酔っ払いベルちゃん「えへへえ、ゆーりすしゃああん」
呂律のまわらない声でベルナデッタが戯れてくるのを制するのにユーリスは苦心していた。引きこもりだろうが一応は一端の兵士であるベルナデッタに全力で絡みつかれると振り解くのも容易ではない。
普段は照れて二人きりの時しかここまで密着して来ないというのに、完全に酔っ払っている。
「あー、くそ。やめろベル。髪をかき回すんじゃねえ!」
「固いこと言わにゃいでくだしゃあよー」
「お前、飲み過ぎだ……」
久しぶりの戦勝の宴の席。珍しくも先の戦いで活躍していたベルナデッタはべろべろに酔っ払っていた。どうやら持て囃されて酒を注がれたのを調子に乗ったのか律儀なのか全部飲んだらしい。結果、ひどく酔ってユーリスに絡みついている。
「あらあら、ベルちゃんったら。旦那様と仲がいいようで羨ましいわ」
こちらもそれなりに飲んでいるドロテアがにこにこと言う。
「旦那じゃねえっての。どかねえかベルナデッタ!」
「ええ〜、嫌ですよお。いつもみたいにぎゅってしてくださいユーリスさん」
「いつもしている、ですか?」
こちらは酒に強いらしいペトラが真顔で聞く。
「はい!」
元気よく答えたベルナデッタを引き摺るようにユーリスは立ち上がった。これ以上ここにいては自ら墓穴を掘りかねない。どうせ後で羞恥で死にそうになるのに振り回されるのはユーリスなのだ。
「部屋に送っとくよ。ほら帰るぞベル」
「お持ち帰りの間違いじゃないの?」
「こんな酔った女を抱く趣味はねえよ」
ドロテアの軽口に軽口で返して、ユーリスは絡みつくベルナデッタを無理矢理抱えると、外に出る。
「ユーリスさああん! ベルまだ飲み足りないですううう」
考えなしに身を捩ったベルナデッタを落とさないようにユーリスはベルナデッタの体を引き戻す。
「充分飲んだろうが! 暴れるんじゃねえ!」
「ッ……うぶ。気持ち悪い……」
唐突に脱力したベルナデッタに嫌な予感がして、ユーリスはその場でベルナデッタを下ろす。四つん這いになったベルナデッタはその場で嘔吐した。そのまま自分の吐瀉物に突っ伏しそうになるのを慌てて支えて引き離す。
「言わんこっちゃねえ……おい、大丈夫か?」
「大丈夫らないれす……うう……」
そのまま蹲ってしまったベルナデッタの背をさする。
「おい、起きろ。歩けねえならせめておぶされ」
「……冷たくて、気持ちいいです」
地面にぺったりと頬をつけて、ベルナデッタはそのまま動かなくなってしまった。
「寝るならせめて部屋で寝ねえか。こんな野外で寝るんじゃねえ」
「……動けません、抱っこしてください」
ユーリスは小さく舌打ちをつく。
「ならお望み通り持ってやるよ」
ベルナデッタの片腕を持って自分の肩にまわす。その状態で無理矢理立ち上がった。当然ながら腕に引っ張られてベルナデッタも引き摺り上げられる。
「ひょえあっ、ひゃあああああ」
「変な声上げんじゃねえ。歩かねえなら引き摺ってくぞ」
本当にそのまま歩き出したユーリスに引き摺られまいと慌ててベルナデッタはふらつく足で地面を蹴った。
「わっ、ととっ、まっ、止まってくださあああい!」
ベルナデッタが叫んで、ユーリスも足を止める。なんとか足を捻らずに済んだベルナデッタは危ういところで立ち止まって、そのまましんどそうに膝を折った。腕を肩にまわされているせいで座り切れずにいるベルナデッタを見かねてユーリスもその場で屈む。
「おい、きついならおぶされ。それか大人しく引き摺られろ」
「っひえ、お、おんぶしてくだしゃあい」
ふらふらと寄りかかって来たベルナデッタをなんとか背負って立ち上がった。今度こそ吐瀉物を撒き散らされる前にとユーリスは背中を揺らさないように慎重に、かつ早足にベルナデッタの小屋を目指す。
