平凡で特別な贈り物を 心底面倒な任務を仕方なくこなしてやり、魔法舎の広間へと空間を繋げた。大階段の側から無邪気な笑い声が聞こえてきて、振り返るとルチルがフィガロとミチルと談笑を広げている。
その表情に、ちょうど目が止まったのだ。
気の抜けたように笑う姿を見て、ああ、やっぱりしっくりくるな、と思った。
先日、ミスラとルチルを含めた魔法使い8人で、大鴉を鎮めるまじないの儀式を取り行った。
その際、終始思い悩むように眉を顰める表情がどうにも見慣れなかったのだ。
ミスラの言動に立て付く勢いもなく、思い悩むように眉を引っ提げ、口を噤む。無事儀式を終えた後だって、ほっとしたような、泣き出してしまいそうな顔で笑うから、またよく分からなくなった。だったら直情的にバスケットで殴られる方がまだましに思えるくらい。それくらい不自然で、見慣れないものだった。
遠目から、ルチルに向かって視線を送る。
いくらじっと見つめても、会話に夢中なルチルはミスラの眼圧に気がつくことなく談笑を続けているようだ。
フィガロがいる手前、歩み寄ってやるのは癪だと思い、視線を送り続ける。すると、へにゃりと下がる眉が、ストンと胸中に落ちてきた。ああやって笑っていればいいのに、最近のルチルは変な顔ばかりする。
守りとして与えた貝殻のブレスレットが壊れたから、次の日に別の守りを作って渡した。しかしルチルは『お守りですか? ……ありがとうございます』と、困ったような笑みを向けてきたのだ。思い通りの反応はおろか、与えてやっているのに、これっぽっちも喜びやしない。ミチルからルチルの誕生日が近いと聞かされ『何か欲しいものはありますか?』と、直々に聞いたところで『この前お守りをいただいたので、これ以上は何もいらないです』と、謙遜してくるときた。
ミスラの前では見せない笑顔に、だんだんと苛立ちが募ってくる。むしゃくしゃしてオーエンでも呼び出してやろうかと思ったところで、視線に気がついたのか、ルチルが駆け寄ってきた。
「ミスラさん! 任務終わりですか?」
「まあ……はい」
ふっと視線を落とせば、ルチルは口端を持ち上げ、にこにこと微笑んでいる。すこぶる機嫌が良さそうだった。
「そういうあなたは、何をそんな夢中で話し込んでいたんですか?」
随分浮き足立っているように見えますけど、と付け加えると、ルチルは上機嫌で口を開く。
「南の国のご近所さん同士が婚約したとの一報が届いて。それでこの前帰省したときに、プロポーズに花束と指輪をプレゼントしたっていうお話を聞いて、すごい素敵だよねってみんなで盛り上がってました」
「はあ…………」
「贈り物ってすごく特別に思えますけど、その中でもプロポーズは一生の思い出に残るくらい特別だと思うので」
自信たっぷりに言い切るルチルは晴れやかだ。曇ったように思い悩んでいたとは思えないくらい晴々とした表情に、婚約を告げてきた在りし日の彼女が被る。
「あなたも、特別な指輪や花束が欲しいんですか?」
「欲しい……うーん……私は魔法使いだから結婚を含む約束は出来ませんけど、送りたいと思ってくれたその気持ちが嬉しいですね」
実際、指輪なんて貰ったことないから分かりませんけどね、とあっけらかんとする。
指輪なら露店で購入せずとも、呪術で作り出すことが出来る。いくつか特別な材料が必要ではあり、かつ丸2日かかるが、特段難しい術ではない。
ミスラ自身も何度か作り出したことはあるが、指輪に関しては誰にも渡したことがなかった。守護の意味合いも込めてだが、指輪を渡したらこの人は一体どんな顔をするだろうか。先の未来に興味が湧き、心臓が一気に脈を打つ。ルチルの誕生日は確か7月1日。ちょうど3日後だ。
「ルチル」
「はい?」
「3日後、楽しみにしててくださいね」
訳がわからず、困惑したように首を傾げるルチルを横目に呪文を唱え、扉の向こうに足を踏み入れた。
◇
虹色トカゲの尻尾に、南の鉱山から採掘されるジルコニウム、北端の洞窟の最深部からしか取れないプラチナ、嵐塩に中央原産の聖水。
