ユーリス誕 ぼんやりと目を覚ましたベルナデッタはなんとなく体が怠いことに気がついた。あたりは薄暗く、隣からはユーリスの寝息が聞こえる。早朝に目が覚めることは珍しい。
喉が渇いていて、お手洗いにも行きたかった。もぞもぞと起き上がると、頭がグラッとする。手をついて体を支えながら布団から出ようとしたところで、布団についていた手首を掴まれた。
「どうした?」
振り返ると、いつのまに目を覚ましたのか、ユーリスがベルナデッタの手首を掴んで見上げている。
「あ、すみません。起こしちゃいましたか? ちょっとお手洗いに行こうかと」
「その格好でか?」
「ああっ! わ、忘れてましたあああ」
わたわたとベルナデッタは胸元を隠す。昨日の夜ユーリスと肌を重ねてそのまま寝たから、服を着ていなかった。脱いだ服はどこに置いたっけと見まわすと掛け布団の上にくしゃくしゃのまま放り出されている。手を伸ばして取ろうとして、バランスを崩した。
「ッ……おい、大丈夫か?」
たまたまベルナデッタが倒れた方にいたユーリスが咄嗟に支えて元通りに起こす。
「すみません。なんか……頭がフラフラして」
ユーリスの片手が、額を包み込むように押し付けられた。冷たい手が気持ちいい。
「熱っぽいな……。一人で着られるか?」
ユーリスが引き寄せてくれた服を手に取る。着るために持ち上げようとして、けれど怠くて腕を動かしたくない。
「はい……ちょっとだけ、休んだら」
「貸せ」
ユーリスがさっさと服を奪ってベルナデッタに被せる。手伝ってもらいながら頭を出して、腕を通して、ほっとしたら力が抜けた。だが、その時には既にユーリスが片手を背中に回して支える体勢に入っている。
「……すみません。風邪引いちゃったんですかね」
「風邪? 喉痛えのか?」
「いえ……そんなことはないんですけど……」
「んで、便所はどうする? 抱いてくか?」
「……ちょっと、休みたいです」
「ん」
ユーリスが横にさせてくれて、それでようやく一息ついた。体感的にどれくらい熱があるかはなんとなくわかる。たぶん今はそれなりに高い。
「すみません……。ユーリスさん、今日お誕生日なのに」
「気にすんな。むしろ、休みでちょうど良かったろ。何か食えそうなら作って来るが……食欲あるか?」
「ありがとうございます。えっと、なら冷たいのが食べたいです。氷菓子とか、あっアルビネベリー食べたいです」
「ははっ、お前本当に遠慮がねえな。この真夏に氷なあ……」
「でも士官学校ではいつでもシャーベット食べられましたよね。美味しかったなあ」
「氷魔法使える奴がいねえとそうそう用意できっかよ。ま、探しちゃみるが……」
「ユーリスさん」
そっとユーリスに触れると、ユーリスがベルナデッタを見下ろす。
「どうした?」
「風邪治ったら、改めて誕生日の贈り物用意しますね」
「昨日の夜充分貰ったろ」
「刺繍飾り、まだ用意してないですから」
「……ありがとな。けど、今はゆっくり休め」
「はい」
力なく笑って、目を閉じたベルナデッタにユーリスは瞬間息を詰める。呼吸してることを確かめてふっと息を吐いた。
立ち上がって服を着て、ユーリスは部屋を出る。早朝とあって屋敷の中は静かだ。厨房まで行って水差しを用意して、食糧の備蓄を確認して、何が作ってやれそうかレシピを考える。
水差しと果実をすり下ろしたものを持って部屋に戻ると、ベルナデッタが床で倒れていた。扉の開閉音で気づいたのか、ベルナデッタが倒れたままでのっそりと顔を上げる。
「あ、ユーリスさん……」
「お前、何してんだよ」
呆れ半分心配半分に駆け寄って助け起こすとベルナデッタは全体重をユーリスに預けるようにもたれかかってきた。
