取ると大事に懐に仕舞う。
「鍾離先生、契約結んでくれてありがとう。俺から契約を破棄することはないからこれから先生に俺のこと好きになってもらうね」
タルタリヤは「あ、時間だ。鍾離先生、俺仕事終わったら往生堂まで行くね」と言いつつモラを払い、万民堂から立ち去る。その場に残された鍾離は契約書を前に呆然としている。煙緋はテイクアウトではなく店先で食べることにしたのか店の中に座って注文していた。蛍は心配になり鍾離の様子を伺いつつ話しかける。
「大丈夫?」
「なんで俺は契約を受けてしまったのだろうか…?」
「鍾離先生、後悔してるの?契約書見ると破棄できるってあるけど」
「そうなんだが契約は破棄しなくてもいいと思ってるんだ、なぜか。もしも破棄するとしたら公子殿が悲しむだろ?そんな顔は見たくないんだ」
鍾離は気を取り直し、契約書を大事にしまい往生堂へ戻っていく。蛍はその様子を見てタルタリヤ、脈ありっぽいよと思った。
そして真昼間の万民堂で話題となったからか、往生堂の客卿とファデュイの公子が仮だが付き合うことになったという噂が広まった。
仕事を終え、鍾離が片付けをしていると渡し守からタルタリヤが来たと伝えられたので彼を執務室に通した。
「先生ごめん、まだ仕事中だった?」
「後は片付けだけだから気にするな」
「今日はせっかくだし琉璃亭に行こう。勿論俺の奢りでね」
鍾離の片付けが終わり、2人で往生堂を出て色々雑談をしつつ琉璃亭に向かう。その間周りから先生とファデュイが付き合い始めたって本当?等コソコソ見られたが彼らは話に夢中で気にしなかった。
琉璃亭の料理はやはり美味しい。鍾離はタルタリヤとの食事を楽しんでいた。酒を飲みながらタルタリヤは鍾離の恋愛遍歴について質問してきた。
「先生は誰かと付き合ったことはある?ちょっと気になっちゃって」
「いや、ないな。このように付き合い始めたのも公子殿が初めてだ」
鍾離がタルタリヤの質問に答えるとタルタリヤは「そうか俺が初めてか!」と嬉しそうに笑う。
「公子殿こそ誰かと付き合ったことはあるのか?」
「俺もないよ。ただ…」
「ただ?」
「これはお試しとはいえ付き合い始めたから言った方がいいな」
タルタリヤは目線を鍾離に合わせないよう食卓に顔を向けながら自分の経験について捲し立てるように話す。
「俺さ…実は上官達に襲われそうになったことがあるんだ。薬を飲まされて何人かに抑えられて…。運良く俺の様子を見に来てくれた雄鶏が助けてくれたからよかったけど。それから鍾離先生以外は恋愛感情で見たことはないかな」
ずっと無言の鍾離がどのような顔をしているか不安になる。決心して顔を上げると悲しそうな顔でタルタリヤを見つめていた。席を移動して彼の頭を撫でる。
「鍾離先生、ごめん失望した?」
「驚いたといえば驚いたが失望しないさ。むしろ辛い話をさせてすまなかった」
「ありがとう。こんなこと家族にも話せなかったんだ」
「辛いことがあれば俺に話すといい。絶対誰にも漏らさないから」
その日は分かれ道まで一緒に帰りそのまま別れた。
その日から昼食か夕食は2人で食べることになり行動を共にすることが増えた。
2人の休みが被った日、タルタリヤと鍾離はチ虎岩で待ち合わせをした。時間もあるし普段ならこのまま観劇か講談を聴きに行くがそれ以外のこともやってみようと2人で何をするか相談することにした。
「公子殿の趣味は観劇以外は何があるんだ?」
「そうだな〜、先生があんまり好きじゃなさそうなやつかな?」
「なんだ?教えてくれ」
「魚釣り」
「…………そうだな、たしかに俺はあまり好きではないな…」
タルタリヤは苦手なものに対して目に見えるほど怯えている鍾離を見て不謹慎だが可愛いなと思ってしまった。
「なら今日は荻花洲で魚釣りと散歩をしようか」
「いいの?先生魚嫌いでしょ?」
「いや、付き合っている相手の趣味を知りたいと思うのは普通だろ?だからそうしたいんだ」
「やった!」
タルタリヤは鍾離が自分の趣味に付き合ってくれるのと理解しようとしてくれることに嬉しいと思った。鍾離は釣りができると喜んでいるタルタリヤを見て可愛いと思いつつその様子を見つめていた。
「ただ、どうしても釣りが辛くなったらすぐ辞めていいか?」
「ははっ、もちろんいいよ」