幸いなことにベルナデッタがそれ以上嘔吐する前に小屋についた。中に入ってすぐの寝台にどさりと落としてやる。
「おい、着いたぞ。水は……」
水差しを探すと、卓の上にあるそれは空だった。ちょうど切らしているのか、あるいは引きこもりだから取りに行くのを後回しにしているのか。
「うぷう……」
「おい、そこで吐くなよ」
部屋の隅にあった置いてあった木桶をひっくり返して中身を出してから押し付けると、ベルナデッタはそれを胸に抱いて俯く。気持ち悪そうにはしているが、吐き気には至らないのか吐く様子はない。
「うえ……喉渇きました……」
「水持って来てやるから待ってろ」
水差しを取り上げて足早に食堂へと戻る途中、ペトラがベルナデッタの吐瀉物を片付けていた。
「っと、悪いな。ベルの奴が吐いちまってよ」
「いえ。問題ない、ありません。今日、彼女に助けられる。助かりました。ユーリス、忘れ物、ですか?」
「いや、水を取りにな」
片手を振ってペトラと別れる。
食堂に行って水桶から適当に水を汲んでいると横から声をかけられた。
「ユーくん、戻って来たのね」
目をやるとドロテアがいる。まだ飲んでいるのか片手には酒盃を持っていた。
「お前……いい加減にやめとかねえと明日に響くぞ」
「大丈夫よ。自分の飲める量くらいはわかっているわ。それに、これくらいの時間まで飲める男の方が将来有望じゃない?」
未来の旦那候補でも見繕っていたらしい。たしかにこういうところで元気のいい男は出世株だったりする。
「はあ……じゃあな」
「あら? 飲んで行かないの?」
「水取りに来ただけだからな」
ドロテアと別れてベルナデッタの小屋に戻ると、ベルナデッタは眉を顰めて横になっていた。抱えている桶は大して汚れていない。吐こうとしたが、吐くものがなかったらしい。
「う……?」
薄く目を開けたベルナデッタの腕から桶をもぎ取る。
「水持って来てやったぞ。起きれるか?」
「うう……」
なんとか手をついて起き上がろうとするベルナデッタを助け起こして、水を注いだ杯を口元へ持って行く。ベルナデッタが杯を受け取って持つ手が危なっかしく見えて、取り落としたらいつでも支えられるように手を構えたままで待つ。
幸いにも溢すことなく飲み干した杯を受け取って、背を撫でた。
「まだ飲むか?」
「いえ……楽になりました。ありがとうございます……」
答えて、ベルナデッタはそのままユーリスの方へと倒れ込んできた。ずるずると重力に負けて上体を落としながらぎゅうっと抱きついてくる。
「…………さっさと寝ろ」
引っぺがそうとするも、ベルナデッタは本気の強さで抱きついていてぴくりとも動かない。
「ユーリスさあん」
甘えた声でぐりぐりと頭を押し付けてくる。あまりの無防備に思わず心配になる。
「おい、離さねえか」
「嫌ですう」
「…………あー、くそ。ベル、わかったからせめて寝台で寝ろ」
「ユーリスさんと寝ますう」
「わかったわかった」
腰に絡みついたベルナデッタごとユーリスは寝台に乗り上げて奥に寄せる。そのまま無理矢理毛布を被ろうとすると毛布の下に埋もれたベルナデッタがようやく絡ませた腕を離した。今更自分の天幕に戻る気にもならずユーリスもそのまま横になる。
「ユーリスさん、ユーリスさん」
毛布の下から顔を出したベルナデッタが改めてユーリスにぎゅうぎゅうとくっついてくるが、もう引き剥がすのも面倒だった。
「うるせえ……」
「むふふう」
散々振り回されたというのに、こうして満足気に懐かれるとどうでもよくなってしまうあたり、自分も随分と絆されたものだと思う。
「…………酒臭え」
ぽつりと溢して目を閉じた。
