ちむりはトリオが女の子になる話花の透かし模様が入ったガラス戸を引くと、初夏の柔らかい風が吹いてくる。店の中を抜けた先に、吹き抜けのような構造に位置するテラス席。案内してくれた店員の女性は、にこやかにオススメを告げて店内へ戻っていった。
ウッドチェアにもたれて上を見上げれば、落ち着いた紺のパラソルから空が見えた。気持ちにそぐわないくらい、気持ちのいい天気だった。
テーブルに肘をついて頭を抱える蟻坂。
一人、メニューにはしゃぐ蛍灯。
空を仰いで脱力しながら、甲本が呟く。
「なんでこんなことになってるんだ……」
「……嘘だ」
今朝起きてから、何度目かになる台詞を蟻坂が呟いた。いつも良く通る落ち着いた声は、不自然に高く、少しだけ頼りなかった。
青みがかった黒髪は背中の中ほどまであり、バレッタでハーフアップに。チームの中でも高い方に入る身長は10cm以上縮んでいる。それでも、女子にしては高い方だ。
そう、女子にしては。
朝起きたら性別が変わっていた。
チーム楪とチーム漣が、合同合宿をしている漣家の一室。そこではチーム楪の5人が寝起きしていた。
真っ先に起きたのが蟻坂で、隣で叩き起された甲本は、自分を必死に呼ぶ目の前の美少女に仰天した。と、同時に、自身の変化に気づいてもう一度、常よりずっと高い声で叫んだ。
その大騒ぎに、同じ部屋のチームメイトたち全員が飛び起きた。
眼鏡を探して蜂矢が転び、駆けつけた楪が大声を上げ、うるせえ!と怒鳴り込んできた北原を揚羽が即座に部屋から叩き出し。
一通り騒いだ後、楪は同じ性別である漣の姉たちを呼びに行った。
そして現在。
姉たちによってコーディネートされた三人は、漣家からこのカフェに来ていた。
蟻坂と甲本は、自身の変化と着せ替えパーティーによって、すっかり憔悴している。やつれた甲本が、唯一楽しそうな三人目を見つめた。
「お前、この状況分かってるのか…?」
「こんなこと、これからいつあるか分からないじゃん?だから、記録残しておこーぜ!」
ほら、写真写真!
と、三人目の女子、蛍灯が甲本の肩に手を回して引き寄せた。顔が近づいて、緩く巻かれた髪が甲本の頬に触れる。ふわふわの髪から花のような良い香りがする。姉たちと嬉々としてこの状況を楽しんでいた蛍灯のミディアムロングの髪は、可愛くセットされていた。
パシャ!と自撮りの音が響き、蛍灯と甲本のツーショットが映される。写真を見て、蛍灯が口を尖らせた。
「もっと笑ってよー!」
「もう散々撮ってたからいいだろ…」
「ほら、これも付けて付けて!もう一回!」
「うわっ、やめろ!俺はいいから!」
ハンドバッグに突っ込まれていた赤いチェックのヘアバンドを手に取り、蛍灯が襲いかかる。甲本の内巻きショートボブの髪型に良く似合うそれは、本人によってすぐに外されてしまっていた。
150cm台まで縮んでしまった甲本に対して、蛍灯は元の背もあって少し高めの身長。体格差に、すぐに抑え込まれて降参してしまう。
「ほら〜可愛い!」
「……蟻坂。蛍灯を止めてくれよ」
「俺を巻き込むな……」
パシャ!ともう一度カメラを音が響いて、今度はスリーショットが記録される。満足そうに写真を眺める蛍灯に対して、二人はまだ昼前だというのに疲れきっていた。
現在、楪や揚羽、蜂矢が原因を探してくれている。チーム漣には絶対バレたくない、との蟻坂の訴えに、三人は早々に漣家から飛び出した。このまま寮や実家に帰るわけにもいかず、行き場を思案する蟻坂と甲本の手を、蛍灯が笑顔で引いていった結果。蛍灯が以前から行きたい、と騒いでいたこのカフェにたどり着いたのだ。
改めてメニューを開いて、蛍灯が目を輝かせる。
「ほらほら、決めよ!ここ、プリンとパンケーキがおいしいんだって」
「……アイスティーでいい」
「俺も……」
「ちょっとちょっとー!」
頬を膨らませる彼、もとい彼女に、そんな仕草も似合うなあ、と甲本はぼんやり横顔を見つめた。元々整った顔の蛍灯は、黙っていればクールな雰囲気の美少女になっている。そこにお喋りや動作が加わると、なんだろう、強いて言うなら。
「ギャルっぽい……?」
「なにが?てか、もう勝手に頼んじゃうからね!」
