無題 それはカイロスの誤作動から数日後の事。ヒュペルボレア造物院はアーモロートでの検査を終えたヘルメスが帰還し、内部での損傷箇所の調査、被害を受けた創造生物の確認、造物院内の修理と多くの職員が駆り出されていた。
「所長、あの…!!」
一人の職員が慌てた様子で指揮を取るヘルメスの元へと駆けてくる。何か問題があったのだろうかと呼び出された場所へと着いていく。
案内されたのは造物院内の創造生物評価室だった。見つかったのは創造大陸観察区だったが移動をさせたと職員は話す。
小さな布がかけられた膨らみ。複数の職員が周囲に集まっている。大切な観察中の生物に何かあったのだろうかと近付くと職員たちは顔を見合わせて目を伏せる。
「あの、造物院内で、彼女が」
彼女、と言われてヘルメスの脳裏に浮かんだのはメーティオンだった。自分が未熟なせいで命を散らせてしまった大切な使い魔。まさか無事だったのか、いや、そんな筈は、と駆け寄る。けれどもそこにいたのは全く知らない、メーティオンよりも少し大きな獣人型の少女だった。
「この子、は……?」
初めて見る顔に首を捻る。けれども職員たちはヘルメスの反応を見て言葉を詰まらせた。
「所長、やはりこの子の事も記憶が……」
金色の髪に同じ金の獣耳、灰の模様が浮かぶ頬。皆と同じローブを着た小さな女の子。けれども肌から色は消えて、瞳は固く閉じられ、そこに命が無いことはすぐにわかった。
「アゼム様の使い魔で、エメトセルク様たちと同じ頃エルピスにやって来たんです。何かの調査でここに訪れていたようで、メーティオンと所長とも仲良さそうに一緒に過ごしていて……」
「よく三人で連れ立っているのを見かけました。一緒に食事をしたり、休憩をしていて」
「あの日、造物院にエメトセルク様達が入る時この子もいました。だから、カイロスの事故に巻き込まれしまったのかも、しれません」
自分とメーティオンとこの使い魔が?
ヘルメスは色の無い小さな生き物に目を向ける。肉体の構成エーテルは薄く、とても脆い生き物だ。どうしてそんな生き物がエルピスにやってきて、さらにはメーティオンや自分と仲良くなっていたと言うのだろうか。ヘルメスは言葉に詰まり、仮面の奥で視線を泳がせた。しかもあのアゼムの使い魔だと言う。アゼムは何を考えてこんな使い魔を……。
「そう、なのか…すまない、やはりあの数日間の事は何も記憶が無いんだ。アゼムの使い魔、なのだろうか。それならばまずアゼムに連絡を取ろう。今ならまだアーモロートにいる筈だ」
「わかりました」
一人の職員がアゼムへと連絡を取るために駆け出した。なんと言ってもあのアゼムだ。数分後にはどこか知らない世界の端に行ってしまってもおかしくはない。先日の事件で親友であり同じ委員会の同僚、同じく親友であり創造物管理局局長、自身の前任者と錚々たるメンバーが記憶喪失になったと知り、調査地での仕事を大急ぎで片付けた彼女がアーモロートに飛んで帰ってきた事をヘルメスは知っている。今ならまだ捕まえられるだろう。
けれども本当にこの子の事は何もわからない。あの数日間を思い出そうとしても日に焼けた本のように、まるで眩しい光の中にいるように、何も浮かんでこないのだ。何かその間、自分にとって大切な事があったような気はするのにそれが何だったのかすらわからない。それにこの使い魔が関わっていたとでも言うのだろうか。
「すみません、ここにアゼム様の使い魔の子がいると聞いて来たのですが、」
集まる職員とヘルメスに声をかけて二人の女性が息を切らせてやってきた。どうやら急ぎ、走ってきたようだ。
「君達は、」
「アナグノリシス天測園のカルミオンです」
「ポイエテーン・オイコスのマイラです」
二人の女性は名乗りながら床に横たわる少女に気付いて息を呑む。
「そんな、」
「どうして…」