「お手洗いに行こうと思って……ちょっと回復したので行けるかと思ったんですけど……」
「……お前熱上がってねえか?」
「…………すみません」
「謝ることじゃねえよ。おぶってやる、背中乗れるか?」
「はいい……」
ユーリスが背を向けるとベルナデッタが体重を預けてくる。尻を支えつつ立ち上がり、お手洗いへ向かった。ずり落ちるように便座に座らせるとベルナデッタの上体は不安定にグラグラ揺れる。しんどそうに手をついてなんとか体を支えている状態だ。
「おい、本当に大丈夫か? こんなとこで寝るなよ」
「はい……だい、じょうぶれふ……」
「待ってるから何かあったら呼べ」
「ありがとうございます」
ベルナデッタを置いて外に出て、壁に寄りかかって腕を組む。
咳や鼻水の症状は出ていないし、昨日も調子が悪い様子はなかった。
「…………興奮させ過ぎたかな」
昨晩を省みて思う。少し、やり過ぎたかもしれない。汗もかいていたし、体を冷やしたのだろうか。ここ数日張り切っている様子だったから疲れが出たのかもしれない。
感染症の類とは考えにくい。ベルナデッタは外に出ないから感染経路も不明だし、そもそもあれだけ濃厚に接触しておいてユーリスは何もなしというのもおかしい。
「ユーリスさあああん」
か細く呼ぶ声にベルナデッタのもとへ戻ると、床に頽れていた。どうやら座っていられなかったらしい。
「終わったか?」
「はい……」
「背中乗れるか?」
「はい……」
苦しげなベルナデッタを再び背負って寝室まで戻り、寝台に横たえる。
水差しから水を与えて、口元まで少しずつ運んですりおろした果実を与えると、いくらか顔色が良くなった。
「とりあえず医者呼ぶか。一人で平気か?」
ユーリスの問いかけにベルナデッタは僅かに視線を揺らして、そっとユーリスの服の裾を握った。
「へ、平気じゃないって言ったら、ここに居てくれるんですか……?」
上目遣いにそんなことを言われて否と言えるはずもないし、言う気もない。
「眠るまではいてやるよ」
「えっ……いいんですか?」
「それくらい構わねえよ、手握ってればいいか?」
「は、はい……! えへへ……」
ベルナデッタは嬉しそうに片手を差し出す。慈しむようにそっと手を重ねると、心地良さそうに目を閉じた。
ベルナデッタの寝顔を見るともなく眺めながら、ユーリスは氷魔法について考えていた。あいにくとヴァーリ家使用人の中に使える者はいない。街まで出向けば誰かしらそれを生業としている者もいるだろうが、この状態のベルナデッタを置いて家を離れるというのも憚られる。
使用人にでも頼んで氷を見繕って来てもらうかと考えていた時だった。不意に、扉が遠慮がちにノックされた。
ベルナデッタを見れば疲れが出たのか既に寝息を立てている。そっとそばを離れて薄く扉を開くと普段は外番をしている私兵が立っていた。
「何かあったか?」
「いえ。朝早くにすみません。お客様がいらしておりまして」
まだ使用人が出勤していなくて夜番の男がここまで取次に来たらしい。
「客?」
「その……『ハピ』と言えばわかるはずだと……」
窺うような視線を向ける私兵を押し除けるようにしてユーリスは自ら部屋を出た。
「俺が直接行く。ああ、そうだ。医者の手配頼んでいいか? ベルナデッタの奴が熱出しててよ」
「ッ……はい! 直ちに!」
敬礼した私兵に軽く笑ってユーリスは足早に玄関へと向かう。そこではハピとコンスタンツェが物珍しげに屋敷を見物していた。
「よう、ハピ! 久しぶりだなあ。お前もいたのか日陰女」
「貴方のそれを聞くのも久しぶりですわね……。ですが、本日は大目に見て差し上げますわ」
「ほー、そりゃあどういう風の吹き回しだ?」