それから鍾離とタルタリヤは毎日食事をし、休みの日は観劇に行ったり手合わせをしたり等共に過ごしていた。タルタリヤはもちろん鍾離も楽しみにしていた。
そしてお試しのお付き合いから1ヶ月経った。最初はすぐ別れるだろうと思っていた人々はまだ続いていることに驚いていた。逆に蛍など鍾離は無自覚だけどタルタリヤのことを好いていることに気付いている者達はまだお試しなのか…と呆れていた。
タルタリヤはいつもより早く業務が終わったため、鍾離を迎えに行こうと考え部下達に挨拶をし北国銀行から出た。そして階段から鍾離と蛍が明星斎で買い物をしているのを見つけた。鍾離と蛍は嬉しそうに店から立ち去り、往生堂に入って行った。
「先生まさか相棒に贈り物を…?」
仮とはいえタルタリヤと鍾離は契約に基づいて付き合っている。その契約を反故にされたのだ。普段通りならタルタリヤが冷静ならば蛍がうんざりしている顔に気付いただろうが、タルタリヤとしては1ヶ月もほぼ毎日顔を合わせていて全く進行しない関係に苛立ってしまい冷静になれなかった。タルタリヤは鍾離の不貞に怒り、彼らを追いかけて往生堂に向かう。
「最近公子殿と過ごすのが楽しい。あの可愛らしい顔が見れないと寂しいと思うし、彼がいない間会ったら何を話そうかすぐ考えてしまう。」
「そう…」
「そして分かったんだ。俺は公子殿のことが好きだと」
鍾離は明星斎でタルタリヤへの贈り物を買おうとしていたら、偶然近くを歩いていた蛍とパイモンを捕まえてアドバイスを求めた。そして往生堂の客間に連れて行き、タルタリヤのことが好きだというのと今日告白しようと考えている、と計画について話をした。2人は彼らの行く末が気になったので話を聞くことにした。
「今日は2人で望舒旅館に泊まるんだ。その時にお前達に選ぶのを手伝ってもらった首飾りを渡そうと思う。ちょうど満月が見える日だろ?」
「鍾離ってすごいベタな方法で告白するんだな!」
「変に凝るより、公子殿にはおそらくこのように告白した方がいいと思ってな」
「確かにタルタリヤならその方が喜びそう」
3人で話し込んでいると扉が何者かに蹴破られる。往生堂に恨みを持つ者の敵襲かと確認するとタルタリヤが怒りの表情を浮かべ鍾離を睨んでいた。鍾離がどうしたのかと話しかけようとすると、タルタリヤがそれを制して話し出す。
「先生、俺たちお試しとはいえ付き合ってるんだよ?なんで相棒にアクセサリー買ってるの?」
ここで鍾離はタルタリヤが鍾離が不貞を働いていると誤解していることに気付く。蛍と浮気をしているわけではなく贈り物と告白についての相談をしていただけだ、と話そうとするが怒ってしまったタルタリヤは冷静に話を聞いてくれない。
「ちょっと待ってくれ…」
「言い訳なんていいよ、北国銀行の階段から見てたから!相棒は可愛い女の子だし、俺はいい大人の男だし相棒の方が魅力的だよね…。契約も先生から破棄していいよ!」
「公子殿!」
立ち去ろうとするタルタリヤを鍾離は抱きしめて止める。そして無理矢理逃れようとするタルタリヤに謝る。
「公子殿、不安にさせてすまなかった。本当は望舒旅館で夜に公子殿に渡そうかと思っていたんだが…」
「えっ…?」
「今から言おう。公子殿、この1ヶ月付き合ってみて貴殿に会えない時は寂しかったし、会えた時は嬉しかったんだ。遅くなってすまない、俺は公子殿のことが好きだ。恋人になってほしい」
鍾離は驚きのあまり腕の中で動かなくなったタルタリヤに石珀が使ってある首飾りを首に掛ける。
ここは往生堂の客間だ。しかも先程タルタリヤが扉を壊したせいで胡桃や他の従業員も様子を見に客間に来ていた。鍾離が考えていた望舒旅館での告白とは程遠いが告白できたもののムードが…と考えているとタルタリヤがごめん、と呟いた。
「先生早とちりしてごめんね。俺なんで相棒にって思って嫉妬しちゃった」
「俺こそ誤解されるような行為をしてすまなかった」
「俺も先生のこと好きだよ」
「両想い、ということだな!」
タルタリヤは羞恥で顔を赤くしながら「うん、よろしく…」と答えながら鍾離を抱きしめ返しキスをする。
周りから拍手の音が聞こえる。2人は見渡すと胡桃や従業員たち、蛍とパイモンが2人のことを祝福し拍手をしているのだ。彼らはお試しで付き合う前から鍾離先生って結構タルタリヤのこと好きだな?と分かっていたのでやっと両想いになったかと喜んだ。
