無題 魂の特性、とでも言うのだろうか。つまるところ彼女はそう言う人間なのだ。目の前に困っている人がいたのならば、声をかけてしまう。そうして自分が何かできるのならば手を差し伸べる。その日も、同じだった。
「こんにちは。……大丈夫?」
家への帰り道、とある休日の昼下がり、通りがかった公園にて一人の小さな女の子が困ったように立ち尽くしている。それを見つけたコレーは思わず声をかけた。
「こん、にちは」
少女は少し警戒したようにコレーを見上げるので、ああいけないと膝をついて少女に目線を合わせた。笑いかければ彼女は狼狽えて視線を外す。その目線を外した先を辿れば、目の前の大きな木の枝に青いリボンの麦わら帽子が引っかかっていた。
「……もしかして、帽子飛ばされちゃった?」
少女の困っている理由を解き当てて尋ねてみれば、少し警戒が解けたのか首を縦に振られた。
「大事な帽子なの」
しゅんと目を伏せて悲しそうな顔をするものだから居ても立っても居られずにコレーは鞄を地面に置くと、今日はスカートを履かなくてよかったなぁなどと考えながら木を見上げる。
「これくらいなら登れるから取ってくるよ」
「……本当?」
少女の顔が嬉しそうにキラキラと輝き、それを見たコレーは少女の頭を撫でる。登りやすそうな場所を見つけて足をかけると、器用に木の幹を登り始めたのだった。子供の頃から身体能力の高い姉の後を追いかけていたら色々な事ができるようになっていたけれどまさか木登りが人の役に立つ日が来るなんて。
「よっと、え〜…こっちの枝か」
帽子の引っかかる枝を確認すると、そちらへ足を伸ばす。少し細い枝だけれども手を伸ばせばなんとか届きそう。足を乗せられるギリギリまで進み、手を伸ばす。
「ん〜あと少し…」
頭上の枝を掴み、体を支えて帽子に手を伸ばす。もう少しで手が届く。
「よし取れた!!」
小さな帽子に手が届き、しっかりと掴んだ。木の下で心配そうにこちらを見上げる女の子に笑って帽子を見せる。女の子も嬉しそうに笑ってくれた。
その時。
バキ、という音ともに体のバランスが崩れる。
「あぇ?」
体を支えるために捕まっていた枝が折れたのだった。その枝を支えにしていた体は足場の枝に立っている事ができずに、木の上から重力に従って地面に向かって真っ直ぐに落下する。
わぁまずい、と思ったけど体を捻ってうまく着地しようとした所。
「あ、危ない!!!」
まさかの着地先に人が駆け込んできたのだ。
「え、え?!?!」
着地の姿勢を取る事ができず混乱したコレーはそのまま地面と自分の間に駆け込んできた人の上に盛大なダイブをしてしまった。
「〜〜〜〜〜〜??!?!」
「!?!?!」
ズシン、と体に伝わる衝撃。痛くは無い、けれども自分の身体の下に他人の身体があるのが理解できる。鈍い声をあげてその人はコレーの体を受け止めると地面に倒れ込んでいtた。
「え、わ、ご、ごめんなさい!!!!??!」
混乱しながらも下敷きにした人の上から飛び降りて安否を確認する。そこまで高い場所ではないけれど人一人の重さを受け止めるなんてことをすれば骨が折れていてもおかしくない。いや、打ち所が悪ければ死んでいる。地面に這い蹲るその人を青ざめて見ていると、帽子を飛ばされた少女も駆け寄ってきた。
「ヘルメス!! 大丈夫?」
少女はその人の名前を呼んだので、どうやら二人は知り合いらしい。蹲っていたその人はピクリと動いてゆっくり体を起こす。よかった死んでいなかった。
「う゛……」
どうやら男性のようで短い深緑の髪が揺れる。コレーは慌てて帽子を少女に手渡すと男性の顔を覗き込んだ。
「あ、あの、骨とか、大丈夫ですか!?」
彼が起き上がると二人の目が合った。
褐色の肌に新緑ようなキラキラとした美しい緑柱の瞳が印象的な人だった。
「え、あ、えっと……うん、大丈夫。一応、体は丈夫なんだ」
居た堪れなさそうに苦笑する青年にコレーは安堵の息を吐く。体躯も大きく、確かに丈夫な体のようだった。けれども、だからと言って上から落ちてきた人間の下敷きになって無事とは言えないだろう。
「ヘルメス、痛くない?」
帽子を受け取った少女が青年の傍でしゃがみ込む。どうやら青年の名はヘルメスと言うらしい。少女の兄、だろうかと思案する。にしてはあまり似ていない。
「大丈夫だよ、メーティオン。それより、君に怪我はないだろうか?」
まさかの自分の心配をされてコレーは驚いた。いやいや、だって痛い目に遭ったのはあなたの方じゃないか、と。