材料となる生き物や飲み水は手頃に手に入るが、問題なのは鉱石だ。
必要な材料を揃えるため、ミスラは面倒な南と北から攻めていくことにした。
南の乾風は相変わらず肌に合わないし、殺風景で物足りない。それでいて北端の洞窟は厄介な魔法生物の巣窟となっており、かなり面倒だった。群れで攻めてくるドラゴンを、ため息をつきながら蹴散らしてやる。眩い光と共に石の割れる音がして、転がったマナ石の光の先に、より一層煌びやかな光を放つプラチナが見えた。
残りの材料は、虹色トカゲの尻尾に、嵐塩と聖水。
トカゲは魔法舎近くの森で見つかるし、塩と水は中央の露店に行けば良い。誕生日という特別な日に誰からも貰ったことのない指輪を渡せば、さぞ喜ぶだろうと思った。ルチルの気の抜けたような笑顔を想像する。蟠りが解けるような、宙にふわっと浮くような、なんとも形容し難い気分になる。
北の地から魔法舎へと空間の扉を繋げ、近くの森へと足を踏み入れる。早々に虹色トカゲを捉えたあと、沼地からイボガエルが顔を出しているのを発見した。そういえばあの人、このカエルで絵描いていた気がするな……。魔法で取り出したバスケットの中に、沼地から一気に引き上げた大量のカエルを入れ込んでいく。プレゼントが一つや二つ増えたところで、大差ないだろう。
最後は中央の露天に赴き、嵐塩と聖水を購入した。以前ルチルにちゃんと対価は支払わないといけませんよ、と言われたことを思い出し、商人に銀貨を手渡すと途端に腰を抜かした。金を支払ってやっているというのに、ひぃひぃ嘆いているから意味がわからず首を捻る。ミスラははあ、と歎声を落とし、店を後にした。
途中で花屋に目が止まり、ルチルの言っていた花束もつけてやろうと思ったが、思いとどまった。呪文を唱え、自室へと戻る。
一から順を踏み、指輪を作る最中、脳内に浮かぶのはやっぱりあの笑顔だった。最近はもうずっとミスラに向けられていないはずの顔が、張り付くように思い返されるからモヤモヤする。この北のミスラが身を粉にして作ってやっている。それに、これはルチルが貰ったら嬉しいと公言したものでもある。魔法陣を描き、材料を鉄鍋に入れていく。パチンと星が弾けて、火花が散った。
早くルチルに渡して、どんな顔をするのか見たかった。
◇
「わあ、すごい量……!」
翌日、バスケットを覗き込むルチルの驚嘆顔に、賢者の雄叫びが加わった。
絵を描くことが好きなルチルが好きなだけ押し潰せるようにと大量に入れてきたが「相変わらずぼんやりさんだなあ」と、腑抜けた声で笑っていた。それから元の沼へと返してくると言い出すんだから驚いた。カエルの絵を描いてきて、二人に見せにくるとも。
気の抜けた笑顔がミスラに向いてすっかり上機嫌になるも、嬉しいと言いながら受け取れないというルチルの言葉はチグハグに感じてしまう。そんなミスラにぺこと一礼して、踵を返したルチルの背がちいさくなっていく。
「ルチル、行っちゃいましたね」
「……本当あの人、よくわかりませんよ。嬉しいと言いながら、俺からのプレゼントを受け取れないだなんて」
ぼそりと悪態をつけば、ふっと声が降ってくる。
「ルチルはミスラが喜ぶかもしれないって思って、わざわざ時間をかけて取ってきてくれた過程が嬉しいんだと思いますよ」
「はあ……過程……?」
「はい。だって喜んで欲しいと思う気持ちって、自分にとって大切な人にしか湧きませんから」
そう言った賢者の目尻が、くしゃっと下がる。
「自分にとって……大切……」
「その気持ちはミスラにとって、ルチルは大切なひとだという何よりの証明になります。ルチルはカエルを潰して絵を描くことはしないから受け取れないと断ったけど、だからといって贈り物が嬉しくなかった訳じゃないと思いますよ」
自分にとって大切。贈り物が嬉しくなかった訳じゃない。賢者の言葉の端々を理解しつつも、まだ疑問は残るばかりだった。
「ミスラ、このままルチルの元へ行ってみたらどうでしょうか。わからない気持ちごと、本人にぶつけてみるのも一つの手かもしれませんよ」
