ウォームアップで体育館を何周か走っただけで汗がたれてくるような、すごく暑い日だった。まだ春なのに真夏みたいだ。インターハイの県予選まで二週間をきって練習も熱が入ってるから、余計に暑い気がする。
「水分補給したら三対三。まずはオレ、安田、流川チーム対木暮、宮城、角田チームでいくぞ」
赤木先輩に名前を呼ばれて、オレは返事をしてからポカリを飲んた。今日みたいな暑い日はいつも以上に意識して水分をとっとかないとまずい事は、経験から知っていた。
「桜木花道! あんた顔真っ赤よ! ちょっと、大丈夫なの?」という彩子先輩の声につられて桜木の顔を見ると、確かに桜木の顔はかなり赤くなっていた。表情もしんどそうな気がする。
いつもばかみてーにうるさい桜木が具合悪そうにしている事にみんな驚いて、赤木先輩と木暮先輩も心配そうに声をかける。
「なんだ桜木、お前具合悪いのか?」
「今日は急に暑くなったからなあ。涼しいところで休んでるか? 彩子、氷持ってきてくれ」
きっと軽い熱中症だろう。いくら体力があっても、どあほうはスポーツは初心者だ。体育館は屋内だからと思って油断したのかもしれない。まあ、しばらく休憩すればすぐ復活するだろ。あいつが突っかかってジャマしてくる前に集中して練習したい。オレはそんなふうに軽く考えていた。だから桜木が、
「わるい、今日はもう、帰る。多分、ヒートくる」
とほんとにしんどそうな声で言ったときは、正直驚いた。
「は? ヒート?」とか「花道オメガだったのか」とか、オレ以外のやつも驚いている中、赤木先輩と木暮先輩は冷静だった。
「薬は持ってるのか?」
「かばん中」
「よし。石井、桑田。桜木の荷物、着替えも全部部室から持って来てくれ」
「はい!」
慌てて二人が部室に走って行ったところで、「ゴリー、めがねくーん」と入口の方から声がした。桜木とよく一緒にいる、金髪とデブとヒゲだ。
「オレらで花道連れて帰るわー」
「大丈夫なのか?」
「今までも何回かあったからな。慣れたもんだ」
「わかった、じゃあよろしくたのむ」
石井たちが桜木の荷物を持って来ると、金髪たちは勝手にカバンを開けて財布の中から錠剤を取り出し桜木に飲ませた。
「よし、じゃあ帰るぞ花道」
「洋平は?」
「バイト。国道沿いのガソスタ」
「んじゃオレそっち行くわ」
「じゃーなゴリ。多分明日か明後日には花道復活してると思うぜ」
そんな事を言いながらバタバタと、でも手際よく桜木を連れて行く三人は、確かに慣れた様子だった。
「赤木先輩と木暮先輩は知ってたんですか? 桜木花道のバース性」
「ああ、入部してしばらくした頃に言われたからね。それで迷惑かけるかもしれないからって」
「実際にはそれ以外のところで多大な迷惑をかけられてるわけだがな」と赤木先輩がため息を吐いた。
「なあ赤木、桜木ってほんとにオメガなのか?」
「なんだ三井、疑ってるのか? あの男は色々いい加減だが、嘘や悪ふざけでそんなことを言うヤツじゃないだろう」
「いや、それはわかってるんだけどよ。全然匂いがしなかったんだよなあ」
「匂い?」
「オメガのフェロモンの匂いだよ。ヒート来るってんなら少しくらい匂うはずなんだけど」
「三井サンってアルファなの⁉」
「んだよ、わりーかよ」
「いや、そーゆうわけじゃないっすけど。流川は? 花道の匂いわかったか?」
宮城先輩に言われて、オレは首を振った。
「わかんないす。オレ、ベータだから」
「えっ、流川ベータなの? 悪い、てっきりアルファだと思いこんでた」
「べつに。よく間違われるんで」
オレはどーゆうわけか、アルファに間違われることが多い。でも実際はベータだし、アルファとかベータとか自分に関係ない話は本当にどうでもよかった。そんなことより早く練習がしたい。
「オレに匂いわからねえって事は、番がいるのかもなあ」
「あの花道に限ってそれはないでしょー」
「でも他に考えられねーんだよ」
「三井サン鼻詰まってんじゃないすか?」
グダグダ話していた三井先輩と宮城先輩が、赤木先輩に「いつまでムダ話してる!」と一喝されていた。
次の日、桜木は部活に来た。金髪達が言っていたとおりだ。
「やあやあキミたち、心配かけたね!」とでかい声で話す様子はいつも通りで、昨日はあんなにしんどそうだったのに、と少し驚いた。
「桜木」
「おうゴリ! 天才完全復活だぜ」
桜木は笑っていたが、赤木先輩は心配そうな顔をしている。
「オレはその、オメガの体調とかはよくわからんが、しんどいなら無理するなよ」
「心配ねーよ。オレは体質的にヒートが軽いんだ。半年に一回くらいしか来ないし、すぐに落ち着くんだよ」
「ならいいが・・・」
「なあ、そんなことより早くやろうぜ! 予選まであとちょっとだろ!」
「ああ、そうだな。全員集合!」
赤木先輩の号令で、体育館に散らばっていた部員が集まる。桜木の真後ろに立った三井先輩が、一瞬桜木の首のあたりに顔を近づけるのが見えた。
