aokbワンドロライ 正反対/1周年「アオキ、あなたもパシオに来て一年経ちましたし……そろそろサロンに参加してみてはいかがでしょうか?」
「了解です」
アオキの返答後、たっぷりと間が出来た。
チリとポピーは信じられないものを見ているようにオモダカとアオキを見ているし、オモダカは表情こそ変わっていないが固まっている。
いつもと変わらないのはアオキだけ。
「アオキ……今、なんて?」
「了解ですと申し上げました」
「......了解、したのですか?」
「はい」
パルデアリーグ本部の一角でオモダカとアオキが会話をしている。
音声さえなければいつもの光景なのに、いつも通りではなかったのはその内容。
いつもならオモダカが怒りを込めて圧をかけてそれを飄々と受け流すアオキの図がチリやポピーの慣れ親しんだ景色だったが今日は少し違った。
一年、か。
アオキがパシオに来て一年が経過したと上司に言われて改めて思い返してみる。
一年前、アオキがパシオにやってきた時のことを。
飽きてしまっていた。
パシオに出張となった途端にベテランによる若手育成という厄介ごとを押し付けられてうんざりしていた。
ああ、ひとつも話したいことがない。
つらいことも楽しいことも聞いて欲しいと思うことはないし、伝えるようなものでもないだろう。
周りの人間の発言が遠のいていく。
極至近距離に居たはずなのに、アオキの脳内ではあまりにも取り留めなくて。
その内視点すら曖昧になってしまう。
何を忘れたかすら思い出せない。
アオキは基本やればそれなりに出来てしまうから、苦悩など無かった。
出来ることをただ辿り、繰り返すことに飽きている。
ああ、食べることは幸せだ。
飽きてしまえば違うものを食べればいい。
口に入れるものを変えれば変化を感じる、だから食べることが好きだった。
飽きてしまっていた。
新鮮な味が欲しい、飽きたら次のものを。
食いつぶしていく、食いつぶしていく。
振り返ることはない、そこに何があろうとアオキはただ何も考えずに前に進めばいい。
平凡な人間は悩む必要は無い、今日のタスクをこなして明日へ。
「……少し、ぼくのことを話してもいいかな?」
そう言って笑うあの顔を見てからもう一年が過ぎようとしているのか。
カブの身の上話を聞いても何を言わんとしているのか理解は出来なかった。
同僚のチリやポピーに諭されても、アオキの返答はそうですか、の一言しかなかったのだ。
何も話したいことなど無い。
誰も自分の話など求めていないだろう。
誰と関わりたいとも思わない。
今日食べる食事が美味ならばそれで満足なのだから。
平凡で良いのだ、上など目指していない。真っすぐに歩いていければそれでいい。
「また新しいことを学ぶことが出来たよ! ありがとうアオキくん!」
アオキを分かろうとしてくれている。
平凡であることを望むアオキの価値観をそのまま受け入れて笑って溶け込んできたのは、正反対の場所に居ると思って居たカブだった。
彼と過ごしている中で自分から離れて行った何かを少しずつ理解して視界が広くなっていく。
あの時身の上話をして何を伝えたかったのか、今ならわかる。
離れて行ったものがなんだったのか、カブは段々と時間をかけて教えてくれたから。
あの日カブがアオキの後を追いかけてこなかったら今もカブを特別な存在だと思って居ただろうか?