テーブル上の可愛らしい小さなベルが持ち上げられて、チリリと店員に合図をする。蛍灯によって読み上げられていく横文字たちに、もちろんアイスティーはない。ちらりと甲本が蟻坂を見るが、黙って首を振る動作が返ってきただけだった。
少しして、蛍灯が頼んだものたちがテーブルへと並べられる。
「ほら!見て見て、すごいでしょ!」
「おおー……」
「これは確かに圧巻だな」
ぐったりしていた二人も感嘆の声を上げる。オススメだというパンケーキが三つ。添えられているのがアイスだったり生クリームだったりで、それぞれ違うらしい。ガラス戸と揃いの花模様が描かれたティーカップから立ち昇る湯気と香りに、甲本の疲れも少し解けた気がした。
「ここはね、紅茶もおいしいんだって。種類も多いから迷っちゃった」
「……ありがとう、蛍灯」
「え?急になに?」
「そうだな、ちょっと俺たちは気負いすぎてたのかもしれない。ありがとう」
二人からの感謝に、蛍灯は少し照れたようにはにかんだ。
では、と甲本がフォークとナイフを手に取る。二段重ねのパンケーキに刃を入れ、
「ちょっと!??なにしてんの!?」
蛍灯が必死の形相で甲本の手を掴む。
同じように食器を手に持った蟻坂が首を傾げた。
「どうかしたのか?」
「いや、アーリーもなんでいきなり食べようとしてんの!?写真撮ってないじゃん!」
「ああー……」
「二人とも面倒くさそうな顔しないの!」
再びシャッター音が数回響いて、テーブルの上が綺麗な角度で記録されていく。満足そうに蛍灯がスマホを下ろしたところで、甲本はパンケーキの切り分けを再開した。意外にしっかりした生地は表面がサクッとしている。まずは、とトッピングを何もつけずに口に運んだ。
「うわ、うまい!」
生地そのもののほのかな甘みと、何より圧倒的な香ばしさが口いっぱいに広がる。すぐに次を切り分けて、メープルシロップを回しかける。さらに添えられたバニラアイスものせて頬張った。
「うん、すごいうまい、これ!しっとりしたとことサクサクしたとこ、どっちもあって……って二人とも、どうした?」
「うーん……」
微妙な表情で手を止めていた二人が、顔を見合わせる。
「てっちだ、って分かってるんだけど。そんなめっちゃ女の子の可愛い顔でうまい!って言われると、その」
「ギャップというか、違和感がすごい」
「はあ?」
可愛い、という単語に顔をしかめながら、甲本が言い返す。もちろんパンケーキを食べることは止めない。
「この中で可愛いっていったら蛍灯だろ?」
「ええー、てっちだよ」
「俺も甲本だと思う」
「ええ……」
「まあ、玲子ちゃんも可愛いけどね!アーリーは綺麗系だよね」
「そうなのか?」
ロングヘアを耳にかけて、蟻坂がフォークを口へ持っていく。一瞬、驚いたような顔をして、ふわりと花が綻ぶように微笑む。甲本と蛍灯が固まった。
「なるほど。初めて食べたがうまいな」
「あのさあ、てっち」
「うん、だよな」
キツめの美人が笑った時の破壊力がすごい。一番可愛いのは蟻坂だ、と結論付けて、可愛い論争は幕を閉じた。
ポットの紅茶が残り少なくなった頃、蟻坂が切り出した。
「で、こんなことなった原因だが。心当たりはあるか?」
少し冷めてしまったパンケーキの欠片をつつきながら、甲本は考える。
同じチームの揚羽と蜂矢、指導者のメートルリオには変化はなかった。同じ環境にいたはずのチーム漣にも。
「うーん、俺たちだけがしたことなんてあったか?」
「特に思いつかないな」
「あるよ、心当たり」
蛍灯からあっさり返ってきた言葉に、甲本と蟻坂はテーブルに手をついて詰め寄る。
「あるのか!?思い当たることが」
「これじゃない?」
ティーカップを持ち上げてみせる蛍灯に、甲本は
怪訝そうな顔をする。逆に蟻坂は何か思いついたように自身のカップへ目を向けた。
「昨日、風呂上がりにお茶を飲んだ……あれか?」
「確かに、あのお茶を入れて飲んだのは俺たちだけだったよな?」
二人の答えに、蛍灯は正解を聞けた教師のように頷いてみせる。と、バッグから何かの包み紙をゴソゴソと取り出した。今日三人が何度も目にした花模様が、紙の上に広がっていた。