高校入学してから夏が終わるまでは、本当にあっという間だった。県予選を勝ち進み、全国に駒を進め、そして三回戦で負けた。オレは全日本ジュニアのメンバーに選ばれ、赤木先輩と木暮先輩は引退して、宮城先輩がキャプテンになって、赤木先輩の妹がマネージャーになった。二学期が始まっても、桜木は怪我の療養で入院している。
今年の春夏はいろんな事があった。いろんな事が変わった気がする。変わらないのは、桜木とオレが仲が悪いってことくらい。あいつは多分相変わらずオレの事が嫌いで、オレは自分を嫌ってる人間に好感を持てるようなお人好しじゃないから、オレもアイツの事が嫌い。でも、嫌いの中にもグラデーションがあるみたいで、四月頃の嫌いと今の嫌いはなんか違うと思う。多分、アイツも。
でも、「お前と花道もずいぶん仲良くなったよな」って宮城先輩に言われたのは心外だった。そして、それは顔に出てたらしい。
「そんなあからさまにイヤそーな顔すんなよ」
「・・・仲良くなんてなってねーっす」
「でも結構マメに見舞い行ってんだろ?」
確かに、オレは割と頻繁に・・・ほぼ毎日に近いくらいに、桜木が入院してる病院に行っている。今だって、部活が終わってから時計を見たらまだ面会に間に合う時間だったから、ちょっとだけ顔出してくかって思ってた。でもそれは別に仲良くなったからとかじゃない。
「なんとなく、習慣崩れたら気持ちわりーんで」
「習慣になるくらいマメに行ってんじゃん」
「・・・」
やっぱ今日は行くのやめよーかなって少し思ったけど、結局オレは病院に向かった。受付で名前を書いてると、看護師に「いつも偉いわねえ。本当に仲良いのね」と言われた。反論するのもめんどくさいから、軽く会釈だけして桜木の病室に向かう。桜木がいるのは一番奥の個室。初めて来た時に、金ねえのになんで個室なんだって聞いたら、「天才を優遇するのは当然だろ」って言ってた。
病室のドアをノックして開けると中はすごく静かで、今は誰も見舞いに来ていないことがすぐにわかった。オレが来ると先客がいることもちょくちょくあって、そーゆー時はドアを少し開けただけで賑やかな声が圧になって飛び出してくる感じがする。きっとコイツが個室なのはやかましいからだなって思う。
桜木は寝ていた。一人だけの時、大抵桜木は寝てるかぼんやり窓の外の海を眺めてるかだ。オレがいても前ほどはギャーギャー突っかかってこない。桜木とオレしかいない病室は静かで、居心地がいい。そうだ、オレがマメに病院に来るのは、別にコイツに会うためじゃない。ここが静かで居心地がいいからだ。
「さくらぎ」と名前を呼んで、桜木のほっぺたを人差し指でむにむにと突っ付いた。以前、寝ている桜木を起こさずにいたら、「来たんなら起こせ。テメーに寝顔眺められてたとか気持ちわりー」と言われた事がある。でも、怪我で療養してるヤツを起こすのは気が引ける。だから一応、一度だけ呼びかけて少しだけ突っ付く。そうすれば、起きなくても「オレは起こした。テメーが起きなかっただけ」って言える。これで起きる時と起きない時は半々くらいだ。起きそうな時はなんだか落ち着かない気持ちになって、起きない時はなんだかほっとするような、でも少しムカつくような気持ちになる。
今日は起きる方の日みたいだ。桜木が思い切り顔をしかめてからゆっくりとまぶたを持ち上げる。この、桜木が完全に覚醒するのを待つほんのちょっとの時間が、とにかくソワソワする。
桜木がぼんやりとオレの顔を見つめて、「キツネ、また来たんか。おめーほんと暇なんだな」と寝起きのかすれた声で言った。「暇じゃねえ」と返事してから、失敗したと思った。これじゃあ、暇じゃないのにわざわざ頑張って会いに来たみたいだ。でも暇だって思われたままもなんかシャクだ。幸い桜木は寝起きでまだぼんやりしてるみたいで、特にその事について突っ込まれることはなかった。
桜木が目を覚ましたところで、特に会話が弾むとかはない。「今日、部活どうだった?」って聞かれたら「いつも通り」って答える。「体調どうだ?」とか「リハビリどうだ?」って聞いたら、「まあまあだな」とか「順調」とか返ってくる。それだけ。あとは、誰かがお見舞いで持ってきたらしい雑誌とかを二人それぞれ読んだり、やっぱり誰かがお見舞いで持ってきたらしい果物とかお菓子とかを食べたりして、オレは家に帰る。特に何かするわけじゃないけど、オレはこの時間が嫌いじゃなかった。桜木はどうなんだろう。オレと同じならいいのにって、少しだけ思う。
ある日いつも通り病院の受付で名前を書こうとすると、「ごめんなさい、今日は桜木くん面会できないんです」と看護師に言われた。
「え? どあ・・・桜木、体調悪いんすか?」
オレが聞くと看護師は、「そういうわけではないんですけど・・・」と歯切れの悪い返事をした。なんなんだ。状況がよくわからなくてイライラする気持ちと、体調が悪いわけじゃないなら良かったと安心する気持ちが混ざる。
「じゃあ、明日ならいいすか?」
「うーん、一週間くらいは無理かもしれないわねえ」
は? 一週間も面会謝絶って相当じゃねーか? 体調悪くないんなら、なんでそんなに長い間会えねーんだ?
