aokbワンドロライ お花見/笑顔/宝探し 番を探して旅に出る旅狼。
たったひとり、愛おしい人が見つからなければ死んでしまう。
きっと会えると信じて旅に出たのに婚期は無情にも過ぎてしまい、旅狼のカブはたったひとりで森の中。
今日も今日とて他の種族と元気いっぱい生活していた。
そんな馬鹿な、旅狼のくせにと言われても見つからないものは見つからない。
探してさえいれば番とは引き合うとは言っていたが、カブの番は生まれてこなかったか死んでしまったかしたのだろう。
存在するかもわからない宝探しなんて不毛なので、カブはトレーニングを重ねて己の筋肉を育てていたい。
さあ、今日も朝のランニングに行こうとカブが住処から足を踏み出そうとした時だった。
「カブさん、おはようございます」
ぬ、と気配も無く姿を現したのは最近カブの住処に住み付いた黒い羊のアオキだ。
別に部屋は余っているしアオキは食事を運んでくれたりとありがたい存在なので特に問題はなかったが……果たして羊がオオカミの住処に住み着くのは如何なものか?
そうは思ってもカブはアオキにこれと言って進言はするつもりはない、好きにしたら良いと思っているし繰り返しにはなるがアオキが傍に居るのは悪くないと思っている。
カブはアオキの姿を見てあの日、なんてことない挨拶をするような軽いノリで発せられた突拍子のないアオキの台詞を思い出す。
「つきましては自分を飼ってみませんか?」
なんて言われてそのまま居ついて今日もしれっと朝の挨拶をしてくる自由な黒い羊。
オオカミを前に命の危険など到底感じてはいない、なんならあのぼんやりとした顔で朝ごはんどうしようか、くらいのしか考えていないだろう。
カブが寝起きのアオキを見て感慨深げに色々回想していたが、当のアオキは不思議そうにカブを見ている。
「ああ、おはようアオキくん。今からランニングに行こうと思うんだけどき」
「待っています」
「……あ、そうかい」
きみも一緒に行くかい?と誘おうとしたのだが最後までは言わせてもらえず。
まあ高確率で断られるとは思って居たのでカブも特に残念に思うことなく出掛ける準備をする。
それでも誘うのはたまにアオキが着いて来るパターンもあるからだ。極々たまに、だが。
「朝食、リクエストはありますか?」
「そうだね……この前のたまごサンドは美味しかったよね」
「ではそれとサラダとスープを作ってお待ちしています」
「ありがとう!」
マイペースに送り出してくれるアオキにカブも手を振ってランニングへと駆けだしていく。
残されたアオキはカブが居なくなって寂しくなり、やはりついて行けば良かったかと思いもしたが今は空腹を満たすのが最優先だ。
ランニングから戻ったカブと直ぐに食事が出来るように準備をしたいのでこれで良かったとひとり納得してキッチンへと向かう。
カブのキッチンは意外に色々な調理器具があるので調理をするにあたり困ったことは無い。
今日もアオキは勝手知ったるなんとやらでスキレットを出して調理を始める。
たまごはカブの知り合いから貰ったもの、パンは昨日作って寝かせている種があるのでそれを焼けばいい。
きっとまた笑ってくれるだろう。
カブが初めて笑顔をくれたあの日からずっと。
ずっとずっと飢えているような気分だ。
アオキと過ごす中でカブは惜しむことなく笑いかけてくれるのに、何故かずっと満たされなかった。
この感情に名前は未だに付けていない。
ただカブと居れば救われるような、いっそ崇めているかのような。
飽き足らず求めて、止めどなく貪って、この希求に限りなど無いとすら。
カブを知れば知るほどもっと欲しい。
あまりにも他者に突き放されて来たから手放しに笑いかけてくれたカブに縋っているのだろうか。
