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    kai3years

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    kai3years

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    #光サン
    luminousAcid
    #ひろサン
    spread

    綺羅星、あるいは砂の塊 その名を呼ぼうとしても、日に焼けた書物の如く、読み上げられず。
     その顔を思い出そうとしても、強烈な日差しの中にある影のように、見えない。
     光の中に佇む英雄。
     光の戦士。

     お伽話の存在には、いつしか、実体が与えられた。
     駆け出しの冒険者にしては、妙に目覚ましい活躍をしている男がいるようだ。そう語る先輩記者の言葉を、昼食のサンドイッチを片手に、生返事で聞き流したのは、果たして、いつのことだったろうか。先輩は先輩というだけあって、目の着けどころが違ったのだ。そう思い知らされた頃には、自分が「おい、新米!」と呼びかけられることもなくなっていた。
     駆け出しの冒険者はやがて、腕利きと呼ばれるようになり、ありとあらゆる蛮神を退けて、彼こそが光の戦士の再来であると謳われるまでになった。女王暗殺を企てたとして三国を追われたこともあったが、渡った先のイシュガルドにて、今度は人と竜とが共に生きる未来を切り拓いた。そして、自分と暁の血盟の汚名を雪いだあとは、ドマとアラミゴを帝国の支配下より解き放ち、ついにはこの星そのものに襲い来る終末に立ち向かった。
     ありとあらゆる武器を操り、さまざまな戦法を極めた彼が、燃えるラザハンを駆け巡る中で採ったのは、剣と盾だった。逃げ惑う者と獣との間に鋭く割り込んで、舞うように白銀の閃光を幾筋も走らせる姿を、限界まで近寄って、目に、頭に、刻み込んだ。記者としての退き際を見誤っていると叱責されても、社用のペンを取り上げられても、記録を残す手は止まらなかった。だって、その姿はあまりにも美しく、猛々しかったから。土産物の、すぐにインクがなくなる高価なペンを買い、紙に引っかかる先端に舌打ちをしながら、手帳に書き込み続けた。
     そして、ある日。チョコボではなく、馬を駆る、彼の姿を見た。巨体を余すところなく銀の甲冑で覆われながら、まるで重さを感じさせずに炎の中を疾る馬と、その背中に跨ったまま一刀で獣を斬り払い、追われる者の手を掴んで、馬上に抱き上げる彼を見た。
     お伽話の王子さま。魔を打ち払い、囚われのお姫さまを救い出して、最後は、彼女と結ばれる。
     ずいぶん昔に失くしたと思っていた衝動に、胸が痛んだ。それでも、今はそれどころではないと自分を戒めていたのに、あろうことか英雄は、終末を打ち払ってしまった。囚われのお姫さま一人ではない。この星に生きるすべての命を、彼は、救い出したのだ。
     平穏に戻っていく日々の中では、喉奥を突き続ける想いから目を逸らすことは、あまりにも難しかった。とても記事には使えない、主観の大いに交じった文を書き散らし、分厚く重ねて綴じた。安い給料をはたいては絵描きに依頼を繰り返し、あのとき見た王子さまの姿を忘れないよう、何枚も部屋に架けた。そして、その部屋にいない間は、いかにも仕事だという顔をして、再び社用のペンを受け取り、彼を追って、世界を巡った。