「いや、私は全然。それよりお兄さんこそ、怪我は…」
「お姉さん、そこ、血が出てる」
全く平気と思ったけれどメーティオンと呼ばれた少女はコレーの腕を指す。おや、と目を向ければ登る最中か、落ちた時なのか、右腕には擦り傷が出来ていて血が滲んでいた。
「わ、ほんとだ。でもこれくらいなら大丈夫。家に帰ったら大判の絆創膏でも貼っておくよ」
「いや、待ってくれ、せめて洗浄はしないと…」
大丈夫と笑うが年焦ったように青年はコレーの手を取り公園の水洗い場へと連れて行く。立ち上がった彼はなかなかに身長が高い。
「痛くないだろうか?」
青年はコレーの傷口を丁寧に洗うとハンカチを差し出した。手際がいいので手慣れていそうだ。この妹らしき少女にもこうして手当をしてあげているのだろうか。
「大丈夫、ありがとう。お兄さんは、どこか痛いところないですか?」
「いや、自分は全く…」
「ヘルメス、丈夫!」
お気に入りの帽子を取り戻したのか、少女はとても上機嫌だ。青年の横に立ちニコニコと笑って可愛らしい。
しかしながら今痛くなくても後から痛み出したり実は骨にヒビが入っていましたなんてこともあるかもしれない。そうなったら大変申し訳がない。
「すいません、一応私の連絡先伝えるので…後から具合が悪くなったら教えてもらえますか? もちろんその時は治療代とか全部負担させて下さい」
しゅんと金色の耳が下がり尾は力なくしな垂れて、青年に頭を下げる。するとおろおろと慌てて青年は手を降った。
「いや、むしろこの子の帽子を取るためにあんな危ない真似をさせてしまって…怪我をしたのも君の方だしお詫びをするならこちらの方だ…」
「ごめんなさい」
青年の横で少女も謝るので居た堪れない。彼女を助けたいと思ったのは自分だし、その自分の不注意で他人を巻き込んでしまったというのに。そしてこのままだと謝り合戦に突入してしまいそうだ。
「私が勝手にやった事だから、謝らないで。帽子、汚れてなかったかな?」
再びしゃがんで少女に目線を合わせて尋ねれば少女は笑顔で頷いてくれた。
「大丈夫。お姉さん、ありがとう」
少女の顔を見てもらい笑顔をする。
「どういたしまして! 格好悪くてごめんね」
「ううん、木登り、すごく上手!!」
苦笑すれば少女はキラキラとした笑顔で褒めてくれて優しくて可愛い子だなぁと嬉しくなる。そして鞄の中から携帯電話を取り出して青年に差し出す。
「携帯、ありますか? 何かあったら連絡下さい」
数日後、3人は再び出会った公園に集まっていた。
話をしていてわかったのは少女ことメーティオンと青年のヘルメスは親戚でメーティオンの世話をヘルメスがよく見ている、ということだった。
「あの、これ…汚してしまったから。ありがとうございました」
コレーは小さな包みをヘルメスに差し出した。驚きながらも青色のリボンが結ばれた紙袋をヘルメスが受け取ると、中には綺麗にラッピングされた箱とコレーの怪我を拭ったハンカチが入っている。
「かわいい! 何がはいってる?」
「そ、そんな自分は大層な事は何も…」
「あああ畏まらないで! ちょっとしたお礼だから…!! メーちゃんにはこっち」
更には鞄の中からもう一つ、小さな包みをメーティオンに差し出す。まさか自分がもらえるとは思っていなかったメーティオンは驚いて目をキラキラに輝かせてコレーの包みを受け取る。
「わたしの!! 開けても、いい?」
「もちろんだよ。喜んでもらえる物になっていればいいけど」
まだ中身を見てもいないのに嬉しそうにしてくれたメーティオンが可愛くてコレーは顔を綻ばせる。可愛いなぁ、妹がいたらこんな感じかもしれない、など思いながら嬉しくて尻尾が揺れた。姉はいるけれど、妹はいないものだから自分がお姉さんになるのは新鮮な気持ちだ。
「わぁ…かわいい!! ブローチ!!」
中から出てきたのは青い鳥のブローチだった。目には宝石のようにキラキラと光る石が付いている。
「これ、帽子につけたらちょっと重くなって飛ばされないかなぁって思ったんだけどどうかな? メーちゃんの色にもよく似合ってるし青い鳥は幸せを運んでくれるから縁起がいいかな〜なんて」
「うん!! ぴったり!!!」
早速メーティオンは被っていた帽子を外すと青いリボンに鳥のブローチをつけた。キラキラと瞳の石が光を受けて煌めき、メーティオンは嬉しそうに破顔する。
「ありがとう、コレー!!」
「メーティオンにもありがとう。君の方は、あれから身体が痛いとか、そういうのは大丈夫だっただろうか?」
