kai3years
MAIKING1蕎麦喰う二人 違和感の発端は、何処だったろう。そもそも、そんなもの、あったのだろうか。サンクレッド自身はあったように記憶しているが、それ以外の拠りどころはない。なんとも希薄なものである。
気付けばぐちゃぐちゃに絡まっていた長い長い紐をほどいて、その端を手探りで求めるよう、記憶を遡っていく。あわや世界がほぼ滅ぶ、なんて冗談みたいな事態も含んだ、サンクレッドの見た「これまで」は、あまりにも濃密だった。些細な違和感を拾い上げるのはサンクレッドの役回りであり、得手とするところでもあるが、それでも苦労を強いられるほどに。
色んなことが、ありすぎた。
思い出はいずれも鮮烈だが、あまりにいずれも鮮烈なので、逆に、なんでもない思い出と、変わらなくなってしまっている。パンを食べるように誰かを救い、水を飲むように誰かを死なせた。扉を開けるよう何かを得て、それを閉めるよう失った。今はこそ「あれ以上はない」と思える星の危機すらも、きっと、いつかは「そんなこともあった」になってしまうのだろう。
3658気付けばぐちゃぐちゃに絡まっていた長い長い紐をほどいて、その端を手探りで求めるよう、記憶を遡っていく。あわや世界がほぼ滅ぶ、なんて冗談みたいな事態も含んだ、サンクレッドの見た「これまで」は、あまりにも濃密だった。些細な違和感を拾い上げるのはサンクレッドの役回りであり、得手とするところでもあるが、それでも苦労を強いられるほどに。
色んなことが、ありすぎた。
思い出はいずれも鮮烈だが、あまりにいずれも鮮烈なので、逆に、なんでもない思い出と、変わらなくなってしまっている。パンを食べるように誰かを救い、水を飲むように誰かを死なせた。扉を開けるよう何かを得て、それを閉めるよう失った。今はこそ「あれ以上はない」と思える星の危機すらも、きっと、いつかは「そんなこともあった」になってしまうのだろう。
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DONE彼も人なり、我も人なり 熟睡という[[rb:水底 > みなそこ]]に、覚醒という[[rb:水面 > みなも]]を描くなら、ちょうど、それらの真ン中あたり。泳いでいるような浮遊感と、ベッドに沈んだ体の重さを、中途半端にどちらも味わう、あまり快くはない状況。そこで、ドアの鍵が回る、かちりという音を聞いた。
「ん……?」
身じろぐ。そうしようと思ってした訳ではなく、反射的なものである。不本意ながら、寝首を掻かれる理由には事欠かない身なもので、睡眠中の物音には、ずいぶん過敏になってしまった。闖入者も気付いたようで、小さな溜め息が聞こえる。
起きたのが、お気に召さなかったか。それは、どういう理由からか。殺しにくいからか、あるいは、寝かせたままでいてやりたかったという気遣いか。
1912「ん……?」
身じろぐ。そうしようと思ってした訳ではなく、反射的なものである。不本意ながら、寝首を掻かれる理由には事欠かない身なもので、睡眠中の物音には、ずいぶん過敏になってしまった。闖入者も気付いたようで、小さな溜め息が聞こえる。
起きたのが、お気に召さなかったか。それは、どういう理由からか。殺しにくいからか、あるいは、寝かせたままでいてやりたかったという気遣いか。
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DONEここを自転軸とする 幼い頃は常に貧し、飢えていたという話を聞いた。長じてからは周りに恵まれ、多くを貰ったとも聞いた。出会ってからのサンクレッドは、与える側の人間だった。
二つの話、三つの姿。きっと、それらのいずれにも、嘘はないのだろうと思う。シビアな状況判断力は、確かに「そのとき必要なもの」を選び抜いてきた人間のものだし、ふとしたときに見せる達観は、既に満たされた人間のものだ。与える姿については実際この目で見たのだ、言うまでもない。サンクレッドは欲するものが「無い」「有る」双方を経験し、それを糧とした絶妙なバランス感覚を有している。
貧窮から自暴自棄になる者の行動予測を果たし、満たされるばかりで人生に飽いた者の心に潜り込む。およそ欲望というものを知り尽くした手管には、いつも、舌を巻かされた。ミンフィリアやリーンに注いだ情の深さにも感心した。それは、世界を放浪する生き方を選んだ根無し草には、到底、真似のできないものだ。だから、サンクレッドの過去を、現在を、その生き方を、否定する気はさらさらないし、畏敬の念すら持っている。
