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    きゅう

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    きゅう

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    ※メインストーリー13章のネタバレがあります。
    何気ない子ルチルの言動に救われるモーリスの話 捏造過多です。

    決意の朝に どれほど果てない悲しみに苛まれようと、変わることなく日々は過ぎ去っていく。たとえ、世界で一番大事な人がいなくなったとしても。
     
     すぅ、すぅ、と規則正しいふたつの寝息と、無機質な時計の針の音。あどけない寝顔に、ほっと胸を撫で下ろす。静かに瞼を落とし、瞳を動かす。もう随分と見慣れたフリルのついたアイボリーの枕。彼女のお気に入りのひとつだったその枕元には、真っ白なクロスに包まれた、光り輝く石がちらりと覗く。そのあまりにも無機質な姿に、ほっと撫で下ろした心は、瞬く間に数時間前の心へと引き戻される。口の中の水分は蒸発し、重たい体は思うように動いてくれない。まるで、身体中に鉛球がつけられたかのようだ。ぎゅっと唇を引き結ぶと同時に、フィガロ先生の言葉が頭の中で反芻する。

     ――そのつもりだけど、嫌? 

     何度も、何度も、繰り返し響くその声色に、胸が張り裂けそうになる。喉は引き攣り、声にならない想いの丈がこだまする。誰も悪くない。そんなこと、とうに分かっている。寿命差がある魔法使いと結婚すること。考え方や価値観の違いがあること。それら全てを覚悟していたはずなのに……。いや、分かっていた『つもり』だったことを、改めて思い知らされてしまった。彼女がいなくなり、改めて自分の弱さを痛感する。今日だってそうだ。フィガロ先生の一言一句に動揺し、挙句の果てには号泣してしまった。目の前の石になった彼女と先の会話を思い出し、再び溢れそうになる涙を止めようと、慌てて瞼を伏せる。
     
     クロスの縁からは、フィガロ先生に小さな結界を張ってもらっているからなのか、淡い光が漏れ出している。もしかすると、彼女の温もりがまだ残っているかもしれない。いや、残っていると信じたかった。そんな淡い期待と共に、煌めく石を、クロスと共にぎゅっと抱きしめる。しかし、期待とは裏腹に、冷えた温度と硬く閉ざされた感覚に、伏せたはずの瞼がじわりと熱を持つ。頭の中では分かっている。もう彼女、チレッタ・フローレスは、石になった。
     
     変わらない世界の中で、たったひとつ。たったひとつだけ変わってしまった。彼女がもう、この世界のどこにもいなくなってしまったということ。当たり前のように隣にいた彼女が、光り輝く冷たい石に成り果てただなんて。
     
     ――信じたくない。
     
     頭の中では分かっているはずの事実なのに、心が悲鳴をあげている。考えても、考えても、気持ちの整理がつかず、これからどうしたら良いのか分からなかった。思わず顔を伏せる。数秒後、自分の手のひらには生温く濡れた感触があった。驚きのあまりハッと目を見開くと、目尻から大粒の涙がこぼれていることに、今更ながら気がついた。そうして今日も僕は、子供たちに勘付かれないよう、声を押し殺して泣いた。
     
     ***
     
     カラカラに乾いてしまった喉を潤そうと、鉛のような腰をどうにか上げて台所へと向かう。僕の手の中には、クロスに包まれた煌めく石も一緒に。いくらフィガロ先生に結界を張ってもらったからといって、安心出来るわけではなかった。今、この瞬間にも他の魔法使いに狙われるかもしれない。そう思ったら、どうしても自分の手元から手放すことは出来なかった。人間の僕が、魔法使いに敵うはずがない。分かっている。それでも、どうしても彼女だけは、他の誰にも渡したくはなかった。
     
