ジャックは愛を知っている「この頑固者が! あとで泣いて詫びてきても知らんぞ!」
「おーおー出てけ出てけ。せいせいすらあ」
ガンガンと段板を踏み鳴らしてガレージまで降りてきたジャックは、ブルーノに一瞥もくれずポッポハウスを出て行った。少し間が空いて、クロウが降りてくる。唖然とした新入りメカニックに気づくと、舌を出してみせた。
「いつもの癇癪だ、気にすんな。頭が冷えて腹減ったら帰ってくるだろ」
「ボクにはそう見えなかったけど……君たちは本当にわかり合っているんだね」
そう言うと、クロウの顔が露骨に歪んだ。まずい表現だったらしい。
遊星とジャック、あるいは遊星とクロウは仲がいい。気心の知れた友人同士という感じだ。一方でクロウとジャック、この二人の仲を、ブルーノはいまだに掴みかねていた。
会話というより口論で、はたから見ると喧嘩かと思うときもある。そのわりに決定的な仲違いをするわけではなく、いつの間にか元に戻っていて、その繰り返しなのである。
それを日々見ているからクロウの言うとおりそのうち帰ってくると信じられるのだが、とはいえ不思議だ。失った記憶の中にも、これに対する答えは含まれていないような気がする。
いい機会だ、とブルーノは作業中のデータを保存しスリープモードに移行させた。
「クロウはジャックのことが嫌いなのかい?」
「嫌いっつーか……。そうなれりゃあ、話は早いんだけどな」
腐れ縁だから、と片眉を下げて苦笑する。含まれている感情が諦めだけには見えなくて、少し追求したくなった。
何せ遊星から任されたのだ。「しばらく家を空ける。二人のことは頼んだぞ」と。
出会い頭に拉致されてから少し怖いジャック(あれは自分にも一因はあったが)と、Dホイールの改良にうっかり高価な資材を使うと渋い顔をするクロウ。ここに転がり込んでしばらく経つが、遊星ほどに仲良くなれていない気がする。
ここでクロウの話を聞いて、少しでも理解できれば関係の深化にも役立つに違いない。名付けて、ブルーノちゃんの仲良し大作戦だ。
「たしか、キミたちは幼馴染だったよね。ずっと一緒にいたわけじゃないんだっけ?」
「ああ。三人揃ったのはつい半年くらい前だな」
「ねえ、よかったらキミたちのことを詳しく教えてくれないかな? せっかくチームの一員に入れてもらったんだ、ライディングの癖とかがわかれば改良の役に立つかもしれないし」
「聞いて面白いことなんてねーぞ。まあいいけど。ついでに昼飯にしようぜ」
ブルーノは大きく頷くと、階段を上るクロウの背を追いかけた。
「オレも孤児でな。遊星やジャックと出会って、鬼柳……遊星が今会いに行ってるやつと出会ってチームを組んで、サテライト中のデュエリストに勝負を挑んで。はちゃめちゃしてたわけだ」
鍋に湯をぐらぐらと煮たたせ、買いおきのパスタ麺を取り出す。玉ねぎとピーマンを刻むクロウに「食うだけ茹でろ」と言われて袋の中身をすべて入れたら、マジかよと引かれてしまった。
「ここんとこ食費が爆上がりしてた理由がわかったぜ……。で、チームを……抜けてからはジャックとは会ってなかった。アイツがシティでキングをしてたのは知ってたぜ。でもその頃はサテライトからシティに行くなんて簡単じゃなかったし、会う理由もなかったからな」
「街の関係は遊星から聞いたよ。遊星はかなり無茶をして渡ったんだよね?」
「ああ。びっくりしたぜ、連絡が取れなくなったと思ったらシティでジャックに勝って、ニューキングとか言われてんだからな」
クロウが食料庫を漁り、缶詰を取ってきた。パッケージには丸いキノコが描いてある。
「まあ元気にやってるんだなって放ってたら、突然帰ってきてさ。遊星もジャックも、鬼柳も。ダークシグナーがどうとか旧モーメントがどうとか……正直何言ってんのかわからなかったけど、ガキどもを守らなきゃならねえし、ダチが何かしようとしてるんなら手伝いてえだろ」
「うん、そうだね」
