クリスマスを終えれば、世間は一気に年末への空気感に押し流される。人々もその波に飲まれるようにさっさとツリーを片付け、忙しなく大掃除などに追われる一年の最終盤だ。
「すっかりクリスマスの飾り付けがお正月のになってるねー。ディスプレイ変える人、短期間で大変だぁ」
日付は12月27日。平日の昼過ぎ、ウインドウの前をソウゲンとスズランは二人並んで歩いている。
「クリスマスの気配も無くなってしまいましたね。一昨日まであんなにサンタで溢れていたのに煙に巻かれたように消えている」
「サンタでは溢れてないでしょ」
突っ込みつつ「ソーゲンちゃん眠い?」と頭ふたつ低い位置から覗き込むスズランに、目頭を押さえてソウゲンが笑う。メタルフレームの眼鏡がカチャリと鳴った。
「流石に夜勤の急患対応が続きましたので疲れていますね……仮眠は取っていましたが、夢中で研究する時とは気分も緊張感も違いますから」
「早く帰って寝なね?途中で倒れそう、部屋まで送ろうか」
「流石にすぐそこですから大丈夫ですよ。……後ほどお待ちしています」
「うん。また夜にね」
手を振ってスズランを見送ったソウゲンは脇道へ入る。通りから一本裏にあるマンションは静かで、先程まで隣で賑やかだったスズランの声が途切れたこともあり己の足音がやけにフロアに響く。玄関に入り鍵をかけたソウゲンは、眠気のピークの中部屋へ辿りつけて良かったと、またスズランに送ってもらわなくて良かったと——おそらく離せなくて抱き枕にして眠り込んでしまうから。そんなことを思いながらソファに傾れ込んだ。
「もうちょっと寝ててもよかったんだよ。仕事帰りで、しかも朝に上がれなくて昼までかかったんだからソーゲンちゃん」
デリバリーの料理をつつきながらスズランがシャンパンを注いでくれる。あまり普段飲まない酒だが、今日はこれだよねと二人で選んで買ってきた。
「きっちり起きて迎えてくれるのは君らしいけど」
「いえ…全く支度出来ていなかったので、仕事上がりにスズラン殿と合流出来て良かったのです。一緒に買い物も出来ましたし。それに、今日を逃すと今度は貴方がお忙しいでしょう?」
実家が寺のスズランは、年末年始に客を迎えたりと寺の仕事で慌ただしい。恋人同士せっかくのクリスマスだが、ソウゲンの方も急な欠員などで仕事が立て込みクリスマス当日に会うことは叶わなかった。合間を縫って二人で過ごせる夜が今日やっと巡ってきたのだ。
「そうねえ。大晦日は時間あったらまた除夜の鐘つきに来てね」
「はい」
和やかに食事を楽しみ、シャンパンも酒は強いが普段あまり飲まないソウゲンと、酒が好きだが強くないスズランがお互い素面程度で収まる量でやめておく。軽く片付けてソファに腰掛ければ、あれやこれやと話の尽きない二人の会話がふと途切れた。
額をくっつけ、笑って口付ける。耳に触れて髪を撫でる。スズランは柔らかい触れ方にくすぐったそうに肩を竦めたかと思えば、ぎゅっとソウゲンの体を抱きしめ返す。長身だが痩躯の身体はスズランの腕でも十分に包み込めた。お仕事おつかれさまと呟いて、そのままぽそりと小さく続けた。
「……シャワー借りていい?」
「勿論。小生は寝起きに浴びたので……一緒に入れば良かったのですが、二晩詰めていたので髭も気になって」
「あ、だから昼間マスク取らなかったのかぁ」
とはいえ髭が生えてもまばらなソウゲンの細い顎に指を滑らせる。今からのことを思えば、艶っぽく湿り気を帯びた雰囲気が二人の間に流れた。
「じゃあちょっと行ってくるね」
「ええ」
スズランを見送り、ソウゲンは寝室を整えに立った。一人で寝ていた頃から長身ゆえロングタイプのベッドではあったが、スズランが出入りするようになりダブルベッドに買い替えた。下心のある模様替えに呆れられるかと思ったが、隣で眠れて嬉しいと素直に笑った顔に愛おしさが込み上げたのを思い返し、今夜もまた胸に火が灯る。
と、ふいにスマホが鳴り出した。よもや仕事の電話ではと訝しんで画面を見るが、そこには知った名前があった。
ここからごく近くに小さな飲み屋を構える、古い仲間からであった。
「ギャタロウ殿。どうされました?」
「センセ、忙しいとこすまねえなぁ。実はいま某のやつが怪我しちまって」
「某殿が?何があったのです」
「店の前で酔っ払いの喧嘩があってよォ。ウチのバイトがいちゃもんつけられそうになって某が止めに入ったんだが、割れたガラスで切っちまったのよ」
「何と。どのくらいの傷ですか」
「刀傷に比べりゃ大したこたねーよ、止血はしたんだけどな。割れた瓶が近くにあったから素人の手当てで破片でも残っちまったらギャッとしねえってんで…センセちょっと見てくれねーか?」
