aokbワンドロライ もしも/すれ違い/夜更かし 番を探し求めて旅に出る狼の一族であるカブは今、全く種族の違う黒い羊のアオキに恋をしていた。
勿論成就したいなどとは思って居ない。自分は狼だから、歳だから、釣り合わないから……などの理由ではない。
ただただ、アオキが傍に居てくれるだけでカブは満たされていたから。
それでももし、なんて考えないわけではない。
もしもの話なんて無駄な話だとは思うけれど。
例えば、きみが。
例えばぼくが。
あの日、この時とああだこうだと語っても状況は何も変わらなくて。
ただ、もしもきみがぼくのことを好きになったら、なんて考えてしまったのだ。
そう考えるだけでもとても幸せだなと気づいてしまってからカブの満たされていた世界は何かが欠けてしまっているような気がしてしまって。
満たされるために他の何かで補ったり注いだりしてもそれは満たされないと気づいてしまえば虚しさが波及していくようで。
どうしたら良いのかわからなくなってしまった。
そんな、甘酸っぱい感情は知らない。
歳を十分に重ねてからの初恋はどうにもカブには重すぎてようで。
もしも、ああ、でも。
そんなことを考えていたら夜を更かすどころかそろそろ明るくなる時間になっていた。
こういった感情の消化の仕方など誰も教えてくれないし、番を見つけることが出来なかった旅狼のカブには学ぶ機会も無かったから。
熱くてどうしようもなく深く息を吐いて熱を冷まそうにも吐いた熱にすら焚きつけれれてしまいそうな程に熱くて。
己の発する熱や早鐘を打つやたら甘い鼓動に悩まされてカブは珍しく眠れる夜を過ごしてしまったのだった。
「ん……」
カブが目覚めて直ぐ、視界に入れたのは何故かリビングだった。
自分は既に身支度を済ませていて、テーブルの上に座っていて、目の前には規則正しい朝ご飯が並んでいる。
昨夜夜更かしをした訳でもないし、したとしても朝はすんなり起きることが出来る自信はあるし寝室からここまでやってきた記憶が飛ぶ筈がない。
おかしい、自分は早くに起きて毎朝トレーニングへ向かう程には朝は弱くは無い、筈なのに。
まさか早すぎた認知症……いやいや若年性認知症もあると聞くし、いやいやいや待て待てとカブが朝から穏やかではない心境で朝食を確認する。
食事は……まあ当然同居人のアオキが作ったのだろう。今日も美味しそうだ。
タンパク質、ビタミンと朝から補給したいものがしっかり揃っている。
しかし自分はどうやってここまで来たのだろう、と。
「……まあ、アオキくんがぼくを運んだと考えるのが自然だけどね……」
首を傾けて悩んでいるポーズをとりつつ頭の上でピンと立って居るオオカミの耳も小刻みに揺らしながら振り返ってみる。
「いや……自然では絶対無いね」
果たしてアオキがカブを運ぶ必要性はあったのか?
声をかけて起こせばいいだけだ。
そもそも運ばれている間にカブが起きないのもおかしなものでは?
