aokbワンドロライ 言いそびれたこと/バトル/視線 アオキは基本業務外での仕事はお断りだ。
サービス残業は根絶すべき悪しき風習、絶対に許してはいけない。
こんな言葉は生まれたこと自体が間違えているし、定時退社こそ尊ぶべきだろう。
成人として、社会人として、今後どうしたって衰えていく身なのだ。
人間は決して若返ることは無く、ただひたすらに消耗するだけの身体なのだからその瞬間に見合う労働をすればいい。
そして労働の後は自身に褒美を与え心身共に日々細かく満たして生き長らえて行く。
平凡で良い。
本当に。
剣と盾、伝説のポケモンに幻のポケモン、過去に未来……そんなおとぎ話のような冒険譚は非凡な人間に任せておけばいい。
この世の殆どの人間は過去や未来からパラドックスポケモンが現れようと、ましてやなんらかの封印が解かれて世界が崩壊しようと死んだことにすら気づかずに死んでいく。
とりあえず平々凡々と生きるアオキは粛々と勤務中上司の指示通りにエリアゼロ付近を巡回しつつ、たまに呼ばれて四天王業をする。
ここまで長々と語ったが結局言いたいことと言えば、自分は業務外に働きません、命を大切に、健やかな生命維持活動のためにも労働後の食事を何よりも楽しみにしているので邪魔はしないで欲しいです、ということだ。
業務外のバトル?
いいえ、定時過ぎたらお断りします。
後日出直してください。
と、言うだけの話。
それがアオキという人間。
さあ今日も今日という日を締めくくるのにふさわしいディナーを、と頭を動かしたその時だった。
突き刺すような熱い視線。
ふと、気づくとこうやって熱い視線を感じることがある。
振り向けば当然のようにアオキを見つめてくる存在が居た。
まあ、その視線には慣れている上にこの場にはアオキの恋人であるカブしか居ないのだからこの熱視線の犯人など一目しなくても瞭然なのだが。
「ねえアオキくん、」
熱っぽいその視線で誘ってくれるものが艶っぽいことならばどんなに良かったか。
しかし残念ながら彼の手元には何やら同業のジムリーダーたちの試合を録画したDVDがある。
先程までノートに色々記録しながら見ていたのは知っている……もしかしなくとも試したい戦略を思いついてしまったのだろう。
「勿論きみが業務時間外にバトルはしない主義なのは知ってるんだけど……」
もじもじ、と照れながら求めてくれる物がもっと艶っぽい以下同文である。
愛らしいが、憎らしい。
この顔が更に笑顔で溢れるような、そんなカブが見たい。
アオキは瞳を閉じて天を仰ぐ。
大きな天秤が右に左と一応は揺れて見せたが、結局カブの笑顔が見たい側にガツンと地響きを鳴らしながら傾いた。
仕方ないのだ、笑顔が見たいのは惚れた弱み。
アオキがカブに惚れているのだから当然の反応だろう。
カブの笑顔が見たいの反対側には業務外で動きたくない、疲れた、寝たい、飯が優先などの様々なものが入っていたのにまさか圧勝されてしまうなんて。
「業務時間外ですが……、良いですよ」
アオキを業務外でバトルさせることが出来る人間が現れてしまった。
これまで上司であるオモダカですら業務外のアオキを御することなど不可能だったと言うのに。
了承の返事をすればカブの顔がみるみる笑顔に染まっていくのを見て、満更ではないのだと胸がいっぱいになったので全てがどうでも良くなってしまったけれど。
「本当かい!? ありがとう! もうお礼になんでもするよ!」
ああ、眩しい。
この笑顔のためならばいくらでもサービス残業出来る気がする。
カブが上司じゃなくて良かった、この身を粉にして過労死寸前まで働いてしまいそうだ。
と、言うか。
なんでも……とは、なんでも、ならば……それこそこちらから艶っぽいお願いをしたとしても良いのだろうか?
