くがてん in 飲み会乾杯、の掛け声と共にグラスの鳴る音が多方面から響いてから、ゆうに2時間が過ぎようとしていた。20人近くがひしめく座敷では、テーブルに突っ伏す者、突然笑い出す者、常と変わらない者と、混沌としている。明日早朝から仕事を控えている天花寺は、不機嫌そうに眉をしかめながら烏龍茶を啜り、元同級生たちのはしゃぐ姿を眺めていた。
「どーしたよ、仏頂面して」
どす、と遠慮なく隣の座布団へ腰を下ろして来たのは虎石だった。その手にはもちろんビールが握られており、天花寺はますます眉間にシワを寄せた。
目ざとく気づいた虎石はにやりとする。
「はーん。さては一緒に酒飲んで騒げねえから拗ねてんだろ?」
「は!?誰が拗ねてなんかッ」
「いーっていーって、天花寺は寂しがり屋さんだもんなー?」
「誰が寂しがり屋さんだ!」
噛みつく天花寺を笑ってかわしながら、虎石は辺りを見回した。
「あれ?そろそろこのやり取りに乗ってきそうなヤツがいねえな」
おい、愁!と幼なじみの名前を呼びはじめたチャラ男に背を向けて、天花寺は再び手元のグラスを呷る。
向かいでは、厄介な酔い方をしている那雪を半泣きで星谷が止めている。その向こうでは胸ぐらを掴み合う蟻坂と中小路。それを止める元team楪、team漣メンバーたち。北原は仲裁に入ることもなく、飲み比べに興じているようだ。
虎石に言われた通り、同じ空気の中で騒ぎたかったのは本当だ。
ぐっ、と苛立ちを飲み下す。
空のグラスを置いて、星谷に加勢しようと腰を上げかけた天花寺に、熱い塊がぶつかった。
「ぎゃっ!」
不安定な姿勢のまま、テーブルへと突っ伏す。熱くて重いそれは、天花寺の体にまとわりつくように上から覆いかぶさった。
聞き慣れた低音が背後から発せられる。
「……天花寺」
「く、空閑ぁ!?」
潰されるような体勢のまま、首だけ動かして見上げれば自分より大きな男が乗っかっていた。こうした悪ふざけに興じる姿は、学生時代から見たことがない。それは天花寺より長い付き合いの幼なじみも同じらしく、空閑の後ろでしきりに目を白黒させていた。
何がおかしいのか、喉を震わせて空閑が笑い出す。吐き出された息がちょうど天花寺の耳にかかり、身体が強ばった。
「お、おい。退けよ。何のつもりだ、空閑」
返事の代わりに腕が腹に回され、力強く抱きしめられた。久しぶりの接触に鼓動が速くなるが、ここは2人だけの空間ではない。込み上げる気持ちを抑えつつ、天花寺は深呼吸をした。
なおも笑い続ける空閑に、若干恐怖さえ覚えながら何とか振りほどこうとする。
「いいかげんにしろ!酔ってんのかっお前!」
「……酔ってない」
「嘘つくな!」
ようやくまともな返事が返ってきたかと思えば酔っ払いの常套句で。押し退けようと格闘する天花寺に、突っ立っていた虎石も加勢した。
「ほら、離れろ愁、飲み過ぎだって」
「うるせえ」
引き剥がそうと近づいた虎石の顔面に、空閑の裏拳が入る。悲鳴を上げて後ずさった幼なじみを放置し、男の手が天花寺の顎を掴んだ。
そのまま無理やり上を向かされ、今度は天花寺から苦痛の声が上がる。
「いたっ、痛ぇだろ!この野暮助!」
「ふ、くくっ」
痛がる顔を覗き込んで、目の前の酔っ払いがまた笑う。見たことのない赤さに染まった笑顔を睨みつける。
「さっきから何笑ってやがんだ」
「いや、天花寺だと思ってな」
「はぁ!?」
要領を得ない返事に困惑すれば、呟くようになおも浮かれた言葉が続く。
「天花寺だ。久しぶりにちゃんと見た」
「おま、」
「……あいたかった」
「な……ッ」
ぶつけてやろうと思った言葉が喉で固まる。
一滴も飲んでいないのに目の前の男と同じ色に頬が染まっていく。天花寺の反応に、空閑は目を細めた。
「かわいい」
「……ッ!!」
やばい。やばい。やばい。
互いに忙しい身である天花寺と空閑は、直接顔を合わせるのも実に1ヶ月ぶりで。そのひと月前の逢瀬も仕事先で偶然すれ違う、といったものだった。恋人同士の触れ合いをしたのはいつだったか、詳しい日付を天花寺は思い出せなかった。そのくらい恋人に触れていない。
だから、やばい。こんな衆人環視で、こんな触れ方は。
湧き上がる劣情をなんとか押しやって、顎を上向かせたままの腕を握り締める。本気で引き剥がそうとする天花寺に、空閑は笑みを消した。
「天花寺は、俺に会いたくなかったのか」
違う、と叫びたかったが、空閑の頭越しに心配そうにこちらを伺う虎石が見えて、茹だった思考が一気に冷えた。
「……うるせえ。いいから離せってんだ!」
至近距離から浴びせた怒鳴り声に、アルコールで溶けた紫がギラリと光るのが分かった。反射的に身を引こうとした天花寺の顔が強い力で引かれた。
久しぶりのキスは、苦い発泡酒の味がした。
ガシャン、と誰かのグラスが落ちる音がする。さっきまでうるさかった向かいの星谷と那雪の騒ぎがやけに静かだ。遠くで戌峰のおかわり!の声だけが響いている。
全部諦めて、天花寺はそっと目を閉じた。