きっと平凡な自分には遠い特別な存在なのだ、と勝手に遠ざかって生きていただろう。
カブは特別な存在なのではない。
勿論、カブが今も何を求め何に惹かれ必要とするかなんてアオキには分からないけれど。
正反対なおじさんたちだと周りは言うけれど、でも自分たちには似た部分も確かにあって。
傍に居ればアオキはとても居心地が良いし、この先もカブと一緒に食事がしたい。
今日は何かあっただろうか?きっと聞けばカブは色々話してくれる。
穿った目で見る世界は狭くてつまらない、全てはアオキが分かろうとしなかっただけ。
ああ、早くカブの話が聞きたい、それと。
聞いて欲しい。
「……アオキ?」
オモダカに怪訝そうな顔で呼ばれてアオキがふと、現実に戻って来る。
そうだった、まだオモダカと会話をしている最中だった。
「ああ、すみません。これから市場調査ですからもう出ます」
「待ってください……やはり少しいつもと違うのでもう一度確認のため問いますが……アオキ、パシオのサロンに参加して頂きたいのですが」
「了解です」
いつもなら仕事を渋って不遜な態度を取るアオキにオモダカが圧をかけて強引に参加させる、若しくはアオキが何らかの手を講じて難を逃れるのが常なのだが、今日はやっぱり違うのだ。
アオキはやはりすんなりとオモダカの指示を受け入れた。
間違いは無いらしい。
「......普段のあなたならば嫌がる業務内容と思いましたが⋯⋯」
「わかっていて指示を出したんですか」
「仕事とはそういうものです」
「........そうかもしれませんね」
話は終わったとばかりにアオキは外回りに向かう準備をしている。
その姿を見てオモダカは諦めによる従順かと思いきやアオキの様子はフラットのままでまた意外だと感じた。
それはオモダカだけではなくその場に居たチリやポピーも同じ見解だったようで驚きのまま茶々を入れる。
「いやぁ、正反対のカブさんの影響力ってやつかあ?」
「カブさんすごいですの!」
「こうもこの消極的おじさんに変化をもたらすなんて……稀有や」
感心するチリやポピーにオモダカもうん、うんと首を縦に振って納得する。
「カブさんとの交流を大事にするように声をかけたのは正解でした……サロンにはカブさんも居ますし、」
そこまでオモダカが口にしてハッとした表情でアオキを見やる。
サロンには、カブさんが居るのだった。
「もしやサロンでカブさんとサボれる、と考えているなどとは」
「ああ、それは良いですね」
はは、と表情を軽く笑うのにオモダカは目を細めて咎めようと口を開くがアオキはいつもの飄々とした態度を崩さずに外出の準備を進める。
「........アオキ、この業務は」
「交流を深め他地方の見識を深めるためのもの、ですね」
「……そうです」
「では行ってきます……ああ、今日は直帰でお願いします」
いつもならこんな歳をとった自分が見識を深めるなど、などと言いそうなものなのに。
一体、
「一体どういった心境の変化でしょう........」
オモダカは不思議のあまり思わず思考内容を口に出していた。
その一言だけでオモダカの思うこと理解したアオキは少しだけ目を細めて、笑顔には届かないものの表情筋を緩めて一言、
「話したいと思うことが出来たので」
それだけ言い残して市場調査へと向かってしまう。
オモダカはそれを聞いても謎は謎のままで首を捻って居たのだが。
「……と、同僚たちに驚かれてしまいました」
「ハハハ! ぼくとアオキくんが正反対かあ」
「正反対と何度も言っていましたね」
そうかあ……とカブが笑いながら唐揚げをひとつ口に運ぶ。
正反対、と言われたらそうなのだろう。
カブはアオキのように日々出来ることを同じように繰り返すのはきっと退屈で耐えられない。
アオキにいつかした身の上話の中でにおわせた退廃、諦念、屈辱。
振り返ればカブにとって意に沿わないものばかりで。
それに何故か周囲は好奇をむき出しにして集って来る。
だがガラルでのジムリーダーはその好奇を有難がって笑うのだと穿った見方をしていた。
カブはその全てに価値を見出すことは出来なくて、結局色々なものを捨てて、拾って、試して。
周りには受け入れられないことも多くて、いつしか落ちぶれて。
手持ちの仲間たちには散々苦渋と辛酸を舐めさせてしまった。
そうして焦ってまた新しく何かを捨てて、いつしか味覚など無くなって食事は砂でも詰め入れるかのような作業になっていく。