腹が立ってきて、でも何て言えばいいのかわからなくて黙り込んでいたら、「あれ? ルカワ?」と声を掛けられた。
「みと・・・」
「ああ、水戸くん。良かった。桜木くん待ってるから、すぐに行ってくれる?」と看護師に促されて桜木の病室に行こうとする水戸を、オレは慌てて引き止めた。
「おい、どあほう会えないって言われたんだけど」
「ああ、うんそうね」
そう答える水戸は、いつものヘラヘラした笑顔を顔に貼り付けている。
「なんでテメーはいいんだ」
オレが聞くと水戸は少し考えるような素振りをした。
「まあ、保護者枠かなあ」
「保護者?」
「悪いねルカワ。多分花道、何日かは無理だと思うから。また会えるようになったらルカワにちゃんと知らせるようにするよ」
水戸はそう言うと、足早に桜木の病室の方に行ってしまった。
「流川、桜木んとこ行くなら持ってって欲しいもんがあるんだけど」と三井先輩に声を掛けられたのは、次の日の部活の後だった。
「つーか三井サン、自分で行きなよ。あんた最初の頃に一回行ったきりでしょ。流川、連れてってあげてよ」
「今日は行かないんで」
オレの言葉に、先輩達はすごく驚いた顔をした。
「なに? 花道と喧嘩でもした? いや、喧嘩はするか。お前と花道だし」
「しばらく無理って受付で言われたっす」
「は? それ調子良くないって事か 大丈夫なんかよ」
「たぶん・・・? なんか、水戸は歓迎されてたんで」
「歓迎?」
「看護師が。すぐに桜木の病室行ってくれって」
オレがそう言うと、
「あー、それもしかしてヒート来たんじゃね?」
と三井先輩が言った。ヒート。発情期。そーいやあいつオメガだっな。春に一度ヒート来そうとか言ってんの見て以来いつも通りだったから、意識してなかったけど。それなら追い出されるのも仕方ない。多分、本人はあまり見られたくないだろうし。
でも、だったら。
「なんで水戸は?」
「なんでってそりゃあ、番だからだろ」
「・・・は?」
「えっ、あの噂ってホントなんすか」
うわさ? なんだそれ?
「おー。この辺の不良の間では結構有名らしいぜ。桜木と水戸が番って。徳男も知ってたし。匂いもすげーしな」
「匂いって?」
「水戸の匂い。桜木の病室とかすげーぞ。他のアルファの匂いってキツいと気持ち悪くなるんだよ。それでオレ全然見舞い行けてねーの」
三井先輩と宮城先輩が話している言葉が、頭の中を通過していく。桜木と水戸が番。桜木と水戸が。
心臓が、バクバクと嫌な音を立てる。腹の中が、冷たいデカい石を丸呑みしたみてえに落ち着かない。
「でもよー。前はぜんっぜん匂いしなかったんだぜ。二人が番って噂聞いてすげーびっくりしたんだよ。それがなんか、いつの間にかべったり匂うようになってよ」
「番になったのが最近なんじゃないすか?」
「いやー、中学の頃かららしーぞ。噛み跡もかなり薄かったしな。噛み跡ってだんだん薄くなんだよ」
桜木と水戸が番。中学の頃から。番。二人が。頭の中がその事でいっぱいになる。じゃあ、あいつらあの後したのか? だって、番で、ヒートでってそーゆーことなんじゃねえのか? そんな事オレには関係ない、どうだっていい。そんなふうに何度も自分に言い聞かせたけど、いつまでもイヤな気分は続いた。
水戸に「もう病院大丈夫だよ」と言われたのは、それから三日後の事だった。休み時間に教室で寝てるところを起こされて開口一番そう言われて、どうしようもなく腹がたった。
寝てるところを起こされたから?
水戸がアイツの番だから?
水戸がアイツつの事ならなんでも知ってますって顔してるから?
水戸がアイツの特別だから?