「どうも何も、本日は貴方の誕生日でしょう?」
想定外の答えにユーリスは虚をつかれる。
「あー、まあ、そうだが。よく覚えたな」
「た、たまたまですわ! 誰が貴方の誕生日など覚えているものですか!」
「いや、覚えてたじゃねえか……」
「別に覚えてたわけじゃないよ。たまたまこのへんに来たらさ、明日はユリーの誕生日だって街の人たちが話してたから。せっかくだし寄っていけば何か美味しいもの食べられるかなーって」
ハピが呑気な調子で言う。
「食い物目当てかよ……」
「いやあ、こうやって旅してると意外とお金がなくってさー。それに、久しぶりにユリーのご飯も食べたいじゃん?」
「はあ……飯は構わねえが。だからって、んな早朝に来るこたねえだろうが」
「仕方ないじゃん。コニーが昼間に歩きたがらないんだから」
「わ、私はただ、夜間に移動した方が涼しいですし、何かと都合がよろしいでしょうと」
「それでさ、今夜にしようかとも思ったんだけど、誕生日の夜はさすがにお邪魔かなーって」
「……気遣いどうも」
苦笑したユーリスにコンスタンツェが一歩寄った。
「それでユーリス。上げてくださるんですの? 何か用がおありでしたら中で待たせていただきますわ!」
「そろそろ入れてもらわないと朝日が出て来ちゃうもんねー」
「ハピの言う通りですわ! ですからお早く」
「へいへい、とりあえず客間に案内するよ」
二人を客間に通しておいて、ユーリスは厨房に向かった。夜通し歩いて来たのであれば疲れているはずで、久しぶりの旧友をもてなす程度のことはしたい。
まだ使用人もいないから自分の朝食も兼ねて適当にありもので軽食を作って持って行くと、ハピがスンスンと鼻を鳴らしていた。
「美味しそうな匂いー。早速作ってくれたんだ」
「俺も朝飯まだだからな」
答えながら出来たてのそれを卓に置いて、ユーリスも二人の向かいに座る。
「それはそうでしょうけど……ベルナデッタさんはよろしいんですの?」
「あー、あいつは今ちょっと熱出しててな……後で何か消化にいいもんでも作るよ」
言いながら早速ユーリスはひと口頬張った。
「えっ。熱って……大丈夫なわけ? もしかしてハピたちまずいときに来ちゃった?」
「いや。疲れが出たんだろ。ここんとこ頑張ってたからな」
それも、ともすればユーリスと過ごす今日を確保するためだったのかもしれない。そう思うと気の毒になる。
「ですが……でしたら側にいて差し上げた方がよろしいのではなくて?」
「ま、これ食ったら戻るよ。お前らも夜通し歩いて来たんならこれから寝るんだろ? 後で部屋を用意させとくよ。一部屋でいいか?」
「うん。ユリー、ありがとね。あ、あとそれから誕生日もおめでと」
「ははっ、ありがとな」
「そうでしたわ。こちら、一応貴方への誕生日祝いですわ」
コンスタンツェがおもむろに包みを卓の上に置く。
「はははっ、お前から誕生日祝いなんて貰うの初めてじゃねえか?」
「手ぶらで伺うのもどうかと思っただけですわ!」
包みを開くと中身はアルビネベリーだった。来るに当たって適当に摘むか買うかして来たのだろう。ベルナデッタが食べたがっていたからちょうどいい。
中に保冷用か、氷を入れた袋が同封されていて、ユーリスはふと顔を上げる。
「日陰女、お前」
「いくら誕生日といえ二度目はございませんわよ!? その呼び方を即刻改めなければ消し炭に」
コンスタンツェの怒りは無視して話を続ける。
「氷魔法使えたよな」
「して……え? ええ、まあ私ともなればその程度は」
「おっし! よく来てくれたなコンスタンツェ!」
「ですから私にはれっきとした名前が……! いえ、あっておりますわね……」
「氷菓子作るの手伝ってくれねえか。ベルナデッタの奴が食いたがっててよ」