7634二つの話、三つの姿。きっと、それらのいずれにも、嘘はないのだろうと思う。シビアな状況判断力は、確かに「そのとき必要なもの」を選び抜いてきた人間のものだし、ふとしたときに見せる達観は、既に満たされた人間のものだ。与える姿については実際この目で見たのだ、言うまでもない。サンクレッドは欲するものが「無い」「有る」双方を経験し、それを糧とした絶妙なバランス感覚を有している。
貧窮から自暴自棄になる者の行動予測を果たし、満たされるばかりで人生に飽いた者の心に潜り込む。およそ欲望というものを知り尽くした手管には、いつも、舌を巻かされた。ミンフィリアやリーンに注いだ情の深さにも感心した。それは、世界を放浪する生き方を選んだ根無し草には、到底、真似のできないものだ。だから、サンクレッドの過去を、現在を、その生き方を、否定する気はさらさらないし、畏敬の念すら持っている。
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DONE綺羅星、あるいは砂の塊 その名を呼ぼうとしても、日に焼けた書物の如く、読み上げられず。
その顔を思い出そうとしても、強烈な日差しの中にある影のように、見えない。
光の中に佇む英雄。
光の戦士。
お伽話の存在には、いつしか、実体が与えられた。
駆け出しの冒険者にしては、妙に目覚ましい活躍をしている男がいるようだ。そう語る先輩記者の言葉を、昼食のサンドイッチを片手に、生返事で聞き流したのは、果たして、いつのことだったろうか。先輩は先輩というだけあって、目の着けどころが違ったのだ。そう思い知らされた頃には、自分が「おい、新米!」と呼びかけられることもなくなっていた。
駆け出しの冒険者はやがて、腕利きと呼ばれるようになり、ありとあらゆる蛮神を退けて、彼こそが光の戦士の再来であると謳われるまでになった。女王暗殺を企てたとして三国を追われたこともあったが、渡った先のイシュガルドにて、今度は人と竜とが共に生きる未来を切り拓いた。そして、自分と暁の血盟の汚名を雪いだあとは、ドマとアラミゴを帝国の支配下より解き放ち、ついにはこの星そのものに襲い来る終末に立ち向かった。
9947その顔を思い出そうとしても、強烈な日差しの中にある影のように、見えない。
光の中に佇む英雄。
光の戦士。
お伽話の存在には、いつしか、実体が与えられた。
駆け出しの冒険者にしては、妙に目覚ましい活躍をしている男がいるようだ。そう語る先輩記者の言葉を、昼食のサンドイッチを片手に、生返事で聞き流したのは、果たして、いつのことだったろうか。先輩は先輩というだけあって、目の着けどころが違ったのだ。そう思い知らされた頃には、自分が「おい、新米!」と呼びかけられることもなくなっていた。
駆け出しの冒険者はやがて、腕利きと呼ばれるようになり、ありとあらゆる蛮神を退けて、彼こそが光の戦士の再来であると謳われるまでになった。女王暗殺を企てたとして三国を追われたこともあったが、渡った先のイシュガルドにて、今度は人と竜とが共に生きる未来を切り拓いた。そして、自分と暁の血盟の汚名を雪いだあとは、ドマとアラミゴを帝国の支配下より解き放ち、ついにはこの星そのものに襲い来る終末に立ち向かった。
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DONE光のお隣さん/いい夫婦の日「いい夫婦の日ですね」
「そうだな」
「今日入籍するカップル、すごく多いらしいですよ」
「知ってる」
開店まであと三十分。カウンターの中に立ち、洗ったグラスを拭きながら、テーブル席で茶を飲んでいるリーンと、そんな会話を交わす。
最近の彼女は、学校帰りに花屋へ顔を出したあと、その隣にもこうやって立ち寄るようになっている。たいていは一人で、たまにはガイアと。サンクレッドは「開店準備の邪魔になるだろ」と渋っていたが、基本的にはテーブル席で会話に花を咲かすだけなので、邪魔になどなりようもない。むしろバタついているときには用意を手伝ってくれるので、助かるくらいのものだと話し、歓迎の意を伝えていた。
「……しないんですか?」
2741「そうだな」