     ところで、光の戦士には、愛する者がいるらしい。
     今度はサンドイッチを片手に聞き流す訳にはいかなかった。星を救った英雄ともなれば、選り取り見取りの遊び放題だろうに、一途なことだ、と知ったふうな口を利く先輩に詰め寄って、きつく「彼はそんな人ではない」と釘を刺しながら、詳しいことを聞き出した。
     相手は、今は解散したという暁の血盟に属していた、賢人のうちの一人だった。名は、サンクレッド・ウォータース。英雄との付き合いは暁の中でも長い方で、ウルダハで登録を済ませたばかりの冒険者を見い出したのは、ほかならぬ彼だとも言われていた。戦いにおいては白いコートにガンブレードを翻し、英雄の隣に並び立って、先陣を切る役目を担う。相棒と呼び合う関係にある竜騎士とはまた別に、英雄が深い信を置く存在であるのは、よくわかった。
     しかし。
     しかし、だ。この男、どうにも、怪しいところが多い。英雄の軌跡を記す中で、暁の血盟についても深く調べた自分だからこそ、気付けた。暁の賢人たちの中で、最も表に姿を見せず、煙のように掴みどころのない存在が、このサンクレッドだった。
     飄々とした色男。最近は鳴りを潜めているが、かつては彼に泣かされたと語る女たちも多く、何処の街にも名を出すと激昂する者が一人はいた。そんな男が英雄の恋人という座に収まり、相手を彼だけに絞っているとは、どうにも考え難かった。口が巧くて、見目もよく、いかにも遊び慣れているという雰囲気のサンクレッドが、からかうように英雄の口許に手を遣っては、それを掴ませて笑う姿は、まさしく「あしらっている」といった様子でもあった。
     お前は、何を知りたくて、何を報せたいんだ、と。先輩記者は首の後ろを掻きながら、呆れたように言った。私情が入っていることは、言うまでもなく、自覚している。それでも追うべきでない存在だとは思わなかった。虫は獅子の身中にいる。況や、獅子が純粋ならば。その身に入り込むことは、きっと、虫には容易いはずだ。
     休暇の願いを提出し、リムサ・ロミンサへと飛んだ。サンクレッドがウォータースという姓を与えられる前、少年時代を過ごしたのは、この海都であったからだ。昔馴染みの類いを見つけて、話を聞ければいいと思った。
     いわゆる友人、家族といった昔馴染みは見つからなかった。見つかったのは、口を揃えて、当時のサンクレッドを「クソガキ」と呼ばわる、吝嗇な年寄りたちだ。
     彼らから聞けたのは、サンクレッドが、浮浪児として生きていたこと。齢が十五になる頃には、およそ殺人以外の罪には、一通り手を染めていたという。幼いながらに体を遣うことすら何度かあったらしく、話を聞いたうちの何人かは、今でも寄ってくるならば買ってやるのに、と下卑た貌をし、舌舐めずりを見せたので、吐き気を堪えるのに苦労した。
     買った大人と、買われた子供。無論、責任は、前者にある。しかし、だからといって、後者に罪がないとも思えなかった。話半分に聞くだけでも、幼い頃のサンクレッドは、自らの魅力を把握した上で、意図的に金銭を巻き上げていたように感じられたから。こすい子供は珍しくない。ことに、この海都では。それでも、サンクレッドの過去は、些か度を越していると思えた。
     そういう飛び抜けた賢しさを、ルイゾワ・ルヴェユールは評価した。無論、それはそうだろう。聖人のように語られる存在ではあるものの、行く先々ですべての孤児を拾ったという話は聞かない。遥かオールド・シャーレアンまでサンクレッドを連れ帰り、教育を受けさせ、賢人位を取らせたのは、見込みがあったからだろう。しかし、才能を見抜いたからといって、その心の奥深くまで、見抜くことはできたろうか。そして、かのルイゾワですら見抜くことができなかったものを、かつては駆け出しの冒険者でしかなかった星の英雄が、見抜くことはできるものだろうか。

     やがて来た、休暇の最終日。一応「昔を知る者」の一員ではあるからと、漁師ギルドに赴いて、マスターのワワラゴからも話を聞いていたときのことだった。当時の潮流について以外は碌な情報をくれない口から、話のついでといった様子で、のほほんとその言葉は飛び出した。

