花を散らすその瞬間 喉が異様に熱い。いや、これはもはや喉だけの問題じゃない。体内の熱が無駄に活性化し、巡りまわっている感覚すらある。気を抜けば、その場でぶっ倒れそうな、そんな勢い。
「あ゙ーくっそ……」
悪態を一つ、吐き出す。
しかし当然ながら吐いた悪態は宙を舞い、誰の耳にも届かず霧散する。
こうなってしまう要因が起きた少し前の時間。いつものようにラボでタイムマシーンの設計図について考えごとをしていた時。ふと、机の上に見慣れないペットボトルがあった。ラベルもなく、中身は透明の液体。水かなにかだろうか。
「ンだこれ」
いつもなら絶対に変なものに手を出すことはしない。しかしこのラボに出入りしている人間は限られている。科学の師匠でもあるゼノ、科学王国時代からずっと仲間のクロムとスイカ、それから数人の信頼できる科学者のみ。
故に、こんなところに妙ちくりんなものを置くはずがないのだ。
ちょうど喉も乾いていたし、ただの水なら大丈夫だろう。
ペットボトルのキャップを開き、念のために匂いを嗅ぐ。無味無臭だ。
ごくり、一口飲んだ。なにも起こらない。なんだ、過剰に反応して損をした。
その時、ラボの扉が開き、そこから入ってきたのはクロムとスイカだ。
「千空! もう来ていたんだよ」
「ああ」
「相変わらずはえーな。ん? 千空、お前なに飲んでるんだ?」
「ここにあった水だ。あとで新しいのを買って、」
「あ~~~~~!!!」
「うぉ!? なんだよスイカ、いきなりデケー声だして」
「せ、千空! それ、飲んじゃったんだよ……?」
「あ゙? ンだよ、これスイカテメーのか」
「ち、違うんだよ~~~」
なぜかスイカは涙目になり、べしょべしょしている。
「そ、それ……昨日、ゼノが作ったやつなんだよ」
「ゼノ大先生がなにを作ったんだ。ただの水だぞ」
「えーっと……たしか、媚薬? とかっていっていたんだよ!」
「びやく? んだそれ」
「スイカもよくわからないんだよ。なんでも試作品として作った、って」
「おう。よくわからねぇけど、俺も飲んだらわかるかもな。千空、それくれ」
「…………あ゙〜わりぃな、さっきまずくて、全部そこの窓から外にぶちまけちまった」
「はあ!? おい、なにやってるんだよ……千空らしくないぞ」
「いいからテメーらは仕事をしろ」
ペットボトルのキャップを閉め、無造作にゴミ箱に放り投げる。
デスクに座り、目の前に書かれている数式を眺める。いつもならあらゆる図式を打ち込みつつ、クロムたちと談義をする。しかし、今はまったくそれらをする気になれない。それどころか、異様に体が熱い気がする。
――プラシーボ効果か?
プラシーボ効果。なんの効能も入っていないただの薬をよく効く薬だと偽り、患者本人が薬だと信じたことにより、本当に病に効くとされる所謂偽薬のこと。
しかし生憎と千空は媚薬に対して懐疑的だ。そんなものが実際にあるはずがないし、科学的に証明もされていない。三千七百年前、杠に告白をしようとした大樹に惚れ薬なるものを作ったが、あれは嘘っぱちだ。そんなもの、作れるはずがないのだから。
だからこそ、そんなものをあのゼノが作ったとは思えない。
答えを知りたいと思ったが、生憎とお師匠様は現在出払っており、お戻りになるのはいつのことやら。いっそスマホで聞くか、とも思ったが、千空がなんの疑いもなく勝手に飲んだことがバレれば、確実にからかいの対象になりかねない。故に、バレたら面倒だ。幸い、目の前にいるクロムとスイカは媚薬について知らない。それならいっそこのまま黙って過ごしたほうがいいだろう。
「千空、大丈夫なんだよ?」
「あ゙? 気にするな」
「でも、顔が赤いんだよ……」
「おう。具合が悪いなら帰っても大丈夫だぞ」
「気にするな。おら、とっとと続きをやるぞ」
無理やり頭を動かし、そちら側への意識を失わせる。
媚薬なるものを飲んで十分後。
いよいよもって体の熱さが異常になってきた。全身の血液が逆流し、活性化する。心臓は長距離走を走ったあとのようにバクバクと痛く、鼻の奥もツンっと鉄の匂いがする。
本格的にやばい。こんな場所でぶっ倒れるわけにはいかない。
もしもこれが本当にスイカのいう通り媚薬なのであれば、治す方法は一つ。
「ちーっと出てくる」
「おう、わかったぜ」
「千空、大丈夫なんだよ?」
「心配すんな。すぐ戻ってくる」
ラボを出て、千空は自分の部屋に急ぐ。効果時間がわからない以上、自室にこもり、抜けきるのを待つしかない。
「はぁ……はぁ……ちくしょ……」
悪態が漏れる。壁に手を付きながら一歩ずつ確実に歩く。
幸い、建物内には誰もおらず、通路で息も絶え絶えにしていても、誰にも気づかれない。
その時、誰かの気配を感じた。ふっと顔を上げると、そこには荷物を持ったコハクが経っていた。
よりによって一番会いたくない人物とバッティングしたらしい。
「千空? どうしたのだ?」
「…………」
「顔が赤いぞ? 熱か?」
「……気にするな」
「気にするぞ! 部屋に連れて行けばいいのか? 手を貸すぞ」
コハクは荷物を通路の邪魔にならない場所に置いた。
そのまま千空の手を取ろうとした瞬間。
ばしっ!