「今日入籍するカップル、すごく多いらしいですよ」
「知ってる」
開店まであと三十分。カウンターの中に立ち、洗ったグラスを拭きながら、テーブル席で茶を飲んでいるリーンと、そんな会話を交わす。
最近の彼女は、学校帰りに花屋へ顔を出したあと、その隣にもこうやって立ち寄るようになっている。たいていは一人で、たまにはガイアと。サンクレッドは「開店準備の邪魔になるだろ」と渋っていたが、基本的にはテーブル席で会話に花を咲かすだけなので、邪魔になどなりようもない。むしろバタついているときには用意を手伝ってくれるので、助かるくらいのものだと話し、歓迎の意を伝えていた。
「……しないんですか?」
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DONE転んだ後の杖 もともと英雄という像からは程遠い男ではあった。当然である。英雄らしい立ち居振る舞いの英雄など、お伽噺か、色を着けられた伝記の中にしか存在しない。普段の一挙手一投足から英雄らしい者がいるとすれば、それは英雄ではなく、詐欺師だ。確信をもって断言できる。
サンクレッドが、というよりは、サンクレッドの報告を受けた「暁」が目を着け始めた頃、男は、小銭稼ぎに勤しむ、駆け出しの冒険者に過ぎなかった。そこから色々の一言では済ませられないほど色々あって、彼の肩書きはすっかり星の英雄となってしまったが、その実、肩書き以外のものは言うほど変わってはおらず、今でも駆け出しの冒険者がする小銭稼ぎも好んで請け負う。
やれ手紙の配達だの、やれ作物の収穫だの。喉を渇かし、土にまみれて、涙ぐましいほどささやかなギルを受け取り、笑う姿は、せいぜいがヴェテランの冒険者であり、それ以上にはとても見えない。流れる汗を服で拭う悪癖も昔から変わらない。ハンカチの一枚くらいは持てと口を酸っぱくして叱っても、わかったとその場でびっくりするほど上等なハンカチを縫い上げはするが、すぐに値を付けて売ってしまう。リテイナーを二人も雇い、彼らの懐にどっさりとギルを預けているにも関わらず、ハンカチを渡して小銭を受け取る姿は、いつでも幸せそうだ。
6832サンクレッドが、というよりは、サンクレッドの報告を受けた「暁」が目を着け始めた頃、男は、小銭稼ぎに勤しむ、駆け出しの冒険者に過ぎなかった。そこから色々の一言では済ませられないほど色々あって、彼の肩書きはすっかり星の英雄となってしまったが、その実、肩書き以外のものは言うほど変わってはおらず、今でも駆け出しの冒険者がする小銭稼ぎも好んで請け負う。
やれ手紙の配達だの、やれ作物の収穫だの。喉を渇かし、土にまみれて、涙ぐましいほどささやかなギルを受け取り、笑う姿は、せいぜいがヴェテランの冒険者であり、それ以上にはとても見えない。流れる汗を服で拭う悪癖も昔から変わらない。ハンカチの一枚くらいは持てと口を酸っぱくして叱っても、わかったとその場でびっくりするほど上等なハンカチを縫い上げはするが、すぐに値を付けて売ってしまう。リテイナーを二人も雇い、彼らの懐にどっさりとギルを預けているにも関わらず、ハンカチを渡して小銭を受け取る姿は、いつでも幸せそうだ。
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DONE光のお隣さん/最終話「最近、リーンの外泊が多い」
「無断か?」
「いや」
「なら、いいじゃないか」
そう簡単に割り切れるような話ではないのだと、いつもより多めに七味を振っている手が訴えている。別にどれだけ薬味を盛ろうが客の自由ではあるのだが、どて煮は出している料理の中でも、濃い味付けをしてある方だ。赤黒い山を築かれてしまうと、若干の切なさを覚えなくもない。
平日の月曜である。この日ばかりは、どの季節であっても、客足は控えめになる。火・水を定休日としているため、店自体は開けているが、実のところ、調理・接客よりも、メールを確認している時間の方が長いこともあるくらいだ。ラハのシフトも、休日でない月曜日には、入っていない。
それを伝えてからというもの、サンクレッドが独りで来るのは、概ね、月曜の夜となった。時刻は零時の少し前。多くのサラリーマンたちは、明日に備えて帰宅している。客はサンクレッド一人しかおらず、こんな話もタメ口のまま堂々と交わせるという訳だ。
4638「無断か?」
「いや」
「なら、いいじゃないか」