ブルーノはしっかりと肯定した。自分が同じ立場で、遊星たちが何かを成し遂げたいと思っているのならきっと力を貸すだろう。WRGPにせよ、それ以外にせよ。
「ジャックとは、遊星と三人で闘ったんだよね。それがチーム以来、初めての再会だったんだ」
クロウが首を振り、エプロンの結び目も左右に揺れた。
「顔を合わせたのはその前だ、あの野郎はヘリから見下ろしてきやがって……。会話を伴う再会ってんなら、ダークシグナーと闘ったあと、アイツを迎えに行ったときだな」
ふうんと相槌を打つ。クロウもくたびれていただろうに、わざわざ行く必要はあったのだろうか。
「それは、遊星の指示?」
「いや、オレが勝手にさ。遊星たちはアキのとこに行くっつってたけどオレはそのときアイツのこと知らなかったし」
それに、とクロウが言葉をつなぐ。
「オレはボマーと……ガキどもを取られちまったオレと同じように面倒を見てた弟妹を失ったヤツと闘って、遊星は昔馴染みの鬼柳と闘った。ならジャックも誰か縁のあるヤツと闘ったんじゃないかって思ってよ」
ピピピ、とタイマーがパスタの茹で上がりを知らせる。一本取って硬さを確認してから、ザルに上げた。
「心配だったんだね」
「ちげーよ。麺、固まらねえよう油かけとけ」
クロウの操るフライパンの上で、野菜と、薄っぺらなベーコンが躍る。少し焦げたいい匂いが漂い始めたところでケチャップをたっぷりと絞る。
「アイツは昔からプライドが高いし、何よりキングっつー天辺から追い落とされたばっかだ。あんまり干渉するとキレるだろ」
「……うん? 迎えに行くってことは、干渉しているんじゃないの?」
「おう、そういうこった」
近しい誰かの喪失で落ち込ませたままより、こっちに怒りを向けさせて気を散らした方がいい。クロウはそう考えて、一人で彼の元に向かったのだという。二人らしい気の遣い方だ。
「ま、意味なかったけどな」
「そうなの? ……おいしい!」
ブルーノは口に突っ込まれた味見に目を輝かせた。濃いめで甘じょっぱい具だくさんソースに、油分をまとったパスタが投入される。
「皿はこれでいいかな?」
「オレはいいけどお前の分入んねーだろ」
「おかわりすればいいさ。それより、意味がなかったっていうのは?」
クロウは赤く色づいたパスタを菜箸で器用に取り分けながら、そのまんまだ、と言う。
「アイツ、開口一番に何て言ったと思う? 『お前もライディングデュエルをやるのか』だぞ」
「そ、それは……」
反応が難しい。クロウもそうなるとわかっていたのだろう、軽く笑い声を立てた。
「再会の挨拶でも勝った報告でも遊星の安否でもなく、そこかよってなるよな。チームを組んでたときはスタンディングだったからだろうけど、少し前に会ったときにもオレはブラックバードに乗ってたんだぜ? まあ、相変わらずデュエル馬鹿だってわかって、こっちの気が抜けた」
フォークを添えた皿二枚をクロウが運び、ブルーノは水を注いだコップを二つ運ぶ。手を合わせてありがたくいただく。この国生まれのナポリタン。一皿目は何もかけずにそのままで。
「うん、おいしい。クロウはどこで料理を覚えたんだい?」
「マーサのとこだ。遊星とジャックも作ろうと思えば作れるはずだぜ」
「遊星の料理かあ……。想像がつかないな」
「飲まず食わず寝ずで作業に没頭するからな、アイツは。ブルーノが隣で見てくれるようになって、正直感謝してるぜ」
一緒になって徹夜を続けるなよという忠告だろうか。冷や汗が出た。
「う、うん。無理させないよう気をつけるよ」
「そうしてくれ。で、ジャックの話だったな」
クロウはパスタをクルクルとフォークに絡めて頬張った。当時を思い出すかのように目は遠くを眺めている。
「こいつ、変わってねーなって安心もした。その数年はテレビの向こうの姿しか見てなかったわけだからな。……実際には、オレが気づかなかっただけで変わってたんだけどさ。たぶん直前の、ダークシグナーとの闘いで」
