aokbワンドロライ 悪いこと/日常/名前を呼ぶ 世界はずっと色褪せていて。
カブと出会うまでは食う寝るくらいにしか興味は無かった。
アオキくーん!
大きく手を振って自分の名を呼びながら朗らかに笑うカブにアオキは小さく微笑む。
ああ、愛おしかった。
彼のすべてが愛おしいのだから不思議なもので。
カブの声が大きくて良かった、多少遠くに居てもしっかり聞き取れる。
体は小柄な方なのでこの世界にカブの成分が少ないのは惜しまれるけれど、アオキの腕に収まりやすいので良しとしよう。
その姿も、声も、笑顔も、潔いその立ち振る舞いも、カブのすべてに焦がれていた。
ああ、良かった。
これまでのカブの人生の中で番とやらが現れなくて。
きっと誠実なカブならばその相手と最後まで添い遂げてしまうだろうから。
アオキは過去などに興味など示さないが、カブのことであれば話が変わって来る。
どうだっただろうか?過去に誰か、本当に居なかったのだろうか。
番う相手を探して歩くカブを放って置いたとしたら……これまでカブが出会ってきた者の目は節穴なのだろうか、と。
いや、節穴で居てくれてありがとうございます。
お陰様で今自分はカブさんと共に過ごせるので感謝しかありません。
アオキは両手を胸に置いて心から感謝の念を抱く。
カブは本来旅狼なので番を探して旅をする一族だったが、番が現れないまま繁殖期を終えてしまい居心地の良いこの森に住む珍しい狼だ。
本来群れを成して行動する羊族であるのに個別行動を繰り返すアオキの言えたことでは無かったが。
多様性の時代なので、旅狼が森に一人で住居を持っていても良い。
勿論黒羊が狼の住処に転がり込んだって良いし、黒羊が狼に恋をしたって自由なのだ。
アオキはカブが好きだ。
そしてカブは隙だらけだった。
虎視眈々とカブの恋人の座を狙ってはいるものの、ライバルが居ないのでのんびりと構えてしまっているのも事実。
それでもカブと共にゆっくりと日常を過ごすのも悪くないので今日も今日とて朝のランニングに付いてきたある日のこと。
「カブさん!!」
「ダンデ!」
ガタイの良い大きな大きなライオンの名前を呼び捨てにするカブを見てアオキは衝撃を受けてしまうのだった。
「カブさん」
「なんだい?」
カブがランチとしてスープを作っている後ろでアオキが真面目に話しかけて来た。
あまりに真面目なアオキのその表情にカブは思わず手順を間違えたかと不安を覚えて手元を確認する、間違ってはいない。
「先ほどのダンデさんとはどういった関係ですか?」
どうしよう……呼び捨てする人が出てきちゃったけどもしかしてイイ人なんだろうか?
ああ、聞きづらい、うじうじしちゃう、どうしよう、ああ、もやもやするうぅ…………!!