そう簡単に割り切れるような話ではないのだと、いつもより多めに七味を振っている手が訴えている。別にどれだけ薬味を盛ろうが客の自由ではあるのだが、どて煮は出している料理の中でも、濃い味付けをしてある方だ。赤黒い山を築かれてしまうと、若干の切なさを覚えなくもない。
平日の月曜である。この日ばかりは、どの季節であっても、客足は控えめになる。火・水を定休日としているため、店自体は開けているが、実のところ、調理・接客よりも、メールを確認している時間の方が長いこともあるくらいだ。ラハのシフトも、休日でない月曜日には、入っていない。
それを伝えてからというもの、サンクレッドが独りで来るのは、概ね、月曜の夜となった。時刻は零時の少し前。多くのサラリーマンたちは、明日に備えて帰宅している。客はサンクレッド一人しかおらず、こんな話もタメ口のまま堂々と交わせるという訳だ。
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DONE光のお隣さん/第八話「ありがとうございました! お気を付けてー!」
見送りのために開けられた引き戸から冷気が吹き込んでくる。常に火のあるカウンター内でも、身震いするような寒さだった。出て行ったラハも普段より心なし時間を短めに、うーさぶさぶ、と呟きながら、小走りに駆け戻ってくる。
隙間のないよう引き戸を閉めて、テーブルの上を片付けると、四時間ぶりの無人、正確には、店員だけの時間となった。湯呑みに熱い茶を注ぎ、ラハと二人で、ふうふう啜る。
書き入れどきである年末だが、だからといって、毎日がてんてこ舞いになる訳ではない。特に十二月は、忘年会にクリスマス、仕事納めに大晦日と、イベントをいくつも抱えるからこそ、その合間の客入りは、若干、控えめなものになる。皆、休息が必要なのだ。肝臓とか、財布とかに。もちろんそれは酒や食事を供する側にも言えることで、たまには通常営業の夜がなくては、倒れてしまう。
3190見送りのために開けられた引き戸から冷気が吹き込んでくる。常に火のあるカウンター内でも、身震いするような寒さだった。出て行ったラハも普段より心なし時間を短めに、うーさぶさぶ、と呟きながら、小走りに駆け戻ってくる。
隙間のないよう引き戸を閉めて、テーブルの上を片付けると、四時間ぶりの無人、正確には、店員だけの時間となった。湯呑みに熱い茶を注ぎ、ラハと二人で、ふうふう啜る。
書き入れどきである年末だが、だからといって、毎日がてんてこ舞いになる訳ではない。特に十二月は、忘年会にクリスマス、仕事納めに大晦日と、イベントをいくつも抱えるからこそ、その合間の客入りは、若干、控えめなものになる。皆、休息が必要なのだ。肝臓とか、財布とかに。もちろんそれは酒や食事を供する側にも言えることで、たまには通常営業の夜がなくては、倒れてしまう。
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DONE光のお隣さん/第七話 親子は、長い間、話をしていた。好きに寛いでいてくれと自由を許された彼らの家の、客間とキッチンを往復し、茶を飲み、コーヒーを飲み、冷蔵庫から取り出した缶ビールを開けても、まだ。廊下の奥にあるリーンの部屋からは、二人が交わす静かな会話と、時折、止められなかったのだろう、少女の啜り泣きが聞こえた。
客間のソファに身を沈め、バッテリーのずいぶん減ったスマホで、ラハへのLINEを打つ。彼には既に電話で一度、リーンの無事を報告し、友人たちに礼を言って解散してもらうよう伝えたが、今一つ状況を把握しきれていない様子だったので、改めて、補足を送っているのだ。とはいえ補足の内容も「占い師が教えてくれた個人運営の博物館に行ったら、リーンと魔女とその娘がいて、サンクレッドがボロクソ言われたあと、魔女の娘がリーンを連れて先に帰った」というものなので、余計に混乱させるのは、火を見るより明らかなのだが。まあ、そのあたりは、追々整理しながら顔を見て話すしかない。
5691客間のソファに身を沈め、バッテリーのずいぶん減ったスマホで、ラハへのLINEを打つ。彼には既に電話で一度、リーンの無事を報告し、友人たちに礼を言って解散してもらうよう伝えたが、今一つ状況を把握しきれていない様子だったので、改めて、補足を送っているのだ。とはいえ補足の内容も「占い師が教えてくれた個人運営の博物館に行ったら、リーンと魔女とその娘がいて、サンクレッドがボロクソ言われたあと、魔女の娘がリーンを連れて先に帰った」というものなので、余計に混乱させるのは、火を見るより明らかなのだが。まあ、そのあたりは、追々整理しながら顔を見て話すしかない。