え、と聞き返そうとしたところでクロウがソファーから立ち上がる。忘れてたと持ってきたのはタバスコだ。
「それからジャックを連れて遊星たちのところに戻って、ゴドウィンを倒して。この辺は遊星から詳しく聞いてるんだろ?」
「うん。遊星は自分のことは話さなくてもキミたちのことは話すからね。作業中、二台の傷とかでいろいろ思い出すみたいだ。ダークシグナーとの闘いも、二人の絆のおかげで勝てたんだって」
「絆、か」
皿にフォークが当たり、カン、と鋭い音が鳴った。クロウは謝罪を口にしたが、動揺を示すそれを知らんぷりするのは難しい。
どう訊けば答えてくれるだろう。自分でおかわりをよそいながら思案する。今度はタバスコを振り、味変を試みる。
「クロウは、そうじゃない……絆の力じゃないと思っているの?」
問うと、クロウはゆっくりと水を飲んだ。
「いや、遊星が言うんならそうだろうさ。オレとジャックがわかんねえってだけだ」
「ボクはその状況を見ていなかったからわからないけど、仲違いでもあったのかい?」
そこに現在の二人の、遊星に対するのとは違う関係の要因があるのだろうか。フォークを握ったままクロウをじっと見つめていると、ふはっと力の抜けた声を上げられた。
「食えよ。冷めるとくっついて団子になるぞ」
「うん、でも気になってしまって」
「そんな面白い話でもねえよ。言っただろ、オレはジャックが変わってないと思ったけど、実際には変わってたって」
クロウは食べ終えてケチャップソースだけが残る皿に視線を落とした。パスタの跡が、無作為に駆けたDホイールの轍のようにも見える。
「オレは鉄砲玉だって一番に駆けたくせに、真っ先に落車したんだ。情けねえよな。身体中痛くて立ち上がることもできなくて、ブラックバードを起こしてやることもできなくて。でもデュエルの様子は……二人とゴドウィンの会話は、モニターから聞こえてたんだ」
一進一退の闘いは、自分が抜けたあとも続いた。そしてゴドウィンは、ジャックの孤独を──キングへ至る道を語り、精神に揺さぶりをかけた。
「そしたらだ。直前まで『神も絆も知らん!』って言ってたヤツが、『絆からは逃れられない』とか言い出した。それをわからせた女がいたんだとさ。大方、そいつと闘ったんだろうな」
だから再会したクロウには、そのタイミングがあったにもかかわらず、何の痛みも、傷があるそぶりすら見せなかった。
自分はあくまで友の一人で、その言葉はアイツには届いてなかった。クロウは水を飲み干した。
「ブルーノ、水は?」
「あ、もらうよ。ありがとう」
コップを満たしに行ったクロウの背中に、重く憂鬱な諦念が乗っているように見える。
彼が絆や仲間を大事にしているというのは、付き合いの浅いブルーノでもよく知っていた。サテライト時代は自力で子どもたちを育てていたというし、今も彼を慕って遊びに来る子は多い。天然で子どもに群がられるジャックとは違うタイプの懐かれ方で、それはクロウの面倒見の良さと頼もしさに由来するのだろう。
酸味と辛味を足した最後の一口を飲み込み、ブルーノも立ち上がる。最後のおかわりだ。
「……目玉焼きでも乗せるか?」
「いいの」
「テンションたけーよ」
確か期限近かったろ、とクロウは冷蔵庫を開ける。残りのナポリタンをすべてブルーノの皿に盛ると、フライパンに卵を割り落とした。低めの温度で熱され、透明な白身がじわじわと白くなっていく。
この色の変化は、卵を構成するタンパク質の凝固によるものだ。焼くにせよ茹でるにせよ加熱され全体に火が通ると、白身も黄身もかっちり硬くなる。ただし、とブルーノは知識を浚う。冷蔵庫で冷やし続けた卵が一瞬で変化することはない。
「彼を変えたのは、キミじゃないか?」
鍋を洗っていたクロウが動きを止めた。水を切って食器立てに伏せると、ブルーノを見上げる。
「どういうことだ?」
ほんの少し細められた目には、純粋な疑問と信じきれない不安、そして自信のなさを打ち破ってくれる新たな見方への期待が込められているようだ。