     ドアを開けると、がらん、とした静寂が痛かった。花柄のプレートにコーヒーカップ。同様の食器が四つずつ並ぶ食器棚から、透明なコップを持ち出す。何も入っていない空のコップは、まるで今の僕の心のようだな、なんて思ってしまう。チリ、と胸が焼けるような鈍い痛みと共に、瞼が閉じていく。眼裏に映し出されたのはふわりと浮かぶ調味料に、鼻歌にしては大きな歌声。人差し指一つで踊り出す箒たち。瞬く間に整頓される愛息子のおもちゃ。家の中は、幸せな魔法の音で溢れていた。ほんの一月ほど前の光景が、瞼の裏には鮮明に映しだされるのに。そっと瞼を開く。音も、姿も、歌声も、全て幻のように消えてしまった。目の前には、相変わらず中身のない空のコップだけが、ぽつんと取り残されていた。

    「…………とうさま?」

     耳をすまさなければ聞き逃してしまうほどの、ちいさな声で呼びかけられる。声の方向へと顔を向けると、パジャマ姿で目を擦るルチルが立っている。こんな夜中に、どうしたのだろう。小さい頃からよく眠る子で、夜中に起きてくることは数えるほどだった。起こさないようにと、そっとドアを閉めてきたつもりだったが、足音で起こしてしまったのかもしれない。

    「ごめんねルチル。父様の足音で起こしてしまったね」
    「ううん、父様あのね、夢を見たの」
    「夢? 怖い夢でも見たのかい?」
    「母様がね、キッチンでお料理してて、とうさまはソファーでミチルを抱っこしてて。それでね、ルチルが起きたら誰もいなくて、おじさんから貰ったお守りもなくなっちゃってて、ここに来たらとうさまも、かあさまも、ミチルもいるって……お守りもあるって……それでドアを開けたらお部屋が暗かったから……それで……」 
     
     夢とはまるで異なる暗い部屋に、ルチルの言葉は詰まる。分かりやすく右往左往する萌黄色の虹彩に、ぎゅっと包み込むように抱きしめる。大丈夫。怖くないよ。という気持ちを目一杯込めて。きっと、夢と現実が分からなくなってしまったのだろう。

     —―いつもは眠りが深いルチルが夢を見るなんて。

     魔法使いは心で魔法を使う。チレッタが教えてくれた言葉を思い出す。ルチルはミチルを助けるために膨大な魔力を注ぎ、大仕事を終えたばかりなのだ。いくらチレッタから寿命のことを事前に聞かされていたからといって、気持ちの整理だってまだついていないだろう。

    「……とうさま…………?」

     ルチルの一言に、さらに腕の力をこめる。すぐさま涙を指でなぞり、パチンと電気をつける。明るさを取り戻したキッチンに、ルチルの瞳はまるくなる。

    「大丈夫。父様も、母様も、ここにいるよ。ミチルだって、寝室で眠ってる。おじさんから貰ったお守りも、いつもとおんなじ枕元にあるはずだよ。みんな一緒にここにいるから。だから、大丈夫だよ」
    「うん……あれ? とうさま、おめめが赤いよ?」
    「ちょっぴり赤くなっちゃったけど、父様は大丈夫。ほら、まだお日様は登ってこない。父様と母様と一緒にお布団に戻ろう」

     ルチルはモーリスの問いかけにきょとんとしたかと思えば、くるりと視点を変え、一点を見つめている。ルチルは一体何を見ているのだろうと不思議に思い、瞳の方向に目を向ける。するとそこには、モーリスが置いたままになっていた空のコップがあった。