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DONE光のお隣さん/第六話 自分の店の扉でこれをやられたらキレてしまうかもしれない。
そんなことを思いつつ、動力の来ていない自動ドアに、べたりと両掌を置く。横へとずらす力を込めると、音もなく、重いドアは動いた。暗闇の中、ぬるぬるとひらいていく入り口を、サンクレッドが訝しむ表情をして見つめている。
「鍵は……」
「かかってないようだ」
信じがたい話だが。
掌紋がべっとり付着したドアを、半分ほど開けてから、先んじて中に入り込み、サンクレッドを手招いた。戸惑いながらも続いた男が完全に入りきるのを見てから、再び、ドアに手を貼りつけて、今度は逆方向へと押す。外から気付かれるような異常は、なるべく少ない方がいい。
「あんたはやめとけ。俺がやる」
7188そんなことを思いつつ、動力の来ていない自動ドアに、べたりと両掌を置く。横へとずらす力を込めると、音もなく、重いドアは動いた。暗闇の中、ぬるぬるとひらいていく入り口を、サンクレッドが訝しむ表情をして見つめている。
「鍵は……」
「かかってないようだ」
信じがたい話だが。
掌紋がべっとり付着したドアを、半分ほど開けてから、先んじて中に入り込み、サンクレッドを手招いた。戸惑いながらも続いた男が完全に入りきるのを見てから、再び、ドアに手を貼りつけて、今度は逆方向へと押す。外から気付かれるような異常は、なるべく少ない方がいい。
「あんたはやめとけ。俺がやる」
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DONE光のお隣さん/第五話 ロケットの打ち上げには途方もないエネルギーを要するが、成層圏外に出てしまえば、あとは慣性で進めるように。オープンから三ヶ月を過ぎると、店は、完全に安定した。書き入れどきとなる年末年始も充分な売り上げを確保でき、女性の常連客も定着。彼女らによる口コミで、ご新規さんもよく訪れた。
冬を過ぎればあとは次の冬まで生ビールの季節である。新入社員の歓迎会で大忙しの春を経て、取り敢えず生!が永遠に木霊する夏を捌き切り、そして、秋にひらいた店は、無事に、再びの秋を迎えた。赤字を出した月はなし。タチの悪い酔客による乱闘などを抑えるため、もしもしポリスメン?した回数もギリ一桁にとどまっている。当初の予想を遥かに超えた、順風満帆ぶりだった。
5360冬を過ぎればあとは次の冬まで生ビールの季節である。新入社員の歓迎会で大忙しの春を経て、取り敢えず生!が永遠に木霊する夏を捌き切り、そして、秋にひらいた店は、無事に、再びの秋を迎えた。赤字を出した月はなし。タチの悪い酔客による乱闘などを抑えるため、もしもしポリスメン?した回数もギリ一桁にとどまっている。当初の予想を遥かに超えた、順風満帆ぶりだった。
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DONE光のお隣さん/第四話「グ・ラハ・ティアさん、20歳」
土曜の正午、やや曇り。引き戸の外は休日の人出で賑わっており、静かな店内で交わす会話は、クラクション一つで掻き消される。そのせいで若干普段より大声になってしまっているが、目の前の青年に萎縮した様子は見られず、安堵した。ただでさえやくざな商売であるから、印象は好く保ちたい。
いつもは調え、磨くばかりで、就くことはないテーブル席には、先ほど淹れた二人分の茶が、仄白い湯気を立てている。当然、開店前である。シャッターも半分しか開けていない。
「はい。よろしくお願いします」
赤毛の頭を下げる彼は、アルバイトの面接に訪れてくれた、志願者だ。ここ最近の多忙に参り、倒れる前に駄目元でと店先に貼り紙をしたところ、即日で飛び込んできてくれたのだ。それも電話でなく口頭で。昨夜の営業中、当然ながら酔客で埋まる店に来て、表の貼り紙を拝見しました、面接の機会をいただけませんか、と自分に訴えかけた姿は、いっそ勇敢ですらあった。