「水戸、どあほうの番って本当か?」
オレが聞くと、水戸は一瞬驚いた顔をしてから、
「うん、そーだよ」
と言った。
顔がカッと熱くなって、気が付いたら水戸の顔面をぶん殴っていた。水戸だって殴られて黙ってるようなヤツじゃないから、そっからはただの殴り合いだ。オレはひたすら悔しさや苛立ちを拳に乗せて水戸を殴ったし、水戸は水戸でオレが殴っただけ殴り返してきた。誰かが呼んで来たのか、先生が何人か慌てて教室に入ってきて必死に抑えられるまで、オレ達の殴り合いは続いた。
親を呼ばれて説教されて、二日間停学と言われた。学校来なくていいんならその間たっぷり寝てやろうと思ったら、大量の課題も出された。水戸は前科があるからオレより重くて、一週間停学らしい。オレと不良生徒の個人的なケンカって事で、部の活動停止にはならなかった。
家に帰ってから母さんに怒られて、多分父さんが帰ってきたらまた怒られるんだろう。時間差で何回も説教されるのがめんどくさかった。
説教されてる間、ずっと考えていた。なんでオレは水戸と桜木が番って知ってからこんなに苛立ってるんだろう。別に、オメガとかアルファとかオレには関係ない、どうでもいい話のはずだ。桜木と水戸がどんな関係でも、オレには関係ない。関係ないのに、腹が立つ。許せない。ムカつく。
夜になってから、部活終わりの石井が来た。オレが帰ってからの授業で配られたプリントと、キャプテンからの伝言を届けに来たと言っていた。今までオレの家に来た同級生なんていなかったから少し舞い上がった母親が、夕飯を食べて行けと石井を誘った。石井はほとんど断る事なく「じゃあいただいていきます!」と元気に返事をして、夕飯の時間までオレの部屋で過ごした。
宮城先輩からの伝言は、「水戸にケンカ売るとかほんっとバカ」の一言だけだった。
「オレあの時よく見てなかったんだけど。流川から殴ったんでしょ? 何があったの?」
「・・・」
「水戸くんが桜木と番だって言っただけだって。そう聞いたんだけど」
「うん、そう」
「なんで?」
「なんか、すげえムカついたから」
「・・・あのさあ。流川ってもしかして、桜木のこと好きなの?」
「・・・・・・は?」
何言ってんだ、こいつ。
「いや、なんか、流川って桜木といる時やたら楽しそうだし」
楽しそうにしてたこと、あったか?
「そんなふうに、見える?」
「うん」
オレがどあほうを好き? よくわらない。
「前ほどは、嫌いじゃないと思う。なんか・・・目が離せないヤツだとは、思う。アイツは多分、色んなヤツの事見てて・・・オレと同じじゃないのが、ムカつく。でも、ふたりだけの時は、なんか悪くない。他のヤツがいなけりゃあいつは、オレしか見ねえし」
思った事をつっかえながらたどたどしく話したら、石井に「やっぱり好きなんじゃん」と言われた。
「でも、どあほうといてもイライラするばっかで、ドキドキとかはしねえ」
好きって、ドキドキしたりとか楽しくなったりするイメージがある。よく知らねえけど。なんとなく。例えば、彩子先輩といる時の宮城先輩はすごく楽しそうで嬉しそうで、本当に好きなんだなって傍目にもわかる。
「それは人それぞれじゃないのかなあ」
「そうなんか?」
「うーん、オレもよくわかんないけど」
母さんに夕飯の準備ができたと呼ばれて、石井と二人で食卓についた。メシの時間、ずっとオレはさっきの石井との会話の事を考えていた。オレは桜木の事が好きなのか? 納得いくような、いかないような気がする。考えながら、黙ってメシを噛んで飲み込んでを繰り返す。オレが喋らないのはいつもの事だから、母さんは何も気にしていないようで、石井にあれやこれや話しかけていた。
その後一週間くらいで桜木は退院した。結局オレは、あの日以来見舞いに行けなかった。
桜木は退院しても当然しばらく部活はできないし、体育も見学らしい。でも、学校に復帰したその日に制服のまま体育館に顔を出しに来た。みんな桜木のもとに集まって、「退院おめでとう」とか「ずっと待ってた」とか声をかけるけど、オレはその輪に入れずにいた。それどころか、桜木の方を見れなかった。なんか、桜木を見たら自分の気持が何なのか決まってしまう気がして、それが怖かった。
とにかく徹底的に桜木をいないものとして、その日は事無きを得た。
でも、そんなの当然いつまでも続けられるわけがない。次の日に下駄箱のところであっさり桜木に出くわした。
逃げようとしたら桜木が急にうずくまって「背中痛え」と弱々しい声で言い出した。びっくりして慌てて桜木の側にしゃがみこんで「おい、大丈夫か」って聞いたら、腕をものすごい強さで掴まれた。
「キツネてめー、何無視してやがる」
「・・・たちの悪いウソつくんじゃねえ」
マジでふざけんな。本気で心配したのに。
「なんで見舞い来なくなったんだよ」
「・・・行きたくなかったから」
「なんでだよ」
「・・・・・・」
桜木に睨まれても、オレは何も言えなかった。理由なんてオレもよくわからない。わからないけど、すごくイヤだった。
何も言えないでいたら、桜木の目線が下に反れて、くちびるがとがった。
「オメーと仲良くなれた気がしてちょっとだけ嬉しかったのはオレだけかよ」
その顔を、言葉を。うっかりかわいいとか思ってしまって、もうダメだった。
なんとか精一杯の力を振り絞って「そんなことねー」とだけ返して、よろよろと立ち上がりフラフラと教室に向かう。教室に入ってすぐに、クラスメイトと話している石井のところまで行った。
「いしい・・・言ってた通りだった」
「え?」
「オレ、さく」
「わー 今ここで言うな! 移動しよう!」
石井の叫び声が教室中に響いた。
「えっと、それでつまり、オレが言ってた通りってことは」
「オレ、どあほうの事が好きみてー」
「わー、そっかあー! わー。うわあー」
石井がそう言ったのと一限の始まりのチャイムが重なった。今オレ達がいるのは部室で、要するにこれはサボりだ。