賢者の提案に、無言で数秒考える。次第に考えるのが面倒になってきて、とりあえず沼までの扉を開く。開いた先には前屈姿勢の麦色のコートが見え、慌てて手を伸ばした。
「ちょっとルチル⁉︎ 危ないじゃないですか」
「えっ、ミスラさん⁉︎ すみません、沼に戻してあげようとしたらつんのめっちゃって……」
亜麻色の髪の中心に手を当て『ミスラさんに迷惑をかけてばかりですみません』と、困ったような笑みを向けてくる。
「……それがいまいちよく分からないんですよね」
「えっ……?」
「あなたには、さっきみたいな腑抜けた笑顔の方が似合います。それなのに、最近はその顔ばっかりしているから」
言い切った直後、ざあっと木の間を突風が駆け抜ける。ルチルはまるで狐に包まれたかのように、ポカンと口を開けていた。
「いつもいつもあなたは俺の言うことを聞かないし、非力で役立たずな南の魔法使いだ。その癖、一丁前に述べてくる意見は、俺には何ひとつ理解できない。俺の力を頼ればいいのに、いつだって自分でなんとかしようとする。……俺は、あなたに死んでほしくないんです。気の抜けたような顔で笑うあなたが、冷たい石に成り果てるのを想像すると…………怖くてしょうがなくなります」
約束は絶対。ルチルが石になった瞬間、ミスラの魔力も同様に消えることになる。でも、それ以上にルチル自身がいなくなることに恐怖を覚えた。鬱陶しかったはずの存在が、いつの間にか、賢者の言う大切な存在に変わっていたのかもしれない。
ミスラが視線を落としていると、ふわっとハーブの香りが鼻をつく。次の瞬間には、首に腕が回され、頬に柔らかな感触が降ってくる。
「幼い頃、私が落ち込んだりどうしようもなく悲しい時、こうして母や父が頬にキスをしてくれたんです。だからミスラさんにとっての恐怖を、少しでも和らげられたらと思って……」
今度はミスラの方が狐に包まれたかのような顔で、目を見開いた。
「私の存在は、ミスラさんにとっては枷で厄介な約束だと思っていました。自分の意思で石を食べない選択をして、でも、それでは強くなれない。ミスラさんに迷惑をかけてしまう。……最近はずっと思い悩んでいました。だからお守りをもらうたび、もっと練習を積んで、ミスラさんに顔向けできるように頑張らなきゃって……でも、さっきのミスラさんの一言で、この前の任務の答え合わせができたように思えました」
ぐっと顔を上げるルチルの表情に、曇りは見えない。
「これからもきっと、迷惑をかけてしまうと思います。それに、分かり合えない意見や衝突も、何度だってしてしまうかもしれません。でも、分からなくなったらこうやって話し合うのがきっと一番の近道になると思うんです。……私達は魔法使い。少しづつでも良い。悠久とも取れる時間の中、言葉を交わしていきながら、ミスラさんのことを教えて欲しいです」
ルチルの萌黄色の瞳は真剣だった。沼からは先ほど放ったカエルの大合唱が聞こえてきて、温度差にふっと笑いが込み上げてくる。
「っはは、うるさいカエルだな。でも、あなたの言っていることが少しだけわかった気がします」
ゆっくりと顔を上げると、釣られたように屈託なくルチルも笑う。この顔だ。この表情を見るとなんだか安心する。
「ミスラさん、ここまで追いかけてきてくれてありがとうございました。ううん……ここはありがとう、ですね」
「どういたしまして。これくらい、造作もないですよ」
さっきとは打って変わって、ゆったりとしたそよ風が、二人の間をすり抜ける。陽の光が水面に反射して、キラキラと輝いて見えた。
◇
そうして迎えた、ルチルの誕生日当日。
早朝だと言うのに、なにやら調理室からは金属音が聞こえてくるし、昼前ともなれば、魔法舎中からひっきりなしに「おめでとう」の声がこだましていた。
2日前から取り掛かった呪具の指輪は、無事形にすることができた。
魔除けの魔力も十分こもっているし、なにより二種類の鉱石を使っているからか、どの角度から見てもピカピカと光り輝いている。魔法で小さくした木箱にリングを挿し込む。これを渡したら、ルチルがどんな顔をするのか楽しみだった。