4263土曜の正午、やや曇り。引き戸の外は休日の人出で賑わっており、静かな店内で交わす会話は、クラクション一つで掻き消される。そのせいで若干普段より大声になってしまっているが、目の前の青年に萎縮した様子は見られず、安堵した。ただでさえやくざな商売であるから、印象は好く保ちたい。
いつもは調え、磨くばかりで、就くことはないテーブル席には、先ほど淹れた二人分の茶が、仄白い湯気を立てている。当然、開店前である。シャッターも半分しか開けていない。
「はい。よろしくお願いします」
赤毛の頭を下げる彼は、アルバイトの面接に訪れてくれた、志願者だ。ここ最近の多忙に参り、倒れる前に駄目元でと店先に貼り紙をしたところ、即日で飛び込んできてくれたのだ。それも電話でなく口頭で。昨夜の営業中、当然ながら酔客で埋まる店に来て、表の貼り紙を拝見しました、面接の機会をいただけませんか、と自分に訴えかけた姿は、いっそ勇敢ですらあった。
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DONE光のお隣さん/第三話 雨は昼過ぎまでという天気予報はぴたりと当たり、店に到着する頃には、傘は要らなくなっていた。つまり通勤時間の終わりを計ったみたいに止まれた訳で、その点について若干もんにゃりするような気持ちもないではないが、雨が上がったこと自体は、素直にありがたいと思う。呑み屋というのは晴天か土砂降りの下でこそ儲かる。月並みな雨は客足を家へと急がせてしまうばかりだ。
疎らに落ちる雫を避けて、軒下で傘を畳み終えると、ポケットから鍵を取り出し、がらがらとシャッターを上げていく。自分を含めた何者もいない、真っ暗でしんとした店内は、いつも一瞬、見たこともないような場所として、目に映る。灯りと賑わいの有無だけで、こうまでも変わるものなのかと。いわゆる接客業を選んだ自分は、たまに思うのだ。こうまでも変わるものだから、この職を選んだのだろうな、と。
3381疎らに落ちる雫を避けて、軒下で傘を畳み終えると、ポケットから鍵を取り出し、がらがらとシャッターを上げていく。自分を含めた何者もいない、真っ暗でしんとした店内は、いつも一瞬、見たこともないような場所として、目に映る。灯りと賑わいの有無だけで、こうまでも変わるものなのかと。いわゆる接客業を選んだ自分は、たまに思うのだ。こうまでも変わるものだから、この職を選んだのだろうな、と。
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DONE光のお隣さん/第二話「なんだ、繁盛してるじゃないか」
引き戸を開けられた瞬間に反射で飛び出す「いらっしゃいませ」を、すんでのところで飲み込んで、カウンターの内から睨んだ。安堵と失望を混ぜ合わせ、さらに無礼でコーティングした声。果たして店の入り口には、長い銀髪を一つに括った、見た目だけなら絶世の美男がすらりと立っている。名は、エスティニアン・ヴァーリノ。大学時代からの腐れ縁だ。一応スーツを着てはいるが、終業と同時にネクタイを抜かれた襟は寛げられて、またその姿が腹立たしいくらいにさまになっている。
「そりゃ、オープン直後だからな。最初は何もしなくたって、物珍しさで来てもらえるさ。腕が問われるのは、これからだ」
予約していたかのような足取りで入ってきた男が、カウンター席に就いたのを確かめてから、小声で返す。この野郎、引き戸が開けっ放しだ。自分の手で開けたくせに、自動で閉じるとでも思っているのか。
5089引き戸を開けられた瞬間に反射で飛び出す「いらっしゃいませ」を、すんでのところで飲み込んで、カウンターの内から睨んだ。安堵と失望を混ぜ合わせ、さらに無礼でコーティングした声。果たして店の入り口には、長い銀髪を一つに括った、見た目だけなら絶世の美男がすらりと立っている。名は、エスティニアン・ヴァーリノ。大学時代からの腐れ縁だ。一応スーツを着てはいるが、終業と同時にネクタイを抜かれた襟は寛げられて、またその姿が腹立たしいくらいにさまになっている。
「そりゃ、オープン直後だからな。最初は何もしなくたって、物珍しさで来てもらえるさ。腕が問われるのは、これからだ」
予約していたかのような足取りで入ってきた男が、カウンター席に就いたのを確かめてから、小声で返す。この野郎、引き戸が開けっ放しだ。自分の手で開けたくせに、自動で閉じるとでも思っているのか。