黒い羊だ、不吉だと言われることに気にしているつもりはなかったのに。ああ、空腹だ。
カブと過ごす時間はいつもあっという間だ。
そしてカブを待つ時間は永遠にも等しい程に長い。
どこまでランニングに向かったのだろうか、アオキが待っているから誰かと何処かに行くことは無いだろうが話が弾めば帰りは遅いだろう。
アオキがそこまで想像して眉間に皺を寄せた時、ドアが勢いよく開かれた。
流石にここまで早いとは思って居なかったアオキは少し驚き振り返った瞬間見たかったカブの満面の笑顔にときめいて固まる。
「アオキくん!!」
カブが呼んでいる、返事をしなくては。
そこまで考えているのにカブの笑顔にガッチリ心を奪われてアオキは口を開くことは出来ず。
「ねえ、アオキくん! 森の中央で桜が凄く綺麗だったんだ!!」
「はい、?」
あまりに嬉しそうに笑うカブにアオキがなんとか返事を返すと、カブの笑顔が更に深まる。
カブの笑顔はまだこれ以上甘くなるのかと恐怖を覚えると共に、この胸は更に鼓動を速めることが出来たのか……と、アオキがいっそ自分に感心してしまう。
「アオキくん! 今からお花見に行こう!!」
「はい?」
「桜が丁度満開で綺麗だなーって思って走ってたんだけど……アオキくんと見たいって思ったら居てもたっても居られなくてね! その場で引き返してきちゃったんだ」
照れて笑うカブにアオキは自分の感情の全てが甘く蕩けそうになるのを感じる。
こんな顔で言われたらアオキの方こそ居ても立っても居られなくなってしまう。
「あ、でも……勿論きみが乗り気じゃなかったら良いんだけどね」
返事をしないアオキにカブが不安げに笑顔を曇らせるのが惜しまれアオキは咄嗟に何かを言わないといけないと口を開く。
行きたくないわけがない、カブと一緒であるならば。
カブがアオキを望んでくれるならばどこへでもついて行く。
「行きます」
「え! 良いのかい!?」
「丁度サンドウィッチでしたし、今弁当を作ります」
お花見の準備をするアオキにカブの笑顔が一気にまた明るくなりアオキはまた満たされる。
この笑顔が好きだった。どんな笑顔でも良いけれど、この笑顔がアオキは欲しい。
そのためならばなんだってするし、カブとの花見であるならば勿論歓迎する。
「桜がね、本当に綺麗だったんだ……楽しみだなあ」
「はい」
カブは番こそ見つからなかったかもしれないが、こうやって桜を一緒に見たいと思える相手が傍に居る。
それこそが宝だとカブは花見の準備をしてくれるアオキを見て笑う。
カブもアオキもお互いに傍に居たいと思うが、その理由には未だに気づいていない。
「準備が出来ました」
「じゃあ行こうか!」
「はい、」
先程はひとりで歩いた道を今度はアオキと共に歩いて行く。
それがとてもとても幸せで、カブは嬉しそうに笑っていて。
その笑顔を見ながらアオキは希望を目視しているような気分になってしまう。
空を見上げたらちらほらと桜の花びらが飛んでいて、空はどこまでも青く澄んでいて。
恋を始めるには適した日だというのに。
旅を止めたオオカミと忌み嫌われた黒い羊は未だに仲良く足踏みをしているのだった。
「桜、満開だろう!?」
嬉しそうに笑ったカブに言われてアオキは目を奪われた。
桜では無くカブに見惚れて頬を赤らめていたのだが、見惚れられた本人は満足そうに首を振ってドヤ顔をする。
「ふふふ、すごく綺麗でね。きっときみもうっとりしちゃうと思ったんだよ」
「いえ、」
「ん?」
「自分が見惚れたのは桜では無くカブさんです」
言われて直ぐに意味は理解できなかった。
何を言っているんだ、こんな年老いたオオカミに見惚れるなんて。
見惚れる?誰が?