昨晩は食後アオキと様々な会話をして、いつも通りにストレッチをしていつも通りの時間に寝て……そして今に至る。
いつも通りの規則正しい就寝だったが起床がいつも通りではない。
「おはようございます、カブさん」
色々と考えを巡らせていたら、アオキがエプロン姿でリビングの入口に立っていた。
思考を止めてそちらに意識を向けると彼は無表情だが……最近のカブはこのアオキが機嫌が良いのだと理解している。
「……おはよう、アオキくん。これ全部きみが?」
「はい」
「ぼくのことをここまで運んだのかい?」
「そうなりますね……因みにルーティンの朝のランニング時間は少し過ぎています」
「え」
慌てて外を見ればいつもより日が高く昇っている。
どうやら今日は良く眠ってしまう日だったようだ……夜更かしが祟ってしまった。
「成程……ぼくは今日、本当に深く眠っていたんだね」
「そうですね。歯磨きをしても良く眠っていました」
とんでもない発言が飛んできてカブが狼狽を通り越して絶望に表情を崩してしまう。
介護。
そんな言葉が過ってしまうのはもう仕方がない状況じゃないだろうか。
「……嘘だろう?」
「本当です。着替え、髪のセットも既に終えているので朝食を召し上がったらストレッチをすれば出発出来る状態にしています」
「……うわあ、」
嘘だろう、と思いたかったが自分を確認すると確かに起き抜けの不快感は無くすっきりしている。
ここまでされても寝ていたなんてオオカミとして如何なものかと。
目の前の黒い羊、アオキのステルス能力が高いと言ってもこれは不覚。
「飯が冷めてしまいますし、出発が遅れるとその後の予定もずれ込んでしまいます……召し上がってください」
朝食が一番大事だと主張するカブと三食全て大事だと主張するアオキ。
既に予定が遅れているから朝食を抜く、という選択肢はアオキにもカブにもない。
しかしこの状況にカブは項垂れてしまい直ぐに行動に移せずにいる……その後の予定も精々食料調達や仲間たちとの会合なので問題は無いだろう。
「……いつもありがとう。いただきます」
「どうぞ」
食への執着が激しいアオキの用意した朝食はやはり美味しそうだ……実は最近、この光景はあまり珍しい物でも無くなっているのだ。
ここまで至れり尽くせりなのは初めてでも、このアオキがカブのために食事を用意してくれるのは最早日常に溶け込んでしまった。
いつも気だるげな表情をしている癖に、朝に起きてきちんと身支度をしてエプロンを付けて食事を作る丁寧な暮らしっぷりを見せている。
「修行不足だね……」
「はあ……そうなんですか?」
カブがぼそりを呟けばアオキが意に介していないような、赤の他人が聞けば興味が無さそうな返答をしながら自分も朝食を始める。
そんなアオキを見ながらカブはくたびれてしまうような……だがカブの目には本日のアオキも変わらず整って見えてしまい浮足立つような。
こんな感情に気づいてからこのような醜態を見せてしまうなんて、などなどの様々な感情を持て余してアオキに聞こえないようにため息を落とすのだった。
このままではマズイ。
アオキにカブの介護をさせてしまっている。
別にアオキと結ばれたいとは思わないと思っていたとしても、こんな醜態を晒して呆れられたりされて良いわけではない。
「お昼はぼくが用意するよ!」
朝の挽回をせねば、とルーティンを終えて直ぐに宣言をするカブ。
しかしアオキはもう全てを終えているようで片手を緩く上げてカブを制止する。
「いえ、既にもう昼飯の準備は整っています」
「……え?」
「因みに掃除、洗濯も終えてますのでカブさんは予定通りに過ごしてください」
淡々と告げられてカブは二の句が継げずに固まってしまう。
挽回すら許されないのか……隙が無さすぎる。
いやしかし、カブとて年上としての矜持があるのだ、こんなことでめげるような性格でもない。
「じゃ、じゃあ夜はぼくが用意をするから休んでてくれるかい?」
カブの必死の形相にアオキは普段動かない表情筋を少しだけ動かして驚きを示すがそれだけだった。
勿論カブのことならば気にはなるが、まあ朝の一件が合って色々気にしているんだろうと言うことは容易に推察出来たのでそれ以上は追及しない。
「……わかりました」
「うん! 独身歴長いから料理はそれなりに作れるから任せておいてくれ!」
そう言ってカブが胸を張るが、アオキはその辺を心配して家事を請け負おうとしてわけではない。
これはアオキのアオキによるアオキのための長期目標、カブを合法的にアオキに縛り付けるための作戦の一環なのだから。
短期目標として先ずは胃袋を掴む、その次にアオキが居ないとダメになるように仕向ける。
胃袋の方はしっかりと掴めていると手ごたえを感じたので今朝、次の段階へと駒を進めたが少しやり過ぎだったか。
先ずはカブが珈琲が欲しいと思った瞬間に珈琲を出せるくらいに留めておけばよかったか……しかし今日のカブは中々起きなくて、それが可愛くてついついお世話のチキンレースをしてしまった上に無事完走してしまった。
とても楽しかったとアオキに後悔の二文字は無い。
「ならばそれで良いんでしょうね」
「……ん? うん、勿論だよ!」
まるですれ違ってはいるが話は双方にとって都合の良い方向に進んでしまった。
カブはアオキに嫌われないように必死で、アオキはカブを捕えて離さないことを必然として動いている。
既にもうアオキの短期目標が進んでいるので、この条件だとカブが捕まってしまうのはもう時間の問題だろう。
今現在夕飯の献立に夢中なカブには思いもよらないことだったけれど。