     ──というか、ワシに訊かんでも、直接、本人に訊いたらよかろ。ちょうど今朝、着いたそうぢやから。

     心臓が口から出るかと思った。サンクレッドが網倉に居場所を伝える理由はない。聞けば、やはり、連絡をしたのは、かの英雄であるらしい。頼まれていた魚拓を持っていくと到着を報せた彼は、独りであちこちご苦労さんぢやの、とからかったワワラゴに対し、今回は連れがいるんだよ、と言い返したというのである。
     慌てて取材を打ち切って、人混みを縫い、冒険者ギルドに向かった。私的に調査をしている対象に見つかることは、もちろん避けたい。しかし同時に、かの英雄が同じ街に来ているのなら、遠くからでも構わない、どうしても一目、見ておきたかった。
     溺れた海豚亭の様子は、いつもとたいして変わらなかった。そもそも、ここにいる人間は、英雄が訪ねてきたとしても、特段、盛り上がることはない。バデロンをはじめとした全員が、英雄が駆け出しの冒険者であった頃からの顔馴染みである。彼の偉業もせいぜいが「久しぶりに会った子供が思ったよりもデカくなっていた」くらいの扱いなのだろう。
     中に、英雄は、いなかった。いたのは、その連れの方だ。白いコートに包んだ体を柱の一本に凭せかけ、軽く欠伸をするサンクレッドは、誰かを待っているようだった。
     あの人だろうか。
     つきりと苛立ち交じりの痛みが胸を刺す。これから二人で食事でもするのか、それともメルウィブ提督への挨拶にでも出向くのか。いずれにしても自分がともに就くことは叶わないテーブルだ。せめてもの抵抗をするように、酒樽の後ろから様子を窺い、手帳にペンを走らせて、時刻と状況を書き込んでいく。
     と、腕を組むサンクレッドに、近付いていく男がいる。
     英雄ではない。首から提げられて胸で鳴る大ぶりのアクセサリーと、頭を包んだ濃緑の洒落たバンダナが、目についた。海都の裏側に潜み、表側を守る男。双剣士ギルドのマスター、ジャックだ。リムサ・ロミンサに来て、はじめて見た。
     可能であれば、彼からも、話を聞きたいとは思っていた。サンクレッドより幾つかは若年ではあるものの、まったく当時を知らないというほど離れている訳ではない。しかし、見つからなかったのだ。ギルドを訪ねてみたところで門前払いを食らったし、ほかの場所では後ろ姿を見かけることすらできなかった。それが、どうして、ここに来たのか。
     ジャックは、気安くサンクレッドに声をかけ、挨拶を交わした。サンクレッドも警戒なく、頷き、言葉を返している。やはり、知り合いであったらしい。ガンブレードを持つ前は双剣を振るっていたのだから、当然と言えば当然である。
     距離が、ゆっくりと詰められる。白い顔に顔を寄せられ、何かしら囁かれたサンクレッドは、可笑しそうに口を緩めた。単なる知り合いの間では、あまり見られない近さだった。ジャックの右手がサンクレッドの腰に触れ、コートの下へと入る。それを払いのけようともせず、サンクレッドは笑っていた。
     そら見たことか。やはりあれは、こういう男だったのだ。昔の子供は今の大人で、己の魅力を知り尽くし、それを獲物として振るっている。引っかける相手が星を救った英雄だろうと、構わずに。
     ジャックが離れる。サンクレッドに話しかける前と同種の、気安い挨拶を最後に残して、彼は、その場を出て行った。サンクレッドは引き続き、誰かを待つようである。
     ふと、間近の空気が動いた。時化でも近付いてきているのかと、風の吹き込んできた方を振り向いた瞬間、目を奪われた。
     彼が、横を、通り過ぎる。あまりの近さに、咄嗟に声をかけることすら、できなかった。白銀の鎧、剣と盾。いずれも戦いの中で傷付き、鈍く曇ってはいるけれど、芯の輝きを失うことは決してないと思わされる、圧倒的な存在感。黒髪の影を落とす目は、真っ直ぐに正面を向いて、しっかりと床を踏みしめる足は、その先へと、揺らがず進む。
     連れの名を呼ぶ。その声に振り返ったサンクレッドの顔から、一瞬にして、軽薄な笑みの色が消え去った。名を呼んだ以上は言葉もなく、英雄はサンクレッドの腕を乱暴と呼べる強さで引くと、ミートシンに声をかけ、早足でミズンマストへと消えた。
     場が、僅かにざわめいた。ミートシンが少し焦った様子でバデロンに話しかけ、バデロンが舌を打ってから、おもむろに首を横に振る。ス・ホジュビまでが接客を止め、バデロンのもとに駆け寄っていた。
     何かある。
     溜め息を零しながら定位置に戻ったミートシンに、取材の予約を入れてあるのだと嘘を吐き、ミズンマストに入った。無人の部屋を見つけて入り、窓を通って、ベランダに出る。部屋と部屋との境い目に設られた仕切りを乗り越え、身を屈めながら耳を澄まして、二人の入った部屋を探す。
     見つけることは、容易だった。その部屋の窓は開いており、中からは、派手な物音と声が聞こえていたからだ。