アオキが、カブに。
「なっ!?」
「弁当、食べましょう」
カブがアオキの言葉を理解して、漸く反論しようと頭を回した頃にはしっかりと花見の準備が完成していた。
アオキの作ったたまごサンドにスープ、サラダ……それにモモンの実のデザートまでしっかりと並んでいる。
「きみ、今日ぼくがお花見に誘うって知ってたの?」
「いいえ」
「それでこの準備は凄いね……有能過ぎるだろう」
「全て今日の朝食として用意したものです、どうぞ」
ずい、と前に出されたものはカブがリクエストしたもの、更にスープも以前カブが褒めたポタージュだった。
至れり尽くせり、いっそもうカブの番はアオキでお願いしたい。
「いつもありがとう」
「こちらこそ」
「……本当にアオキくんの用意してくれるごはんは美味しいね……ずっとお願いしたいよ」
「ずっと作ります」
ずっと作る、カブのために。
それは想像するとアオキの冷め切った枯渇している部分が満たされるようで。
ああ、いいなとアオキが笑う。
「めずらしいね」
「はい?」
「なんだか今日のアオキくんの表情筋は柔らかいみたいだよ」
ニコ、とカブが嬉しそうにするのに今度はアオキが照れてしまう。
笑いかけてくれるカブにつられていたのか、笑っている自覚がまるでなかった。
「ふふ。本当に困ったね……ぼくの元々居た国では一生ぼくのスープを作って欲しいってプロポーズに言うって定番なんだけどね」
ぼく今同じようなこと言っちゃったね、あっはっは!と笑うカブ。
それを聞きアオキが何かに気づいたような、ハッとした顔をしてまた固まってしまう。
そう、台詞を付けるなら「それだ」みたいな顔だった。
「……成程、」
「ん?」
「そういうことですか」
「……どういうことなんだい?」
アオキがひとり納得しているが、カブはまるでわからずに首をこてん、と横に倒す。
カブの白い髪の上に乗っている桃色の桜の花びらが相まってとても愛らしいが、アオキは脳内でカタカタと算段を始める。
これから獲物を捕らえに行く、そのために出来ること。
一方のカブはアオキが何を言いたいのか理解は出来ずに、ただのほほんと桜を見て楽しんでいる。
アオキの意図はまるでわからないが用意してくれたたまごサンドもスープもとても美味しい。
「一生自分のスープを飲んでください」
「ん?」
「こういうことですね」
先程のカブの故郷の話を聞いての冗談だろうか?
しかしなんだかそれだけではないような。
でもカブはそれがなんだかはわからずに、ただ言葉通りに受け止め返事を返す。
「……きみの時間が許す限りスープは美味しくいただくよ」
アオキが良いと思う時間までは一緒に居て欲しい。
多くは望まない、許された時間だけ貰えるならばそれで良いのだから。
しかし欲深い欲求に忠実な黒い羊は気づいてしまった。
本日はお日柄も良く、恋をするのに適していると。
この甘くて強い感情に名前を付けてしまったのだ。
一生傍に居たい、ずっと見ていたい、笑顔を見せて欲しい。
この得体のしれない甘い感情を恋と定めてしまった。
時間が許す限り?
それならば一生ください。
全てが欲しい、限り無く隈なく余すことなく。
最初から欲しかった、ずっとずっと一番深い場所が満たされなかった。
こんなにも傍に居るのに。
ああ、満たされ方がわからなかっただけ。
満たされたい、欲しい。
空腹なのは嫌だ。
慎重にならなくては、確実にカブが欲しいのだから。
「カブさん、こちらのパンにモモンの実で作ったジャムを塗ると美味しいですよ」
「……それは絶対に美味しいね」
先ずは胃袋を掴んでやろう。
思いつく限りの全てを尽くして篭絡しなくては。
アオキが居ないと生きてはいけなくなって欲しい、もう番など探しに行かないで。
あなたの番ならばここに居るのだから。
宝が欲しかったらいくらでも捧げるから、番にはどうか自分を。
モモンのジャムをたくさん塗り付けたパンを差し出しながら、アオキはまたカブに微笑みかけるのだった。