振れた指先の冷たさ「はぁ? コハクが熱を出した?」
ラボで設計図を書いていた千空は思わぬ知らせに声を荒げてしまう。ラボに入ってきたのはコハクの姉のルリで、不安そうにブルークリスタルの双眸を揺らめかせる。
「起きるのがいつもより遅いと思ったので、起こしてみたら体が熱かったんです。千空、診てもらえますか?」
「~ちょっと待ってな。おいクロム、ここまでできてっから羽京たちと最終確認してから作業に入っとけ」
「お、おう!」
「んじゃ行くか。つっても俺は医者じゃねえから治せるかわからねえぞ」
「それでもお願いします」
「わあーったよ」
普段近づくことはあまりないコハクとルリの家の階段を登り、かなり久しぶりに入った。
薄手の毛布を被っているコハクは息苦しそうに息を吐き、いつもの溌剌さは見る影もない。千空は傍に近寄り、傍らに膝をついて濡れタオルを取っておでこに触れた。指先越しでもわかる。かなり熱いようだ。
「おい、コハク。どこかいてえとかあるか?」
「う……せ、んくう……喉が、痛い、ぞ……げほっ」
「無理すんな。……熱は高いが、肺炎じゃねえな。とりあえず脱水に注意して、のど越しのいいもん食わせて寝かせとけば大丈夫だろう」
「よかった……のど越しのいいものとは?」
「~……ラーメン、じゃ味が濃いからな。とりあえず果物だな。あと、ラーメンの麺を太目に切って、味も薄めて作ってみるか」
本当はうどんや米などがあればいいのだろうが、このストーンワールドではどちらもまだない。ラーメンは細めに切っているため、太めに切って味を薄味にすればとりあえず大丈夫だろう。
薄手の毛布を軽くはぎとって、剥き出しの手足に触れる。滑らかな肌は触れるだけで火傷しそうなほど熱い。軽く間接に触れて「曲げるぞ」と断りを入れて腕の関節を曲げてみた。コハクは不可思議そうに見ているだけで痛みを訴えたりはしない。関節痛などはないようだ。
全身診た結果はおそらくただの風邪だろう。気温の変化はそこまで顕著ではないものの、コハクたちは常に薄着だ。冬になれば厚着もするが、コハクは動きやすさ重視でそこまで厚着はしない。そのせいで体調を崩したのかもしれない。
「まあとりあえず水分摂らせて安静にしてろ。氷枕作るからしばらく冷やしておくといい」
「……うん」
「つーわけでゲン、フランソワ。ちょっと手伝ってくれ」
「もちろんだよ♪ 何するの?」
「氷枕を作るんだよ。作り方は知ってるか?」
「ああ、確か水を入れた容器の中にタオルを敷いて、その中に氷を入れるんだよね?」
「そうだ。んじゃ早速作ってくれ」
「了解!」
ゲンは嬉々として立ち上がり、千空は必要な道具を持ってきて準備を始める。その間にフランソワは水瓶から水を汲んでくることにした。
まず最初に用意するのはタオルだ。なるべく清潔なものを選び、綺麗な水で洗う。それを何度か繰り返したら水気を絞り、コハクの頭の下に敷くための枕カバーを用意する。こちらは比較的簡単に作れるので、タオルよりも早く終わった。
そして次に用意したのは氷である。千空が冷凍庫を漁ると、中にはバケツサイズの大きなものがいくつか入っていた。これは大樹たちが頑張ってくれたおかげでできたものだ。この村には氷室がないため、氷を保管できる場所はここしかない。しかしいくら大きいとはいえ、これ一つでは全員分は賄えないだろう。
そこで千空はあることを思いついた。冷凍庫の中から氷を取り出し、それを抱えてコハクの部屋に戻る。すると既にゲンとフランソワの姿はなく、千空の手にあるものに二人は首を傾げた。
「それは……?」
「氷だ。氷を砕いて、手桶に入れて持ってきた。これで少しは溶けるまでの時間稼ぎができるはずだ」
「なるほどね~! でもこれだけじゃ足りないんじゃないかな?」
「だから氷をいくつか持ってくる。ゲンは引き続きタオルの準備、フランソワは水を用意してくれ。氷が溶けたら水を足して温度調節をするからよ」
「わかったよ」
「承知いたしました」
ゲンとフランソワは言われた通り、それぞれ行動を開始した。千空は一度コハクの家を出て、氷を取りに行くことにした。
コハクの家からあまり離れていない場所に、千空たちの家がある。そこは主にラボとして使われているため、ほとんど生活感がない。千空は冷凍室を開けて中を覗き込むと、そこにはたくさんの氷があった。
「あ ~……さすがに全部は持って帰れねえか」
「千空様、どうされましたか?」
「お、ナイスタイミングだな。氷を大量に欲しいんだけどよ、さすがに俺だけじゃ持ちきれねぇから一緒に来てくれるか?」
「はい、かしこまりました」
フランソワは快諾し、二人で外に出る。そしてそのまま氷を取りに行ったのだが、結局その日だけでは足りず、翌日も氷を作りにいったのだった。
***
「ん……」
翌朝、コハクが目を覚ますと、何故か体がだるかった。喉が痛い。起き上がろうにも、体が重くて思うように動かない。こんなことは初めてだ。
(一体、何故……?)