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DONE光のお隣さん/第一話 ぎりぎりまで悩んだが、やはり、提灯はなくして正解だった。すっきりとした軒下を、実に伸びやかな気持ちで見上げる。
秋の晴天、金曜日。夕方と呼ぶには少々早い、まだ陽の高い昼下がり。足場やら保護シートやらをようやく除けられた我が店は、小さいながらも一国一城と呼ぶに足る出来栄えだった。未だチョークを引かれていないメニューボードの暗緑が、白いばかりのコンクリートの足許を引き締めている。暖簾は深い小豆色。それ自体は珍しくもないので、染めにはこだわった。刻み込まれた店名は、安かろう悪かろうのプリントものとは、少なくとも自分の目に映る限りでは、一線を画している。これならインスタでよくない方向に論われることはあるまい。多分。最近は呑み屋の客ですらインスタをやっているから怖い。
2982秋の晴天、金曜日。夕方と呼ぶには少々早い、まだ陽の高い昼下がり。足場やら保護シートやらをようやく除けられた我が店は、小さいながらも一国一城と呼ぶに足る出来栄えだった。未だチョークを引かれていないメニューボードの暗緑が、白いばかりのコンクリートの足許を引き締めている。暖簾は深い小豆色。それ自体は珍しくもないので、染めにはこだわった。刻み込まれた店名は、安かろう悪かろうのプリントものとは、少なくとも自分の目に映る限りでは、一線を画している。これならインスタでよくない方向に論われることはあるまい。多分。最近は呑み屋の客ですらインスタをやっているから怖い。
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DONE恋はメレンゲ 本日の冒険者殿は、冒険を一時お休みして、クラフターのお仕事に精を出すことにしたらしい。
アパルトメントのベッドの上で、サンクレッドは目を覚ました。自室ではない。恋人である、冒険者の部屋の中だ。まだ眠っていた自分のためにカーテンを開けなかったのだろう、未だ薄暗い部屋の奥、ベッドの対極に近いところで、冒険者は小さな灯りを頼りに、何かの作業をしていた。
しばたたくたび、心地好い靄が、惜しいながらも晴れていく。男の手にある器具はどうやら、刺繍枠と針のようだ。ちらちらと揺れる灯りだけでは、作業も心許ないだろうに、それでも出来を落とさない自信が、確かにあるのだろう。一心不乱に針を動かす様子は、たいそう目を引いた。
9190アパルトメントのベッドの上で、サンクレッドは目を覚ました。自室ではない。恋人である、冒険者の部屋の中だ。まだ眠っていた自分のためにカーテンを開けなかったのだろう、未だ薄暗い部屋の奥、ベッドの対極に近いところで、冒険者は小さな灯りを頼りに、何かの作業をしていた。
しばたたくたび、心地好い靄が、惜しいながらも晴れていく。男の手にある器具はどうやら、刺繍枠と針のようだ。ちらちらと揺れる灯りだけでは、作業も心許ないだろうに、それでも出来を落とさない自信が、確かにあるのだろう。一心不乱に針を動かす様子は、たいそう目を引いた。
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DONEThe Odd Couple サンクレッドの知る限り、その日は何の祝祭でもなかった。サンクレッドをはじめとする、誰かの生誕日でもなかった。夕陽も夜景も美しくはなく、そもそも夕陽は疾うに沈んでおり、夜景は窓と壁の向こうで、あまつさえやや曇っていた。灯りと酒と食事はあったが、いずれも豪勢ではなかったし、場所はバルデシオン分館で、暁の皆で囲んでいた。しばらく前に世界が終焉から救われたというだけの、ただひたすらに、何処までも何もかも、普通の、ありふれた夜だった。
「サンクレッド」
「ん?」
「手、出せ」
だから、テーブルの向かいで自分と同じ酒の杯を持つ、この男の呼びかけに、躊躇う理由は特になかった。
「? ほら」
左の手を差し出す。右は杯で塞がっていたからだ。それ以外に理由はない。
8326「サンクレッド」
「ん?」
「手、出せ」
だから、テーブルの向かいで自分と同じ酒の杯を持つ、この男の呼びかけに、躊躇う理由は特になかった。
「? ほら」
左の手を差し出す。右は杯で塞がっていたからだ。それ以外に理由はない。