「あの、」
なんでもって言いましたよね今、とアオキが口を開こうとするもカブが握りこぶしをひとつ作ってワクワクしているのを隠そうともせずに高らかに提案をする。
「じゃあ早速セントラル広場に行こう!」
あまりの勢いに言いそびれてしまった確認と切望引っ込めてアオキが目を少しだけ広げる。
明日の朝、トレーニングの途中に行うのだろうかと思いきや。
「……今から、ですか?」
「善は急げだよ! 帰りに最近みんなと行ったジョウト料理の美味しいお店でご馳走させてくれるかい?」
言われて直ぐにアオキの目つきに迫真の光が籠る。
ご馳走はされなくても良いが、美味しいお店と聞いて心が躍らないはずはなく。
「それは楽しみですね」
「さてと……では、自分はどのポケモンでお相手すれば良いですか?」
「この前サロンでパフュートンくんと遊んでいたね……一度戦ってみたいな」
「ああ、ガラルには生息していないんでしたか」
「うん、ホウエンでも居ないから是非よろしく頼むよ」
ぽん、とモンスターボールからパフュートンを呼び出せばカブの瞳が輝き出す。
本当に、ポケモンが好きなんだなと感心を覚えると共に……こういうところが好きなんだな、と再確認をする。
「ぼくは相棒は決まってるんだ、ごめんね。今日のお相手はコータスで頼むよ」
対するカブもまたコータスを呼び出せばのんびりした表情のコータスがニコニコ笑いながら現れた。
愛らしいその顔で主人を振り返るコータスの頭を撫でてやりながらカブが笑う。
「さあコータス、よろしく頼むよ! 勿論、アオキくんとパフュートンくんもよろしくね!」
「……だそうです、パフュートン。よろしくお願いします」
わかった、とこの場における紅一点となっているパフュートンは落ち着いた様子で頷く。
アオキが身構えればその呼吸に合わせるように足を踏みしめる本日の相棒を見て安心する。
準備が出来たとネクタイを整えながら体勢だけで伝えればカブが好戦的に笑って天に向かって指をさして開戦の合図を告げた。
「さあ、こちらから行かせてもらうよ! イチ! ニー!」
カブの掛け声でコータスの特攻や急所率が上がった上に回復付帯状態になったようだ。
このままディフェンダー使用やほのおのうずでバインドかけられたらかなりキツイ戦いになる。
「……では、サービスしますかね」
こちらもバフをかけて応戦準備をするが、パフュートンのステータスは正直カブのコータスに攻撃して勝つには付利にも思う。
そもそもサポートが基本なので勝つ、というよりはカブが今回目的としている戦略を引き出すために耐え続ければいい。
というよりカブのコータスもサポートだと言うのにアタッカーとしても十分役目を果たせそうなところが厄介だ……しかし、満足いくまで耐えきるならばパフュートンの得意とするところだろう。
「コータス、ほのおのうず!」
まあそう来ますよね、とアオキが号令を出す前にパフュートンが横に避けてバインドを回避してくれる。
……もしかしてバインドされないと話が進まないのだろうか?いや、でも色んな状況に合わせて試したい可能性もあるので問題は無いだろう。
カブの表情を見ると楽し気にしているのでやはり問題は無いだろう、とアオキの表情に少しカブの熱に煽られたような色が浮かぶ。
「……ただ負けるのは、趣味では無いですからね」
しっかりと噛みついてやるのだと、アオキがパフュートンにガチガチに守りを固めるように指示を出せば防御状態になりコータスの攻撃をひたすらに受け流し続け、結局勝負はつかずに終わる。
このまま行くとコータスとパフュートンが疲弊してしまう上に食事処が終わってしまう。
今回はあくまでもカブがコータスのほのおのうずの強化や回避率を上げるタイミングを計るのに戦いたかっただけなので十分に得るものが多かった……というより、アオキがそうであるように、と導いてくれていた。
「今日は本当にありがとう! 凄く勉強になったよ!」
「いえ……こちらも勉強になりました」
そしてすごく楽しかった。
やはりカブとのバトルは本格的なものではなく特訓だとしても楽しい。
途中から意地になってなんとしても粘ってやるとパフュートンには無理を強いてしまった。
「じゃあご飯に行こうか……うなぎ寿司がすごくおススメだよ」
ウナギ寿司……それはかなり楽しみだ。
はて、しかし何か大事なことを言いそびれているような。
と、言うより聞きそびれているような……アオキが思い出した頃にはウナギ寿司は消化してしまうような時間であり言ったカブ本人もすやすやと満足気に眠ってしまっているような時間で。
カブとのバトルは楽しくて、ウナギ寿司があまりに美味ですっかりと忘れてしまっていた。
「やはりサービス残業は性に合いませんね」
朝、起き抜けに残業手当を申請しようか……なんて。
大人げない事を淡々と真顔で企むアオキだった。