「なに驚いてんだ? 石井は、知ってたのに」
「知ってたってゆーか。そうなんだろうなって思ってただけで。改めて本人に言われるのは違うよ」
「ふーん?」
石井は相変わらず「わー」とか「はー」とか言っている。
「なあ、好きになったら、どーすればいいんだ?」
「え?」
「好きになったら、その次ってなに?」
「えっと、それは・・・流川が桜木とどうなりたいかによって違うんじゃないかなあ? 流川は、桜木と付き合いたいとかあるの?」
オレと桜木が付き合う。桜木の恋人にオレがなる。
「付き合いてえ。でも、水戸がいる」
桜木の特別は水戸だ。オレじゃねえ。
「でも、水戸くんがいるからって引き下がるわけないんでしょ?」
「とーぜん」
オレの言葉に、石井が「だよねえー」とうなずいた。
石井と話し合った結果、とりあえず今日の部活のあとに図書館に行くことになった。
部活終わり、図書館が開いてる時間に間に合うように二人で急いで帰り支度をしていると、「二人でどっか行くの? オレも誘ってよ」と桑田に声を掛けられた。
「図書館」
「図書館! 流川が」「流川ついに勉強する気になったのか⁉ えらい!」「三井サンも受験勉強しなよ」と、部室がいっきにざわつく。
「勉強はしねえっす」
「しろよ」
「じゃあなんで図書館? お前本なんて読まねえだろ」
「バース性のこと知りたくて」
「バース性? なんで」と、みんなが一斉に不思議そうな顔をする。
「オレが、どあほうの事が好きだからっす」
「・・・は?」
オレの発言に、一瞬部室が静かになった。
「ちょっと待って流川。誰が誰を好きって?」
静寂を破ったのは宮城先輩だった。頭が痛いみたいな顔で、おでこを手で抑えている。
「オレが桜木を好きっす」
「はあ⁉ まじかよ!」「天邪鬼にも程があるなあ」「やっぱり!」「それでなんで図書館?」とまたみんなが口々に騒ぎ出して、さっきの比じゃないくらい騒がしい。
「桜木を水戸から奪いたいんすけど、番って別れるのよくないって聞いたことあって。そんで、色々先に調べとこうと思って」
ムカつくことに、桜木は水戸と番だ。普通に付き合ってるだけなら何をしてでも奪ってやるけど、番ってなるとそれができるのか、やっていいのかわからない。番は別れられないとか、別れられるけど離婚より大変とか、オメガの体に悪影響があるとか聞いたことがある気がする。まずはその辺をきちんと確認するべきだというのが石井の意見だった。
「なるほどねえー。そーゆう事なら、三井サンついてってあげたらどうすか?」
「えっ? オレ? なんで」
「なんでってあんたアルファでしょーよ。本じゃわかんない事とかあるかもしれないし」
「あー、まあいーけどよ」
「面白そうだからオレも行こうかな」
「オレも行きたい。借りたい本もあるし」
そんな感じで、図書館にはオレと石井の他に、三井先輩と桑田と佐々岡も一緒に行くことになった。
図書館で何冊か、バース性について解説してる良さそうな本を借りた。小学校高学年向けの簡単な本、もう少し詳しく解説してる中高生向けの本、三井先輩が「アルファって診断されたら市からこれが送られてくんだよ」と教えてくれた「アルファと診断されたあなたへ」という本、同じシリーズの「オメガと診断されたあなたへ」という本。佐々岡に「経験談とかもわかったほうがいいんじゃない?」と言われて、オメガの作者が書いた体験談とアルファの作者が書いた体験談も一冊ずつ借りた。
借りた本を持って五人でファミレスに入り、飯を食いながら本をめくって、ピックアップした情報をルーズリーフに箇条書きにした。
・オメガのヒートは通常三ヶ月に一度程度、期間は一週間ほど。
・ヒートの程度や間隔は個人差がある、心身の状態にも左右されやすい。
・オメガのフェロモンにはアルファを発情させる効果がある。
・番ができるとオメガのフェロモンの匂いは番のアルファにしかわからなくなる。発情させる効果も番のアルファにしか効かなくなる。
・番はアルファからだけ解消できる。
・番を解消すると、元番のアルファも他のアルファのようにオメガの匂いがわからなくなる。
・番を解消することで直接体に影響はない。
・影響はないけどオメガにとっては相当なストレス。ストレスが原因で体調を崩すことが多い。
基本的なことは中学校で習った気もするけど、自分には関係ないと思ってたからほとんど覚えてなかった。「オメガが発情すると周りのアルファも発情するから、お互いのためオメガは常に発情抑制剤を持ち歩きましょう」って先生が言ってたのはなんとなく覚えてる。
「ふーん、読んだはずなのに知らねえこと結構あるなあ」とBLTサンドを食べながら「アルファと診断されたあなたへ」を読んでいた三井先輩が言った。
「番のアルファのフェロモンはオメガにはいい影響が多いです。怪我や病気の際に、番のいるオメガは番のいないオメガやベータ、アルファより治りが早いという統計も出ています、だとよ。それで桜木の病室あんなに水戸臭かったんかな」
「桜木くん、普通は復帰まで半年くらいかかるけど、多分三ヶ月くらいで復帰できるって言ってましたよね。アイアンボディとか言ってたけど、水戸くんのおかげだったのかも」
それは、少しだけ水戸に感謝してやってもいいかもしれない。そこだけだけど。
「でも良かったじゃん流川。番って解消できるんだね。オレ一回番になったらそれっきりだと思ってた」
「んー、でもよー。オレ市でやってるアルファ向けの講習で番解消されたってオメガの話聞いたことあるけど、けっこー大変みてーよ」
「そうなんですか?」
「ヒート自体は薬で抑えられるけど、でも前は番がいたのにってのがかなりストレスらしーんだよ。それで体調崩したり心療内科に通ったりするオメガも結構いるって言ってたぞ」
それじゃあ結局、桜木は水戸と別れられないってことか?