ユーリスの打診にコンスタンツェは胸を張って答えた。
「おーほっほっほっ! その程度のこと造作もありませんわ!」
「え……でも、コニーが使えるのフィンブルだよね。そういうのってブリザーで作るもんじゃないの?」
「大は小を兼ねるのですわ!」
「あー……ま、なんとかなんだろ。適当に氷さえ用意してくれりゃあ、後は俺が作れるしな」
その後、外に出ることを渋りながらもコンスタンツェは庭先で盛大にフィンブルを放ち、ユーリスがその氷で氷菓子を作ってベルナデッタのところに戻るとベルナデッタは目を開けて天井を凝視していた。
「ベル。何見てんだ?」
「あ、ユーリスさん。いえ、別に何ってわけじゃないんですけど……。なんか視界がぼやぼやするなあって」
「お前……視力は良かったよな」
一瞬視力が落ちたのかと危惧したがベルナデッタは否定するように首を振った。
「そうじゃなくてですね、えっと、なんか目が潤んでて、そのせいです。目を細めるとあの辺とかの線がぐにゃっと曲がって見えるなあって」
そう言いながらベルナデッタは壁と天井の切れ目あたりを指差す。
「ああ……」
「あ、あの。ところでユーリスさん。その手にお持ちのものはもしかして……」
「ああ。お望み通り、アルビネベリーの氷菓子だぜ」
「わあああ! 用意してくれたんですねええ!」
「起きれっか?」
「は、はい」
体を起こすベルナデッタの背を支えて、ユーリスはその手に器を持たせる。
「氷はなんとかなっから、また午後にでも作ってやるよ」
「本当ですか!? えへへ……なんか、ユーリスさんの誕生日なのに、あたしの誕生日みたいです。あっ、そうだ」
「まだ何かあんのか?」
「え、えっと……食べさせて、欲しいです」
照れ笑いするベルナデッタに、ユーリスも笑った。
「仕方ねえな」
「やったあ、ありがとうございます。あーん」
口を開けるベルナデッタに匙で器から掬った氷菓子を運ぶ。
「美味えか?」
「はい! とっても美味しいです!」
「氷は、コンスタンツェの奴が出してくれたんだ」
「コンスタンツェさん……? 来てるんですか?」
「ああ。ま、部屋を用意してやったから今頃は寝てると思うが。ハピと近くまで来たらしくてな。フォドラを周遊してんだと」
「へええ。そうなんですねえ。あ、あーん」
思い出したように口を開けるベルナデッタの口に匙を運ぶ。
「食欲はありそうだな」
「はい。寝たら楽になってきました。でも……なんか、悔しいですね……。ベルが寝てる間に、ユーリスさんはコンスタンツェさんとハピさんと仲良くお喋りしてたんですもんね……」
「ははは、嫉妬か?」
「……ち、ちょっとだけ。ユーリスさんは、ベルの旦那さんなのに……」
「心配しなくっても何もねえよ」
「それは、わかってるんですけど。もどかしいと言いますか」
のんびりとそんなことを話しながら、氷が溶けるほどの時間をかけてゆっくりと氷菓子を楽しんだベルナデッタは、最後のひと匙を食べるとユーリスの手首を掴んだ。
「あの、もうちょっと居ませんか?」
「食器置いてくるだけだよ。それに、そろそろ医者も来る。使用人にも説明しねえといけねえし……んな顔しねえでも、すぐに戻るよ」
「すみません……なんか、久しぶりに熱出したせいか不安で」
「熱下がってきてんだろ? 大丈夫だよ」
「えへへ、そうですよね。すみません」
果たしてすぐに医者は来て、疲れが出ただけだろうから明日には治るだろうと診断して帰って行った。
ベルナデッタに感化されたのかユーリスも無自覚に不安になっていたらしく、ほっと安堵する。
安心したベルナデッタはその日いっぱいここぞとばかりにユーリスに甘えたのだった。