昨日のことを思い出す。確か、熱が出てルリ姉が私を起こしに来たのだ。それで体を起こして話をしていたら、急に視界がぐらついた。その後は記憶が曖昧だが、おそらく倒れたのだろう。
額に手を当てると、いつもより熱い気がする。体温計はないが、自分のことだ。だいたいの感覚でわかる。間違いなく高熱が出ている。
「……うっ!?」
立ち上がろうとした瞬間、目眩に襲われて倒れてしまった。慌てて近くの柱に捕まったことで倒れることはなかったが、それでも体に力が入らない。
(こ、これは、本格的にまずいな)
どうにかしてコハクは立ち上がった。しかし、すぐにふらついて座り込んでしまう。
今日は朝ごはん当番ではなかったはず。なのに、今は何時だろうか。もうすぐ昼になってしまうのではないだろうか? そんなことを考えていると、部屋の扉が開かれた。そこに立っていたのは千空だ。
「おいテメー、なにしてんだ。起きてんじゃねえぞ」
「千空……私は、平気だ。それより、ご飯の支度をしないと」
「バカかテメーは。風邪ひいてんだから無理するな。メシはフランソワたちがやってくれた」
「そ、そうなのか……。すまない、ありがとう」
「礼はあいつらに言っとけ。それよりも、お前は大人しく寝とけ。なんか食えそうなもんあるか?」
「食欲は、ない」
「んじゃ何か飲み物だけでも飲んどけ。あと薬な」
「あぁ、わかった」
「座れるか?」
「問題ない」
千空に支えられながら、コハクはなんとか椅子までたどり着くことができた。そしてそのままテーブルに突っ伏してしまう。
「……」
「コハク? どうした?」
「いや、なんだかすわり心地が悪いなと思ってな。それに、頭が重いような……」
「当たり前だろ。風邪ひいてんだから」
「ああ、そういうことか」
「とりあえず水飲むか?」
「頼む」
千空がコップに水を注いで渡してくれたので、それを一気に飲み干した。渇いていた喉が潤うと、少し気分が良くなった気がする。
「飲んだら寝ろよ。ほらっ」
千空はコハクをベッドに連れて行き、優しく体を横にさせる。それから毛布を肩までかけてあげた。
「寒くないか?」
「少し肌寒いかな」
「んじゃ、これも着てろ」
千空は自分の羽織っていたコートをコハクにかけてやった。すると、少しだけ暖かさが増したように感じられた。
(うん、やはり千空は優しいな。普段からこうして接してくれればいいのに)
「じゃ、俺は戻るぞ」
「あ、ま、待ってくれ!」
コハクは思わず呼び止めてしまった。このまま行ってしまうのが寂しいと思ったからだ。しかし、何を言えばいいのかわからない。
コハクが言葉を探していると、千空の方から声をかけてくれた。
「あんだよ。どうした」
「…………もう少し、そばに居てくれ」消え入りそうな声でコハクは言った。すると千空は驚いた顔をしたが、「しょうがねぇヤツだな」と言って隣に座ってくれた。そのことにコハクは嬉しくなる。
「千空、手を握ってもいいか?」
「別に構わねぇけどよ」
千空はコハクの手を握りしめてくれる。その温もりを感じて、コハクは安心することができた。
「これでどうだ?」
「……まだダメだ」
「わがままな奴だな」
「……うるさい」
コハクが悪態をつくと、千空は苦笑しながら頭を撫でてくれる。その手が気持ちよくて、コハクはすぐに眠りに落ちてしまった。