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俺が嫉妬なんて、するはずがない
「トワさん」
「いやだ」
「オレ、まだなにも言ってないんですけど」
きょうはいつもより早くハテノ村の自宅に戻り、俺はブレの家の片付けをしていた。乱雑に置かれた武器の整理、食材の管理、床の掃除など。いつもしているわけではない。じっとしていても落ち着かなくて、身体を動かしたかったからだ。
「きょうのトワさん、いつもとちょっと違う?」
「そうか? いつもと一緒だろ」
たまにしているから、珍しい事ではない。なのにブレは、俺を覗き込んでくる。俺の事を尋ねられたが、変わりないと思う。それより、せっかく早く帰ってきたんだ。俺に構わず、身体を休ませてやればいいのに。不思議そうな表情で、なにを思っているんだ。
「うーん、抱きしてもいい?」
「いいけど」
「よかった、ありがとう」
首を傾げて唸った後、唐突に抱きしめたいと言われた。脈絡がないのは今更なので気にならない。ここが家の中なので了承すれば、即座に腰に腕を回された。されるがままもあれなので、俺もブレの背中に腕を伸ばしてやる。それがよかったのか、ぎゅっと力を込められた。
触れ合う身体は温かく、ざわついていた心が落ち着いていく気がする。なぜかは分からないが。
「トワさん、お願いがあるんだけど」
「それは聞かない」
ブレは時々困ったお願いをしてくる。甘いと思いつつ、大抵は聞いてやっている。断った後のこいつが寂しそうで、ほっとけなくなるからだ。それでも、きょうは叶えてやる気にならなくて、内容も聞かずに断った。
「きょうはもう、狼の姿にはならない」
「なんでわかったの……」
「時々言うから、そんな気がしたんだよ」
家の中で抱きついてきた後、されるお願いに予想を立てたら当たったようだ。
がばりと顔を上げ、ブレの驚きから大きくなった瞳と視線が合った。それは次第に細められ、にこりと緩んだ表情を浮かべている。断ったのに喜んでるのは、当てたからなのか。
「少しだけだから、ダメ?」
あ、こいつ全然諦めてなかった。唇を尖らせ、可愛らしくねだるな。そうすれば、俺が聞くと思ってるのか。
俺はくすぐったいだけだが、ブレは狼姿の俺を撫でるのが好きらしい。お腹に顔を擦り付けられることもあるが、あれは撫でるに入るのか。いや、考えるのはよそう。ふわふわでもふもふで、手触りがいいとか何とか言っていた。
言葉通りに少しだとしても、きょうは頷く気にならない。だってそうだろう。
「きょうは十分、撫でてただろ。だからいやだ」
「えっ?」
意外そうな声を上げるな。撫でてただろうが、立ち寄った馬宿の犬を。
俺は狼姿では馬宿協会の者や、他の客に怖がられるので、隅に座って待っていた。その間、犬のはしゃぐ声があまりにうるさくて目を向ければ、ブレが一緒にいた。急いで済ませてくると言っていたのに、懐く犬にリンゴを与えて構っていたんだ。しかも食べ終わるまで、触って撫でていただろうが。
覚えてないのかよ、と言い掛けて慌てて口を噤んだ。ちょっと待て。俺はいま、何を考えていた。
「トワさん?」
「なんでもない、気にするな」
「その顔、なんでもないって顔じゃないんだけど」
俺の気が立っていたのも、ブレのお願いを聞く耳持たなかったのも、原因はこれなのか。繋がって導き出された答えに、いたたまれない。理由が恥ずかしすぎて、尖った耳の先まで顔が熱い。気づかないでくれという俺の願いも虚しく、逃さないとばかりに抱きしめる力が強くなる。
物珍しそうに俺を見上げるな。構わなくていいと言っているのに、首を傾げて考えるな。
「オレがトワさんを撫でたの、待っててくれたお礼に頭を撫でたくらいだよ」
「そうだな。だからもう気にしなくていい」
「だって覚えがないから、気になる」
どうしてごまかされてくれないんだ。顔に集まった熱のせいなら、さっさと引いてくれ。
「オレが撫でたのは、馬宿の犬くらいだけど」
なのに俺の願いは聞き入れられず、正解に近づいている音がする。これはブレに答えを当てられるより、自分からバラした方が楽になれるのだろうか。どちらにしろ恥ずかしいが、少しでも減らせるなら減らしたい。なのに選びたくない選択肢しかないので、心が決まらない。
そうして俺が迷っていると、ブレの表情がまたたく間に明るくなっていく。にんまりと笑うな、くそ。憎らしいほどの笑顔を向けられる。これは答えに辿り着かれたのだろう、大きなため息を吐き出して肩を落とした。
「トワさん、オレが馬宿のーー」
「ああ、そうだよ。あの犬、ブレのこと好き好きうるさかったんだよ。それにお前も、満更でもない感じでいちゃついてただろ」
楽しそうな声色で名を呼ぶから、これ以上よけいな事は言うなとばかりに白状した。皮を一枚ずつ剥がすように、ネチネチと暴かれては俺の身がもたない。
俺はブレが他の犬と仲良くしていたのが気に入らなかった。だから機嫌が悪くなり、狼姿になるのを拒んだ。
言葉にするとよけいに恥ずかしい。しかも道中や馬宿ですれ違った女性ではなく、犬が相手なのだから。俺のブレに対し、好きだ好きだとうるさく吠える様に、苛立ちを覚えたなんて。苛立ったのが騒がしいだけならよかったのに。
動物の声が聞こえるのは便利だが、何でも拾うのは考えものだ。
「オレはいちゃつくなら、トワさんがいい」
満面の笑みを浮かべ、ブレは俺が喜ぶ言葉をくれる。
「だってオレが好きなのは、トワさんだし」
視線はまだ合わせたくないので、思い切り髪を掻き混ぜて返事にする。硬くて、決して触り心地がいいとは言えないが、ブレの髪だからか触っていたくなる。
「ト〜ワさん」
「なんだよ」
「ん、なんでもない」
用がないなら呼ぶな。と思いつつ、この意味のないやりとりに付き合うのも悪くない。いまのブレの頭の中は、俺のことだけで埋まってるだろうから。
しかし一向に腕の力が弱まる気配がしない。ブレは相当浮かれているが、そうさせたのが俺なら、まあいいか。俺は恥ずかしいので、早く記憶から消してほしい。この件で弄らないように、後で忘れず念を押しておこう。
「ねえ、狼姿のトワさんといちゃついていいなら、するよ」
「なんのためにするんだよ」
「馬宿の犬に、オレはこの狼さんが好きなんだよって見せるため」
ブレの場合、本気でやりそうだと思ったが、俺の口は止める言葉を紡がない。馬鹿げた提案に、俺たちは顔を見合わせて吹き出した。
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