警察を呼んだりと後処理に追われ、夜間病院に駆け込めなかったそうだ。営業時間中のトラブルはさぞ大変だったに違いない。
説明を受けてソウゲンは浴室の方を見る。このような状況だが、スズランと共通の友人でもあるギャタロウ、そして某。怪我をしているとあっては放ってはおけない。
「分かりました。幸い今家にいます、そちらに向かいますので——」
「あ、それがな。お客いる前でやってもらうわけにいかねぇし……センセ家にいるなら、悪ぃけど俺らがそっち行ってもいいか?」
「店を空けて大丈夫ですか?」
「一番星が飲みに来てたから任せてある」
「なるほど…では下に着いたら連絡をください。お気をつけて」
元バイトリーダーの一番星は店に頻繁に顔を出しているようだが、彼がいて喧嘩騒ぎでよく無事だったな、いや無事だったのか?とむしろ暴れた酔っ払いが気にかかる。
通話を切ったソウゲンは浴室へ向かい、スズランに声をかけた。
「スズラン殿。今し方ギャタロウ殿から連絡がありまして」
浴室ドアから顔を出したスズランに事情を説明すると、彼も「それは大変」と心配そうに声を上げた。
「申し訳ないのですが今からこちらにいらっしゃるので」
「申し訳なくないよ、某ちゃん大丈夫かな……あ、もう来るの?僕お風呂出なきゃね。服、服」
再び引っ込んだスズランと、リビングへ戻ったソウゲンは人を迎える支度を始めた。
流石徒歩数分の立地、まもなく到着したギャタロウと某を部屋へ上げ、ソウゲンが家庭に置くにしては見たこともない器具や薬品のたんまり入った薬箱を広げて傷を見ている。スズランはギャタロウに寄って行って話しかけた。
「びっくりしちゃったけど、某ちゃん自分で歩いてるの見てちょっと安心した。二人とも災難だったねえ」
「年末年始はタチの悪ィ酔っ払いが多くてなぁ…てかお前来てたのかよ」
「そうだよー。ご飯食べにきたの」
「何でェ、センセも言ってくれりゃあいいものを」
二人が付き合っているのを知っているギャタロウはバツが悪そうな顔をする。
「何で?怪我人がいるなら「来るな」なんて言わないよ、ソーゲンちゃんは」
「そうだろうけどよ。野暮しちまったってこと」
胸ポケットに手をやったが、人の家だったと気付いてギャタロウはそのままタバコの箱を指で弾くに留まった。
「……なんか飲む?コーヒー淹れよっか」
「いんや。手当が終わったら早々に退散するわ。バイト帰したから一番星がえらいことになってると思うし」
「そうね」
苦笑してソウゲンの方へ視線を戻せば、手早く手当を終えて某の傷口はきっちりと巻かれていた。
「破片などは入っていませんでしたよ。某殿お疲れ様でした、痛かったでしょうに」
「だいじょぶ!バイトの子、怪我なくて良かった」
「おうおうお疲れ。あんがとなセンセ」
「某ちゃんがんばったね」
「へへ。ソウゲン、スズランごめんね。じゃまをしました」
ぺこりと巨体が頭を下げるものだから、言われた二人は顔を見合わせてしまった。
エントランスまでギャタロウと某を見送り、エレベーターを戻る。人影の見えないフロアでソウゲンがふむと顎をさすった。
「某殿が「邪魔をした」と仰っていましたが」
「何だかねえ。家にお邪魔しました、って言うより別の感じだったよね」
「貴方もそう感じましたか。まあ……夜ですし。二人で過ごすところへ来たというのは、某殿にしても気まずさがあったのですかね」
「ギャタロウちゃんも気まずいって言ってたよ。気を遣わせちゃったね」
笑い合うが、絡んだ視線とふわりとしたスズランの風呂上がりの香りに二人沈黙する。
「……入ろ」
「はい」
部屋のドアを開けたのはどちらか、鍵を閉めたのはどちらだったか。
この家主にしては大層珍しく、乱雑に脱がれた靴を直すのは翌日、昼も近い頃の話である———
※※※おまけ
見上げればまんまるの月。雑踏の中で空を見上げることなどしなかったが今夜は満月だったか。ギャタロウが隣のまん丸の黄色い大男を見上げると、その満月も「えへへ」と怪我を誇らしそうに笑う。
「お前ェ無茶すんなよ。今世は荒っぽいことにゃ慣れてねえんだろ」
「ギャタ兄だってただの居酒屋の大将マァ」
「へっ社長と呼べェ」
「ソウゲンとスズラン、ずーっと仲良しだねえ。お礼しなきゃ」
「また改めてな。今日はもう連絡すんな、馬に蹴り回されらぁ」
「馬なんていないマァ」
二人を認めて「あ″ーーーッ帰ってきたァ!!」と情けない声を上げた一番星の声に、「煙草一本吸いたかったわ」とごちて、ギャタロウは煌々とした繁華街へ戻っていった。