ルチルに渡しに行こうと扉を出た直後、賢者と鉢合わせた。目があったかと思えば「あの後、ルチルと話し合えましたか?」と案の定お節介を焼かれる。「……話しましたよ」と、ミスラがぶっきらぼうに告げれば、賢者は満足そうに笑う。それからふっと賢者の視線がミスラの手元に落ち「ルチルなら今、談話室にいますよ」と、居場所を教えてくれた。用件を告げていないのにも関わらず、意図を汲み取るような物言いに、思わず拍子抜けした。
談話室に向かえば、なにやら人で溢れかえっているようだった。シャイロックの隣でムルが宙返りをし、ラスティカのチェンバロが高らかに響く。周辺にはクロエにシノにヒースクリフ。双子とミチルにリケ、あのデカいのはレノックスか……? その隣には、北出身のヤブ医者もどきが居座っている。そんな輪の中心で、光を写すブロンドが見えた。
「ルチル」
そう名前を呼べば、亜麻色がさらりと揺れる。
「あれ、ミスラさん? どうしたんですか」
「あなたに渡しに来たんですよ、これを」
手中の木箱を開ければ、鈍く光を放つ指輪が鎮座する。ルチルが返答の返答を待つ間もなく、談話室中がどよめき始めた。どこかしこからもやけに視線を感じる。いち早く事態を察知した双子がキャーキャー騒ぎ立てながらミスラの周りを旋回する。
「それ、鬱陶しいのでやめてください」
と一喝しようが、たいした効き目はないようだ。ベタベタと引っ付き「そういうことなら早く言ってよミスラちゃん」「のう、ミスラちゃんも青いのお〜」と、キャッキャと二人の世界に入り込んでいる。
はあ、とため息を落とし、ルチルに顔を向け直す。
「あなた、貰ったことないんでしょう? 守護の魔法をかけた、守りの指輪です。俺が作りました」
「まあ……私の為に作ってくれたなんて嬉しいです。ミスラさん、ありがとうございます」
ルチルの浮かべた柔らかい表情に、じわじわと嬉いが込み上げてくる。
「ルチル、手出してください。俺がつけてやります」
「えっ?」
まごつくルチルの左手を掴み取り、左薬指にぐっと嵌め込む。その瞬間「ええ〜〜っ⁉︎」とクロエの絶叫が響き渡り、額に青筋を浮かべたフィガロの面が目に入る。
付き纏うように旋回していた双子は互いに目を見合わせていて、チェンバロの隙間から「おや、何かお祝いかな?」と、呑気なラスティカの声が聞こえてくる。
目の前のルチルでさえ困惑したような、頬が赤くなっているような……なんだか変な顔をしているからミスラはふたたび首を傾げた。この指に嵌め込むことでより守護が強化されるからと嵌め込んだだけなのに、こうして騒ぎ立てる意味がわからない。
「この指が一番効果が出やすいんです。新たな守りとして、肌身離さず身につけていてくださいよ」
ルチルは上気した頬のまま、ポカンと口を開いている。
「あ、花束がどうとか言っていましたけど、あれは尻で踏み潰しそうなんでやめときました。これなら潰れないでしょう……って、いった、ちょっと何するんですか⁉︎」
さっきの惚けた顔は何処へやら。小脇に挟んだスケッチブックでバシバシ叩いてくるから、両手でガードする。ルチルがわなわなと肩を振るわせながら、
「ミスラさんのバカ! 一言多いです!」
と、上気した頬のまま、眉を吊り上げている。
「なになに、今度はケンカ? それともプロポーズの言葉が気に食わなかっ——」
「こらムル。すみません。よく言い聞かせますので、あとはお二人でどうぞ」
華やかなチェンバロの音に混じった、困惑に動揺。ごちゃまぜになった談話室でルチルは耳朶まで真っ赤になった顔で「もうミスラさんなんて知りませんからね!」と、指輪を嵌めたまま走り出す。
指輪を渡した時にルチルが見せた、腑抜けたような柔らかい笑み。困ったように笑うルチルはなんだか変な顔で気に食わなかったけど、それよりかは、今のように怒っている顔の方が分かりやすくてずっと良い。
ルチル同様ふっと柔い微笑みを浮かべたミスラは、ルチルの背を追い、談話室を後にした。
fin.