メーティオンの頭を撫でながらヘルメスは心配そうにコレーに尋ねる。
「ううん、私は平気。ヘルメスは?」
「自分はなんとも」
安心して笑みが浮かぶ。いやはやよく考えれば木から落ちるのも、それを体で受け止めるのもまったくどうしてそうなったという出来事だ。
「ヘルメスは丈夫!! よく転ぶから!あとぶつける!」
「め、メーティオン…!!」
悪気はないのだろう。メーティオンはヘルメスが丈夫だと言いたかったようで、彼がよく何もないところで転んだりいろんな部分に身体をぶつけるのだと語り始めた。当のヘルメスは自分の失敗を片っ端から挙げられて恥ずかしそうにメーティオンを制止する。
「ふ、はは、そうだね、でもひどい怪我しないように気をつけて」
仲の良い二人を見てコレーは声を上げて笑った。楽しそうな二人なのだな、と。笑われたヘルメスは恥ずかしそうに、片手で顔を覆いため息を吐いた。
「コレー、また次も会える? コレーともっと遊びたい!」
メーティオンは隣に座るコレーの腕に抱きついて嬉しそうに笑う。けれどもヘルメスは慌てたようにメーティオンを止めた。
「メーティオン、彼女にも色々都合があるだろうから…」
「私は大丈夫だよ。都合が合えばいつでも公園でもどこでも駆けつけるけど」
コレーは顔を綻ばせるがヘルメスはすこし罰が悪そうだ。
「だが、君は学生だろう? 忙しい時期じゃ……」
「あぁ、就活とか? 私今のところそういうのが無いというか、一応いく先がもう決まっているから…」
最後の方はどこか小さくぼそぼそと呟いていたのだが、ヘルメスは感心していた。
「もう内定が出ているのか…」
「あー…そういうのじゃなくて、身内の職場で身内のサポートとか…所謂コネみたいな。私は全然優秀じゃない」
コレーは苦笑して俯いた。自分の行く先が決まっているがまるで嬉しくはなさそうだ。
「成る程。でもいくら身内でも全く何もできない人間をそばに置いたりはしないだろう。きっと素質があるんだ」
「ふふ、ヘルメス優しいね。社会人の人に言われるとちょっと自信が持てる気がする」
「それは、よかった」
どこか暗い顔をしていたコレーだったがヘルメスのかけた言葉で少し表情が和らいだ。それを見てヘルメスはホッとしたようだった。
「その人は、すごい人で…私なんかじゃ全然手が届かなくて。それなのに私の事大切にしてくれて。すごく嬉しい事なのに、なんて言うか、荷が重いって言うのかな。期待に応えられるのかって思っちゃったりして」
寂しそうな顔のコレーを心配してメーティオンはぎゅうとその腕を抱きしめる。
「コレー、悲しい? 大丈夫?」
「こんな話は困っちゃうよね。ごめん、大丈夫だよ。贅沢な悩みってやつだ」
ぱっと明るく笑い、メーティオンの肩を抱き寄せる。会ってまだ二度目の人達に暗い自分語りをしてしまって情けなくて恥ずかしい。
「いや、何というか、自分も今同じような立場というか…似たような状況だから、わかるよ」
意外にもヘルメスは真面目な顔で答えてくれた。こんな話眉を顰められてしまうかもと思ったのに。
「自分も今度から新しい職務に携わるのだが、前任がとても素晴らしい人でね。自分には過ぎる程の立場と言うのだろうか。誇らしいけれど、あの人ほど上手くできるのか、と。だから、君の不安はとても…よくわかる」
「ヘルメスも、不安? 辛い?」
素直に不安を口にしてくれたヘルメスにメーティオンは服の裾を掴み心配した。
「大丈夫。辛くはないんだ。こうして誰かと共感するだけで、救われたりもする」
「うん、その気持ちわかるよって言ってもらえるだけで少し安心したりするんだ」
コレーとヘルメスがそれぞれメーティオンに共感して寄り添う事の意味を伝えればメーティオンは二人の手を繋いで笑顔になった。
「じゃあ二人は一緒にいれば安心?」
他意は無いのだろう。おそらくメーティオンにとっては二人で話せば共感して元気になれると、その程度の意味合いだったのだろうけれど、何故だかとても恥ずかしいようなむず痒いような。何とも言えない気持ちになってしまって。コレーはヘルメスの顔を見られなかった。
「う、うん、ちょっと大袈裟だけど…そんな、感じなのかな…?」
「そっかぁ。ねぇコレー一緒に遊ぼ?」
「う、うん!!遊ぶ遊ぶ!!」
立ち上がって手を引くメーティオンに頷いてコレーも続いて立ち上がる。何だかわからないけれど、嬉しいような、恥ずかしいような奇妙な気持ちで。とにかく体を動かして顔に集まる熱を振り払いたかった。