「番じゃなくてもヒートの時に相手してくれる恋人がいれば楽になるらしいけどな。男のオメガって相手誘惑するのにフェロモンに頼りがちになるけど、番解消されたらもう誰も匂いに気づけねえだろ? なかなか新しい恋人見つけるのも難しかったりするらしい」
なんだ、なんの問題もねーじゃねーか。
「ならへーきっス。オレが桜木の恋人になってヒートの時は相手するんで」
桜木がヒート起こしたって、オレがいれば問題ない。
「簡単に言うけどな。番って一生モンだし、それを別れさせるって事はお前も一生背負うんだぞ。そのへん、ちゃんと覚悟決めてから動けよ」
「うす」
ずっとカツカレーを食べながら黙って本を読んでいた佐々岡が、
「覚悟かあ・・・そもそも桜木くんと水戸くんもそんな覚悟して番になったのかなあ」
と言った。そして、持っている中高生向けの本の音読を始めた。
「十代のうちに軽率な気持ちで番になり後悔する人もたくさんいます。番は普通のカップルや夫婦とは違います。別れるとオメガはストレスで体調に大きな影響が出ることもあります。一度番と別れたアルファは、新しく番を得ることはできません。番になる事は、一生に大きな影響を及ぼします。少なくとも成人するまでは番を持たない方が良いでしょう。・・・だって。二人は中学の頃から番なんでしょ? あんまり考えないで番になっちゃったのかも」
「そもそもあの二人って付き合ってるの? 仲はいいけど、恋人同士って感じじゃなくない?」
「友達同士で番になるとかある?」
番だから当然付き合ってるのかと思ってたけど、そうじゃない可能性もあるのか。考えても見なかった。でもどうやって確認すればいいんだ? 夫婦なら指輪とかで確認できるかもだけど。
「オレ桜木に聞いてみようか?」と桑田が言った。
「できるんか?」
「うん、会話の流れでさり気なく聞けばいいんでしょ? やれるやれる」
桑田が明るく受け合ってくれた。
その後は、みんなでバース性の話やバスケの話や関係ない雑談をしながらファミレスでダラダラと過ごした。オレはこんなことしたのは初めてだったけど、結構楽しかった。
桜木は退院したと言ってもまだ学校にも来たり来なかったりで、学校には来てても部活に毎回顔を出すわけではないらしい。まだ体調があまりよくないみたいで、心配だった。桑田が「まだ桜木と会えててなくて聞けてないんだよね」と言っていた。
何日かして、ようやく桜木が部活に顔を出した。相変わらず制服のまま、入口のあたりで練習の見学をしている。休憩のタイミングでのそのそと体育館の中に入って来た。
「花道、調子どうだ?」
「まあまあだな。週二で病院行ってたのも今週から週一だから、もうちょっと顔出せると思うぜ」
「授業も結構休んでんだろ? あんま無理すんなよ」
「おー。今日はもう帰るよ。なかなか体調安定しねーんだよなあ」
「お前大丈夫なんかよ」
「なんかシンインセイ? らしいから、部活に復帰できるくらいまでいったら安定するだろーってさ」
「気ぃつけて帰れよ」
「洋平にバイク乗っけてもらうから大丈夫」
水戸の名前が出た途端、なんだかすごくイヤな気分になった。
隣にいた桑田が「あ、ねえ桜木」と、帰ろうとしていた桜木を呼び止めた。
「桜木と水戸って付き合ってんの?」
石井と佐々岡がギョッとした顔で桑田を見ている。
「はあ んなわけねーだろ、洋平はオレの一番のダチだ」
「二人が番ってうわさ聞いたからさ」
桑田がそう言うと、桜木は「ああ」と納得したような声を出した。
「そりゃあ、番になんなら洋平しかいねーもんよ。番がいる方が体調もいいし、いい事ずくめなんだよ」
そう言って桜木はニッと笑うと、「じゃあオレ帰るわー」と体育館を出て行った。
「だってよ流川! 付き合ってないって! 良かったねえ」と笑う桑田に、三井先輩が「お前結構スゲーやつだな」と言って溜め息を吐いた。
練習の後、一年生四人でマックに行った。この後の作戦会議のためだ。
「二人が付き合ってないんなら、普通にアプローチすればいいんじゃない?」
なるほど。普通のアプローチ。
「それ、なにすりゃいいの?」
「・・・わかんない」
首を傾げたオレにつられて、正面にいた石井も首を傾げた。
「流川くんって女の子にアプローチされる側でしょ? どんな事されるの?」