ブルーノは半熟の目玉焼きを、山盛りのナポリタンの上に着地させた。
「デュエルの話は遊星から何度も聞いている。キミがジャックの攻撃を利用して罠を発動させたり、キミが残した罠が遊星を守ったりしたんだって。たしかに、最初に離脱したのはキミかもしれない。でも、それでも二人に託したんだろう?」
そのときの悔しさはブルーノには想像するしかないが、クロウはただ敗れたわけではない。二人の力を信じ、つないだのだ。
「仲間を信頼することを、絆がどういうものかを体現してみせたのはキミなんだ。それはキミたちの一番古い絆で、一旦別れても結局は今も続く絆だ。ジャックが最初に捨てようとして、それでもクロウと遊星が持ち続けていたものが、孤独に逃げようとする彼を捕まえたんだよ。それこそクロウ、キミが言った腐れ縁ってやつがさ」
きっと変化は一瞬のことではない。だから、引け目なんて感じなくていい。
クロウは呆けたように瞬いた。普段はしかめている眉が上がり、年齢より幼く見える。口がもにょもにょと動き、言葉の最初は少し掠れていた。
「……お前、よくそんな小っ恥ずかしいこと言えるな」
「そうかな? それがキミたちの絆なんだろう。誇りこそすれ、恥じることなんてないさ」
「いや、うん……うーん?」
ブルーノは皿を手にソファーに戻った。白身の下で焦げたケチャップソースは甘みを増して、力の抜けたクロウのようだ。そのクロウは、ヤカンを火にかけてからブルーノの隣に座った。
「違うかな?」
「……さあな。まあ、ジャックに聞くことでもねえし、解釈の一つとしてはありじゃねーの。ああ、でも一個訂正な」
何だろう。ブルーノが居住まいを正すと、クロウは屈託のない笑顔で言った。
「『キミたち』の絆じゃなくて『オレたち』……わかりにくいな。『ボクたち』ってこった。お前ももう、この絆の一員だろ」
握り損ねたフォークが透明な膜を貫き、黄身がとろりとこぼれ出た。甘い白身を彩り、真っ赤なナポリタンへと領地を広げる。それに気づいたのはクロウに指摘されてからで、ああっと情けない声が出た。
「ははっ、そんなに慌てることかよ」
「いや、目玉焼きはいいんだけど、そっか……そっかあ」
嬉しくて、顔が熱くなる。作戦は失敗、クロウの話を聞くことで関係を深めようとしていたのに、彼の方が一枚上手だったようだ。
ジャックともこうして仲良くなれるだろうか。なれたらいいな、と希望を抱いていたところでガレージの扉を開ける音がした。力いっぱい階段を踏み締め上る足音に、クロウと顔を見合わせる。
「ええい、もう待てん! 遊星を迎えに行くぞ、クロウ!」
「帰ってくるなり何だぁ? こっちは昼飯食い終わったばっかなんだよ」
フン、とジャックが鼻を鳴らす。それから湯が沸いているのを見つけると、勝手にコーヒーを淹れ始めた。
「口うるさい貴様とそこの機械バカとばかり顔を突き合わせる日々には飽きた! 大体、WRGP前だと言うのにいつまで鬼柳ごときにかまけている気だ!」
「別にオレたちが行かなくても、そのうち戻ってくるだろ」
クロウが言うと、ジャックはいぶかしげに眉を寄せた。
「そう考えずにわざわざ来たのはお前だろう、クロウ」
おや、とブルーノは目を見張る。クロウはといえば苦虫を噛み潰したような──おそらく先ほど愚痴を垂れたブルーノへの明言し難い感情で──顔をしたあと、がしがしと頭を掻いた。
「ジャックは、何でも突然なんだよ」
「お前は黙ってついてくればいい。留守は任せるぞ、ブルーノ」
「えっ。あ、うん」
「オレのカップラーメンを勝手に食べることだけは許さん。食ったら追い出すからな」
「……なあ、お前の心配もあんまりいらなさそうじゃねえ?」
人間関係はデュエルよりも難解に見えて、面白くて奥深くて、単純なのかもしれない。隣の一人だけに聞こえる音量で呟かれた言葉に、今度はブルーノが表情を変える番だった。