「せ、千空?」
「…………こ、はく、」
「ど、どうした? やはり熱が……」
「ちーっと黙れ」
手首を掴み、強引に引き寄せた。そのままコハクを連れて、急いでその場を離れ、自室に入った。乱暴にコハクをベッドに向かって放り投げるが、媚薬のせいで力は入らない。力が入ったとして、千空の腕力ではそもそもコハクを投げることなど不可能だ。
ベッドの手前に転がされたコハクは紺碧の双眸をぱちくりと瞬く。
そのまま千空は後ろ向きになりながら、がちゃ、っと鍵を閉める。これで誰にも邪魔されないだろう。
「ど、どうした? 千空。君は……」
「黙ってろ」
煩わしそうにワイシャツのボタンを外す。いくつか外して、無理やり脱ぎ捨てる。
熱い。燃えるようだ。血液が逆流し、穴という穴から噴出しそうなほど。
コハクの腕を掴み、ベッドに乗せて押し倒す。金の髪がベッドの上に散らばる様は、さながら女神かなにかだろう。
だが生憎と科学の世界には神同様、女神もいない。そんなものまやかしに過ぎない。そう思っても、今のコハクはそれに等しいほど美しく千空の真紅の双眸に映し出される。
口の中にたまった唾液をごくんっと嚥下する。熱い液体が喉を落下し、胃に落ちる。じわじわと毒のように体内に浸透していくのを感じながら、千空はコハクを見やる。
熱い息が漏れる。唾液がこぼれ、コハクの豊満な胸の上に垂れた。獣じみた汚らわしい唾液は止まらず、だらだらとこぼれる。
「どう、したのだ……」
「いやなら、ぶん殴って、逃げろ……」
「殴るわけがないだろ。君なのだから。ただ、理由だけを教えてほしいぞ」
「…………媚薬を飲んだんだよ」
「媚薬? なんだぞれは」
「ちーっとばかり体内の血液が逆流して、やべーことになることだよ」
「それは大変だ! すぐに医者に……」
「診せても無駄だ。治す方法は一つだけだ」
「む? なんだそれは」
「もうおしゃべりは終わりだ。黙ってろ」
顎を掴んで、噛みつくようにキスをする。
「んっ……ふっ……せ、ん、くう、」
「コハク……口を開けろ」
「あ、ああ……んぐっ」
逃げないように両手を顔の横に付け、覆い被さる。頭を抱えこみ、舌を差し込む。直前に甘いものでも食べたのか、コハクの口腔内は甘かった。唾液をこぼさないように、コハクの中に流し込む。
ぬちゅ、べちゅ。
おおよそ聞いたことのない水音が口腔内からあふれ出し、鼓膜と脳髄を刺激する。麻薬のように、毒のように、どちらにせよ人体に悪影響の薬物が脳髄と支配しているのは確かだ。
クラクラする。熱のすべてが舌に集中しているのか、このままコハクを食い散らかしそうだ。たかだかほんの数的、媚薬を飲んだだけでこれほどまでとは。効果てきめんではないか。さすがお師匠様。心の中で褒めるが、まったくもって褒めたくない。無造作にあんな場所に放置してくれたおかげで、千空は今大変な目に遭っているのだから。
キスに慣れていないコハクは鼻で息をしつつ、時折口の隙間から酸素を吸う。しかしそれすら今の千空には毒だ。吸った息を食いつくし、酸素は千空からしか与えられない。甘い吐息に支配され、どんどんのめりこんでいく。
「せ、ん、んんっ」
「舌出せ」
「んっ……ぅ、ぁ」
上ずった声が聞こえる。喉の奥から放出された声すらも飲み込む。コハクの手はぴくぴくと痙攣しており、宙を舞う。
その手を取り、ベッドに縫い付けるように重ねた。ささくればかりの指が、コハクの華奢な指先と絡まる。
「せ、ん……くぅ、」
「コハク……わりぃ」
長いキスをやめて、耳元に顔を寄せる。呟く。
「止められねぇ、抱かせろ」
そういって顔を上げると、口の端から唾液を垂らすコハクがいた。白い肌はあちらこちらが真っ赤で、赤い花でも咲いているように見える。触れると、コハクの肩はびくっと大げさに震えた。キスをして、媚薬の成分でも入り込んだのだろうか。感度がいい。
むき出しの太ももに触れる。撫でつけるとびくりと震えた。今更気づいたが、コハクは石の靴を履いたままだ。なけなしの理性を動かし、石の靴の紐をほどき、床に放り投げる。カツン、と小気味のいい音が二回響く。
「逃げるなら、今のうちだ」
荒い息を吐きながら組み敷いたコハクを見下ろす。
熱は収まらない。むしろさっきよりもヒートしており、とある場所に一点集中している。ずんぐりと顔を見せているそれを見ないようにしながら、コハクを見下ろす。
「ハッ! 逃げるわけがないだろう。千空、君が望むなら、すべて受け入れるぞ」
「あとで泣きごと言うんじゃねぇぞ」
「いうわけなかろう」
コハクの言葉に千空はついぞ、にぃっと口角をあげる。
再びコハクに覆いかぶさり、真っ白い喉元に食いついた。