権一真が消息不明になって動揺する引玉の話 本編終了後のいつか、権一真が任務でとある山に住む妖魔を退治に行ったきり戻らないと聞いて、探しに行く引玉。
麓の村で聞き込みをすると、何日か前に巻き毛の少年を目撃したという証言が。
この山には人食いの化け物が出るから行ってはいけないという忠告を無視した少年が山に入って行った後、この世のものとも思えない恐ろしい咆哮が山々にこだましたので村人は震え上がったが、最後にひときわ大きな声が長々と響いたかと思うとふっつりと途絶え、それきり山は静かになったという。
きっとあの少年は化け物を退治するために天から遣わされた武神様だったんだ〜、ありがたやありがたやと語る村人。
退治には成功したようだが、任務完了の報告も寄越さずどこをほっつき歩いているんだとイラつきながら山へ向かう引玉。
探索するうち、戦闘の痕跡を見つける。木々が薙ぎ倒され、時に岩を飛ばし合ったような痕跡を辿っていくなかで、討伐対象が霊文殿からの事前情報よりもかなり強敵だった事がわかる。
相手が何だろうと、あいつがそうそう後れを取るはずはないだろうが……と思いつつも少し不安になってくる。先へ進むうち、血痕や割れた鎧の一部を見つけ、不安の影は増してゆく。
落ち着かない気持ちを持て余していると、ふと「もしあいつに万一の事があったら、私は悲しいと思えるのだろうか?」という考えが浮かんでドキリとする。
悲しいと思えないとしたら、それはとても薄情な事だ。しかし、悲しいと思えるのだとしたら、それは、もう二度と自分を煩わせる事のない一真ならば心置きなく愛して悼む事ができるという意味になりはしないか。だとしたら、何と歪んだ感情か。
自分の思考に嫌悪を感じ、追跡に集中しようとする引玉。
やがて辿り着いた先は断崖の上で、崖の縁に張り出した木の枝に、布の切れ端が引っ掛かって風にたなびいている。
乾いた血で元の色もほとんど判別できないそれが権一真がよく着ていた服の一部だと気付き、心臓を掴まれたような恐怖に崩れ落ちる引玉。
崖の下にどんな光景が広がっているのか確かめなくてはいけないと頭ではわかっているのに、足が震えて動けない。かつての事件での、血の海の中に壊れた人形のように倒れ伏す一真の姿が脳裏に蘇る。
……あいつの身に何が起きたとしても、そもそも私にはそれを悲しむ資格もない。
それでもわたしは……と、心の奥に隠れていた想いに気付きかけた時、出し抜けに
「あれ、師兄?」
とお気楽な声が聞こえる。
引玉が「え?」と顔を上げると、崖の縁からぴょこんと権一真の顔がのぞいている。
ずっと崖をよじ登ってきたらしい一真は、よいせっと最後の高さを登り切ると「あー、疲れたー」と言って座り込む。頭から爪先までボロボロで、血と土埃にまみれたひどい姿ながら、ケロリとした顔で笑う。
「師兄、迎えに来てくれたのか?」
ワナワナと唇を震わせる引玉。
「………生きてたなら通霊くらい寄越せ、この馬鹿!」
「師兄、なんで泣いてるの?」
「泣いてない!!」
「し、師兄、くるしぃ……」
……というハッピー(?)エンド
後に麓の村では、怪物退治に行った少年武神の身を案じた美しい仙女が後を追って山に入り、戦いに傷付いた武神を涙ながらに抱きしめて共に天に帰ったという伝説が語り継がれ、それを聞いた引玉は「どうしてそうなった……」と頭痛とともに嘆く事になるが、それはまた別の話。
(補足)
一真は戦いで法力を使い果たしてしまったので、とりあえず来た道を帰ろうと3日かけて崖を登っていました。
引玉は権一真に対して苛立ちや嫉妬や負い目や後悔や羨望や眩しさや何か色んなアレソレがぐちゃぐちゃに入り混じった感情を抱えながらも、根底に本人も自覚の薄い慈愛の情が入っているといいなと思います。自分で描こうとすると技術力の都合でその辺りの表現が吹っ飛んでしまうので、ただの一真に甘い師兄が爆誕しがちですが……。
(おまけ)
数百年後、ある年の中秋宴。
ゴロゴロと雷鳴が響くなか、神官達が大袈裟に笑ったり叫んだりしながら酒の注がれた杯を回している。
やがて雷鳴がやんだ時、酒杯を手にしていたのは権一真だった。
宴席に微妙な空気が立ちこめる中、舞台の幕が上がる。雷がやんだ時に酒杯を持っていた神官にまつわる戯曲を上演する舞台である。
しかし、始まった演目は、腹黒な師兄との物語ではなかった。山に住む怪物に苦しめられている村に巻き毛の少年武神が訪れるという、怪物退治の物語のようだ。
宴席にほっとした空気が流れる。
先の展開の読める月並みな筋書きではあるが、これなら権一真が怒り狂って下界に殴り込みに行く事もあるまい。
劇の中で、村人が苦しんでいると知った巻き毛の少年は、山に分け入り大蛇の怪物に出会う。怪物は竹の枠に紙を張ったハリボテをつなげたものではあったが、なかなか迫力のある出来栄えで、巧みな動きで少年武神と戦いを繰り広げる場面は意外に見応えがあった。
やがて少年武神は怪物に勝利を収めるのだが、戦いの中で自身も負傷し、怪物の死体の横でがくりと膝をついて倒れてしまう。
宴席の神官達に軽いざわめきが起きる。
悲劇の英雄の物語というならいざ知らず、権一真は今も元気にピンピンして西方武神を務めている。これは一体どういう意図の演出だろうか。
観客の神官達が興味津々で見守る中、舞台に新たな登場人物が現れた。新しい人物は仙女と思われる衣装を身に纏った美しい女性だったが、珍しい事にその衣装は黒を基調とした地味な色合いをしていた。
誰かを探しているように周りを見回しながら現れた仙女は、倒れ伏した少年武神の姿を見つける。仙女は息を呑み、大きく取り乱した様子で少年武神に駆け寄ると、少年の体を抱き上げ膝枕をしながら悲しみの涙を流した。
すると、なんとその涙は少年武神の傷を癒し、立ち上がった二人は喜びをあらわに抱擁を交わすではないか。どうやらお互いに想い合っている間柄らしい。
二人はひとしきり再会を喜びあうと、仲睦まじく手に手を取って天界に帰る……という場面で舞台の幕が下りた。
居並ぶ神官達に騒然とした空気が流れる。
え……今の何?
……っていうかあれ誰?
あの奇英殿下に恋人が!? ウソだろ!?
ざわつく神官達を背景に、色事の話題となれば真っ先に食いつく裴茗が、笑いながら権一真に話しかけた。
「我々の知らない所でこんな戯曲が作られていたとは、奇英も隅に置けないな。あの女性は何者だ?」
権一真はムスッとした顔で席を立つ。
「……師兄はあんなになよなよしてない」
それだけ言うと巻き毛の少年は下界へ飛び降りてゆき、中秋の宴は騒ぎの中に過ぎてゆくのだった。
(了)