佐々岡に聞かれて、オレは今まで女子にされた事を思い出す。
「なんか・・・やたら差し入れされる。受け取らねーけど。休み時間起きてると話しかけられるし。あとは学年も違うのに呼び出されていきなり告白されたり、されなくても休みの日に出かけようって誘われたり」
「わー、知らない世界」と石井が言った。
「話しかけるってのはクリアしてるんじゃない? しょっちゅうお見舞い行ってたし」
「じゃあ次か。差し入れか、休みの日に一緒に遊ぶ?」
「デートだ!」
「でーと・・・」
オレと桜木がデート。
「どこに行けばいい?」
「えー、映画とか?」
「オレ、暗いと寝る」
「カラオケとか? ボーリング、はまだ無理か」
「歌・・・」
「流川、歌苦手?」
「ん」
聴くのは好きだけど。歌うのはあまり得意じゃない。
「ゲーセンは?」
「行った事ない」
「あ、うちに江の水の割引券ある。明日持ってくるよ」
「水族館ってデートっぽすぎないかな?」
「でも屋内だし、そんなに体に負担もないから病み上がりでも良さそうじゃん。近いし」
桜木と水族館。魚とか興味ないけど、想像するとちょっと楽しそうな気がした。桜木をデートに誘う。次にやるべき事がわかったら、すぐにでもそれを実行したくなってくる。
そして、実際にオレはすぐに実行した。次の日登校してすぐ、桜木が教室にいるのを見た。都合よく水戸もいなかったから、自分の教室に入るよりも先に七組の教室に入った。
「桜木」と呼びかけたら、椅子に座って頬杖ついたままの桜木がオレを見た。
「明後日、暇か?」
「あー? 明後日って日曜か。病院もねーし暇だけど。なんだよ」
「出かけるぞ。二人で」
「はあ⁉ なんでだよ」
「オレと仲良くすんのも悪くねえって言ってた」
「いやまあ言ったけどよ」
「オレも仲良くなりてーと思ってる。だから、出かける」
「・・・オレ、金ねーぞ」と少し考える様子を見せてから桜木が言った。上目遣いで、くちびるを尖らせている。かわいい。
「だいじょーぶ。奢る」
「おごっ・・・オメーそんなにオレと遊びてーんか?」
「うん」
オレの返事に桜木は驚いた顔をしてから、
「はははっ! オメー性格わりーから友達いねーもんな! いーぜ、一緒に出かけるか」
と楽しそうに笑った。
桜木がちゃんとオレを見て、オレに笑顔を見せる。そーすると全然イライラなんてしなくて、むしろドキドキしたし、楽しかった。
当日は昼過ぎに自転車で桜木の住むアパートまで迎えに行った。別にいいって言われたけど、休日の江ノ電は混んでるだろうからと言って、住所を聞いて地図まで書いてもらった。オレが自転車で来たことを知った桜木は、「迎えに来るっつーからてっきりバイクだと思ったら、チャリかよ」と苦笑いしていた。
桜木を後ろに乗せて一三四を自転車で走る。天気がいいから結構気持ちいいし、楽しかった。
日曜の水族館は混んでて、世の中には魚好きなヤツってこんなにたくさんいるのかと驚いた。「ガキの頃親父と来て以来だなー」と桜木が言っていた。オレは多分、小一の遠足ぶりだと思う。
桜木は大水槽が気に入ったみたいだった。「エイだ! でけえ!」とか「イワシ! すげー、キラキラしてる!」とかガキみてえにひとしきり騒いだあとも、黙って水槽を眺めていた。オレも隣で黙って魚を眺めて、たまにちらっと桜木の横顔を盗み見た。
「海ん中ってこんなキレイなんだな。・・・入院してる時、気が滅入ると海見てたんだけどよ」
「うん」
「海ばっか見てて、海見ると入院してた時のこと思い出してちょっとテンション下がるくらいで」
「・・・うん」
知らなかった。水族館にしたのは失敗したと思った。
「でも、なんかちょっと大丈夫になったかも」
「うん」
良かった。桜木がほんのちょっとでも元気になってくれたなら、今日のデートはきっと大成功って言っていいはずだ。
イルカショーがもうすぐ始まるという館内アナウンスが流れて、オレ達はようやく大水槽の前を離れた。イルカショーでは桜木はずっとはしゃいでて、「ちょっと水かかった!」と嬉しそうにしていた。その後館内の展示を見てるときもずっと騒がしかった。オレは、桜木が黙ってても騒がしくしてても、ずっと楽しかった。
館内を一通り見て回ったあと、なんとなく土産物売り場に立ち寄った。桜木がイルカの形の人形がぶら下がったキーホルダーを手に取り眺めている。