翌朝。ベルナデッタは二日酔いで痛む頭に目を覚ました。狭い小屋のただでさえ狭い寝台で、なぜか身を寄せ合うようにしてユーリスが隣で寝息を立てている。
「うえ……? ユーリスさん?」
「ん……。ベル? 早えな」
くあ……っとあくびをしながらもユーリスはまだ起きる気がないのか横になったままベルナデッタを見返す。
「……なんでユーリスさんがここにいるんですか? あっ、もしかして夜這いにんむう!」
唐突に鼻を摘まれて奇声を発する。
「馬鹿か。お前が掴んで離さねえからここで寝てんだよ」
「ふえ? え? ベルがですか? やだなあ、ベルそんなことしませんよお」
「覚えてねえのか……お前が酔い潰れたのを誰がここまで運んで来てやったと思ってんだ」
「えっ…………あれ?」
昨夜を思い返そうとしたベルナデッタは記憶がすっぽり抜け落ちていることに気がついた。昨日はみんながやたらと褒めてくれて、もっと飲めと勧められるままにお酒を飲んで……それから、どうやって帰って来たのだったか。
「人目も憚らず俺様に絡みつくしよ」
「かっ、かかか絡みつくう⁉︎ それ、ベルがですかああ⁉︎」
「お前以外に誰がいんだよ。体捩って暴れるわ、地面に転がってげろげろ吐くわ」
「嫌あああ……あ、頭痛いいい」
叫ぼうとした自分の声が頭にガンガンと響いて尻すぼみに声は消える。穴があったら入りたかった。恥ずかしいし頭が痛いしで散々な気分だ。それに間違いなくユーリスに嫌われた。願わくば昨日の夜からやり直したい。
「二日酔いか。はあ……薬もらってきてやるよ」
「うう……お願いします……」
いつもの調子で答えてしまってから、行ってくれるんだと思う。愛想をつかしてどこかへ行ってしまうのかと思ったのに。だが、ベルナデッタがそのことを尋ねる前にユーリスはさっさと小屋を出て行ってしまった。
そしていくらも経たずに薬を持って戻ってきた。
「ほら、飲め」
丸薬をくれて、水差しから杯に水を注ぐ。ベルナデッタが起き上がるのに手を貸して、杯を渡してくれて、飲み下すのを見届けてからさっさと杯を回収して片付ける。そこまでするとユーリスは再び何食わぬ顔で寝台に潜り込んできた。
「えっ」
「あ? お前も寝ろ。まだ明け方だぞ」
「あ、すみません」
当番の人はこの時間にも起きているだろうが、戦闘の翌日とあって少なくとも昨日出撃した人たちは昼までは休める。いそいそと横になると、ユーリスに抱き寄せられた。
「調子悪くなったら起こしてくれていいからな」
「あ、ありがとうございます」
「…………」
ユーリスが黙って目を閉じて、ベルナデッタも。
「……って、おかしいですううう!」
「ああ? なんだよ急に」
ユーリスが面倒そうに目を開ける。
「なんでそんな普通なんですかああああ⁉︎」
「はあ?」
「だって、ベル迷惑かけたんですよねえええ! 酔い潰れて、いっぱい吐いて、ユーリスさんをお、押し倒したりしてええええ!」
叫んでいたらまた頭がズキズキしてきてベルナデッタは顔を顰める。
「押し倒されちゃいねえ……」
「け、けど……幻滅、しなかったんですか? あたし、愛想つかされちゃってないんですかあああ?」
「いや、こんくらいで尽きる愛想ならとっくに尽きてんだろ……」
「ととと、とっくに、尽きてるんですかあ⁉︎」
「だから、尽きてねえって話を……ふあ…………眠い」
既にベルナデッタの背中にまわっていたユーリスの腕に力がこもってベルナデッタを引き寄せる。
「ひえっ、あ、あああの⁉︎」
ベルナデッタを抱き枕代わりに今度こそ寝息を立て始めたユーリスにベルナデッタはどうすることもできない。ただ、嫌われてなくてよかったなあと安心して、ユーリスの寝顔に釣られるようにいつしか眠りに落ちていた。