     そうっと部屋を覗き込んだと同時に、甲高い音が響いた。頬を打たれたと思わしきサンクレッドがぐらりとよろめき、鍛え抜かれた男の体が、いとも容易く崩れ落ちる。助けを求めるよう浮いた手が、テーブルに敷かれたクロスを掴んで、上にある花瓶ごと引き落とした。陶磁器が砕け、花が散る。

    「さっきのは、何だ」

     質量をもって床を打つような、低い声。窓に背中を向けている英雄の顔は、窺えない。見えるのは、殻に閉じこもろうとするように身を竦めながら、絶え間なく目を泳がせる、サンクレッドの姿だけだ。

    「ちが、」
    「何が違う?」

     腕を掴まれたサンクレッドが、引きずるように立たされる。

    「言ってみろよ。何が違うんだ」
    「挨拶、した、だけ」
    「挨拶ね」

     英雄が、僅かに体を離す。安堵した様子のサンクレッドが、ひとたび全身の力を抜き、そして、再び強張らせた。
     ガントレットを外した手が、白い喉に食い込んでいる。先ほど聞いた平手の音を思い出し、たちまち背筋が凍った。あの日、獣を一刀のもとに斬り捨てていた、手の力。そんなもので頬を張られ、首を握られてしまったら。

    「俺がいつ、そんなものを許した?」

     琥珀の目を恐怖に揺らして、サンクレッドが息を呑む。引き剥がそうと触れることすら、躊躇しているようだった。違う、違うんだ、と繰り返す声が、今にも息絶えそうに、震える。

    「向こうから、話しかけて、きたんだ。だから、仕方なく、応えただけで」
    「へえ。俺も世話になってるギルドのマスターのせいにするのか」
    「ちが、う、」
    「さっきから『違う』しか言えないのかよ、お前は。あ?」

     サンクレッドが、投げ捨てられる。受け身らしい受け身すらとれずに、どさりと床に倒れた体は、英雄から離れようともがいたが、すぐに捕らわれた。後ろ頭の髪を掴んで、俯せの体を引っくり返され、白銀の鎧ごと、圧し掛かられる。

    「嫌だ、やめ──」

     訴えようとした口を、厚い掌が覆う。苦しげに身悶えるサンクレッドを、英雄は完全に組み敷いた。あの日、剣の柄を握って、獣を次々に屠った手が、今はその指だけの力で、サンクレッドの襟を掴んで。

    「んン、ぅ──!」

     布地を引き裂く音を聞けば、もはや正視はできなかった。
     首を引っ込め、小さく屈んで、自らの体を抱きしめる。開けっ放しの窓からは、重い拳が繰り返し肌にめり込む鈍い音と、次第に弱々しくなっていく、サンクレッドの声が聞こえた。やめてくれ、お願いだ、頼む、許して。制止は哀願に打って変わって、震える声には、潮が交じった。

    「俺から逃げられると思うなよ」

     思わない、思わないから、と必死に訴えかける声は、大の男のそれとはとても思えないほど、弱く、細い。

    「二度と誰かに色目を遣ってみろ」

     ぎしりと床の軋む音。哀れな啜り泣きに続いて、再び平手が肌を打つ、きつい音が鳴り響く。
     恐怖のあまり、涙が零れた。自らの口を両手で押さえ、悲鳴だけは漏らさないよう、必死の思いで息を抑える。