味が無い、それでも這い上がりたくて必死に砂を噛むようにして食事をする。
必死に、我武者羅に、これ以上落ちることを恐れながら進んでいく。
枯渇している。
新しいアイディアを、戦略を。
食いつぶしていく、食いつぶしていく。
ああ、限界を感じている。
必死に頭の中をひっかきまわして戦略を練るのに全て的外れに終わってしまう。
調べて、考えて、真似して、その内頭の中から引っ張り出そうとしても、もうどうして良いのか自分でもわからなかったりして。
取り出せたとしてもそれはもう腐っていたり、使い物にならなくなっているような。
自信が消失していく、悔しいという感情の反応が悪くなってきた。
それでも恐れながら進んでいく。
どこに行きつくかはわからないが、ただ上へ。
歯車がまるで合わないような、バトルをしていても何一つ噛み合わない。
ああ、落ちてしまう。落ちてしまった。
この不調が病気であるならば治せばいい、だがこれがカブの限界で終わりなのだと絶望しそうになる。
絶望してしまえば楽だったけれど、それでも上へと焦がれてしまう。
炎は上を目指すものだから。
「うーん、正反対かもねえ……」
「はい?」
「いや、ぼくとアオキくん」
正反対、なのだろう。
アオキが当時のカブの立場ならばじゃあホウエンに帰りますと言ってそのままガラルから姿を消してしまいそうだ。
いいや、アオキであるならばそもそもマイナー落ちなどしないのだろうか。
「そう考えるとちょっと癪だね」
「……先程からどうしたんですか?」
「いや、悔しいから教えてあげない」
そう言われれば一年前のアオキであればそうですか、と返して終わっただろう。
でも今のアオキは一味違うのだ。
カブの話であるならばなんでも気になるし、聞きたい。
「カブさん、」
「そんな目で見ても教えないよ」
しれっと答えるカブにアオキが苦渋の表情のまま箸で海老の天ぷらを掴んでカブの皿へと近づける。
「……こちらの海老の天ぷらと交換で」
「アオキくんが海老の天ぷらを…………!?」
海老天を献上してまで聞きたがるアオキにカブが瞠目するが、アオキは真剣そのものでカブを見ている。
「……そんなに気になるのかい?」
「凄く気になります」
あなたの話であるならば何でも聞きたい。教えて欲しい。
興味津々ですよと言わんばかりの目で見られてカブがたじろぐ。
まさか君の有能さに嫉妬しましたと正直に言えないし、言いたくないし、言わないし。
「……きみとぼく、正反対だなあって思っただけだよ」
なので、さわりの部分だけを伝えた。
海老天の対価としては不十分かもしれないがカブに言えるのはここまでだ。
だがアオキは納得しなかった。不服そうにカブの皿から唐揚げを盗る、最後の一個だった。
「あ!」
「……どうも全てを明かされてはいないようなので、没収です」
「さっき唐揚げあげたでしょ……それにそれは楽しみにしていた最後の一個……!」
クレームを入れられたがアオキは取り合わずにカブの大事な最後の唐揚げを一口で食べてしまう。
「ああ! 本当に食べたね!?」
カブが訴えてもアオキはまるで意に介さずに。
今告げられたアオキとカブは正反対、という言葉に思考を巡らせる。
「……カブさんと自分、そう正反対でもないと思います」
「そうかなあ!? 少なくてもぼくは恋人が楽しみにしていた最後の唐揚げを食べたりはしないけどね!」
ぎゃぎゃん!とカブが尊い最後の唐揚げについて訴え続けるがアオキはうん、うんと納得したように頷く。
このただの唐揚げの消失に対する深い悲しみは同士のシンパシーを覚える。
「食に固執したり自分を曲げない頑固な部分、それと自分も意外と負けるのは好みません」
そう言いながらアオキが唐揚げの消失に嘆くカブの前に南瓜の天ぷらと芋の天ぷらを乗せることで全て丸く収まる。
そしてカブはアオキが口にしたことを反芻してみる。ああ、確かに。
「……まあ、そうかもしれないね」
「そうでしょう?」
「それにぼくたち相思相愛だしねえ」
「似て来るものもあるのかもしれませんね」
そうしてふたり、仲良く食事をして会話を楽しむ。
正反対な部分が段々と近寄ってきた、この一年で。
今後また傍に居れば相手に影響を受けてまた近づいて行くのだろう。
それはふたりにとって悪くは無い、歳を重ねてからの変化には感謝をするべきだ。
精々まだ続く人生を相方と楽しもうとおじさんたちは笑うのだった。