H暦二年十二月三十一日「それでは神宮寺先生、よろしくお願いします」
「わかりました」
年末年始。夜勤の引き継ぎを終えて寂雷はミーティング室から出る。一般外来が休みのためか、いつもより静かな病院内を寂雷は歩いていく。救急対応や入院病棟の緊急コールさえなければ、この夜勤の時間は自由にしてもいいのだ。
寂雷はある病室の前で止まると、そっと扉をあける。ガラガラと引き戸の音が廊下に響いた。
「衢くん、来たよ」
ピ、ピ……と規則正しく鳴る電子音に安心していいのか、寂雷にはわからなかった。そばに置いてある丸椅子にゆっくりと腰掛ける。するとゴーンと微かに鐘の音が聞こえてきた。
「ここからでも除夜の鐘が聞こえるんですね。もうすぐ年が明けるようです」
病室の窓からは車のライトやビルの明かりらしきものがチラチラと映っているが、人のざわめきのようなものは聞こえない。空間にはただ、衢の無機質な心音と鐘の音が広がるだけだった。
「みんなで年越しをして、春になったら花見をして……なんて話をしていましたね」
一郎と左馬刻はあまり乗り気ではなかったようだけど、と二人の顔を思い出して寂雷の顔がより翳る。
飴村乱数に、衢について問いただしているあいだに彼らにも何かが始まって、そして終わっていた。溜まり場になっていた乱数の事務所に行くこともできず、気がつけばバラバラになってしまっていた。
「ディビジョンラップバトルというものが始まるそうです」
そっと、衢の手を撫でる。数週間、日の元に出ていない肌はより白くなっていた。
「もしかしたらきみを救えるヒントが得られるかもしれない」
ディビジョンラップバトルが中王区の主催である以上、彼女たちの掌の上だということはわかっている。しかし同時に、もうそこにしか手がかりがないだろうということも寂雷は感じていた。
「それまで……待っていてください」
包み込むようにして衢の手を握る。
除夜の鐘の音が、またひとつゴーンと聞こえてきたのだった。