二人は足を早めて小さな使い魔に駆け寄ると、膝をついて遺体の前で項垂れた。どうやら二人は使い魔と親密な関係だったようで酷く動揺していた。
「私、まだあなたの使命を聞かせてもらっていないのに」
アナグノリシス天則園を使い魔に案内した彼女は使い魔にその命の使命を問うた事があった。どうしても自分に自信が持てず、使い魔にその不安を吐露し優しく微笑んで話を聞いてもらった。自分の使命、と使い魔はすぐには思い浮かばないようで、それならいつかわかったらまた教えにきてほしいと約束をしたが、それは叶う事もなく終わってしまった。
「まだこんな形で還るべきじゃ…」
命を散らせた生き物に花を手向けることを教えてくれた小さな可愛い友人。けれどもこんなにも早く、あなたにそれをしなければいけないだなんて思ってもみなかった。
オキュペテが事故で死んでしまった時、確かに使命半ばで死んでしまった命を不憫に感じた。けれども彼女は、彼女が、もうここにはいなくなってしまったと言う事実が、悲しくてたまらない。もうこの子は話す事も、新しい何かを自分達に伝えてくれる事も出来なくなってしまったのだと。あの笑顔がもう見られないのだと。それが、こんなにも胸を痛くするだなんて、知らなかった。
二人は肩を寄せ合い小さく呟いた。周囲の職員達も、その小さな使い魔を知っているのか仮面越しにもわかる沈痛な面持ちで目を伏せた。
それがヘルメスにはとても衝撃的で言葉を失った。必要がないと判じられた創造生物達を星に還すことも淡々とこなしていた職員でさえ、その使い魔の死に何かしらの悲しみを滲ませるものだから。
(どうして)
今まで自分が感じていた嘆きは誰にも理解されなかった。そうして一人で全て完結させて、痛みに蓋をしてきたのに。どうして皆はこの小さな使い魔がいなくなっただけだと言うのに悼んでいるのだろう。
「この子の魂が星海で安らかに眠り、いつか再び出会える事を祈ろう」
一人の職員がカルミオンとマイラに慰めの声をかけ、二人は頷くともう動くことのない手に自分たちの掌を重ねた。
「花を持ってくるね」
「とびきりの綺麗な花を贈るから」
使い魔が教えてくれた死に行く生き物を弔う儀式。親愛なる可愛い友人。あなたが少しでも安らかでいられるようにとカルミオンとマイラは使い魔を悼む言葉をかけると職員たちに礼を言い、創造生物評価室を後にした。
ヘルメスは呆然と使い魔を眺める。皆が悼み、悲しむほどの存在だった使い魔。けれどもヘルメスには何も、何もわからない。どんな風に笑うのか、どんな瞳の色をしていたのか、どんな声をしていたのか、どんな話をしてくれたのか。何もわからない。だから皆がどうしてそれほど悲しむのかもわからない。
他人にも悲しみを知ってほしいと思っていたはずなのに、皆が悲しんでいるのに。きっとここにエルピスの花があったのならば青や紫に揺れているはずなのに。どうして自分の心は冷え切っているのだろう。
自分の事故のせいで命を終えた脆き使い魔。どうしても、直視をする事が出来なくなりヘルメスは目を逸らす。
「その子の事は、アゼムがきてから決めよう。それまではここに安置する事はできるだろうか」
「ええ、わかりました」
職員たちに告げるとヘルメスは足早に創造生物評価室を後にした。
「へるめす」
声にならない叫びをあげそうになり、ヘルメスは飛び起きた。
夢の中で誰かが自分を呼んでいた。とても幸福な夢だと思っていたのに、どうしても苦しくて、叫びたくなる。幸せなものか、悪夢だとそんな気さえするほどで。誰かが笑っているのに誰なのかわからない。自分を呼ぶ声も、笑う顔も、穏やかで優しいのに粉々に砕いたガラスのように何もわからない。苦しい、辛い。でもどうして辛いのかもわからない。
ひどい間違いを犯した気がするのにその間違いがなんだったのかもわからない。手が震える。
どうして、だれなんだ。
光に焼かれて何もわからない、きみは。