四葉のクローバー 週に一回、水曜日にいつも来店するお客様がいる。そのお客様は、いつも母親のために花を買っているという。
「緑が好きなんです」
おれはあまりよく分からないけど、と幸せそうに笑う姿が美しくて、気がつけば毎週水曜日は決まってシフトを入れていた。名前も知らない、自分と同性の常連様に惹かれている、なんて言えば笑う者もいるかもしれないが、私にとってはかけがえのない時間だった。
「いらっしゃいませ…あ、」
「こんにちは、今日もいいですか?」
噂をすれば何とやら、いつものアクアマリンがこちらに笑いかける。
「お母様にですか? 本日はどんなお花をお探しでしょうか」
「あ〜、今日はブーケを作ってもらいたくて…」
「ブーケを? 珍しいですね。 イメージはお決まりですか?」
「ええと…赤と黒がメインで、シュッとかっこいい感じの…」
カウンセリングをし、ブーケの構想を練っていく。出来上がったブーケは我ながら上出来だった。薔薇をメインに置き、黒百合を添える。バランスを見ながら店の花を混ぜていく。
「出来ましたよ、このような感じでいかがでしょうか」
「流石、綺麗ですね」
彼はブーケを優しく持ち上げ、ひとつ笑ったあとブーケをこちらに渡してくる。
「ええと…気に入りませんでしたか?」
「いや、これはその…貴方にあげたかったんです。 いつもありがとうございます」
「そんな…ありがとうございます」
差し出された花を受け取り、じっと見つめる。自分が作ったものとはいえ、彼からの初めてのプレゼントが心から嬉しかった。
「これからもご贔屓くださいね」
「あ〜…はは、はい」
その後、彼が店にやってくることは無かった。
もう会えないのかと諦めかけた頃、大学帰りに求め続けた栗色が見えた。その瞬間、足が駆け出す。逃がしてはいけない。脳がヂリヂリと信号を送る。掴め、掴め、掴め、掴め。
「あのッ!」
自分でも驚くぐらいの大声が出た。ぎゅっと握った腕は細く、折れてしまいそうなぐらい。
「は、え…あ、花屋、の…ヴォックスさん」
「はい、そうです。 見かけて、その…思わず…」
しどろもどろに声を出せば、彼は控えめに笑い声をあげる。あぁ、懐かしい。
「どうして」
「え?」
「どうして来て下さらなくなったんですか」
「ぁ…、や、その…手、離してください」
「私、なにかご迷惑でもおかけしましたか?」
「いえ! そうじゃなくて! …会うのが怖くなっただけ、なんです。 はは、情けないですけど」
「怖く…?どうして」
訳が分からなく、首を傾げる。彼は目を泳がせ、覚悟したかのようにこちらを射止める。
「迷惑がられたかもと思って」
そう言った瞳は、悲しげに揺れている。
「迷惑なわけ!」
「貴方は優しいから、そう言ってくれるとは思いましたけど…」
伏せられる目がいじらしい。あぁ、それでも私はそんな悲しい顔をさせたかった訳ではなくて。
「優しいわけじゃありませんよ、気になってる人から花束を貰って喜ばない男がいますか?」
「は…? 何言ってるんですか」
「ここじゃなんですし、カフェにいきましょう。 君と話がしたい」
「話すことなんて」
「私はあります」
キッパリと、強い口調で言い放つ。動揺している彼の目をしっかりと見つめ続けると、彼の口からため息が漏れた。ふるふると首を振り、顔を上げる。
「…嫌ですって言っても離してくれないんですよね」
「そのつもりですね」
「はぁ…わかりました、行きます」
「ありがとうございます」
「近くに行きつけがあるんで、よければそこで」
彼がこちらだと足を進める。握った手を離し、隣を陣取ればなんでこんなことに…と独り言が聞こえた。
「そういえば」
「はい?」
「君の名前」
「名前? あぁ、そういえば伝えてませんでしたね。 ミスタ、ミスタリアスです」
「ミスタさん。 いい名前ですね、君のために用意されたみたいだ」
「ははっ、色男はやっぱ違うな。 別に、平凡な名前ですよ」
「そんなことは」
「着きましたよ」
着いたカフェは、植物に囲まれ落ち着いた雰囲気だった。穏やかで優しいミスタにお似合いのカフェだな、というのが第一印象。店内には色とりどりの花が飾られ、花屋としても営業しているようだった。あぁ、うちに来なくなってからはこちらで花を買っていたのか。チリ、と胸が痛くなるのを見ないふりして席に座る。
「あれ? ミスタじゃん」
「げ」
声を見上げると、金髪が揺れる。体格がよく、人好きされる表情を浮かべた青年がミスタに話しかけている。
「お前今日休みじゃなかったのかよ」
「入る予定だった人が体調崩してさ、代理。 てかその人誰? 知り合い?」
不躾に向けられる視線に眉を寄せる。何より、ミスタと親しげなのが気に触った。その男と話すミスタはいつものような固い言葉ではなく、これが自然体なのだなと言うラフな話し方をしていた。
「あ! もしかして例の花屋の想い─」
「あー! ルカ! おれオレンジジュース! ヴォックスさんは何にする?!」
「え? あ、あぁ、ではコーヒーを。 ブラックで」
「かしこまりました〜! 後で話し聞かせろよ?」
「うっさいうっさい早く戻れバカ」
勘違いでなければ、先程想い人と言われたような。バクバクと心臓が音をたてる。自分が想いを寄せている人が、自分のことを好んでいる?自分に都合がいい考えばかりがよぎり、思わず笑いそうになる。こんなに単純な性格だっただろうか、私は。
「あ〜、うるさくてごめんなさい。 ルカ…あいつ、悪い奴ではないんですけど」
「仲がいいんですね」
「腐れ縁ですよ」
「…想い人」
がたりと机が揺れる。ミスタが足をぶつけたらしい。じわじわと赤くなる顔が愛おしくて、思わず触れそうになってしまった。
「ちが、その、あいつバカで、ほんと。 あることないこと言うから」
「抜けてますよ」
「へ?」
「敬語、抜けてますよ」
「!!」
バッとミスタは自分の口を手で覆う。あぁ、可哀想に。耳まで真っ赤だ。
「…期待しても?」
「……しないで、ください」
その声はか細く、蚊の鳴くような声だった。あぁ、脈アリだ。間違いなく。思わず漏れる笑みが抑えられず、ミスタに恨ましげに睨まれる。だが、そんなことで抑えられるほど私は利口ではなかった。
「ミスタさん、仲良くしましょう。 これから。 連絡先も交換しましょうか」
「勘弁してください、ほんと…。 営業範囲外ですよ」
「今はオフですから」
「あーもうっ、ヴォックスさんもっと紳士的だと思ってました!!」
ヤケクソだというようにQR!という姿が可愛くて、声を殺さずに笑いをあげる。これから徐々に距離を詰めていこう。そしていずれは─。