「それ、欲しいの?」
「親父と来た時に買ってもらったのとおんなじだと思っただけ」
「ふうん」
オレは桜木の手からキーホルダーを取り上げると、それをレジに持って行った。そして、買ったばかりのそれを桜木に渡した。
「やる」
桜木が呆気にとられた顔をして、そして急に笑い出した。
「ふっ・・・くくくっ・・・ルカワ、これ」
そう言って、ハーフパンツのポケットから何かを取り出した。手には家の鍵。半分以上色が剥げ落ちてるけど、オレが今買ったのと同じイルカのキーホルダーがついている。
「・・・現役じゃねーか」
「はははっ! そう、現役!」
「これ、どーしよ」
オレは手の中のキーホルダーを見つめた。
「ルカワが使えばいいじゃねーか。オレとお揃いになっちまうけど」
そう言って、桜木が笑った。
桜木と、お揃い。
「あ‼ ルカワ、笑った!」
「え?」
笑った? 全然、無意識だったからわかんねえ。
「すげえ! オメー笑えんだな! もっかい笑えよ! 写真撮って売り捌く!」
「そんなこと言われても、ムリ」
「んだよー、笑えよー」
そう言って桜木が、オレの左右のほっぺたをつまんでむにむにと上に引っ張り上げた。その手が離れたあともずっと、触られたところが熱くてジンジンしていた。
キーホルダーは愛用のドラムバッグに付けた。歩くたんびにイルカがゆらゆら揺れて、イルカが揺れるたびに楽しくなる。月曜の朝、自分の教室に向かう前に桜木のクラスを覗いたら、桜木がいた。今日は水戸もいたけど、気にせず教室に入って「さくらぎ」と声をかけた。
「おー」と返事した桜木と目が合うと、なぜか昨日のほっぺたの熱がぶり返してきた。
「・・・きのう、たのしかった」
「はは、そりゃあよかっな」
「また、今度一緒に出かけよう」
「オメーの奢りならいーぞ」と桜木が笑うと、オレの顔がまた熱くなった。顔は熱いけど、ドキドキして楽しい。
でも、せっかくの楽しい気分はすぐに水戸にジャマされた。
「あれ? ルカワのそのキーホルダー、花道とおんなじやつ?」
「おー。昨日二人で水族館行ったんだよ」
「水族館? へー、オレ小学校の遠足で行ったっきりだわ」
「なー。オレもすげー久々に行ったけど結構楽しかったぞ」
「近いけど案外行かないもんだよなあ。江ノ島も遠足でしか行ったことねーわ」
「そーゆーもんだよなあ」
オレの気持ちはどんどん萎んでいった。
「流川くん、昨日桜木くんと水族館行ったんだって?」と佐々岡に話しかけられたのは、部活前の着替え中の事だった。
「なんで知ってんの?」
「自分の注目度の高さわかってないでしょ。お揃いのキーホルダー買ったって噂になってる」
「結果的にお揃いになっただけ」
オレ達の会話を聞いていた宮城先輩が、
「でも花道イヤがってないんでしょ? いーじゃん、楽しかったんだ」
と言った。
「昨日はまあ・・・。でも、水戸がいると分が悪いっす」
桜木と水戸は長い付き合いで、親友で、そのうえ番で・・・、関係がかなり濃い。だから、水戸がいる時はどうにも水戸に敵わない。もっと攻めねーと。
次の日から、オレはマメに桜木に話しかけるようにした。廊下ですれ違えば声をかけたし、七組の前を通った時に桜木がいれば水戸がいようがいまいが近寄っていった。昼メシを一緒に食べようと誘ったらついて来てくれて嬉しかった。二人だけでいても別に会話が弾む事はないけど、でもやっぱりドキドキして楽しい。
毎日毎日桜木に話しかけるようにしてたら、「最近テメーとばっか一緒にいるな」と言われた。
「イヤ?」
「べつに」
べつに、か。オレがなりたい関係にはまだまだ遠いけど、夏前までを思えばかなりの進歩だろう。
ある日二人で屋上で昼メシを食いながら、また日曜日一緒に遊びに行こうと誘ってみた。「おー。どこ行く?」と桜木が悩む事なく返事をしてくれて、そんな些細な事がすごく嬉しい。
オレは休みの日に友達と遊びに行った事がほとんどないからどこに行けばいいかわからないと正直に言うと、笑われた。
「つってもオレも洋平達とパチ屋ばっかだからなあ。ゲーセンでも行ってみっか」
「ゲーセン、行った事ない」
「オレもそんな行った事ねーけどな。まあそれなりに楽しめんだろ」
「うん、楽しみ」
桜木がオレの顔をまじまじと見て、「オメー意外と表情豊かだよな」と言った。