悪夢「ユーリスさああああん!」
「うおっ!?」
深夜。叫び声と共に突然ベルナデッタに抱きつかれたユーリスは驚いて目を覚ました。
何事かと横を見れば、ベルナデッタがひしっと腕に抱きついている。
「ぴえええええ」
「んだよ、ベル。どうした」
周囲に他の気配はない。さすがに不審者が入ってくれば気が付かないわけがないからその可能性は除外する。だとすると、体の不調か。ひとまず灯りを付けるべく寝台脇に手を伸ばす。
「ユ、ユーリスさあん……い、いますよねええ。大丈夫ですよねえええ」
「はあ? 何言ってんだ」
なんとか手探りで灯りをつけると、涙でぐしゃぐしゃになったベルナデッタの顔が照らし出された。怯えた表情で縋るようにユーリスを見上げる。
「ユーリスさん、あの……えと……ぎゅって、して欲しいです」
「ぎゅ? ああ……」
抱きしめろということか、と解釈して手を広げかけて止まった。このまま抱きしめれば鼻水をつけられる。再度寝台脇に手を伸ばして鼻紙を取り上げる。
「ユーリスさん……?」
「おら、先に鼻」
鼻を摘んでやると、ベルナデッタはチーンッと鼻をかむ。鼻を拭って、涙も止まったらしいベルナデッタはそれでもまだ泣きそうな顔をしていた。鼻紙を塵箱に放って今度こそ手を広げるとベルナデッタが胸に飛び込んで来る。
「ッ……ふええええん!」
またしても泣き出す。鼻を拭った意味はなかったなあ、と思いつつぽんぽんと背中を撫でた。
「どうしたってんだベル。怖え夢でも見たかあ?」
体の不調の可能性も既に捨てていた。どこかが痛いとかにしては、体を庇う素振りが見えない。単に悲しいことがあって泣いている、という風だ。
「うえっ……ユ、ユーリスさんが、いなくなっちゃう夢を見て……。い、いますよねええええ! どこにも行かないですよねええ!?」
「あー……そう、だな」
背負っている組織を思うと即答しかねたのだが、今ここでそれを話せば話が拗れることは目に見えている。第一、余程のことでもなければそんなことにはならない。
「な、なんで微妙に歯切れが悪いんですかあああ! 本当ですよねええ!? 行かないでくださいねえええ!?」
「うるせえなあ。嫁放ってどっか行ったりはしねえよ。ここにいんだろうが、ちったあ落ち着きやがれ」
「ほ、ほんとに、本当ですよね……?」
「疑り深えやつだな。俺様が信じられねえってのか?」
「ひっ!? い、いいいいえ決して、そういうわけでは……ないんですけど……」
不安げな上目遣いは庇護欲をかき立てる。強く抱き寄せた。
「ほら、これでいいだろ。さっさと寝ろ」
これだけ言っても不安なのか、ベルナデッタは両手でユーリスの体をしっかりと抱きしめるとようやく体の力を抜いた。灯りを消して、しっかりとベルナデッタの体を抱いてユーリスも目を瞑る。
「………………」
「………………」
「………………ユーリスさん」
「…………なんだよ」
「……呼んでみただけです」
「そうか」
「………………」
「………………」
「…………………………ユーリスさん」
「……ん?」
「よ、呼んでみただけ」
「はあーーー」
深く深くため息を吐いた。ハピなら魔獣の10体も現れそうなため息だ。
「す、すみませえええええん! ちゃ、ちゃんと寝ますうううう!」
「俺がいなくなる夢って何を見たってんだよ。心音が聞こえてんだろうが」
「そ、そうなんですけどおおおお。でも、夢の中でもそうだったんですうううう! い、一緒に寝てたのに、気づいたらいなくて、どこ探しても見つからなくて、あたし……怖くてええええ!」
「あーくそ、わかったから泣くな。灯りつけてれば寝れるか?」
「た、たぶん……」
「たぶん?」
「ね、寝ます! 眠れますうう!」
「よし」
ユーリスが灯りをつける。吐息が当たるほどに顔を近づけて抱き寄せた。
「………………」
「………………」
「………………」
「………………」
目を開けた。
「ッ……」
ベルナデッタと目が合った。
「お前」
これだけじっと見つめられていては眠れるものも眠れない。
「す、すみませッ」
「まだ何も言ってねえよ」
「でも怒ってますよねええええ!」
「怒ってねえ……」
「嘘ですううう。絶対怒って、呆れてるんですうううう! 夢くらいで何言ってんだって思ってるんですうううう!」
「まあ、呆れちゃあいるが……」
「や、やっぱりそうなんじゃないですかああああ!」
「わかったから叫ぶな。お前が眠れるまで話でもしててやる。それでどうだ」
「い、いいんですかあああ!?」
「ああ……」
それからポツポツとユーリスは自分の話をした。ベルナデッタとの思い出話に始まり、部下と組織の話、果ては自分の幼少期のことまで。ベルナデッタが眠る気配はなく、話はどんどんユーリスの深い部分へと踏み込んでいく。話したくないことは避けていても、思い出してしまうことまでは止められない。
「あ、あの……ユーリスさん」
それまで相槌だけ打っていたベルナデッタに不意に名前を呼ばれて、ユーリスは伏せていた目を上げる。
「あ?」
「なんか、苦しそう、ですか……?」
「は? ああ、眠いからな」
「えっ、で、でもその、そういうことじゃ……ないような……」
「別に何もねえよ」
「も、もしかしてベル、嫌な話まで聞いちゃいましたかあああ!? 」
「んなこたねえよ。ただ……少し、昔のことを思い出しただけだ」
「そ、そうですか……でも、思い出させちゃったのは、ベルのせいですよね……あ! あの、今度は、ベルが話しますから! ユーリスさんは」
「馬鹿か。お前が寝れねえってからこうやって話してんだろうが」
「ああっ! そうでしたああああ」
「忘れてたのかよ……」
「いえ! その! ユーリスさんの話が……面白くて……」
「そりゃどうも…………ん、ベル、ちょっと目閉じろ」
ふと思いついてユーリスはそう指示する。思いつきだが、やってみる価値はあるだろう。
「こう……ですか?」
「俺のした話、どれが面白かった?」
「ええっと、ですね……ユーリスさんの、お母さんの話が好きです!」
よりによってそこか、と思う。勢いで話してしまったが少しばかり気恥ずかしい。
「…………んじゃ、その話思い浮かべてみろ。そうだな……俺様と、母さんが……」
「ユーリスさんと……お母さん……」
「んで、そこにベル。お前もいたらどうだ?」
「あたしが、いたら……?」
「そうだ。想像してみろ」
「ッ……えへへ」
何を想像しているのか、ベルナデッタはにやにやと笑い始めた。抱き寄せた手で緩やかに背を撫でていると、やがてベルナデッタがうとうと微睡み始める。自分の胸に寄り掛からせるように頭を支えると、寝息が聞こえてくるまでに時間はかからなかった。
「……ようやく寝たか」
カーテンの隙間から漏れる薄明かりが、夜明けが近いことを知らせていた。このまま起きていようか迷うが、ベルナデッタの規則正しい寝息を聞いているとユーリスまで眠くなってくる。睡魔に促されるまま目を閉じると、間もなく心地良い闇に意識は絡め取られていた。