なんて、キャラでは無いので。
アオキは目的遂行、問題解決するためにまどろっこしいことはしない合理主義、効率重視の男なのでズバリと質問をする。
「……ああ、ダンデは……この森に住む動物たちを率いるリーダーみたいなものでね。ぼくとはたまにパトロールをしたりするんだよ」
思ったよりも吃驚する内容でも無かったのでカブは作業を再開していつも通りに味を調えていく。
今日もアオキの好み通りに出来ただろうかと味見をしていたその時だった。
「いえ、そう言うことではなく……恋仲のようなものではないのか、と」
アオキに言われてカブは一度真顔で固まって、ゴックンと大きく咀嚼音を立ててスープを飲み下す。
ダンデと自分が恋仲であると言う言葉を自分の中で文字として起こし意味を咀嚼して……腹の底から湧き出た笑いをそのままに噴出してしまう。
スープを飲み下していて本当に良かった。
「な、なんで……ぼくとダンデが、恋仲、って! そんなわけないだろう!」
「そんなわけないことは無いかと」
「いやいや、ぼくと彼がどれだけ年が離れていると思って居るの」
「……恋愛に歳は関係ないでしょう」
それはそうだ。
実際ダンデ程ではないが年の離れたアオキにカブは恋心を抱いている。
想いを告げるつもりはないが、きっとカブはアオキのことを思い続けるのだろうから。
「ああ、そうだね。今のは間違ってたね……でもね、ダンデをそんな風には見ること無いと思うよ」
「……それは何故か聞いても良いですか?」
今日は随分と勢いよく食いついて来る、と思いながらもカブはとりあえずアオキを落ち着かせようとスープを差し出す。
アオキはするするとスープを飲み干してパンに合いそうだ納得したように感想を述べてまた答えを求めてカブを見つめて来る。
「何故か、と言われると……やっぱり子供の頃から見守ってきたし、ダンデとは戦友のようなものだからね……正直考えたことが無いというか」
アオキの問いに真摯に答えたのに何故か彼はまるで納得していないような表情でカブを見て来る。
しかし納得は頂けなくともこれが事実だ。カブはダンデをそういう目では見ないし、好きなのはアオキだったから。
ただアオキが好き、という部分は告げるつもりはないので話は進まないのだけれど。
「というか、どうしていきなりぼくとダンデが恋仲なんて発想になったんだい?」
聞きながらもカブが食卓の準備をしているのでいつもの日常動作なのでさして思考を割かずに自然と手伝うアオキ。
あくまでも今思考を割くべきは重要なこの会話である、という。
「……ダンデさんを呼ぶ際に、呼び捨てだったので」
「え?」
「呼び捨て、していたので」
「……いや、呼び捨てしただけで恋仲にはならないだろう…………?」
「……でも、珍しいですよね?」
「そうかなあ…………?」
そうだろうか、と思ったが確かにカブは大体の人にさんやくんを付けている。
だがヤローやルリナには呼び捨てだし、やはりその発想は不思議だ。
「……アオキくんも呼び捨てにされたいのかい?」
「呼び捨て……」
カブから呼び捨てで呼ばれる……それはそれで素敵な響きに違いない。
特別な呼ばれ方をする、きっとそれは甘美だろう。
「そうですね、お願いします」
「えっ!?」
「是非」
さあ、とアオキが呼び捨て待機をしているが……カブは自分から言い出したことだったが大いに焦る。
アオキを呼び捨て……それは何故かとても悪いことをしているような気になってしまう。
別にただ名前を呼ぶだけなのに、何故こんなにも疚しいのか。
「あ、あの…………! あのねアオキくん!」
「アオキです」
「知ってるよ!」
「ならばどうかアオキと」
カブは今にも走り出したい気持ちで後退する。
ああ、ああ。何故疚しいのか、そんなことはわかっているのだ。
カブのこの秘めたままの恋心がいけない。
アオキ、と呼ぶ自分を想像するだけでこんなにも。
「ああぁあのね、ぼく、ちょっと走り足りなかったみたいだから…………!!」
「いけませんね」
小柄な体を大きな腕で拘束してアオキが逃げ出そうとするカブを捕獲した。
「約束を破るのは悪いこと、ですよね」
「やや、約束!?」
狼の耳をビンビンに立てて焦り散らかすカブをアオキは鷹揚に頷き更に抱き締める。
「ええ、約束です」
「約束!?」
約束、したっけ?!あ、したのかな?した…………したのかもしれない?
いや、してないんじゃないかなあ……ぼく呼び捨てするよって言ったっけ?
焦りすぎてうっかり言っちゃったのかもしれないね、いやでも呼び捨てよりも今更にとんでもないことに。
「アオキくん! これは」
「アオキです」
「知ってるよ!!!!」
ああ、エンドレス。
呼び捨てするまで出れま10が始まってしまった。
別に悪いことなど何もしていないカブが逃げだすことに成功するか、それともアオキの主張が通るのか。
それはお天道様にしかわからなかった。