    「ねえねえとうさま、このコップ空っぽだよ?」
    「ああ、出しっぱなしにしちゃったね。これじゃあ、母様に怒られちゃうね」

     水の入れられなかった空のコップを見て、はは、と乾いた声がゆるりと溶けていく。ほんの短い声なのに、いつまでも胸の中で反響して気持ちが悪い。胸中を渦巻く不快な気持ちを留めることが出来ず、ついには表情に歪みがうまれてしまった。まるで、心臓を冷たい水底に落としてしまったみたいだ。ひしゃげたモーリスの顔を、ルチルの萌黄色の瞳がじいっと見つめる。ルチルの瞳は、空のコップを見つめていた視線と同じ色をしている。思わず、泣いていたことを見透かされているような気持ちになる。感傷に飲み込まれそうになり、心ごと空っぽになってしまいそうな、自分の内心までも。ルチルは難しい表情を浮かべ、うーんと首を傾げる。そうかと思えば、何かを閃いたかのようにぱぁっと明るさを見せる。一体、何を思いついたのだろう? ルチルはリビングに向かって一目散に駆け出したかと思えば、踏み台を持ち出し、「よいしょ」と上へと立ち上がる。ふうっと意気込み、水の入ったガラス瓶へと呪文をかける。

    「とうさま! ルチルがお水入れてあげる! おるとにく・せとまおーじぇ‼︎ …………あれ?」

     呪文と共に、水が入った瓶が傾く。しかし、ゆらゆらと揺れる瓶は不安定で、ワークトップの周りには水が飛び散っていく。

    「うーん……うまくはいらないや……」

     しゅんと下がる眉に、わかりやすく俯く顔。失敗しても、自分のために魔法を使って水を入れようとしてくれるルチルの気持ちが嬉しかった。染み入るルチルのあたたかさに、モーリスの口元は緩まる。ルチルの魔法がうまくいかなかった時の選択肢は二つ。「とうさま、もう一回やる!」と何度も挑戦するか、「うーん‥‥出来ないや!」と清くすっぱり切り上げてしまうか。
     
     ――今日のルチルはどちらだろう。
     
     ぐるぐると螺旋のように思考を巡らせている最中、突如としてぎゅっと温かい感覚と衝撃がモーリスを襲う。

    「わっっ‼︎」

     驚きのあまり、夜中だというのに大きな声を出してしまった。尻餅をついた衝撃と共に、臀部には鈍痛が響く。モーリスは何が何だか分からず、そっと瞼を開くと、胸の中には瞳をまるくするルチルがすっぽりと治まっていた。ルチルはかちりと目を合わせると、きゅっと口角を上げ、笑顔を見せる。その笑顔は亡き母、チレッタに瓜二つで思わず目を見開いてしまう。

    「とうさまがかなしそうだったから、大丈夫ってたくさん言ってたけど、大丈夫じゃなさそうだったから、ルチルがお水入れてあげようとしたけどだめだったから……だから、こうしたらとうさま、笑ってくれるかなって」

     もう一度挑戦するでもなく、すっぱり諦めてしまうでもないルチルのもうひとつの選択肢に、
     無意識に涙が溢れ出す。この子たちの前では泣くまいと、心に決めていたはずなのに。

    「とうさま、涙が出てるよ? やっぱり大丈夫じゃない……?」
    「ごめんねルチル、もう大丈夫。心配かけちゃったね。父様はルチルの優しい気持ちが嬉しくて涙が出たんだ。人の心を思いやれる優しさを目一杯持っているルチルが、父様は大好きだよ」

     涙を拭い、口端を持ち上げる。嬉しくて涙が出る、という言葉の意味はきっとまだ理解していないだろう。それでも、モーリスの表情に安心したのか、ルチルは花が咲き綻ぶような満面の笑みを見せる。そうして笑うルチルを、そっと胸の中へと抱き寄せる。本当に、この子のあたたかい優しさに救われるばかりだ。彼女が残してくれたルチルを、そしてミチルも、これからは僕が守っていく。魔法使いの約束のように、人間の僕に証明できる手立てはない。それでも、この約束を胸に刻んで生きていく。いつまでも後ろを向いてはいられない。前を向いて、進んでいかなくてはならないのだ。立ち止まってしまいそうになる僕を連れ出してくれるのは、いつだってルチルとチレッタだった。
     
     緩やかに顔を上げると、カーテンの隙間からうっすらと淡い光が入り込む。もうすぐ、夜が明ける。
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