孤児の君孤児の君
ミスタは孤児だった。物心着く頃から孤児院で保護されていたが、保護とはよく言えたもので酷く虐げられて暮らしていた。そんな日々に耐えられなくなり、孤児院を抜け出したのが今朝のこと。既に日は暮れ、お腹はなり路地裏で倒れ込みそうになっていた。
「あれ?子ども?」
その声は凛と澄み渡り、ミスタの耳に届く。うっすらと目を開くと、暗闇の中に光る紫色。
「君、家は?こんな時間にこんなところにいたら危ないよ」
「い、え……」
あの孤児院は家と言えるのろうか。否、あんな環境が家と言うならない方がマシだ。
「ん〜…かなり衰弱してる。帰るところ、無いの?」
「……ない」
「そっかあ」
僕の家くる?
その紫色は優しい声色でミスタに声をかける。にまりと細められた瞳に気づいてか気づかずか、ミスタはこくりと頷いた。
「え〜人って何食べるんだっけ」
青年について行った先は、薄ら暗い路地の奥にある一軒家だった。ミスタはソファに座り。ガチャガチャと何かを探している青年をじっと見ていた。
「ねえ、君。前の家では何食べてたの?」
青年が振り返る。ミスタはぼんやりと考え、ちいさな一欠片があったことを思い出す。
「……パン?」
「パン」
「このぐらいの……」
手を使い、大きさを伝える。かなり小ぶりで固いパン。とはいえ、ミスタは物心ついた時からそのパンしか食べたことがなかったため、比べることなどできないけれど。
「あー……ないなぁ。んはは、一緒にコンビニ行こうか。まだ歩ける?」
その言葉にこくりと頷き、ソファから降りると、疲れた体が悲鳴をあげる。それでも、この青年について行くしか今は道がない。ミスタは少し小さな歩幅で、差し出された手を握った。
初めて行ったその店には色とりどりの食べ物があり、ミスタには見たことの無いものばかりだった。パンだけではない、見たことの無い袋、嗅いだことの無い匂い。ミスタは頭がくらくらした。
「君が好きなやつあるかな?なんでも選んでいいよ」
「な、なんでも?!」
「うん。僕はあんまりどれが美味しいとかわかんないから、選んで欲しいな」
選びきれないほどの量の中、ミスタはわたわたと周りを見渡す。どれもどんな味がするか分からない、困ったミスタが選んだのは小さくて、素朴なたまごパンだった。
(これがいちばん、たべたことあるものににてる…)
たくさん入っていて、きっと何日間も食べられるし……と眺めていると、青年が声をかける。
「それがいい?じゃあそれにしようか。他にも欲しいものとか……」
「いっ、いらない!」
「そう?じゃあお会計しようか」
(……このひと、ごはん、かってくれる。いえも。なんで……?)
ミスタは、目を伏せ首を傾げる。今までこんなことをしてくれる人なんていなかった。いつも殴られ、蹴られ、虐げられてきた。それが、この青年はなにもしてこない。どころか、目線を合わせて、優しく微笑んで、頭を撫でてくれる。
(しりたい……)
ミスタの胸に生まれた感情は、まだミスタがわからないものだった。
帰宅し、パンを口に含むと柔らかく優しい甘さがする。ミスタが食べたことのあるパンとは全くの別物で、目を見開く。同じパンでも、こんなに違うんだ。
「んははっ、おいしい?」
ゆっくりと、男が頭を撫でてくれる。
それがなんだか心地よくて、疲れも出たのかゆっくりとまぶたが落ちていった。
「あ、おはよう。よく眠れた?」
翌日、目が覚めると昨日の男が隣でミスタをのぞきこんでいた。ふわふわな布団に寝かされ、まるで絵本の世界みたいだ。
「あ、は、はい……」
「よかった。パン食べてる途中で君、寝ちゃったんだよ。よほど疲れてたんだね」
相変わらず撫でる手は優しい。ミスタは、昨日あったばかりのこの青年の優しい笑顔が好きだと思った。
「けど、ごめんね」
すっと瞳が細められ、青年がミスタに近づく。
「僕もお腹すいちゃった」
途端、首元からチクリとした痛みが走る。
「ッ〜〜?!?!?!」
青年がミスタを噛んだのだ。そこからちゅうと血を吸われる。ぞわぞわと背筋が凍った。こわい、こわいこわいこわい。ミスタはぴくりとも動くことが出来ず、目を見開いていた。
「マッ、〜〜ッッ……!!!」
しかし、青年は直ぐに体を離した。じくりじくりと痛む首を抑え、ミスタは酷く怯えた顔で男を見つめる。一体何が起こったのか、ミスタにはわからなかった。人が人を噛むところなんて、見たことがない。その上、血を吸われるだなんて。まるで、孤児院で聞いた……。
「っず……え?まず……。あっ、いや、君が悪いわけじゃなくてびっくりしたっていうか」
青年の顔はミスタに負けず劣らず真っ青で、先程危害を加えてきたとは思えない。ミスタを見直した青年にがしりと肩を掴まれ、びくりと体が震える。
「いい、聞いて?君の栄養状態は今物凄く、本当に想像以上に悪いみたい」
「は、はい……」
「それで僕は君の血をもらおうと思って君を拾ったんだよね。でもこの血はこれ以上飲めない」
「はい……」
「なので、君には僕のためにこれから健康になってもらいます」
「はい……?」
健康に、なってもらいます……?先程の雰囲気からくるりと変わり、真面目な顔をする青年がミスタにはよくわからなかった。血を、飲む?
「とりあえずヴォックスに相談かな……彼なら人間のことに詳しいだろうし……」
あ、そうだ。青年が思い出したようにミスタを見つめる
「君、名前は?」
「み、みすた……みすた、りあす」
「ミスタか、いい名前だね。これからよろしくねミスタ。ぼくはシュウ。吸血鬼だよ」
吸血鬼。それは、孤児院で噂されてた名前と同じ。孤児院から、1人、2人、子供が消えた。きっと吸血鬼が攫ったのだと。ミスタは信じていなかった。きっと、みんな逃げ出したのだと思っていたから。
「んはは、怖い?」
いないと思っていた存在が、今目の前にいて。怖い?と笑っている。その笑顔は優しく、先程危害を加えてきたとは思えない。
「……こわくない」
自然と口から出た言葉だった。シュウは目を見開き、優しく微笑んだ。
「しゅう、さん……は、こわくない」
これまで会った中で、一番温かい人だ。本当にいい人かなんて分からない。本当は殺されるのかもしれない。それでも、これまで生きてきて一番暖かい場所はここだった。
「ありがとう、ミスタ」
くしゃりと頭を撫でられる。ミスタはなんだかくすぐったくて、顔を背けてしまった。
「ぁ……しゅう、さん」
「んはは、シュウでいいよ」
「しゅう……これから、よろしくおねがい、します」