「もしかして、この店のお茶なのか?」
「そう!オリジナルブレンドなんだって。併設されてるお店に売ってるみたい」
得意げに紙をヒラヒラさせる蛍灯を、甲本がじとりと睨む。
「お前、分かってたなら早く言えよ」
「だって、言ったらお茶だけ調べて終わりだったでしょ?せっかくだし、カフェにも来たかったんだよ」
悪びれもせず蛍灯がぐるりと周りを見渡す。お昼時になり、ほとんど満席状態のテラスは大半が女性で占められていた。
「別に男の時でも良かったけど、女の人ばっかりの空間に行くのもアレじゃん?今がチャンスだなーって!」
「……はあ」
「分かった。もういい」
なんだかんだ甲本も蟻坂も、このカフェを堪能してしまった後でとやかく言う気もなかった。解決の兆しが見えたことで、パンケーキだけでは物足りない食欲が戻ってくる。ようやくメニューをまともに見た甲本が、ベルを手に取った。
「俺、プリンも食べたい」
「いいな。このお茶のことはもう、メートルリオたちにも伝えてあるんだろう?」
「もちろん!出かける時に言ってきた」
「用意周到だな、全く。食べたら早速お茶を売っているところに行くぞ」
この状況をちょっと楽しむことにした蟻坂と甲本を、蛍灯が含み笑いで見つめた。カシャッ、とスマホのカメラで二人の笑顔を撮る。
「撮ってないで、蛍灯もトッピング選べよ。いろいろあるぞ」
「ホントだ。そうだなあ、生クリームにチョコスプレーと、果物もほしいかも」
メニューを覗き込む二人に、蛍灯も加わる。
頼んだ品が到着すると、また甲本がすぐにプリンにスプーンを突き刺し、蛍灯が悲鳴を上げて一悶着が起きた。柔らかな時間が流れる空間で、三人はしばらく期間限定だろう異常を楽しんでいた。
おまけ:モブから見た三人
「あの子たち、めっちゃレベル高くね?」
たむろしていた友人の声に顔を上げると、数メートル先に二人の美少女の姿があった。おそらくそう年の変わらない高校生くらいだろうか。
ふわふわのミディアムロングの彼女は、一見落ち着いた美人に見えるが、仕草や表情が豊かだ。隣の女子に笑いかける顔は愛嬌があり、つい目で追ってしまう。友人の一人はすでに釘付けになっている。
黒髪ロングの子は近づきがたいオーラを放つ切れ長の目をした美人。チラチラ横目で見ている男たちをひと睨みで退かせており、キツそうな印象を受けた。が、ミディアムロング美人が言った言葉に黒髪ロングの彼女が口角を弛めて、がらりと雰囲気が変わる。
「可愛い……」
別の友人が思わずといったように呟く。他の奴らも彼女たちを見ており、勢い余った一人が顔を紅潮させて声を弾ませた。
「なあ、声かけてみねえ?もしかしたらワンチャンあるかも!」
「無理じゃね?」
なんでだよ!の反論に無言で彼女たちの方向を指さす。ここでたむろっているメンバーより、数段階上のハイスペック男がさっそく彼女たちに袖にされていた。がっくりと肩を落とす友人の背後から、小柄な影が彼女たちへ駆けていく。
手を振る彼女たちに、ショートボブの彼女が加わる。目を引く華やかな二人に比べると少し地味だが、大きな瞳が小動物を思わせる。トイレが混んでて、と聞こえた声は意外に低めで、可愛らしい外見とのギャップに興味を引かれた。
「あの子も可愛いな」
「ダメかなー、声かけるだけでもっ」
こちらが様子を伺っているうちに、また新たな男がナンパに挑んだ。今度はショートボブの彼女にだ。ぽかんとした表情で男を見つめる彼女の前に、すぐに残りの彼女たちが立ちはだかる。秒で撃退されてしまった男が肩を落としてその場を後にし、彼女たちはショートボブの子へ向き直った。
何やら自覚が足りない、とか可愛いんだから、とかが途切れ途切れに聞こえてくる。あまりよく分かってなさそうなショートボブの彼女の腕を、ミディアムロングの彼女が抱きついて拘束した。赤くなって狼狽える彼女の逆側から、今度は黒髪ロングの彼女が同じようにする。両側から守るようにショートボブの子を囲んで、彼女たちはそのまま歩いていってしまった。
残念そうに呻く友人たちの肩をそっと叩く。
また機会があるさ、と声をかけながら、おそらく三人でいる時はナンパは成功しないだろうと空を仰いだ。