「やっとくっついたんですね〜、鍾離さんと公子さんよかったよかった」
「鍾離先生おめでとうございます!」
「公子もよかったな!」
「先生もタルタリヤも丸く収まったね」
みんなに祝福されて幸せに感じる。一部の者は璃月の民が岩王帝君の暗殺容疑のある男と付き合うとは!非難されそうだが、この場はそんなことを気にする者はいない優しい世界であった。
鍾離とタルタリヤは可愛い恋人と抱きしめあったあと向き合う。そして2人でやるべきことをやるべく行動を起こす。
「先生、今から契約の更新をしよう。今の契約は仮の契約だから、本契約に移行しよう!」
「そうだな。結婚するのを前提とした恋人となる契約を結ぼう」
「結婚してくれるの?!嬉しいな!」
「ああ、勿論だ」
鍾離とタルタリヤは恋人となる契約を結ぶため法律家を探しに往生堂から飛び出していった。タルタリヤは一旦戻ってきて「扉の修復代金北国銀行の俺宛てにつけておいて」と言い残し、再度往生堂から飛び出した。その場にいたみんなは盛り上がっていたが蛍は内心(展開が早すぎる…)とつっこんでいた。
煙緋は万民堂で優雅に食事をしていた。1ヶ月前はファデュイの公子と往生堂の客卿に巻き込まれてゆっくり食事できなかったが、今日はゆっくりできる。そう思いつつ好物のかにみそ豆腐を味わっていた。やはり万民堂の食事は美味しい。遠くから自分を呼ぶ声が聞こえてくるが気のせいだろう。鍾離とタルタリヤが煙緋に向かって歩いてくるが気のせいだろう。
「煙緋殿、契約結ぶの手伝って欲しいのだが」
「やはり気のせいじゃなかったか…」
煙緋は仲良くやってきた鍾離とタルタリヤを見た。やっと両想いになったらしい。ここ最近彼らが仲良く歩いていたのを何度も目撃していたのだ。収まるところに収まってよかったと思う。
「どんな契約を結びたいんだ?」
「俺と先生の結婚するのを前提とした恋人になる契約」
「は?!展開早いな!」
煙緋は驚きつつタルタリヤを見ると冗談を言っているような雰囲気ではない。普段滅多なことでは顔色を変えない鍾離は顔を赤くしながら頷く。彼らは本気なのだ、と理解した。
「分かった。では契約書類を準備しようか…」
鍾離とタルタリヤは煙緋に契約書を作成してもらい、その足で元々止まる予定だった望舒旅館に向かう。仲良く腕を組んで歩いていたため、鍾離を狙っていた女性達(一部男性)や、タルタリヤを陰から慕っていた部下達はまさか本当に付き合うことになったとは!と失恋したり驚くことになった。そして周りはタルタリヤが進んで腕を組み鍾離は恥ずかしがりながら腕を組んでいたのでタルタリヤが主導権を握るのかと考えた。
次の日、タルタリヤは最繁時を過ぎた万民堂にいた。鍾離は葬儀の予定が入ったのでタルタリヤは単独で食事をしていた。偶然聖遺物集めが終わって食事をするべく万民堂を訪れた蛍とパイモンが彼の元にやってくる。
「おーい、公子〜!」
「タルタリヤ、昨日はどうだった?先生困らせなかった?」
「ああ、相棒とおチビちゃん。特に問題はなかったよ」
彼らは告白した後、望舒旅館に向かっていた。つまりは恋人がする『そういうこと』もしたのだろう。タルタリヤががっついて鍾離に無体を働いていなければいいがと蛍は心配に思う。するとタルタリヤは羞恥のあまりなのか顔を赤くしながら小声で話す。
「普段先生はあんなに可愛いのに夜は可愛くなくなって普段からかっこいいけどさらにかっこよくなるんだね…恋人になって初めて知ったよ…」
「どういうことだ?」
「夜の先生すごかった…」
「ん?まさか…」
「話聞いてくれてありがとう…」
タルタリヤは会計をし、蛍とパイモンに食事代を渡して北国銀行へ帰っていった。タルタリヤは普段は真っ直ぐ姿勢良く歩くが今日は腰を押さえながら庇うようにして歩いていた。
蛍とパイモンはタルタリヤの言葉と今日の姿を見て察した。てっきりここ1ヶ月の積極的に鍾離に迫る様子からタルタリヤが男役、鍾離が女役としたと思っていたが実際は違っていたんだなと理解した。
その後鍾離とタルタリヤはスネージナヤの氷神に向けて付き合うことになったと手紙を送った。手紙を見た氷神はモラクスは気に食わないがタルタリヤが幸せならいいかと思うことにし、付き合うことを許可したとか。