    「殺してやる」

     血の凍るような、低い囁きが落とされた。もはや何かを訴えかける威勢も削がれてしまったのか、サンクレッドは嗚咽交じりの呼吸を繰り返しているだけだ。
     逃げなくては。今すぐ、ここから。
     完全に抜けてしまった腰を、生存本能で奮い立たせる。四つん這いと呼ぶにも不格好な姿勢で体を引きずり、とにかく部屋から距離をとろうと、そろりそろりと移動した。
     どうにかベランダの敷居を越える。二つ三つのそれを永遠に続くもののように感じた末、最初に入った無人の部屋に倒れ込むと、全身の力が抜けた。途端に湧き出した震えにがちがちと歯を鳴らしながら、考える。
     バデロンに報告しなくては。いや、あの様子だと、最初から知っていたのだろうか。ミートシンも、ス・ホジュビも。にも関わらず、止めなかった。
     何故だ。彼が、英雄だから? その体裁を慮って?
     違う。もっと単純な話だ。止められないのだ。彼は、誰にも。一人のお姫さまではなく、この星に生きるすべての命を救ったような存在に、正面を切って立ち向かえる者などいるはずがない。
     だから、目を逸らすしかなかった。これから殴られ、犯される男を、部屋に連れ込む姿を見ても、見送ることしかできなかった。
     ぼろぼろと涙が溢れ出る。お前は、何を知りたくて、何を報せたいんだ、と。自分を諌めた先輩記者の目は、やはり確かだった。知りたくなかった。こんなこと。報せることも、できやしない。冒険者ギルドの実力者たちが、黙認している事実なのだ。自分などが告発したところで、握り潰されるに決まっているし、それ以前に、命が危うい。
     お伽話の、王子さま。
     そんなものをどうして現実の中に夢見てしまったのだろう。いる訳がないのだ。いないからこそ、お伽話は愛されるのに。わかりきったことだったのに、どうして、血迷ってしまったのか。
     ぐずぐずとそこで泣き続けたがる自分を叱咤し、立ち上がった。視界には入らなかったと思うが、気付かれなかった保証もない。素人が必死に走ったところで、逃げられる距離も知れている。ならば、遠くの森よりも、近くの傘の下だろう。
     ミズンマストからまろび出て、バデロンに囁き、保護を求めた。鹿爪らしい顔をして深く頷いたバデロンは、酔客のふりをしておけと言って、強い酒を出してくれた。



     * * *



    「行ったか?」
    「行ったな」

     下までは破かせずに済んだらしい。自分に覆い被さっている男の腰を軽く叩くと、やれやれ、と溜め息を吐きながら、彼は体を縦にした。律儀に差し出された手をとって、サンクレッドも立ち上がる。
     コートを脱いで、引き裂かれたシャツから袖を抜く間に、サンクレッドの荷を開けた男が、いつものインナーを取り出した。投げ寄越されたそれを受け取り、改めて身に着け、コートを羽織る。

    「めちゃくちゃスムーズに破れてびっくりした……」
    「お前の馬鹿力にかかったら、量産品はこんなもんだ」

     100ギルもしない、ただのシャツだ。碌に縁さえ縫われていない。金属のプレートを綴じ込んで、硬く織り上げた戦闘用のインナーとは、素材から出来まで異なる。
     サンクレッドが着替える間に、男はグラスに水を注いで、床から拾った花を挿した。そそくさと花瓶の欠片を集め、雑巾で、濡れた床を拭く。湿ってしまったクロスも絞って、皺を伸ばし、椅子の背に掛けた。

    「そういや、あの音、どうやって出したんだ」
    「平手の音か? 簡単だ」

     ばちん!と自らの太股を叩く。

    「タイミングを合わせるだけ」
    「シンプル……」
    「人を騙すのに肝要なのは、下手な策より、思い切りのよさだ」

     お前の演技も悪くなかった。告げると、複雑な顔をして、男は後ろ頭を掻いた。

    「怖がらせちまったよな」
    「まあな。それを狙った訳だから」

     真正面から説き伏せるのが正答となる相手ではなかった。何せ向こうには悪意がない。ただただ、この男を気遣って、善意から動き回っていた。遠慮を見せれば「自分を案じて遠ざけようとしているのだ」と、厳しく言えば「サンクレッドに庇うよう言われているのだ」と、いずれにしても真っ直ぐに受け取ってはくれないだろう。自分に義があると信じ込んでいる人間に、言葉は届かない。だからこそ、こんな搦め手で、遠ざけるしかなかったのだ。
     彼も、わかってはいるのだろう。それでも良心というやつが痛む。自分自身の飛び抜けた力を把握しているからこそ、それを誇示すれば、どんな影響を与えてしまうかも、知っている。

    「なんだ。これから先も尾け回される方がよかったか?」
    「まあ、それは気にしないが」

     敢えてからかう口調で訊くと、着替えを済ませたコートの腰に、逞しい腕が廻された。

    「お前を悪く書こうとしたのはよくなかった」
    「それこそ、俺は気にしないがな」

     浮浪児として過ごしていたのも、体を遣っていたのも、事実だ。嫌な夢として見ることはあっても、消し去ろうとは思わない。泥を啜っても生き延びたからこそ、ルイゾワに会い、ミンフィリアに会い、この男に会うことができた。
     寄せられる唇を受け止めようと瞼を下ろしかけたところで、耳に着けたリンクパールが、入電を報せて鳴った。お預けを食らってひん曲がる男の口を可笑しく見ながら、スイッチを入れ、応答する。

    『よう。猿芝居お疲れさん』

     ジャックだ、と告げ、通信内容を共有できるよう、切り替える。流石に男も顔を離し、自らが属してもいるギルドのマスターと、挨拶を交わした。

    「つまらん真似に付き合わせて悪かったな。ターゲットは出て行ったよ」
    『ああ、こちらでも確認してる。今はバデロンのおっさんに保護されて、クダ巻いてるとこだ』
    「気の毒に」

     夢が破れたあとの酒は、さぞかし不味いことだろう。

    『おっさんが話を盛ってる。サンクレッドと目が合ったってだけで、男も女も構わずに胸ぐら掴んで脅された、自分も被害に遭ったってよ。ああ、ス・ホジュビも参戦した。殴られたサンクレッドの手当てを、こっそり何度もしていたそうだ。サンクレッドはいつも泣いてて、見ているのもつらかったらしい。……ミートシンだ。最高だな、こいつ。表現こそ濁しちゃいるが、お前の部屋から何度か裸の死体を運び出したと言ってる』
    「俺のリムサでの評判がえらいことに」
    『念には念を、ってやつだ、気にすんな。お前のことを知ってる奴なら、誰も信じやしない』
    「そうかね」
    『しかし、ひでえ男だな、お前は。二度とうちの敷居を跨ぐな』
    「おい俺のことを知ってる奴」

     けらけらと笑う声がする。

    『あのペースなら潰れるまで一時間とかからんだろうが、念のため、しばらくはそこにいろ。酔っ払いでも記者の端くれだ、痣一つない顔を見れば、不審に思うかもしれねえ』
    「そのつもりだ」
    『なら、これ以上は野暮ってもんだな。リムサから出たのを確認したら連絡を入れる。切るぜ。またな』

     言うが早いか、ぶつりと音を立て、ジャックからの通信は途絶えた。相変わらず察しも手際も何もかも速い男である。サンクレッドの腰を抱いたまま、キスを止められた不満を込めてぐりぐりと顔を擦りつけてくる、犬のような男の姿が見えているのではないか。

    「こら。何する」

     チョーカーのあたりでふんふんと鼻を鳴らされる。いよいよもって犬に近い。

    「演技とはいえお前を殴ってストレス溜まった。緩和」
    「吸うな」

     今度は大きく息を吸われて、くすぐったさに苦笑した。

    「演技なんかしなくても、お前の今の姿を見せれば、それだけで幻滅したかもな」
    「幻滅したか?」
    「俺は最初からお前に夢なんて見ていない」
    「ありがたいやら哀しいやら」
    「夢見てほしいのか?」
    「いや、全然」

     これ以上は我慢の限界とばかり、ぱくりと食いつかれる。遠慮なく歯列を割ってくる舌の動きを感じながら、わざわざ着替える必要はなかったな、とぼんやり思った。ずたぼろのシャツを纏ったままで抱かれるというのも、たまにはいい。
     上顎を何度となく舐られて、抱かれた腰がひくつき、跳ねる。舌を抜いては挿し入れることを互いに繰り返しながら、今度は硬い床ではなく、ベッドの上に転がった。開け放していた窓を閉め、ついでにカーテンも引く。

    「訂正する」
    「ん?」
    「悪く書こうとしたのがよくなかったんじゃない。内容の善し悪しに関わらず、お前のことを書こうとしたのが、気に入らなかった」

     彼にしては、ずいぶんと、私情の入った物言いだ。

    「これ以上、注目させてたまるか」
    「最近はそんなに人目を引いてはないと思うが」
    「それでもだ」

     白銀の鎧が次々と、投げ捨てるように外されていく。あの記者が彼に惚れ込む一因となった美しい装いも、ここでは邪魔な重しに過ぎない。

    「独占欲の強いことで」
    「嫌いか?」
    「いや。悪くない」

     すっかり裸になった男の、分厚い胸に手を這わせる。自分で脱ぐのが面倒だと言外に訴えて擦り寄ると、勤勉な手は嬉々として、サンクレッドを剥きにかかった。
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